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しおりを挟む「うおお、やべえ遅刻する!!じゃあ結、おれもう行くから!帰りは多分6時半くらい!」
残り半分の食パンを無理やり口に詰めこんでろくに噛まないまま牛乳で流し込む。
ソファの上に置いたリュックを掴んでバタバタと玄関に向かい、何年目かも忘れるほどに履き古したスニーカーに足を突っ込んで玄関を出ようとしたところで「あーまってまって、あき」と後ろから声がかかる。
振り返ると歯磨き中の結が洗面所から顔を出していた。
2限から授業のおれとは違い、今日は大学もバイトも休みの結は起きたばかりのスウェット姿に髪の毛にはぴょこんとハネた寝癖付きだ。
さらにぼやっとした眠そうな顔をしているもんだからかわいくてたまらない。
毎日見てるのに全然飽きない。
本来ならかわいいかわいいって抱きしめて顔中にちゅーしてる所だったけど、なんせ遅刻寸前だ。
間に合わないかもしれないという焦りからドアノブを掴んだままその場で足踏みをしてしまう。
「なに!?」
「夕飯、なんにする?」
夕飯はいつも作れそうな方が作ることになっている。
今日はおれの帰りが少し遅めで、結が休みだから結の担当だ。
「えーとえーと、ハンバーグ!目玉焼きのっけて!」
「ん、おっけー。いってらっしゃい」
ひらり、と軽く手を振って洗面所に戻る結に「いってきます!」と返してダッシュで家を出た。
春になって大学生になったおれたちは進学と同時に二人で暮らし始めた。
大学は二人とも違う所に通っていて、部屋はちょうどお互いの大学の中間にあたる場所で借りた。
結がいるからという理由で最初は同じ大学に行こうとしたおれに、自分の人生なんだからきちんと決めろと怒られて喧嘩したりもしたけど。
最終的には、会える時間が減るのが嫌だとごねたおれに、大学が離れても一緒に暮らせばいいだろと結が言ってくれたことで今の形に落ち着いた。
まさか結の方からそんなことを言ってくれるとは思わなくて、うれしさのあまり結にしがみついて盛大に泣いたのも今となってはいい思い出だ。
結もおれのことをちゃんと好きなのかもしれないなんて期待したけど、同棲を初めて約3ヶ月、付き合ってから2年と半年ちょっと。相変わらず結に好きだと言われることはない。
おれは結にとってなんなんだろう。
「昭乃ちゃ~ん!ここ!ここ!」
教室に入った瞬間デカい声で名前を呼ばれ、見ると満面の笑みでぶんぶんと手を振る男と目が合った。
「さ、笹岡くん…おはよう」
「おは~!てか昭乃ちゃん、笹岡くんじゃなくて慎ちゃんて呼んでって言ってるじゃーん!」
「あーうん、はい、慎ちゃんね慎ちゃん」
頼んでもないのに何故か毎回おれの分まで席を確保しておいてくれるこのウザい系イケメンは笹岡くんという。下の名前が慎太郎だからといって慎ちゃん呼びを強要してくる以外は基本的に良い奴である。
ちなみに、結の中学からの親友だ。
「ったく、結も未だにオレのこと慎ちゃんて呼ばねえしさー。なんでみんな慎ちゃんて呼んでくんねえんだろ?」
逆に未だに慎ちゃん呼び諦めてねえのかよ。
「ナンデダロウネ」
高校時代、常に結の隣にいるこの男におれは散々嫉妬させられたわけだけど、何の因果か今は同じ大学で学部も同じ。気付いたら一緒に行動していた。
「オレ今日はA定食のからあげにしよー!昭乃ちゃんは?」
「カツカレー大盛り」
ていうか、付いてくるの方が正しい。
入学してから3ヶ月、ほぼ毎日おれはこいつと昼ご飯を食べている。
一緒に食べようなんて誘ってないのに当たり前のようについてきては当たり前のように隣の席に座る。
前にどうして付いてくるのかと聞いたら「え、オレたち友達じゃーん!」と肩を組まれてピースされた。
