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第二章
第25話 ローザ、心に火が灯る
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ローザはブラッドリーに会ったら、即誤解を解こうと思っていた。
いや、執務室に乗り込んで行って、説明すべきではないか?
よし行こう!
そう思って見るものの、勇気が出ない。決意が萎んでいく。
いやいや、こういうことはむしろ何でもないことのように、自然に伝えたほうがよいのではないか?
そんな弱気な思いまで頭をよぎり、結局ローザは悶々と過ごすことしかできなかった。
「……ローザ?」
「あ、ごめんなさい!はい、あーん……」
アーサーにオムレツを食べさせている途中にも関わらず、ボーっとしてしまう。
(こんなんじゃ係失格じゃない!しっかりしなきゃ!)
自分を叱咤してみるが、いまいち元気が出てこない。
心に穴が空いて、元気が抜けていく感じがする。
そのまま寝る時間がやってきてしまった。
幸いにもというべきか、今日はローザとブラッドリーのふたりきりで寝る日で、アーサーはいない。
ギスギスした雰囲気をアーサーには味あわせたくなかった。
(……うん!アーサー様のためにも、絶対に今夜中に誤解を解こう!)
ローザはそう決心し、寝ないようにあえてベッドに座って待っていた。
だが、なかなかブラッドリーは現れない。
(もしかして、今日は執務室で寝るとか……?わたしと同じ部屋で寝たくないから……?)
ネガティブな想像がふくらんでいく。
深夜過ぎ、ようやくブラッドリーが寝室にやってきた。
ブラッドリーはベッドに座っているローザを見て、ぎょっとしたような顔を見せる。
その表情を見て、ローザはつんのめるように言った。
「ブラッドリー様、お話がありますの……!」
「……寝ずに待っていたんですか?」
「はい……!ぜひ今夜中に誤解を解いておきたいと思いまして……!」
「……必死ですね」
ブラッドリーの声が冷たく響いた。
「え……?」
「……いや、失礼。続けてください」
ブラッドリーは目をそらし、自制するようにうつむく。
「は、はい……」
とにかく続けねばならない。
ローザは必死に説明した。
あれは友達同士のハグであったこと。
ウィルとは幼なじみでしかなく、誤解されるようなことはなにもないこと。
結婚を祝ってくれていたのだということ。
それだけのことでしかないのだが、それだけのことでしかないからこそ必死に言葉を重ね、重ねれば重ねるほど、ローザはむしろ泥沼にハマっていくような感覚に陥る。
(なんか、まずいかも……)
しかし、ブラッドリーはうなずいて言った。
「……わかりました。信じましょう」
「よかった……!」
ホッとしたのも束の間、ブラッドリーが先ほどと同じ冷たい声音で言う。
「そもそも私達は内緒とはいえ離婚した仲です。ただの友達でしかありません。だから、あなたがそんなに必死になって浮気の誤解を解く必要はないのです」
「ブラッドリー様……?」
ブラッドリーは表情をなくしたように真顔だった。
「私があなたの浮気を咎める権限もありません。ですが、公の場でああいうことをするのは謹んで頂きたい。建前だけの夫婦とはいえ、建前というのは存外大事ですから」
「そ、そんな、わたし浮気なんて……!」
「もういいでしょう。疲れているのです」
取り付く島もなく、ブラッドリーは自分のベッドに入ってしまう。
ランプの明かりは吹き消され、ローザはポツンと取り残された。
(どうしたら良かったの……?やっぱりすぐにでも執務室に行って説明すればよかった?)
ローザの胸は悲しみにおしつぶされそうだった。
(今からでも、納得してもらえるまで話すべき……?)
