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第二章
第26話 ローザ、励まされる
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「えっ!?それってひどくないですか?」
ニコラが驚きの声をあげた。ローザの濡れた髪をタオルで挟みながら。
「でしょでしょ!?」
ローザはブラッドリーと揉めている件をニコラに話していたのである。
兄のデニスとの関係性や経緯を話していたのだが、どういうわけかブラッドリーとのことに話は飛んでいる。
デニスのことを放置しているが、待たせるだけ待たせておけばいいし、そのまま帰ってくれて構わない。
もはやどうでもいいという心境だった。
急に来たのだから、相手をしなければいけないという筋合いもないし、どうせ用件も私利私欲を満たすためのものでしかないだろう。
ブラッドリーとのことは、内緒で離婚して、友達状態であるということまで話していた。
さすがに話しすぎかと思ったが、勢いというのもあったし、なによりニコラにはすべて知っていて欲しかった。
当のニコラは内緒で離婚していると聞いた時よりも、昨晩ブラッドリーがローザに言ったことに驚いているのだった。
「信じてるって言ったのに、全然信じてないじゃないですか……!」
「そうなのよっ!しかも、言いたいことだけ言って放ったらかしにして寝るって、どういうことなのっ!?」
「ありえないです……!そんな男、離婚してて正解ですよ……!」
「だよねっ!?あー!思い出したら腹立ってきた!」
今ではローザは服を着替え、涙も流れていない。
ニコラのヒザの上に横座りになって、意気軒昂である。さっきまで元気がなかったのが、今ではグングン元気がたまってきている状態だ。
そこへ、扉をノックする音が聞こえてきた。
瞬間的に、ローザはビクッとしてしまう。
やはりまだ本調子とはいかなかった。
「どちらさまですか?」
ローザをヒザのうえに乗せたまま、ニコラが毅然として問う。
ローザは私が守る!と言わんばかりにニコラの腕には力が入り、抱きしめられているローザは頼もしく感じた。
「あー、ロイだ。そろそろ帰ろうと思ってね。奥様と嬢ちゃんにはずいぶん世話になったから、挨拶してこうと立ち寄ったんだ」
ずいぶん世話になったというところに含みを感じるが、ローザはニコラにうなずいた。
「どうぞ。お入りになってください」
とニコラが言う。
「失礼するぜーって、うわっ!なんであんたら抱き合ってるんだ?」
扉を開けた途端、ロイはのけぞった。
「わたくし今元気を補充中ですの。ですからお気になさらず」
抱っこされたまま、堂々とローザが言う。
「あー……元気ないってこと?やっぱり?」
ロイはなにやら「やっちまったかも……!?」という苦笑いを浮かべた。
「……なにやら事情を知っているご様子。さ、いつまでもそんなところに立っていないで、部屋のなかにお入りになって?」
ローザがサファイア色の瞳をキラリと光らせる。
「い、いやー、俺はここでいいよ。ブラッドにも怒られちまうしよ」
「怒られる?なぜ?」
「そりゃー、奥様の部屋に男がひとり入ったら、嫉妬のひとつでもするもんでしょうよ。てゆーか、実際怒られもしたしよー。なーんで女装させられて怒られなきゃなんないんだっつーの……!」
「……ふーん」
ローザはぴょんっ!とニコラのヒザから飛び降りて、ロイを指さす。
「ニコラ、捕獲よ!」
「はい」
「はー?」
ニコラは即座に立ち上がり、ロイをあっさりと捕獲して、部屋に引っ張り込んだ。
「な、なんでこんな力強いんだっ!?」
ニコラは成長期だからなのか、最近力が増していた。
「ニコラ、立派になって……!」
ローザはニコラと出会った頃を思い出す。
いっぱいの洗濯物をひとりで運ばされてヨタヨタしていた頃を。
カチャリ
そんななつかしい思い出にふけりながら、ローザは後ろ手にドアのカギをかけた。
「な、なぜカギをかける……?」