結にもよくこうやって肩を回すからその度に死ぬほど嫉妬してたなーと懐かしい気持ちになりながら、まあいっか笹岡くん良い奴だしなと諦めの境地でそう思った。
でも結と仲良いのはやっぱりむかつく。
「昭乃ちゃんほっそいくせに意外と食べるよね、いつも大盛りだし」
「うん、おれご飯食べてる時が一番幸せ」
うそ。ほんとは結といる時が一番幸せだし、あと結を見てる時と喋ってる時と触ってる時も一番幸せ。
つまり結がいればなんでもいい。
なんて、笹岡くんはおれと結の関係を知らないから声に出しては言わないけど。
男と付き合ってるなんて、親友相手にも言えないんだろう。付き合ってる相手がいるって言っただけで、とんでもない美人に違いないとか、天使みたいに可愛い子だとか噂されて、実際はおれみたいな男と付き合ってるなんて格好つかないにも程があるし。
でも、よく考える。
結が、俺の恋人だって全員におれの存在を言いふらしてくれればいいのにって。
そうすればおれは、自信をもって結の隣にいられるし、結に寄り付く奴らも少しは減るかもしれないのに。
結はちゃんとおれのものなんだって、思わせて欲しいって。
玄関を開けるとハンバーグのおいしそうな匂いがふわりと鼻に入ってきて、お腹がきゅるると鳴いた。
「ただいまー!めっちゃうまそうな匂いする!!」
「おかえり、ちょうど出来たとこ」
リビングに続く扉を開けるとエプロン姿の結がいて、ハンバーグの乗った皿をテーブルに並べているところだった。
邪魔にならないようにって少し伸びた髪の毛を後ろで括って腕まくりしてる料理モードの姿がおれは大好きで、何度も見てるのに未だに胸がきゅんとする。
肌真っ白なくせにちゃんと筋肉ついてて血管出てんのとか鼻血出そうなんだけど。
「ゆう~!今日もかっこよすぎ!だいすき結婚しよ!」
「っおわ、バカお前急に抱き着くなっていつも言ってんだろ」
「いだっ、酷ぇ~暴力反対!!」
「うっせばーか。はよ手洗って来い」
「うう、はーい」
言われた通りに手を洗って戻ると全ての料理がテーブルに並べられていた。
結がご飯を担当する日は前菜にメインにとレストランのように綺麗に揃えられたメニューが並ぶ。
おれが担当の日なんてメインと白米、味噌汁ぐらいしか並ばないのに、結はどこまでも完璧だ。
結の向かいの席に座っていただきますと二人で手を合わせる。
おれのリクエスト通りハンバーグの上には目玉焼きが乗せられていて、わざわざ言わなくても黄身はおれ好みのかたさになっている。
こういうところでまた、おれは結を好きになる。
結お手製の目玉焼きハンバーグを食べた後、風呂から上がったおれはろくに髪も乾かさずにソファでテレビを見ていた。
適当に回したチャンネルのお笑い番組が思いのほか面白くて夢中になっていると、ふいに肩にかけていたバスタオルを取られて頭からばさりとかけられた。
「わ、ゆう?」
「あき、お前毎日毎日髪乾かせって言ってんのにどういうつもり?」
「え~?へへ、結に乾かしてもらおうってつもり」
振り向くとムスッと目を細めた結と目が合った。
ご飯を食べ終わった後、ついさっきまで洗い物をしていた結は服が汚れないようにとエプロンをつけたままだ。
料理を作ってくれる日は洗い物くらいおれがやるって言ってるのに、結はいつも洗い物までが料理だからって言っておれの出る幕はない。
「俺はお前の母親じゃねえぞ」
「とか言って毎日乾かしてくれるじゃーん」
「もうやんない」
「え!やだやだ、お願い結~」
お願い、と気持ちを込めてうるうると上目遣いで結の目を見つめる。
こうすると結は大抵お願いを聞いてくれる。
それは決しておれの可愛さにやられてとかじゃなくて、おれの上目遣いが見るに堪えないからだけど効果的だからおれはよくこの技を使う。
「やめろきもい」
「あでっ」
心底不愉快そうな顔でべちっと目元をはたかれた。
酷くない?ちょっとくらいかわいいって思ってくれてもよくない?
