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クリームソーダといちごミルク
②
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一週間ぶりに怜さんと会う夜。
いつものように部屋を訪ねると、怜さんは既に何本かアルコールの缶を空けていた。
「飲み過ぎじゃないですか」
「いーんだよ」
煩わしそうな顔をした頬には真っ白な湿布が貼られていた。目に入ったそれに思わず手を伸ばして指先でそっと撫でる。
「怜さん、この間は」
「朔良」
出来ていなかった謝罪を口にしようとしたら、わかりやすく遮られた。
「お前も飲めよ。それともすぐスる?どっちでもいいけど」
誘うような声が耳元で囁いた。
怜さんはいつも自分のことを必要以上に軽く見せようとして、わざとこういう態度を取ってみせる。
俺にはそれがどうしてなのか、いつもわからなかった。
「どっちもやめておきます。今日は話があって来たから」
「へー。何、別れ話?」
怜さんがつまらなさそうな顔で手に持った飲みかけの缶を揺らす。
ちゃぷりと中身が音を立てた。
「うん。そう」
「あはっ、お前にフラれる日が来るなんて思わなかったな。結局ずっと、お前は俺のことが好きなんだと思ってた」
「好きですよ、ずっと」
最初から、今も。
怜さんのことが俺は大切だった。
でももう終わり。
「嘘」
「え?」
「…まあでも、自業自得ってことくらいわかってる」
残りの酒を煽って、怜さんが笑う。
「朔良、でも俺、お前のこと好きだよ。お前のことしか好きじゃない。愛してるって言ったじゃん」
「…怜さんの好きも、愛してるも。全部軽いんですよ、信じたかったけどいつも信じられなかった」
「別にいいよ、それで。わざとそうしたんだから」
「は…?」
「ははっ、最後だからネタバラシ」
しーっ、て。
幼い子どもが秘密の話をするように、人差し指を立てて。
俺を見るその瞳はいつになく穏やかな色をしていた。
「重いから、俺。お前はアホみたいに俺に優しくしたけど、そんなんじゃ全然足りなかった。お前の愛はさ、優しいばっかで歯痒くなる。もっともっと俺だけになればいいのにって思ってた。浮気して、お前が取り乱したり俺に縋り付いて泣いてる姿を見ると、あー愛されてるなって思えた」
知らなかった怜さんの本音が、滔々と語られる。
「何回浮気したって別れようって言ってこないのは、それだけ俺のことが好きなんだって思えた。ダメだってわかってるくせにお前の愛を何度も試した。だけど自分が重いことはバレたくなくて、余計に軽く振る舞った。だからいつか、こんな日が来るってわかってたよ」
そこにいたのは、全く俺の知らない人だった。
一年も一緒にいて、あんなに身体を重ねて、俺は本当に何一つ怜さんのことを知らなかった。
「…なんだ、それ。なんで言ってくれなかったんですか。そんなことしなくたって、俺には怜さんだけだった!足りないならもっといっぱい言葉にしたし、もっとわかりやすく尽くしたってよかった!あなたの為なら、俺は…」
「ああ」
「いくら気持ちがあったって、怜さんが浮気した事実は変わらないじゃないですか。あなたに触れる度に想像するんですよ、俺だけじゃないって。やっと手に入れたと思ったのに、俺だけの怜さんなんてどこにもいなかった」
「うん、ぜんぶ間違えたんだ。ごめんな朔良。でもさ、」
悲しそうにわらった瞳が静かに俺を見つめる。
「気持ちが別のところに行ってるのは浮気じゃねえの?」
「は…」
グシャリと無造作に前髪を掻き上げて、取り出した煙草に火を付けた後、怜さんは言った。
「そういう隙を作ったのも結局俺だけど、段々お前の気持ちが離れて行くことに気付いてた。それがどこに向かってるのか、見たらすぐにわかった。そういえば最初は、俺にもあんなふうに笑ってたっけって。それで、もう戻れないんだなって気付いた」
「…よく、わかりません。なんの話ですか」
「お前の好きな奴の話」
「怜さんでしょ」
「ちげえよバーカ。なにお前、初恋がそんなに大事か?もういいから、ちゃんと幸せになれば」
はいおしまいって。
最後の煙を吐き出して、燃えて短くなった煙草は灰皿の底に葬られた。
それはきっと俺たちの間にあった一応は恋と呼べる何かで、いつかは終わることがわかっていたこの関係性そのものだった。
「…怜さんも。幸せになってください。幸せに出来なくて、すみませんでした」
「ははっ…真面目だよなぁお前。そういうところも好きだったんだ。俺の方こそ、傷付けてごめん」
細く長い怜さんの指先が、俺の髪を梳いて通り過ぎていく。
初めて好きになった人、同じじゃなくてもいいって肯定してくれた人、本当の俺を見つけてくれた人。
たとえばこの気持ちがもう恋じゃなかったとしても、それだけは変わらない。
全てと思えるほどに気持ちを傾けていた初めての恋の終わりは、思っていたよりも穏やかで、静かな痛みをもたらした。
きっと最後になるであろう帰り道を歩きながら「ちゃんと幸せになれば」という怜さんの言葉を思い返す。幸せってなんだろうってそんな哲学みたいなことを考えてみたら、なんでか一番にアンタの顔が思い浮かんだんです。