「逃げられないようにですわ」
「に、逃げねーよー!なんだよもう、話さないとは言ってないだろ。まったく……!」
ロイは観念したかのように、ソファに腰掛け、話し始めた。
昨日からブラッドリーの様子がおかしいこと。
それは教会に行って、帰ってきてからだということ。
ずっと上の空で、遠い目をし、今朝はさらにひどくなっていたということ。
「どうひどくなってたんですか?」
ローザが聞く。
「なんかうつむいて、ずっとこの世の終わりみたいなため息ついてたなー。あれで視察なんてできるのかね?」
「……ふーん」
「あのよー」
ロイが落ち着かない様子で、自前の三つ編みをなでながら言う。
「実は昨日あの司祭に奥様を、えーと、その……、横取りされないか心配だなー?ってからかったんだよ……」
「はあ!?司祭って、ウィルのこと!?」
「そ、そうそう……。そっからブラッドのやつ、慌てて教会に様子見に行ったんだけど……。もしかして、なんかあった?」
それまでだまって聞いていたニコラがズバッと言った。
「ロイさんのせいじゃないですか」
「は、はあー!?何がだよ!?」
「奥様は、ただいま旦那様とケンカ中でございます」
「ぐっ……!」
やはりか、というひきつった顔をするロイ。
「ロイさん、やってくれましたわね……!」
ローザの冷たいつぶやきに、ロイは三つ編みをぎゅっとつかんで固まった。
「ま、まー、何があったかは知らないが、ここはひとつお互い恨みは忘れて気持ちよく別れようじゃないか!」
ロイが調子のいいことを言って、手を差し出してきた。
勢いで乗り切るつもりだ。
しかし、ローザが手を差し出すことはなかった。
ついショックな顔になって、うつむいてしまう。
「え……?」
ロイが絶句する。
いまにもローザは泣きだしてしまいそうだった。
「奥様っ!」
ニコラがすぐにとなりに来て、抱きしめてくれた。
そして、ロイをキッ!と睨みつける。
「ご、ごめんー……」
「……いえ、いいんです」
「あー、その……、大丈夫だって!ブラッドはあの様子だと、間違いなく奥様のこと大好きだしさ。すぐに仲直りできるって!……まあ、俺が言うなって話だけど」
どうやらロイは、ローザはブラッドリーとケンカ中であることがよっぽど堪えているのだと思い違いしているようだった。
実際にはローザは今とても敏感な状態で、ロイにまで恨みっぽいと言われた気がしてショックを受けていただけなのだが。
「……ほんと?」
でも、ローザはあえてロイの勘違いを正さなかった。
「ああ、ほんとほんと!」
「……ほんとにブラッドリー様はわたしのこと大好き?」
「ああ、それは間違いないねー!長い付き合いだけど、あんなブラッド見たことないよ!あいつの頭は今、奥様のことでいっぱいだね!」
「……ふーん」
ローザの頬はいつの間にかほんのり紅く染まり、口元はニモニモしている。
「まあ、わたしが今ショックを受けたのは、ブラッドリー様関係ないんですけどね!」
元気がまた補充されていた。
「えっ!?な、なんだよ、そーなの?」
「はい。……あの、ロイさんにちょっと聞いてみていいですか?」
「あー、なんでも聞いちゃって」
「その……恨みっぽいとかって、やっぱり人としてよくないことなんでしょうか?恨みは忘れて、前を向いたほうがいい?」
「えー?そんなことないでしょ。恨みは晴らさなきゃ、晴れないじゃん。忘れるなんてムリだよ」
ロイはなんでもない当たり前のことのように言った。
「そ、そうなんですか?でもさっき、お互い恨みは忘れて気持ちよく別れよう、なんて言ってたじゃないですか」
「あー、あんなもん軽口だよ。べつに俺は女装させられたことを本気で恨みに思っているわけでもないしね」
「え、そうなんですか?」
「奥様、これは再度チャンスが……?」
ローザとニコラは目を交わし、すかさず審議に入ろうとする。
「いや、そういうことじゃないから」
「そうですか、残念です……。あの、それじゃあ質問の続きなんですけど、恨みに思ったら、その時に言わないと卑怯だと思いますか?」