「…あー、わかったからそこ座れ」
「はーい!」
言われた通り大人しくコンセントの近くの床に座ると、結がおれの後ろに座って手に持ったドライヤーのスイッチを入れる。
ぶおおと耳元で響くドライヤーの音がうるさいはずなのになんだか心地よく思えるから不思議だ。
ふわふわと髪に触れる結の指先が気持ちよくてそれに浸るように目を閉じる。
毎日風呂上がりに髪を乾かさずにテレビを見ていると、自分で乾かせよって文句を言いながらも最後にはこうして乾かしてくれる。
撫でるように優しく触れる結の手が、まるで大切なものに触れるかのように優しくて、この瞬間おれは結に愛されているような気になれる。
「あ、あき明日なんだけど」
仕上げに冷たい風で髪を撫で付けたあと、ドライヤーを片付けながら結がそう切り出した。
「なに?」
「明日、サークルの飲み会があって帰ってくるの深夜か朝になるかも」
「え、また?」
「飲み会好きな先輩がいて、参加しないとうるさいんだよ」
結が大学生になって入ったサークルは映画研究会とは名ばかりの飲みサーだ。
と、おれは思っている。
結が映画好きなのはよく知っているし、そのサークルに入るのも当然のことだろう。
でも、実際に蓋を開けて見れば月に3回多くて4回は飲み会でオール。
映画好きの集まるちゃんとしたサークルだって結は言うけどそんなの信じられない。
どう考えたって飲みサーに決まってるのに、ちゃんとした活動もしてるからって結は言う。
前に見せてもらった集合写真では可愛い女の子たちもたくさん写っていて、飲み会に行く度に結があの子たちに囲まれていると考えると気が気じゃなかった。
飲み会好きな先輩とやらは絶対、結が来ないとその子たちが集まらないから参加しろってうるさいんだ。
「結、ちゃんとおれのこと言ってくれてるの」
「言ってるよ、付き合ってる奴いるって」
「でも告白されてるだろ」
「それは、まあ…うん」
「やっぱり!!されたら言ってって言ってるのにまた隠してたんだ!?」
「はぁ、あきデカい声出すなってうるさい」
「っでも、結はおれのなのに、だから違う大学なんて嫌だったのに」
結の周りに誰がいるのか、結のこと狙ってる人間がどれくらいいるのか大学が違うからわからない。
そのことがすごく不安だ。
結が想像するよりずっと、おれは不安なのに。
結は何もわかってない。
おれの知らない所で、おれなんかじゃ敵わないような素敵な人に恋をしてしまうんじゃないかって、おれはそれがいつも怖いのに。
「またそれかよ。そんなこと言ってもしょうがねーだろ。何もないって、少しは俺を信じろよ」
信じろって、言ったって。
何を信じればいい?結がおれを好きな気持ち?
