never end utopia

おつきさま。

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一章

君の望む存在

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約一週間、一緒に過ごしてみてわかったことは、エリオットが公爵家の中でかなり雑に扱われているということだ。冷遇されていると言ってもいい。
帝国の三大公爵家の人間ともあろう者が、世話をする人間は屋敷の中に侍女がたったの二人いるだけ。
食事は一応まともなものが出てくるし入浴の用意や部屋の清掃もされるがそれだけ。最低限の挨拶をして、やることを終えればさっさと部屋を去っていく。だというのにエリオットは毎回何かをされる度に律儀に「ありがとう」と笑い、侍女はそれに対して表情を変えることなく「いえ」と返す。
不憫な奴だな、と悪魔のくせにうっかり同情しそうになった。



相変わらず返事もないのに語りかけてくるエリオットの話や盗み聞きした侍女同士の会話で、エリオットが本邸から遠く離れた公爵家の敷地の隅にある別邸に一人で暮らしていること、当主である公爵が外で作った女の子どもで力もなければ病弱であることを理由に家族から疎まれているらしいこともわかった。
自分の子どもかも怪しいと言いながら、ミレイユ以外にありえない青い瞳を持っているせいで引き取る他なかったのだと。
まあなんというか、酷い話だなとノーチェは思った。

人間なんて総じて愚かな生き物である。
弱くて、狡くて、自分さえ良ければそれでいいという利己的な思考の欲深い生き物。
一瞬の快楽と欲しいものを得るために、いつだって選択を誤る。過ちを繰り返す。
だから、自分の子どもがこんなふうに一人で苦しんでいても、知らないふりができる。

「…っはあ、は、ごめんノワ…僕の呼吸、うるさいだろ、…」

指先がいつものようにノーチェの背を撫でる。
燃えるようなその熱さからエリオットの苦しみが伝わってくるようだった。
どれだけ馬鹿なんだろう、この人間は。 
そんな今にも死にそうな状態で、猫に謝ってる場合か。
上手く酸素を吸えていなさそうな不安定な呼吸は確かにうるさくて、いつ途切れてもおかしくないように思えた。
荒い息が毛に当たる度にふわふわ揺れて鬱陶しいのに、ベッドを下りる気にはなれない。
離れたらエリオットが「ノワ、ノワ」と自分を呼んでうるさいから。
なんて言い訳のように考えながら、ノーチェはエリオットの胸に頭を擦り付けた。こうするとエリオットが喜ぶのだ。
馬鹿な人間を騙すのは好きだけど、お前が苦しむ姿は見てられない。



僕も一人なんだ、と当たり前のように口にされた言葉を思い出す。

(確かにお前は一人だな、エリオット)

たった一週間しか一緒に過ごしていないのに、エリオットがこんなふうに体調を崩すのは三回目だった。毎回毎回、今度こそ死ぬんじゃないかと思うほどの高熱に苦しんでも、誰一人お前を心配してやってくる人間はいない。仕事だからという義務で様子を見にやってくる侍女は額のタオルを変えればさっさと出て行くし、お前のそばに唯一いるのは猫のふりをした悪魔だけだ。

「…ノワ、きみがいてよかった。一人じゃないって、安心できるよ…」

熱のせいで水分の滲んだ瞳がやわらかく細められた。

エリオットはいつも、ノワと呼んでノーチェのことをそんな瞳で見つめた。
慣れないそのやわらかさにいつも逃げ出したいような気持ちになる。だって今まで、そんな目を向けられたことはなかった。恋に落として生気を奪い取った女達が自分に向けていたものとも違う。
もっと綺麗で、澄んでいて、なんの欲もなくただ自分がそばにいることが嬉しいのだと伝えてくる瞳。

(俺は、お前の望む存在にはなれないのに)

エリオットに語りかけているようでいて、その実自分自身に言い聞かせるための言葉だった。
なぜならエリオットが本当に求めているのはこんなボロボロの黒猫ではなく、真っ白な翼を持った美しい天使だと知っているから。






「正しく生きていれば、信じていれば。いつかきっと天使様が現れて、幸せを運んできてくれる」

まじないを唱えるように、エリオットはよくノーチェを撫でながらそう呟いた。

「母さんがいつもそう言ってたんだ。だから僕もそれを信じて生きてきた。そうすればいつか、父上は僕を愛してくれて、母上も僕を認めてくれて、兄上だって僕に笑ってくれるはずだって」

エリオットが笑う。

「全部叶わなかったけど、僕はいま幸せだ」

夢を見るようなやわらかい瞳でノーチェを見つめながら。

「なんでかわかる?君がいるからだよ、ノワ」


きっと君が、僕の待ち望んだ天使様だったんだね。


寄越される信頼と特別が、向けられるその目が、あまりに純粋で。
いつか自分がいなくなった時、大切にしていた猫が本当は悪魔だと知った時。
目の前の人間はどんな顔をして、どんな言葉を言うのだろうかと、ついそんなことを考えた。
母の教えを守り生きてきたというのに、やって来たのは待ち望んでいた天使ではなく、悪魔だった。 
それはどれほどの絶望だろうか。
その時にはきっとこの笑顔も失われるのだろう。
想像した瞬間、ジクリと胸のどこかが痛んだ気がしてノーチェは首を傾げた。