ねえ、どうしてだと思いますか、向井先輩。
いつものように部屋を訪ねると、怜さんは既に何本かアルコールの缶を空けていた。
「飲み過ぎじゃないですか」
「いーんだよ」
煩わしそうな顔をした頬には真っ白な湿布が貼られていた。目に入ったそれに思わず手を伸ばして指先でそっと撫でる。
「怜さん、この間は」
「朔良」
出来ていなかった謝罪を口にしようとしたら、わかりやすく遮られた。
「お前も飲めよ。それともすぐスる?どっちでもいいけど」
誘うような声が耳元で囁いた。
怜さんはいつも自分のことを必要以上に軽く見せようとして、わざとこういう態度を取ってみせる。
俺にはそれがどうしてなのか、いつもわからなかった。
「どっちもやめておきます。今日は話があって来たから」
「へー。何、別れ話?」
怜さんがつまらなさそうな顔で手に持った飲みかけの缶を揺らす。
ちゃぷりと中身が音を立てた。
「うん。そう」
「あはっ、お前にフラれる日が来るなんて思わなかったな。結局ずっと、お前は俺のことが好きなんだと思ってた」
「好きですよ、ずっと」
最初から、今も。
怜さんのことが俺は大切だった。
でももう終わり。
「嘘」
「え?」
「…まあでも、自業自得ってことくらいわかってる」
残りの酒を煽って、怜さんが笑う。
「朔良、でも俺、お前のこと好きだよ。お前のことしか好きじゃない。愛してるって言ったじゃん」
「…怜さんの好きも、愛してるも。全部軽いんですよ、信じたかったけどいつも信じられなかった」
「別にいいよ、それで。わざとそうしたんだから」
「は…?」
「ははっ、最後だからネタバラシ」
しーっ、て。
幼い子どもが秘密の話をするように、人差し指を立てて。
俺を見るその瞳はいつになく穏やかな色をしていた。
「重いから、俺。お前はアホみたいに俺に優しくしたけど、そんなんじゃ全然足りなかった。お前の愛はさ、優しいばっかで歯痒くなる。もっともっと俺だけになればいいのにって思ってた。浮気して、お前が取り乱したり俺に縋り付いて泣いてる姿を見ると、あー愛されてるなって思えた」
知らなかった怜さんの本音が、滔々と語られる。
「何回浮気したって別れようって言ってこないのは、それだけ俺のことが好きなんだって思えた。ダメだってわかってるくせにお前の愛を何度も試した。だけど自分が重いことはバレたくなくて、余計に軽く振る舞った。だからいつか、こんな日が来るってわかってたよ」
そこにいたのは、全く俺の知らない人だった。
一年も一緒にいて、あんなに身体を重ねて、俺は本当に何一つ怜さんのことを知らなかった。
「…なんだ、それ。なんで言ってくれなかったんですか。そんなことしなくたって、俺には怜さんだけだった!足りないならもっといっぱい言葉にしたし、もっとわかりやすく尽くしたってよかった!あなたの為なら、俺は…」
「ああ」
「いくら気持ちがあったって、怜さんが浮気した事実は変わらないじゃないですか。あなたに触れる度に想像するんですよ、俺だけじゃないって。やっと手に入れたと思ったのに、俺だけの怜さんなんてどこにもいなかった」
「うん、ぜんぶ間違えたんだ。ごめんな朔良。でもさ、」
悲しそうにわらった瞳が静かに俺を見つめる。
「気持ちが別のところに行ってるのは浮気じゃねえの?」
「は…」
グシャリと無造作に前髪を掻き上げて、取り出した煙草に火を付けた後、怜さんは言った。
「そういう隙を作ったのも結局俺だけど、段々お前の気持ちが離れて行くことに気付いてた。それがどこに向かってるのか、見たらすぐにわかった。そういえば最初は、俺にもあんなふうに笑ってたっけって。それで、もう戻れないんだなって気付いた」
「…よく、わかりません。なんの話ですか」
「お前の好きな奴の話」
「怜さんでしょ」
「ちげえよバーカ。なにお前、初恋がそんなに大事か?もういいから、ちゃんと幸せになれば」
はいおしまいって。
最後の煙を吐き出して、燃えて短くなった煙草は灰皿の底に葬られた。
それはきっと俺たちの間にあった一応は恋と呼べる何かで、いつかは終わることがわかっていたこの関係性そのものだった。
「…怜さんも。幸せになってください。幸せに出来なくて、すみませんでした」
「ははっ…真面目だよなぁお前。そういうところも好きだったんだ。俺の方こそ、傷付けてごめん」
細く長い怜さんの指先が、俺の髪を梳いて通り過ぎていく。
初めて好きになった人、同じじゃなくてもいいって肯定してくれた人、本当の俺を見つけてくれた人。
たとえばこの気持ちがもう恋じゃなかったとしても、それだけは変わらない。
全てと思えるほどに気持ちを傾けていた初めての恋の終わりは、思っていたよりも穏やかで、静かな痛みをもたらした。
きっと最後になるであろう帰り道を歩きながら「ちゃんと幸せになれば」という怜さんの言葉を思い返す。幸せってなんだろうってそんな哲学みたいなことを考えてみたら、なんでか一番にアンタの顔が思い浮かんだんです。
ねえ、どうしてだと思いますか、向井先輩。
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