そんなのどこにあるんだ。好きなんて言われたこと、一回もない。
おれは結の何を信じればいい。
信じられるような、頼れる言葉をくれよ。
でも、そんなこと言えない。
俯いて床を見つめていた視線を結に向けると、少しの苛立ちと面倒くさいという思いが浮かぶ瞳と目が合った。
これ以上はダメだと悟る。
唇をきゅっと引き結んでゆっくりと息をする。
溢れそうになる醜い言葉を無理やりにでも飲み下して、笑みを浮かべる。
「うん、そうだよなごめん。…飲み会、楽しんできて」
口うるさくない、感情的にならないでちゃんと引き下がることのできる恋人。
嫉妬はしない、束縛もしない。
結に嫌われないように、ずっとそばにいられるように、おれは変わった。変われたはずだから。
めんどくさいことは、もう言わない。
結を困らせない。
12月のあの雨の日に、そう決めた。
たまには飲み会断ってよ、女の子だっていっぱいいるのに、おればっかりいつもこんな気持ちになって、結はおれのこと好きなの、一回も言ってくれたことない、やっぱおれのことなんて好きじゃないんでしょ、だから嫉妬しないんだろ、おれの気持ちがわからないんでしょーーもう別れようよ。
全部全部、もう言わない。
「ん、なるべく早く帰れるようにするから」
そう言ってなだめるようにおれの頭をぐしゃりと撫でた。
いつもおれの頭を撫でる結の手は乱雑で、不器用だ。
「ゆう」
先に立ち上がった結の目を見つめて名前を呼ぶ。
なにも言わないでただねだるように両手を伸ばすと、おれの欲しいものを正しく理解した結はおれを引っぱり立たせて自分の腕の中に引き込んだ。
ゆう、ゆう、すきだよ、大好きだ。
言葉にしない代わりに結の肩口に頬を擦り寄せてすんと息を吸うと少しあまい結の匂いがした。
しがみつくように抱き着いた腕にぎゅうう、と力が入ってしまう。
きっと苦しいはずなのに結は文句一つ言わないでおれの背中をぽんぽんと撫でてくれる。
いとしくてせつなくて、思わず溢れそうになった涙をバレないように拭った。
おかしいね。
結がだいすきで、おれはいつも泣いちゃうんだ。
「へへっ、ありがとう」
これ以上抱きしめられているともっと泣いてしまいそうで、結の胸に手を置いて自分から離れる。
じわじわと視界が揺れるから前を見れなくて床を見つめてそう言った。
「あー、なんかもう眠いから先寝よっかな。結今からお風呂でしょ?」
「うん」
「じゃ、ゆっくり入ってきて。ハンバーグほんと美味しかった、ありがとう」
「ん、よかった。じゃあおやすみ、あき」
「うん。おやすみ結」
通り過ぎざまにぐしゃりと撫でられた髪の毛が目にかかってうっとうしい。
ほんと、撫でるのへたくそ。
まばたきをするとぱたぱたと溜まった涙が目から落ちて床に点々と散った。
泣いてばっかだおれ。
嫌だなあこんなの。
大きくなりすぎた好きを持て余しているから、こんなふうに涙になって出てきちゃうんだ。
だったら流れたぶんだけ結への好きが減ってくれればいいのにと思う。
そうすればおれの独占欲も少しはマシになって、こんなに苦しくもなくなって、結にめんどくさがられることもなく、喧嘩をすることもなく、しあわせなだけの関係になれるかもしれないのに。
結の気持ちとも釣り合いがとれるのに。
そう思って、いやそれはないかとついわらってしまう。
だって釣り合いがとれるって、同じくらいってことだ。バランスが取れるってことだ。
そもそも結のなかにおれと同じ好きがあるかすらわからないんだから、どれだけおれの気持ちが減ったって釣り合いなんかとれるわけがなかった。
想いを天秤にかけたら、きっと思いきりおれの方に傾くのだろう。
翌日の昼、おれは今日も今日とて食堂で笹岡くんとご飯を共にしていた。
今日のメニューは笹岡くんが月見うどんでおれがB定食の生姜焼きでご飯は大盛りだ。
