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告白
しおりを挟むあまりに一瞬の出来事だった。
それを偶然にも見ていた人たちは、おれを含めて、呆気にとられていた。神谷さんに、何本もの懐中電灯の光が当たった。口論していた人々も、異様な雰囲気を次第に感じ取って静まっていった。
神谷さんが、サイコロを指でつまんだ。もうメガネは普通にかけていた。
「あなただけが問題でした。ヌードまで披露したのに、全然警戒解かないから、困っちゃいましたよ。さすがは、【不溶】ですね。あ、字が違いますか」
神谷さんは、注目を意に介さず、サイコロに話しかけ続けていた。まるでスポットライトを当てられた俳優のように気取って見えた。だが、これが神谷さんの通常運転だと感じさせる伸びやかさがあった。
「選択肢は目の前にあったのに、最適なものを選び取る強い意志力を持たなかったことがあなたの敗因です」
神谷さんは、ポケットにサイコロを入れた。
「問答無用で僕を殺しておけば、自分が死ぬことはなかったのに」
「え?は!?えっ!?こ、殺したの……?」
春木くんが確認した。
てっきり、能力によって封じ込められただけかのようにも思えた。
神谷さんは、不思議なことを問われた、という顔で答えた。
「人間がこんなサイズになって」
神谷さんは、親指と人差し指の間にサイコロサイズの空間を作った。
「生きていられるわけないじゃないか。常識で考えなよ」
懐中電灯の光が、あちこちに揺れた。皆、ゆっくりと後ずさっていた。
「ああ、待ってください!安心してください!」
神谷さんは、機先を制するように、片手を前に突き出した。
「提案なのですが、皆さん、自殺薬は持っていますよね?それで死にませんか?それでしたら、無駄な恐怖や苦しみはなく死ねますよ!」
神谷さんは、ここにいる全員を殺すと宣言した。それが嫌なら、自殺しろということだ。
「……ここで生まれた子供たちは、自殺薬を持っていません」
見ると、カケルくんの母親だった。胸を押さえ、恐怖と闘いながらも主張していた。
「う~ん、その場合は親御さんが譲ってあげるのが筋かと……」
「……いえ、第三の道もあるんじゃないですか?」
「……というと?」
神谷さんは興味深そうに聞いた。
「あなたは、なにか目的があって、ここに来たんじゃないですか?私達は、それを邪魔するつもりもありませんし、なにも見ません。あとから、通報することもありません!」
カケルくんの母親は、気丈にも交渉していた。
「なるほど……。やはり、こっちに渡ってきて、子供を作るまでしている人たちは度胸がありますねえ」
神谷さんは、メガネのツルに触った。
「いいでしょう!我が子を想う親の愛に敬意を評しましょう」
「それじゃあ……!」
カケルくんの母親は胸をなでおろし、周りの人たちも重圧から解き放たれたように息を吐いた。
「私の望むものを連れて来てください」
神谷さんの口元は、斜めに歪んでいた。
「え?」
「親の愛を証明するのです!手を汚して見せてください。信頼は、口約束だけでは生まれません。わかりますね?」
有無を言わせぬ圧力があった。断れば、交渉は破談。すなわち、死が待っていることは明白だった。
神谷さんは、なにを望んでいるのか?
