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第二章
第33話 ローザ、教会へ
しおりを挟む「ウィル、話に来たわ」
ローザは翌朝教会へとさっそく赴いた。丁度朝の礼拝が終わった時刻だった。
「やあ、ローザ。こんな朝早くからどうしたんだい?」
祭壇の前で、ウィルが無邪気に微笑んで出迎える。
ふたりきりだった。
「単刀直入に言うわ。アーサー様を連れて行かないでちょうだい」
「……へえ、意外だな。辺境伯がすぐにキミに話すとは」
「なに?口止めでもしてたの?」
「いや、なんとなくそう思っただけさ。案外信頼されてるんだね」
ウィルはどこかさみしげに微笑んだ。
「お願いよ。くだらない目的のために子どもを犠牲にしないで……!」
「くだらない、か……」
ウィルは祭壇を見上げる。
祭壇の背後にはステンドグラスがあり、光が射し込んでいた。
「まったくもってその通りだよね……。見た目がいくらご立派でも、中身には醜い欲望しか詰まっていないのだから呆れてしまうね」
馬鹿にしたような笑みを浮かべるその姿は、不信心を象ったかのようだった。
授業を聞いた時から思っていたが、どうやらウィルは神に仕える身ながら、神を信じていないようだった。立場上、フリはしているが。
「わかっているなら……!」
「けれど人間はそもそもくだらないものさ。欲望を建前で塗り固めて、奪うか奪われるかのゲームをして上品ぶってる猿だ。いや、鼻持ちならない分だけ猿より余程愚劣な生き物さ。そうだろう?」
「……ウィル、わたしは説教を聞きに来たんじゃないのよ。アーサー様を連れて行かないでとだけ言っているの」
「アーサー君を奪うものと奪われるものというわけだ。では、代わりにキミは何を支払う?」
「は?」
「代償は交渉の基本だよ。まさかとは思うけど、情にすがってただお願いを聞いてもらおうというわけ?デニスさんみたいに?」
「……いったい何が望みなの?」
ウィルは笑みを深めた。
「ローザ、キミさ」
「はあ!?」
ローザは半ば性質の悪い冗談かとも思ったが、どうやらウィルは本気のようだった。
「キミがもしもボクに奪われるというのなら、アーサー君は奪わないであげる」
「……あんた、猿以下よ」
「ありがとう。晴れて人間ということだね」
「……本気なの?」
「本気さ」
ローザは自分の袖をギュッと握りしめた。
「……好きにしなさいよ。アーサー様をあんたらの道具にさせるくらいなら、なんでもするわ」
「健気なことだ……。でもね、ボクはキミの心が欲しいんだよ」
「この流れでそんなこと言われてなびく女がいるの?」
「さてね。でも、ボクには手段があるのさ」
そう言うと、ウィルは呪文も唱えずに青く光る魔法球を、自身の目の前に出現させたのだった。
「それは……」
ローザは幼い頃にもらったライトニングボールを思い出した。
その時とまったく同じ色をしている。
「見覚えあるよね?でも、ごめんね。これって実はライトニングボールじゃないのさ。見ててご覧」
ウィルは言うと、窓際に止まっていた小鳥を目で指し示す。
その小鳥に向かって魔法球を放つと、わけもなく小鳥に魔法球が当たり、スッと小鳥の体に溶けていった。
何のダメージも与えていないように見えた。
「え……?」
しかし、小鳥が羽ばたこうとすると、小鳥は飛ぶことができずに床に落ちてしまった。
まるで飛ぶ機能だけが唐突に奪われてしまったかのように、床でもがき続けている。
「実はね、ローザ」
ウィルは笑みを浮かべた。
「ボクも“魔に愛されし者”なのさ」
ささやくように言われた幼なじみの秘密に、ローザは目を見開いて驚いた。
「ふふふ、騙していたわけじゃないんだよ?たしかに幼い頃は魔法の才能はからきしだったはずさ。けど、ある時目覚めたんだ。神というのは気まぐれなものだよね。いや、神々というべきかな?」
どうやら“魔法塔”を17歳で卒業できたのは、座学を頑張ったからではなさそうだ。
「きみが生の方向の魔法使いなら、ボクは死の方向の魔法使いといったところだね。あらゆるものを“衰退”させられるんだ。たとえば、感情や思い出、あるいは能力とかね」
『能力』という言葉をウィルは強調して言った。
「まさか……!?」
ウィルは聖職者とはほど遠い笑みを浮かべる。
「そのまさかさ。きみの回復魔法を奪ったのはボクだ」
ローザは、一瞬息が詰まる。だれかによって自身の能力が奪われていたなどと考えたこともなかった。ましてやそれが幼なじみのウィルだとは。
「なんで、そんなことを……?」
かろうじて聞く。
「さてね……。そんなことは今更どうでもいいさ。ところでボクは、他にも最近キミに魔法をかけたんだよ。心当たりはあるかな?」
そう言われて、ローザは混乱する思考を必死にたぐり寄せた。
「昨日……?」
昨日、ウィルとブラッドリーの会談に参席しようと考えたが、肩をウィルに触れられた瞬間、その気が失せてしまったのだった。
「ご名答。他には?」
「は?」
他の機会にも魔法をかけられていたというのか。
ローザは今更ながらゾッとした。まったく無意識に、自身がコントロールされていたのだと知らされていた。目の前の男に。
今や親しい幼なじみとは思えない不気味さを感じてしまう。
「ヒントはこの場所だよ」
それなのにまるで手品を明かすような笑顔で、ウィルは示唆してくる。
「……ハグしてきた時?」
「その通り。ただちょっと魔力量が少なかったのかな?すぐに解けてしまったみたいだね」