ロイはおかしそうに微笑む。
「はー?恨みに時間を絡ませてくるほうが卑怯だろ。恨みに時効なんてあるわけないよ」
ローザはさらに聞いた。
「……もしも復讐するとして、復讐した先には、何がありますか?」
ロイはニヤリと微笑むと、
「人生があるねー」
と言い切った。
「……ありがとうございます」
ローザは、心からロイにお礼を言った。
「んー?どーいたしまして。よくはわからんが、ブラッドに余計なこと言った恨みを帳消しにしてくれるとうれしいね」
ロイはいたずらっぽく笑う。
「ふふ、もともと恨みに思っていませんわ」
ローザもいたずらっぽい笑みを返した。
「はっ!?」
ニコラが急に思い当たったように聞く。
「ロ、ロイさんは復讐したことあるってことですか!?」
「あっはっはー!」
聞かれて、ロイは鷹揚に笑った。
「ダメだぜー、嬢ちゃん。そんなデリケートなこと大っぴらに聞いちゃ」
「あ……!ごめんなさい……!」
「そういうことは、ベッドで色っぽく話すもんよー」
ロイがウィンクして、ニコラは赤くなった。
今度はローザがニコラを抱きしめて、キッ!とロイを睨む。
「わたしのニコラに手を出さないでください!」
「奥様……!」
ニコラの頬がポッと赤くなる。
「はははっ!あんたら、ほんとに仲良いなー!」
ロイは上機嫌に笑う。
「……そうだなー。ま、これは昔の傭兵仲間の話なんだがよ、そいつはガキの頃、領主に姉を殺されちまったんだな」
ロイはどこか遠い目をして、三つ編みを撫でる。
「そいつはすぐさま弓矢を手にとって、領主を殺しに行ったそうだ。三日三晩、木の上で寝ずに待ち伏せして、領主が来るのを辛抱強く待った。そうしてようやくチャンスは訪れた。領主の乗った馬車が来て、小さな窓に領主の顔が見えた」
ローザとニコラは、唐突に始まった復讐譚に息を呑んだ。
「そ、それでどうなったんですか……?」
ニコラが恐る恐る聞く。
「すぐさま矢を放った。一瞬だった。結果は領主の頬にかすり傷を負わせただけ」
不思議なもので、ローザとニコラはちょっと落胆したように、息を吐く。
そんなふたりを見て、ロイはニヤリと微笑んだ。
「だが、領主は死んだ。用意周到なことに、そいつは毒矢を使ったんだな。ま、見事復讐を果たしたわけだ」
ほぅ……と息を吐き、ニコラは十字を切ろうとして、途中でやめた。
ローザは代わりと言ってはなんだが、ニコラの手を握って微笑む。ニコラのことをまた好もしく思った。
死んだ領主への祈りは、かつての少年と殺された姉への冒涜であるとニコラは気付いたのだ。
「……その後、その方はどうなったのでしょう?」
ローザが聞いた。
「いろいろあったみたいだが、割とひどい目にあったらしいよー。でも、後悔はしてなかったな。もし復讐してなきゃ、ずっと同じところグルグル回ってるだけの虚しい人生送ってただろうからね」
「……その方が、今は幸せであることを祈りますわ」
「私もです!」
ローザとニコラは熱のこもった瞳でロイを見つめ、ロイはやさしく微笑んだ。
昔の傭兵仲間の話のはずだが、3人の間には秘密の打ち明け話をしたかのような、温かな空気が満ちていた。
「……へへー、ちょっと話しすぎたな!」
ロイが照れたように混ぜっ返す。
「まー、今しゃべったことは、ちょっとした与太話だ。忘れてくれ」
「ダメですわ」
「ダメですよね」
ローザとニコラが確認し合うようにうなずきあった。
「なーにが、ダメなんだよー」
「しっかり覚えておきますわ。ロイさんが、案外マジメな人なんだってことを。ねー、ニコラ」
「ええ、日記に書いておきますね、奥様」
「やめろー!」
数多の貴婦人を泣かせてきた当代随一の色男であり、コドラ領北方拠点を任される騎士でもあるロイ・ナッシュ。
彼はいまやふたりの少女に完全におもちゃ扱いされているのだった。
そこへ、また扉がノックされた。
だれとも尋ねるヒマもなく、切迫した声が訴える。
「ローザ!アーサーが!アーサーが!」
ヴィンだ。
ローザはだれよりも速く立ち上がり、ドアを開けた。