それもまた明白だった。
真央だ。
「おい、連れて来いって……」
「ああ、あの娘しかいないだろ……」
皆も、薄々勘づいていた。ここに来てから、二度も真央に執着している姿を見せていたし、監視役だとも言っていた。神谷さんの目的は、真央しかなかった。
ただ、連れて来て、なにをするつもりなのかは、不明確だった。
おれは目立たないように懐中電灯を切って、人に紛れていた。そして、ゆっくりとした歩法で、神谷さんの背後に回っていた。
朝倉さんを殺す時、神谷さんは能力を使った。箱で閉じ込めて、圧し潰す能力。発動条件は、裸眼で相手を見ることだと仮定した。
だとしたら、見られないようにすればいい。暗闇に紛れて背後から襲えば、勝機はある。
時間がなかった。
朝倉さんが、危ういなと呟いていたのを思い出した。薄氷は今、割られようとしていた。
飛鳥が、犯されて、殺されていた姿を思い出した。もう二度と、繰り返すわけにはいかなかった。
おれは気取られないよう、細い息を吸い、吐いた。
「さあ、どうか僕を信頼させてみせてください!」
神谷さんがそう言って両腕を拡げたのと同時に、おれは一足飛びに突っかけた。
着地と同時に足を踏み抜き、全質量と気を乗せた一撃を神谷さんの背に放った。
「残念ッ!」
インパクトの刹那、神谷さんの首がぐるりと百八十度回った。懐中電灯の逆光の中で、ツルを手で押し上げ、裸眼でおれを見た。神谷さんの瞳から、なにかが飛び出てくる感じがした。
おれは箱に閉じ込められていた。いきなり現れた箱の内壁にぶち当たり、狭い空間で弾き飛ばされた。うしろの内壁に後頭部をぶつけてしまった。頭がくらくらした。
「なかなかいい動きをするじゃないか。だが、殺気が漏れていては意味がない。焦っていたのかな?」
神谷さんは、箱を指でこんこんと叩いた。
「キミにはだいぶ見せつけられたからなあ。今夜は僕の番だ。楽しんでくれ」
神谷さんは、指をスナップした。右手の親指と中指で。すると、箱はガラスのように透明になった。メガネを元の位置に降ろした。
「な、なあ!」
作業服Aこと米谷さんが神谷さんに声をかけた。おれが殺されはしなかったことで、微妙に安心したのかもしれなかった。
「ん?なんだい?」
「その、今から筒井市長の娘を連れてくるとして、保護するのが目的ってことでいいんだよな?だって、あんたはそういう役目なんだろ?」
神谷さんは笑って、うなずいた。米谷さんは、引きつった笑いを返した。
次の瞬間、米谷さんは、箱に閉じ込められていた。メガネを上げた神谷さんは、親指と中指でスナップした。箱が透明になった。
「え……?」
戸惑った表情が見えたが、それが米谷さんの最後だった。
神谷さんは、親指と人差指でスナップした。箱は急速に縮まり、米谷さんの圧し潰される音が響いた。地面には、真っ赤なサイコロが転がった。
「人の役目を勝手に規定するなっ!」
神谷さんは、急に激昂して、赤いサイコロを踏み潰した。フロアに破裂する音が響き、米谷さんだったものが液状になって拡がった。
悲鳴が巻き起こった。
「クズがっ!自分ではなにもできない無能がっ!米粒が神に気安く話しかけてんじゃねえっ!」
神谷さんは何度も米谷さんだったものを踏みつけていた。足が真っ赤に染まっていた。
その時、まずいことが起こった。
「お母さん……?」
騒ぎを聞きつけて、テントに残っていた人たちが集まって来てしまったのだ。その中には、カケルくんたちもいて、真央もいた。カケルくんたちの近くにいたことから、人懐っこい彼らに連れられて来たのかもしれない。
カケルくんたちが悲鳴を上げる前に、母親たちが走っていき、マスク越しに口を抑えた。他の人々も合流した。
真央だけが、一人だった。他の人々は後退り、真央だけが浮いていた。
「真央さん……!」
感動的な再会だと錯覚させるような、甘い声音で、神谷さんは真央の名前を呼んだ。
懐中電灯の光は、今や神谷さんと真央に当たっていた。まるで、スポットライトのようだった。
真央はおれをちらりと見た。
それから、生理的嫌悪を覚えたように眉間にしわを寄せて、神谷さんを睨んだ。
「真央さん」
神谷さんは血だまりを軽やかに跳ねさせながら、告白した。
「あなたを、凌辱したい……!」
神谷さんは手を伸ばし、胸にもう片方の手を添えて、恍惚の表情で真央に情熱的な愛の告白をささやき続けた。