「やっぱうちの大学のご飯っておいしいよね」
「うん」
「昭乃ちゃーん、大丈夫?」
「うん」
「オレの話聞いてる?」
「うん」
「生姜焼きもらってい?」
「うん」
「……んもーー!!!あきのちゃんってば!!」
今日の夜結は飲み会かと考えながらぼそぼそと箸を進めているとバン!と大きな音がして、強い声で名前を呼ばれた。
上の空だった意識が戻って前を見ると、いかにも怒っていますという風に眉根を寄せた笹岡くんと目が合った。
テーブルに両手を叩き付けた影響で、コップの中の水が大きく揺れている。
「あ、あぁごめん、なんだっけ?」
「なんだっけ?じゃないよ、話しかけてもうんしか言わないしさ。何かあったの?てかあったよね、はい話して」
「いや、別に…」
「べぇつぅにぃ!?そんなあからさまに落ち込んどいて何言ってんの?いいから話せ!」
おらおらおら~!と言いながら笹岡くんにびよんびよんとほっぺを引っぱられる。痛くはないように加減されてはいるけど、いつまでもやられたらたまったもんじゃない。
「わ、わかっひゃ、ふぁなしゅ!!」
降参の意味も込めてほっぺを掴む手を叩くとスっと目を細めた笹岡くんに「言ったな?」と念を押されてそれにこくりと頷くとようやく解放された。
「うう、乱暴だ…」
「昭乃ちゃんが誤魔化すのが悪い」
「わかったよ、すみませんでした」
「よろしい!で、なにがあったの?」
じっと真っ直ぐな瞳がおれを見つめる。
恥ずかしいしかっこ悪いからできるなら話したくなんてないけど、言い逃れは無理そうだ。
「あー、あの、さ。笹岡くんは」
「慎ちゃん」
「あーはい。慎ちゃんはさ、その~独占欲強い恋人ってどう思う?」
「え、最高」
「やっぱそうだよな、って、え!?」
思っていた返事と180度違うものが返ってきて思わず身を乗り出してしまう。
「え、なになに?独占欲強い恋人とか最高じゃない?オレのこと大好きかよ可愛いな~ってなる」
「で、でも普通はさ、やっぱめんどくさいじゃん。ヤキモチ妬かれたりとか、泣かれたりとかしたらさ…」
めんどくさい。
自分で言った言葉が何故か刺さって喋りながらどんどん顔が俯いていく。
きゅっ、とテーブルの下に置いた手に力が入った瞬間「いや、オレは好き」となんてことないような声がそう言った。
「めんどくさい程可愛いじゃんやっぱ。オレのことが好きすぎるから、些細なことでヤキモチ妬いて泣いちゃったりもするわけだろ?無理、可愛すぎて死ぬ!」
ダン!と握った手をテーブルに振り下ろして笹岡くん、いや、慎ちゃんは言った。やっと落ち着いたコップの水がまた大きく揺れる。
あまりに熱が入ったその姿におれは少し引いた。
「そっか、慎ちゃんは変わってるな。ほとんどの奴はめんどくさいって思うのに」
「そうかなー?てか、それがどうしたの?」
「あー、実は付き合ってる奴とそれ系で上手くいってなくて…」
「え!なになに昭乃ちゃん彼女いたの!?聞いてないけどオレ!」
「うんまあ、実は」
彼女じゃなくて彼氏だけど。
てかお前の親友だけど。
「まじかよ~で?彼女の独占欲が強くて困ってるってこと?」
「いや、逆。」
「逆?」
「おれの独占欲が強過ぎて面倒くさがられてんの」
「うっっそ、まーじ?」
「まじ」
ひえ~びっくりポンやでえと意味不明なことを呟いて慎ちゃんは食べかけのうどんをすすった。
どのタイミングでご飯再開してるんだよと思いつつ、おれも食べかけの生姜焼きを口に運んだ。
うまい。
「でもなんか意外だな~昭乃ちゃんてそんな独占欲強い感じしないのに。嫉妬っていうより、ヤキモチって感じだし」
「なにそれ、同じだろ」
「いやいやなんかニュアンス?が違うじゃん」
「うーん?」
慎ちゃんの話すことはいつもふんわりしている。
「そんで?独占欲強いのをめんどくさがられてるからしょんぼりモードなわけだ?」