ヴィンが泣きそうな顔をしながら、ローザに訴える。
「アーサーが変なおじさんに連れて行かれちゃう!」
ニコラが驚きの声をあげた。ローザの濡れた髪をタオルで挟みながら。
「でしょでしょ!?」
ローザはブラッドリーと揉めている件をニコラに話していたのである。
兄のデニスとの関係性や経緯を話していたのだが、どういうわけかブラッドリーとのことに話は飛んでいる。
デニスのことを放置しているが、待たせるだけ待たせておけばいいし、そのまま帰ってくれて構わない。
もはやどうでもいいという心境だった。
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ブラッドリーとのことは、内緒で離婚して、友達状態であるということまで話していた。
さすがに話しすぎかと思ったが、勢いというのもあったし、なによりニコラにはすべて知っていて欲しかった。
当のニコラは内緒で離婚していると聞いた時よりも、昨晩ブラッドリーがローザに言ったことに驚いているのだった。
「信じてるって言ったのに、全然信じてないじゃないですか……!」
「そうなのよっ!しかも、言いたいことだけ言って放ったらかしにして寝るって、どういうことなのっ!?」
「ありえないです……!そんな男、離婚してて正解ですよ……!」
「だよねっ!?あー!思い出したら腹立ってきた!」
今ではローザは服を着替え、涙も流れていない。
ニコラのヒザの上に横座りになって、意気軒昂である。さっきまで元気がなかったのが、今ではグングン元気がたまってきている状態だ。
そこへ、扉をノックする音が聞こえてきた。
瞬間的に、ローザはビクッとしてしまう。
やはりまだ本調子とはいかなかった。
「どちらさまですか?」
ローザをヒザのうえに乗せたまま、ニコラが毅然として問う。
ローザは私が守る!と言わんばかりにニコラの腕には力が入り、抱きしめられているローザは頼もしく感じた。
「あー、ロイだ。そろそろ帰ろうと思ってね。奥様と嬢ちゃんにはずいぶん世話になったから、挨拶してこうと立ち寄ったんだ」
ずいぶん世話になったというところに含みを感じるが、ローザはニコラにうなずいた。
「どうぞ。お入りになってください」
とニコラが言う。
「失礼するぜーって、うわっ!なんであんたら抱き合ってるんだ?」
扉を開けた途端、ロイはのけぞった。
「わたくし今元気を補充中ですの。ですからお気になさらず」
抱っこされたまま、堂々とローザが言う。
「あー……元気ないってこと?やっぱり?」
ロイはなにやら「やっちまったかも……!?」という苦笑いを浮かべた。
「……なにやら事情を知っているご様子。さ、いつまでもそんなところに立っていないで、部屋のなかにお入りになって?」
ローザがサファイア色の瞳をキラリと光らせる。
「い、いやー、俺はここでいいよ。ブラッドにも怒られちまうしよ」
「怒られる?なぜ?」
「そりゃー、奥様の部屋に男がひとり入ったら、嫉妬のひとつでもするもんでしょうよ。てゆーか、実際怒られもしたしよー。なーんで女装させられて怒られなきゃなんないんだっつーの……!」
「……ふーん」
ローザはぴょんっ!とニコラのヒザから飛び降りて、ロイを指さす。
「ニコラ、捕獲よ!」
「はい」
「はー?」
ニコラは即座に立ち上がり、ロイをあっさりと捕獲して、部屋に引っ張り込んだ。
「な、なんでこんな力強いんだっ!?」
ニコラは成長期だからなのか、最近力が増していた。
「ニコラ、立派になって……!」
ローザはニコラと出会った頃を思い出す。
いっぱいの洗濯物をひとりで運ばされてヨタヨタしていた頃を。
カチャリ
そんななつかしい思い出にふけりながら、ローザは後ろ手にドアのカギをかけた。
「な、なぜカギをかける……?」
「逃げられないようにですわ」
「に、逃げねーよー!なんだよもう、話さないとは言ってないだろ。まったく……!」
ロイは観念したかのように、ソファに腰掛け、話し始めた。
昨日からブラッドリーの様子がおかしいこと。