「ノワ。今日は君にプレゼントを用意したんだ、受け取ってくれるかな」

ある日、いつものようにノワを呼んだエリオットはそう言って箱から何かを取り出した。

「友達の証と、君には僕がいるんだっていうしるしに」

エリオットの手の平に置かれたそれは、やわらかいベルベットの生地で作られた首飾りだった。
首に当たる部分は太く、その先に伸びた細い紐の部分を首裏で結ぶようになっている。鮮やかな赤色の生地と派手すぎない金の装飾が上品で、ノーチェの黒い毛によく映えるようなデザインだった。
チョーカーといえば聞こえはいいが要は首輪だ。
人間が所有する動物に贈るもの。ノーチェは怪我のせいで仕方なくここに留まっているだけで、エリオットの飼い猫になったつもりはない。
ないけれど、そんなふうに嬉しそうな顔をされるとその手を払い除けようという気にもなれなくて、結局大人しく首輪を着ける羽目になった。

「すごく似合ってるよ、ノワ。素敵だ」

ほら見て、と抱き上げられて姿見の前に連れて行かれる。
認めるのも癪だが確かによく似合っていた。
首元の赤色が艶のある黒い毛を引き立てているし、あしらわれた装飾の金はノーチェの瞳の色と同じ色をしているおかげでまとまりもある。
「ノワ」のことを大切にしているエリオットのことだ。きっとそこまで考えて選んだんだろう。

「気に入ってくれたかい?ノワ」

嬉しそうな瞳がノーチェの顔を覗き込んだ。
ノワ、ノワとしつこいほどに名前を呼ばれる度、そうじゃないという思いが強くなる。
大切に扱われるほどに、それは自分のものじゃないのだと思い知る。


(エリー、俺は、)


ノワじゃない、なんて。
どうかしてる。
それ以上何かを考えないように、「にゃー」といつものように適当に鳴いて誤魔化した。









ノーチェがエリオットの屋敷に来てから、もうすぐで一ヶ月が経つ。
ついこの間傷は完全に塞がり、魔力も十分に回復した。
だから、もうここに留まる理由はない。
けれどノーチェはすぐには出て行かず、なんとなくノワとして首輪を着けたままエリオットのそばにいた。出て行こうと思えばいつでも出て行けるからこそ、もう少しだけ、と思う。
見慣れた侍女以外には誰も訪れることのない屋敷に、ひとりぼっちで住む人間があまりに憐れだったから。




ある夜、珍しく遅くまで起きていたエリオットは膝の上に乗せたノーチェを撫でながら言った。

「ノワ、聞いて。今日は僕の誕生日なんだ。まあ、それももうすぐ終わるんだけど」

壁に掛けられた時計を見ると、頂上で二つの針が重なろうとしているところだった。
誕生日というのが生まれた日を祝うもので、その日一日限りの特別なものだとノーチェは知っている。人間がそれをとても大切にしていることも。
けれど今日も、エリオットはこの広い部屋に一人きりだった。

「馬鹿だろ。今年は覚えていてくれるかもって、毎年期待するんだ。それで、結局何もない。プレゼントとかパーティとか、豪華な食事とか。別にそんなものはなくてもいいんだけど、おめでとうって、一言だけでも、誰でもいいから言って欲しかったんだ」

酷い熱に苦しんでも、誰も見舞いに来る者がいなくても、ただ笑っていたエリオットが。
ノーチェを撫でながら泣いていた。
降ってくる雫が額に当たっては音もなく弾けて、ノーチェの毛を濡らしていく。

「覚えてないんじゃない、父上はきっと僕の誕生日なんて知らないんだ。本当はずっとわかってた……ははっ、ダメだな、18歳になったのに。しっかりしないと、もう大人なんだ」

言い聞かせるように言葉を紡いで、深く息を吸い込んだ後にエリオットはノーチェの体をそっと抱き上げて目を見つめた。

「僕には君がいる。本当は、それだけでもういいはずなんだ。ねえノワ、君だけはおめでとうって、そう言ってくれるだろ」

エリオットが語りかけてくる度に猫の自分がどんな気持ちになるのか、目の前の人間は何も知らない。
おめでとうなんて、言いたくたって言ってやれない。
だから代わりに「にゃー」と鳴いてみせれば、エリオットは満足そうに微笑んで、それからぎゅっとノーチェの体を抱きしめた。


「大好きだよノワ。君がいれば僕は生きていける」


きっと嘘ではないそれは、多分本当でもないのだと気付いた。エリオットはただ、そう言い聞かせているだけだった。
だって、結局お前が求めてるのは家族の愛で、だから今でも本当はずっと天使を待っている。
少しは救いになってやっていたつもりで、きっとそんなことはなかった。
結局ノーチェには何もできない。
こんな姿でしかそばにいてやれないし、本当の姿に戻ってしまえば拒絶されるだけだ。
この背中にあるのは、天使のような白い翼じゃない。


(…もう、終わりだな)


あと少し、もう少しだけ。
いつでも終わりにできたはずの時間を、そうやって引き延ばしていたのは紛れもなく自分だった。




それから一週間後の夜に、ノーチェはエリオットの屋敷を去った。
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