「しょんぼりモードって…まあそうだけどさ。実は今日、サークルの飲み会らしいんだ。大学入ってから飲み会が多くて、顔がいい奴周りに多いっぽいし心配なんだよ。絶対あいつのこと狙ってる奴いっぱいいるし…」
「あー飲み会ね。大学生の飲み会とか酒の勢いでみたいなのありそうだしたしかに不安かもね」
「ッだよな!?」
まさにおれの危惧していた通りの言葉が出てきて思わず勢いよく立ち上がると、さっきから何度も被害を被っていたコップの水が大きく揺れてついにこぼれた。
「おわああ、昭乃ちゃん水!こぼれてるから!」
「うわっごめん!!」
慌てて近くに置いてあった布巾でこぼれた水を拭く。
幸いコップが倒れたわけじゃないから濡れた範囲は広くなかった。
「はあ、まじごめん。慎ちゃんかかってない?」
「うんオレは平気。昭乃ちゃんは?」
「おれも大丈夫」
「今ので昭乃ちゃんがどんだけその子のことが好きで心配してんのか伝わってきたわ」
「うん、思わず立ち上がって水こぼすくらいには心配してるわ…」
水を拭き終わって椅子に座ると、テーブルにしかこぼれていないと思っていた水が少しご飯の上にかかっている事に気付いた。
まあジュースがかかったわけじゃないし。
気にせずにご飯を口に放り込んだ。
「まあさ、心配な気持ちもわからんでもないけど、サークルの奴ら全員が昭乃ちゃんの彼女狙ってるなんてこともないだろ。相当な美人でもない限りね」
なんて、なにも知らない慎ちゃんはお気楽に言ってみせる。そのまさかだというのに。
「あいつは、相当な美人なんだよ」
そう。美人なんて、女相手にしか中々使わないような言葉がこの上なく似合ってしまうくらいに、結は性別の垣根を超えて美人だ。
「え。……え、まじで?惚れた欲目とかじゃなくて?」
「高校の頃から半端じゃなくモテてたし、そこら辺歩いててもほぼ振り返られるレベル」
「なにそれやば。そんな子と昭乃ちゃんが付き合ってるとか何事!?」
「悪かったな!どうせおれは平凡だよ!!」
「わーごめんごめん!違うって。昭乃ちゃんもまあまあ綺麗な顔してるよ?なんだろう、クラスで5番目辺りに名前を挙げられるタイプのイケメン?一目惚れとかはされないけど、中身を知っていくといいなってなって見た目の良さにも気付くみたいな?」
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「え!?えーと、あれだよあの、合コン!」
「合コン!?昭乃ちゃんやるなあ~!」
「あ、あははは…」
咄嗟についた嘘だったけど慎ちゃんは疑うことなく信じてくれたらしい。
深くつっこまれなくてよかった。
「でもそっか。そんなに美人ならたしかに心配にもなるかー。オレも前めっちゃ可愛い子と付き合ってたことあるんだけどさ、オレいるのにしょっちゅう告白されてて不安だったな~」
「慎ちゃんでも不安になるんだ。でも慎ちゃんはイケメンだからいいじゃん滅べ」
「え、ひど!てか昭乃ちゃんオレのことイケメンだと思ってたの!?やだ照れる」
「うるさ……あー、心配すぎて吐きそうもうやだ。おれなんの魅力もないしあんな顔のいい連中が周りにいたら目が覚めてなんでおれなんかと付き合ってるんだろうって思うに決まってるそしておれはフラれるんだ…!」
「ちょちょちょどうした昭乃ちゃん!?唐突なネガティブ!大丈夫だって、高校からってことは結構長いんしょ?彼女ちゃん信じてやろうぜ~?」
信じろ。
やけに言われ慣れてしまった言葉をまさか慎ちゃんにも言われるなんて。
確かに、おれが勝手に被害妄想膨らませて心配して妬いてるだけで結が実際浮気したとか他の奴とどうこうなったとかは一度もない。
前科があるわけでもないのに毎回毎回口うるさく言われたらそりゃ嫌にもなる。
わかってる。
結局は結や慎ちゃんの言う通り、おれが結を信じてないだけだ。