それは教会に行って、帰ってきてからだということ。
ずっと上の空で、遠い目をし、今朝はさらにひどくなっていたということ。
「どうひどくなってたんですか?」
ローザが聞く。
「なんかうつむいて、ずっとこの世の終わりみたいなため息ついてたなー。あれで視察なんてできるのかね?」
「……ふーん」
「あのよー」
ロイが落ち着かない様子で、自前の三つ編みをなでながら言う。
「実は昨日あの司祭に奥様を、えーと、その……、横取りされないか心配だなー?ってからかったんだよ……」
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「奥様は、ただいま旦那様とケンカ中でございます」
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「え……?」
ロイが絶句する。
いまにもローザは泣きだしてしまいそうだった。
「奥様っ!」
ニコラがすぐにとなりに来て、抱きしめてくれた。
そして、ロイをキッ!と睨みつける。
「ご、ごめんー……」
「……いえ、いいんです」
「あー、その……、大丈夫だって!ブラッドはあの様子だと、間違いなく奥様のこと大好きだしさ。すぐに仲直りできるって!……まあ、俺が言うなって話だけど」
どうやらロイは、ローザはブラッドリーとケンカ中であることがよっぽど堪えているのだと思い違いしているようだった。
実際にはローザは今とても敏感な状態で、ロイにまで恨みっぽいと言われた気がしてショックを受けていただけなのだが。
「……ほんと?」
でも、ローザはあえてロイの勘違いを正さなかった。
「ああ、ほんとほんと!」
「……ほんとにブラッドリー様はわたしのこと大好き?」
「ああ、それは間違いないねー!長い付き合いだけど、あんなブラッド見たことないよ!あいつの頭は今、奥様のことでいっぱいだね!」
「……ふーん」
ローザの頬はいつの間にかほんのり紅く染まり、口元はニモニモしている。
「まあ、わたしが今ショックを受けたのは、ブラッドリー様関係ないんですけどね!」
元気がまた補充されていた。
「えっ!?な、なんだよ、そーなの?」
「はい。……あの、ロイさんにちょっと聞いてみていいですか?」
「あー、なんでも聞いちゃって」
「その……恨みっぽいとかって、やっぱり人としてよくないことなんでしょうか?恨みは忘れて、前を向いたほうがいい?」
「えー?そんなことないでしょ。恨みは晴らさなきゃ、晴れないじゃん。忘れるなんてムリだよ」
ロイはなんでもない当たり前のことのように言った。
「そ、そうなんですか?でもさっき、お互い恨みは忘れて気持ちよく別れよう、なんて言ってたじゃないですか」
「あー、あんなもん軽口だよ。べつに俺は女装させられたことを本気で恨みに思っているわけでもないしね」
「え、そうなんですか?」
「奥様、これは再度チャンスが……?」
ローザとニコラは目を交わし、すかさず審議に入ろうとする。
「いや、そういうことじゃないから」
「そうですか、残念です……。あの、それじゃあ質問の続きなんですけど、恨みに思ったら、その時に言わないと卑怯だと思いますか?」
ロイはおかしそうに微笑む。
「はー?恨みに時間を絡ませてくるほうが卑怯だろ。恨みに時効なんてあるわけないよ」
ローザはさらに聞いた。
「……もしも復讐するとして、復讐した先には、何がありますか?」
ロイはニヤリと微笑むと、
「人生があるねー」
と言い切った。
「……ありがとうございます」
ローザは、心からロイにお礼を言った。
「んー?どーいたしまして。よくはわからんが、ブラッドに余計なこと言った恨みを帳消しにしてくれるとうれしいね」
ロイはいたずらっぽく笑う。
「ふふ、もともと恨みに思っていませんわ」
ローザもいたずらっぽい笑みを返した。
「はっ!?」
ニコラが急に思い当たったように聞く。
「ロ、ロイさんは復讐したことあるってことですか!?」
「あっはっはー!」
聞かれて、ロイは鷹揚に笑った。