ウィルはハグしてきた時、ポンポンと祝福するように背中を叩いてくれた。しかしそれは、実のところ呪いに等しいことをされていたというわけだ。
ブラッドリーに言い訳をしようとすると、心に穴が空いて元気が抜けていく感覚は、魔法によって引き起こされていたようだ。
思わずローザはウィルを睨みつけるが、ウィルは微笑みを浮かべて受け流した。
「でも安心して」
そして、素敵なことを提案するかのように、またも青く光る魔法球を自身の目の前に出現させたのだった。
「これにはきちんと魔力を込めたから、余計なことは考えられなくなるよ」
たしかにその魔法球からは禍々しいまでの魔力が感じられる。
「やめて……!」
ローザは拒否するが、ウィルは聞く耳を持たない。
「アーサー君のことも、ブラッドリー辺境伯のことも、すべてどうでも良くなれるよ。変な責任感から妻も母も演じる必要はないんだよ?」
「やめてって言ってるでしょ!?あんた、最低よ!人の心を支配しようだなんて、狂ってる!」
ローザが強い調子で言うと、それまで夢心地のようにささやいていたウィルが鼻白んだように言った。
「……言っただろう?人は本質的なところでは、奪うか奪われるかしか出来ないんだよ。なら、奪う側に回ろうとするのは当然じゃないか。それで狂ってると言われるのなら本望だね」
ウィルの表情からは笑みが消えていた。
まるっきり空っぽの、感情が壊れたかのように空虚な顔をしている。そんな幼なじみの表情を見たのは、ローザは初めてのことだった。
「キミを支配したくてたまらないんだ……!」
その宣言に、ローザは鳥肌が立つ。だが、臆せず言い返した。
「……あんたなんか大っ嫌いよ!たとえ奪われても、支配なんかされやしないわ!」
ウィルは一瞬だけ愉快そうに鼻で笑った。
「……いいね。せいぜい耐えてごらんよ」
魔法が放たれようとしているのが、ローザにはわかった。
「耐えるなんて馬鹿なことはもうしないわ……!」
だから、さらに宣言するように、睨みつけてウィルに言ってやった。
ローザは袖に隠していた小袋をサッと手のひらに落とした。
「これでも喰らいなさい!このバカ男っ!!」
横薙ぎに放った小袋はウィルの顔面に命中し、中に入っていた粉が舞う。
「ゴホッゴホッ、なんだ、こ……れ……?」
魔法球は宙に消え、ウィルはあっさりと倒れた。
倒れたウィルは、ピクピクと痙攣している。
小袋の中身は痺れ薬で、ロイが用心に越したことはないからと置き土産にくれたものだった。
(ロイさん、ありがとう……!)
ローザは心のなかでロイにお礼を言う。
ロイの忠告を聞いて、一応持ってきておいて良かった。
(さて、これからどうしよう……?)
ローザはサファイア色の目を光らせて、瞬時に思考を走らせる。
(正直、幼なじみのよしみでお願いに来ただけだったのだけど、思わぬ展開になってしまったわ……!まさか、ウィルがこんな力を隠し持っていたなんて。それもずいぶん悪さもしてくれて……。これはもう何をしても許される気がする……!そう例えばアーサー様を守る誓約書にむりやりサインさせる、とか……!そうと決まれば痺れている今がチャンスよ!早くペンと紙を!)
ローザが踵を返した瞬間だった。
「あっ……!?」
ローザの足首が、痺れて動けないはずのウィルにつかまれていた。
ローザは倒れてしまい、なんとか仰向けになる。
「いっッ……!」
「ククク……、お転婆なのは変わらないね、ローザァ……!」
ウィルはまだ足首をゆるくつかんだまま、うれしそうに頬を歪ませていた。
「痺れてたはず……なんで……?」
「簡単なことさ。薬の効果を“衰退”させたんだよ。便利だろ?こういう微妙な扱い方もできるよう、いっぱい修行したのさ……!」
「くっ……!離しなさい……!」
ローザはなんとか立ち上がろうとしたが、どういうわけか足に力が入らない。
「無駄無駄。足に魔法をかけたから」
痺れさせて動きを封じたつもりが、逆に魔法で動けなくされてしまっていた。
さすがに絶体絶命のピンチと言えた。
ウィルだけが立ち上がり、覆いかぶさるような大きな影をローザの上に作った。
そうして、再び青い魔法球を出現させる。
「さ、ローザ。飛べない鳥になろうね。ボクは飛べない鳥が好きだから、ちゃんと愛してあげるよ……!」
魔法が、今度こそ放たれた。
「安心して、怖くないよ」
目を閉じたローザの耳に、ウィルの戯言が届く。
だが、それと同時に、何かが壊れる大きな音がした。
次に目を開けると、目の前に剣に串刺しにされた魔法球があった。
青く光る球は、中心を見事に貫かれたからか四散する。
「ブラッドリー様……!」
剣の主は、ブラッドリー・アリアドネ辺境伯。
その巨躯は、ウィルの影から守るように、ローザの目の前に立っていた。
「……無事ですか?」
ただ静かに一言、そう聞く。
「はい……!」
ローザはブラッドリーの影のなかで返事をした。
不思議と安心感が湧き上がってきて、つい笑みまで浮かんでしまう。ピンチだったからか妙に顔が熱い。
「はあ……」
ウィルがうつむいて、ため息を吐いた。
「ヒーローがやって来たというわけですか……」
ヘラヘラとした口調ではなく、低い声音で言う。
「本当に、邪魔ですね。ブラッドリー・アリアドネ辺境伯」
その低い声音には、殺意が滲んでいた。
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