「……うん」
でもほんとうは。
おれが信じてないのは、結と付き合ってるおれ自身だ。
だってどうして、おれなんかが全てにおいて完璧で美しい結と付き合っているんだ。
なにかの間違いに決まってる。
その証拠に、結はおれを好きだと言わない。
きっといつか、結に釣り合う美しい人間を選ぶんだ。
その誰かは、女かもしれないし男かもしれない。
だからおれ以外の人間と関わらないでほしい。
劇的な一目惚れなんて防ぎようがないから、その瞳にはおれだけをずっと映していてほしい。
話さないで触れないで、おれ以外の奴と。
どこまでもおれだけを特別視してほしい。
なんて、独りよがりで重い願い。
きっといつか、この幸福な夢は終わりを告げる。
おれはそれが、恐ろしくてたまらない。
家に帰っても結はいないから部屋の中は真っ暗で怖いくらい静かだった。
返事が返らないからただいまも言わずに靴を脱いで家の中に入る。
結のいない家に一人でいることが嫌で、3分でできあがるカップラーメンを味わいもせずに食べてスマホと鍵と財布だけもってすぐにまた家を出た。
大学とかバイトとかは帰りの時間もわかってるし、帰ってきたら一緒にご飯を食べられるから別に平気だけど、飲み会の日だけはどうしても悪い想像ばかりが膨らんでいてもたってもいられなくなる。
結の好きそうな子がいたらどうしよう。ものすごく仲良くなっちゃって、そのまま二人で抜け出したら、本気で好きになっちゃったら、もうここに帰ってこなかったら。
勝手に想像して、勝手に泣いて、真夜中や明け方にようやく玄関の開く音を聞いて初めて安心する。
ベッドに入る結にまだ起きていることを気付かれないように眠ったふりをして、となりにある温度に安堵するうちにいつのまにかほんとうに眠っている。
そんなことの繰り返し。
少しでも気を紛らわそうといつの頃からか結が飲み会の日は、結が帰ってきそうな時間まで家の近くにある公園のブランコに座って時間を潰すようになった。
なにをするでもなくただブランコをこいだり星を見たりするだけでも、家で一人でいるよりは何倍もマシだった。
「こんばんは、昭乃くん」
ゆらゆらとつま先で地面をけって軽くブランコをこいでいると背中から声がかかる。
振り返る前からそれが誰のものなのかわかっている。
こんなにやさしい声が出せる人をおれは一人しか知らないから。
「こんばんは、想太さん」
7月の夜の生温い風がそよそよと吹いて想太さんの茶色い髪をふわふわと遊ばせる。
メガネの奥の目は今日もやわらかく細められている。
声も言葉も見た目も、ぜんぶがやさしさでできたような想太さん。
「あいかわらず見つけるの早いなーおれまだ来たばっかだよ?」
「ふふっ、まあね。自分でも最近ストーカーっぽいなって心配になってきちゃったよ。丁度俺がベランダに出てる時間帯に昭乃くんが来るから目に入るんだ」
「ははっ、知ってるって。ベランダ好きだもんねえ想太さんは」
想太さんの住んでいるマンションのベランダからはこの公園がよく見えるのだ。
夜になると毎日ベランダからぼーっと景色を眺めている想太さんが、頻繁に公園に訪れては長時間なにをするでもなく居座るおれの存在に気づいて声をかけてきたのが、たしかひと月ほど前のことだ。
どうしたの大丈夫?ってブランコに座るおれの顔を覗き込んできた想太さんは、その時からやっぱりふわふわやさしくて、初対面だというのにおれを酷く安心させた。
想太さんは聞き上手でうんうんってただ静かに話を聞いてくれるから、おれはそれまで誰にも言ったことのなかった結とのことを一から十まで吐き出した。おれの重いきもちもぜんぶだ。
それ以来想太さんはおれが公園にいるのを見つける度にこうして降りてきては、おれが帰るまで一緒にいて他愛のない話に付き合ってくれる。