「ダメだぜー、嬢ちゃん。そんなデリケートなこと大っぴらに聞いちゃ」
「あ……!ごめんなさい……!」
「そういうことは、ベッドで色っぽく話すもんよー」
ロイがウィンクして、ニコラは赤くなった。
今度はローザがニコラを抱きしめて、キッ!とロイを睨む。
「わたしのニコラに手を出さないでください!」
「奥様……!」
ニコラの頬がポッと赤くなる。
「はははっ!あんたら、ほんとに仲良いなー!」
ロイは上機嫌に笑う。
「……そうだなー。ま、これは昔の傭兵仲間の話なんだがよ、そいつはガキの頃、領主に姉を殺されちまったんだな」
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「そいつはすぐさま弓矢を手にとって、領主を殺しに行ったそうだ。三日三晩、木の上で寝ずに待ち伏せして、領主が来るのを辛抱強く待った。そうしてようやくチャンスは訪れた。領主の乗った馬車が来て、小さな窓に領主の顔が見えた」
ローザとニコラは、唐突に始まった復讐譚に息を呑んだ。
「そ、それでどうなったんですか……?」
ニコラが恐る恐る聞く。
「すぐさま矢を放った。一瞬だった。結果は領主の頬にかすり傷を負わせただけ」
不思議なもので、ローザとニコラはちょっと落胆したように、息を吐く。
そんなふたりを見て、ロイはニヤリと微笑んだ。
「だが、領主は死んだ。用意周到なことに、そいつは毒矢を使ったんだな。ま、見事復讐を果たしたわけだ」
ほぅ……と息を吐き、ニコラは十字を切ろうとして、途中でやめた。
ローザは代わりと言ってはなんだが、ニコラの手を握って微笑む。ニコラのことをまた好もしく思った。
死んだ領主への祈りは、かつての少年と殺された姉への冒涜であるとニコラは気付いたのだ。
「……その後、その方はどうなったのでしょう?」
ローザが聞いた。
「いろいろあったみたいだが、割とひどい目にあったらしいよー。でも、後悔はしてなかったな。もし復讐してなきゃ、ずっと同じところグルグル回ってるだけの虚しい人生送ってただろうからね」
「……その方が、今は幸せであることを祈りますわ」
「私もです!」
ローザとニコラは熱のこもった瞳でロイを見つめ、ロイはやさしく微笑んだ。
昔の傭兵仲間の話のはずだが、3人の間には秘密の打ち明け話をしたかのような、温かな空気が満ちていた。
「……へへー、ちょっと話しすぎたな!」
ロイが照れたように混ぜっ返す。
「まー、今しゃべったことは、ちょっとした与太話だ。忘れてくれ」
「ダメですわ」
「ダメですよね」
ローザとニコラが確認し合うようにうなずきあった。
「なーにが、ダメなんだよー」
「しっかり覚えておきますわ。ロイさんが、案外マジメな人なんだってことを。ねー、ニコラ」
「ええ、日記に書いておきますね、奥様」
「やめろー!」
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そこへ、また扉がノックされた。
だれとも尋ねるヒマもなく、切迫した声が訴える。
「ローザ!アーサーが!アーサーが!」
ヴィンだ。
ローザはだれよりも速く立ち上がり、ドアを開けた。
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「アーサーが変なおじさんに連れて行かれちゃう!」
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よし!楽しいセカンドラウフのはじまりよ!――のはずが、何故か夫(国王)に拾われ、ペットにされてしまって……。
「ふふ、君はふわふわで可愛いなぁ」
やめてえ!そんなところ撫でないで~!
夫(人間)妻(猫)の奇妙な共同生活がはじまる――
若奥様は緑の手 ~ お世話した花壇が聖域化してました。嫁入り先でめいっぱい役立てます!
古森真朝
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