「もはや僕たちの愛を妨げるものはありません……。常日頃からの僕の想いを白状しましょう……。観衆の前で、あなたの破瓜の血を飲み下したいのです……!嫌がるあなたを組み敷いて、手首に僕の手のあざをつけたいのです!大きな眼に、舌を這わせたいのです!耳を噛みちぎりたいのです!舌を吸い上げ、窒息させたいのです!細腰を抱きしめて、鬱血させたいのです!その小さな足に齧りつき、指の一本一本を口内で味わい、転がし、ウィンドチャイムのような響きを体内から感じたいのです!あなたの血も皮も骨も、すべてを愛したいのです!こんな僕ですが、受け容れてくれますか……?」
皆、ドン引きだった。異常な発言に、血の気が引いていた。
だが、本人だけは頬を紅潮させて、真央の返事を待っていた。
「……キモい」
真央は害虫でも見下すような目で、神谷さんを見た。
神谷さんは稲妻に撃たれたようになり、血だまりに膝をついた。
一般論を言えば、好きな子に告白したらキモいと返事されたのだから、当然の反応とも言えた。告白内容と、相手が十一歳の女の子であることを加味したら、キモいという返事もまた、当然の反応だと言えたが。
「ふ、ふふふ」
神谷さんはうつむいたまま、不気味に笑った。そして、一気に顔を上げた。だれでもなく、天を向いていた。
「ああ、それでこそ……!」よだれが口から垂れていた。「高貴なものを堕とすことほど、甘美なことはない……!」
神谷さんは、膝でジャンプして立ち上がると、カケルくんの母親たちを見た。手は、メガネのツルを持っていた。脅しているのだった。
おれは箱を、中から何度も殴った。だが、びくともしなかった。
「逃げろ!逃げるんだ、真央っ!」
透明に変わった箱は、内側からの音を通すらしい。だが、真央は一瞥もくれなかった。
「んん~、いいBGMだ」神谷さんは耳に手を当てた。「さあ、選択の時間ですよ、皆さぁん」
神谷さんは邪悪な笑みを浮かべた。
観衆の持っていた懐中電灯が、ざわざわと揺れた。次第に揺れは大きくなり、心の動揺を表しているようだった。
親たちは、子供たちに目をつむっているように言った。懐中電灯の揺れは止まり、すべての光が、真央を照らした。
「やめっ」
斉藤さんが止めようとしたのを、本田二等兵が止めた。止めなければ、斉藤さんが殺されるとわかっていたからだ。斉藤さんは、本田二等兵の胸でもがき、やがて力なく震えた。
一斉にだった。一斉に、観衆のあらゆる能力が放たれた。だれの能力か判別できないほどに、真央に向かって一気に殺到した。薄氷は今、完全に割れたのだ。
真央の足元が泥状に変わり、真央の足を取った。動けなくなった真央の肩に、見えない重圧がかかって、沈ませた。真央はあえて転がって、脱出した。横に走って逃げようとするのを、炎の壁が阻んだ。作業着Bが腕を伸ばす能力で捕まえようとした。真央はバックステップで辛うじてかわしたが、何本もの縄が生きた蛇のように、真央の体に絡まり、ついには床に倒れた。
「すばらしい!やれば出来るじゃないですか!」
神谷さんは、光の当たっている領域へと、拍手をして進み出た。
真央は上目遣いで、神谷さんを睨みつけていた。
神谷さんは、真央を嗜虐的な笑みで見下ろすと、わざとらしく舌なめずりをした。神谷さんは、周りが全員敵だという状況を作ることで、真央を絶望させようとしていた。
「ねえ……、おねえちゃん、なにか悪いことしたの……?」
カケルくんが母親に聞いた。目には、涙を溜めていた。これからなにか良くないことが起きるのは、なんとなく察しているのだ。ミノルくんもミクちゃんも同様だった。
母親は、そんなカケルくんを抱きしめた。
「おねえちゃんはね……、私達のために犠牲になってくれるの……!みんな、そうやって生きてるの!だから、私たちのために犠牲になってくれてありがとうって、言おうねぇ!」
狂っていた。
子供たちは、声を押し殺して泣いた。ありがとう、と小さな声が響いた。
「いやはや……」
神谷さんは、首を振って苦笑した。
「他者に犠牲を強いておいて、ありがとうですべてチャラにする人って、罪悪感とは無縁なんでしょうねえ。うらやましいですよ」
犠牲にされようとしている真央に、張本人が笑いかけた。真央は変わらず睨みつけていた。
そのふたりの間に、立ちふさがる人影があった。化野さんだった。
化野さんは、真央を捕まえるのにも参加せず、隅っこで神への祈りをささげていたはずだった。
今思えば、化野さんの言う通り、神谷さんを入れるべきではなかった。分岐路だったし、神谷さんは人を装いし獣と呼ぶのにふさわしかった。だが、すべて後の祭りだった。
化野さんは、手に不釣り合いに大きい肉切り包丁を握り、神谷さんの前に立ちふさがっていた。
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