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炭酸とバニラアイス
⑤
しおりを挟むその日以降、美好くんの俺に対する当たりが前よりも少し柔らかくなった。
ウザイ、キモい、ストーカー、とドストレートな悪口は相変わらずだけどきちんと会話をしてくれる。調子に乗って「俺っていま美好くんの友達?」って聞いたら綺麗に否定されたけど。
美好くんが俺に優しい時は傷付いた時、だけど最近はそんな感じでもない。むしろ今は長谷川の浮気も落ち着いているようで、学内でも並んで歩いている姿を見かけたりする。
仲が良さそうでなによりだけど、俺からしたら別にそれはいいことでもなんでもない。
7月に入ってもまだ梅雨は明けない。
中庭には屋根がないから、雨が降っている日は美好くんに会えない。喫茶店に来るかどうかは完全に美好くんの気分によるし、なにが言いたいかっていうと美好くん不足な日々が続いていた。
だがしかし。
太陽はどうやら俺の味方をしてくれたらしい。今日の天気は久しぶりの晴れ。五月晴れというやつだ。
美好くんの空きコマを狙って、いつも通りサイダーといちごミルクを手に中庭に向かう。
我ながらるんるんとスキップでも出来そうなほど軽い足取りだった。久しぶりの美好くんだな~なに話そうかな、なんか面白いことでも言ったらまた笑ってくれるかな、とかお花畑みたいな思考ですっかり浮かれていたせいだろうか。
神様は釘を刺すように唐突に現実を突き付けてきた。
美好くん御用達のベンチには青々と繁る葉が頭上から影をさして、夏が近づいてもまだ涼やかな空気を保っている。
だからきっと美好くんもあそこが好きなんだろう。
艶のある美好くんの黒い髪に、葉を透かした薄い光と青が溶けたような影が交錯する。
夏は何もかもがきらきらと輝いて美しいけれど、比べるまでもなくそれが一番きれいなものだと思った。
一番きれいな美好くんを知っているのは世界で俺だけだった。
たまに通り抜ける涼風にさらさらと美好くんの髪が揺れて射干玉のような瞳に陽の光が入ると、色が薄れてほんの少し青みがかる。
そういうの全部、俺だけだって。それだけは俺のものなんだって、そう思い込んでいた。
ぱたりと足が止まる。
ほとんど反射だった。脳が止まれと命令を下すよりも早く俺の足は動きを止めて、目線の先の光景を理解すると同時に校舎の影に身を隠した。
だってそうしないと自分が惨めで死にそうだった。今だってもう十分惨めだけど。
見慣れた景色の中にいつもと違う色が混ざっていた。
強い光をそのまま映したような、まばゆい金。
動く度に夏に近い太陽の光がチカチカと煌めく。
派手な髪色は後から人工的に染められたものであるはずなのに、まるで最初からそうだったみたいに綺麗に馴染んで美しい。
中庭の隅っこのベンチ。美好くんのお気に入りの場所。そこだけは、ここで会える美好くんだけは俺のもので、ひとりじめできるって思ってた。
思ってた、だけだった。
「…バカじゃんね」
美好くんが笑う。俺の知らない顔で。
うそ知ってる。長谷川にだけ見せる顔、俺には絶対見せない顔。もしも今鉢合わせたら、そんな表情筋あったんだねって、嫌味を言うよりも先に泣いてしまう。
俺だけの美好くんなんてどこにもいない。最初からいなかった。美好くんの全部は長谷川のもので、あの場所だって、俺のものじゃない。
そうだよ、いつだって君が隣にいて欲しいのは俺じゃなかった。
だけどそんなん俺には関係ないから、だって俺が隣にいたいのは君だった。美好くんが長谷川を好きなように、俺はいつだってずっと美好くんのことが好きだった。
美好くんの気持ちも自分の気持ちも、今更知ったわけでもないのに今日はやたらとダメージがデカい。それだけ俺はあの場所を不可侵なものだと思っていたらしい。美好くんの言う通り、俺が勝手に会いに行ってただけなのに。
「炭酸、苦手なんですけど」
壁に背中を預けて座り込む。
あそこに行けるわけもないし、かと言ってさっさとここを離れる元気もなかった。
今日はもう渡しに行けないからこのサイダーは俺が飲むしかない。捨てるのはもったいないし、好きなものは最後に残すタイプだからいちごミルクは慰めとご褒美に取っておく。
美好くんがいつもそうするように、プルタブに指をかけて引き上げる。プシュリといい音が鳴った。開ける人間が違っても、炭酸の音は今日も心地いい。
別に美好くんじゃなくてもいいんだな。なんて、それはサイダーの話で、俺は美好くんじゃないとダメだった。
冷たい缶に口をつけて少量を流し込む。甘さの後からパチパチと刺激の強い炭酸がやってきて舌の上で無遠慮に弾けた。それが痛くてやっぱり嫌いだなあって思うのに残す気にはなれない。
だって美好くんがいつも飲んでるから。
好きな人の好きなものは特別だ。
知りたくなるし、自分もそれを好きになりたいし、触れれば少しでも近づけたような気になる。
「ははっ、これじゃ美好くんと同じだ」
ずっとバカにしてたのに。無駄だと思ってたのに。
そうする理由も感情もよくわかるから、だから尚更嫌だった。
本当に無駄なのは、この炭酸と俺の感情の方だ。
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