26歳だという想太さんはおれよりずっと歳上でなんでも知っている大人だというのに、ガキみたいなおれの独占欲も不安もバカにしないで聞いてくれる。
「いいなあ、俺にもそんな頃が確かにあったはずなんだけど。自分も相手もだめになりそうな程に一人の人を愛するっていう感覚、俺はもう忘れちゃったや。昭乃くんが羨ましいよ」
そんなことを言ってほんとうに羨むように目を細めて見せるのだ。
「うらやましい…?」
「うん。大人になるとね、仕事とか自分のこととか生きることに精一杯になっちゃって、とにかく時間がなくて。相手の為に割ける時間も気持ちも全然なくなっちゃう。愛とかそういうものの優先順位はどんどん下がっていって、楽な人楽な関係に流れていっちゃうんだよね」
想太さんが揺らしたブランコの音がきいきいとさみしげに鳴る。
想太さんの目もなんだか少し哀しそうだった。
「でもおれは、そっちの方がいいな。楽な方がいいよ。おれのことどう思ってるんだろうって、結の言葉ひとつひとつに期待して落ち込んで。人間なんて結以外にいくらでもいるし、世界なんてほかに楽しいこともいっぱいあるのに。それでも、おれの世界はどうしようもなく結でいっぱいで、なくしたら生きていけないんだって本気で思ってんの、笑えるよね」
もうおれの世界は結で作られていて、太陽も月も星も風も空気も、結がいなければないのとおなじなのだ。
周りのことも見えていない子どもじみた恋だと誰かにバカにされたって、結がすべてなことは変えられない。
「…まあ、こういうのはないものねだりだね。そういう強い感情に呑まれる程の恋って、なかなか出会えるものでもないから、してる時は辛いんだけどなくすと随分と大切な感情だったなって気づくんだよ」
目を伏せてそう話す想太さんは、なくしてしまったその感情を懐かしんでいるように見えた。
「自分一人で回る世界より、誰か特別な一人を中心に回る世界の方がよっぽど綺麗に見えるんだってこと、俺は最近思い出しちゃったんだよねぇ」
ずっと忘れてたんだけどさ。
ぐーっと指先を組んだ手を前に伸ばして、少し困ったようにだけどとてもうれしそうに想太さんが笑う。
言葉の意味がわからず首をかしげているおれを見て想太さんはさらに楽しそうに笑った。
「うん、相変わらずしんどいけど、悪くないね」
今日の想太さんは、よくわからない。
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真下(21)受。大学生。一条と恋人同士になるが早くも後悔。
一条廉(21)大学生。モテる。イケメン。真下のクズ彼氏。

告白ゲームの攻略対象にされたので面倒くさい奴になって嫌われることにした
雨宮里玖
BL
《あらすじ》
昼休みに乃木は、イケメン三人の話に聞き耳を立てていた。そこで「それぞれが最初にぶつかった奴を口説いて告白する。それで一番早く告白オッケーもらえた奴が勝ち」という告白ゲームをする話を聞いた。
その直後、乃木は三人のうちで一番のモテ男・早坂とぶつかってしまった。
その日の放課後から早坂は乃木にぐいぐい近づいてきて——。
早坂(18)モッテモテのイケメン帰国子女。勉強運動なんでもできる。物静か。
乃木(18)普通の高校三年生。
波田野(17)早坂の友人。
蓑島(17)早坂の友人。
石井(18)乃木の友人。
魚上氷
楽川楽
BL
俺の旦那は、俺ではない誰かに恋を患っている……。
政略結婚で一緒になった阿須間澄人と高辻昌樹。最初は冷え切っていても、いつかは互いに思い合える日が来ることを期待していた昌樹だったが、ある日旦那が苦しげに花を吐き出す姿を目撃してしまう。
それは古い時代からある、片想いにより発症するという奇病だった。
美形×平凡
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