いつものローザなら、そうしただろう。
かつてアーサーと週二で寝ることを了解させた時のような気概をもって。
だが、今のローザは微動だにすることもできなかった。
暗闇でひとりぼっちの、幼い子どものように頼りなげだった。
悪いことは重なるものだ。
次の日、ローザにとって最悪のひとりがやってきた。
デニス・ゼファニヤ公爵令息。
ローザの腹違いの兄で、20も歳が離れていた。
ローザが子どもの頃には、すでに兄は実家の公爵邸とは別の屋敷に住んでいたが、金の無心に来るので顔を合わせる機会はよくあった。
38歳の彼は、未だに放蕩を続けている。
あちこちに借金を作り享楽の限りを尽くすものの、反省することをせず、ゼファニヤ家唯一の男子であることから相続のみを頼りに生きていた。
その男がどういうわけか、唐突に訪ねてきたのである。
ローザはアッシャー城の応接間で、デニスと向かい合って座っている。
侍女のニコラがお茶を出し終えると、単刀直入に聞いた。
「……お兄様、どうしていらっしゃったのですか?」
「ずいぶんご挨拶だな。お久しぶりですの一言もないのか?」
でっぷりとっした腹を押しのけて、デニスは尊大に足を組んだ。
「……お久しぶりです。お元気でしたか?」
「お前の夫はいないのか?あの奴隷辺境伯の?」
質問させておいて、デニスは答えない。
「……ブラッドリー様は現在城外の視察に赴いております。そのような呼び方はおやめください」
「ふんっ!」
馬鹿にしたように鼻を鳴らし、デニスは口唇を歪めた。
「一丁前に貴婦人気取りか。いいよなあ、女は。いざとなれば子どもを作ればいいんだから。最低限の価値は保証されているというわけだ」
ゲフフ、とデニスはひとりで笑う。
うしろに控えているニコラが、あまりの下品さに呆気にとられているのが気配でわかった。
「……」
ローザはただ暗い目でデニスを見つめている。
「……なんだその目は?」
「いえ……」
「ふんっ!お前、まさかまだ恨んでいるのか?つまらないことをいつまでも……!」
そう言われた瞬間、フラッシュバックのように、ローザの脳裏にある記憶がよみがえった。
それは“癒し手”の力を大幅に失った頃。
「役立たずめ!」
ローザは父親の前で、デニスに悪しざまに罵倒されていた。
「もうお前に利用価値はない!」
裏を返せば、それまでさんざんローザはゼファニヤ家のために利用されてきたのだった。
ローザが癒し手として戦地で兵たちを救ったり、貴族たちの病を治癒していればこそ、本来ゼファニヤ家が負担すべき戦費は減免されていた。
その裏では、ゼファニヤ家はせっせと武器を売っている。
売上面でも、ローザの威光はプラスに働いた。“戦場の聖女”印の武器というわけだ。その威光は伊達ではなかった。
負担金は少なく、売上は最大化できる状況。
幼いながら、ローザはゼファニヤ家のビジネスになくてはならない存在だった。
ローザは莫大な富をゼファニヤ家にもたらしたのである。
そんな功労者であるはずのローザに対して、デニスは暴挙を働いているのだった。
まわりには多くの使用人もいて、ローザに視線が突き刺さるかのようだ。幼い無防備な心に、吊し上げは深刻なダメージを残す。
しかし、父親のトラヴィス・ゼファニヤは、デニスの暴挙を止めるでもなく、ただだまって冷たい目で静観していた。
「外に出せば悪目立ちすることは必至!恩知らずなものどもが騒ぎ出し、今のような減免措置は受けられなくなりましょう!」
信じられないことに、デニスは金のために妹を幽閉しろと言っていた。
だが、さらに信じられないことには、父はそんな兄の進言を拒否するでも撥ねつけるでもなく、肯定したのだった。
「隠し通すことは不可能でも、なるべく延ばすことは可能だろう」
娘なのに、まるで他人事のような冷たい声音で、ローザの幽閉は決定されてしまった。
彼らの思惑はうまくいった。
ローザは不調であるということで籠の鳥のような生活を余儀なくされた。
戦争が終われば特需もなくなる。
その時になってようやくローザは不調ではなく、力を失ったのだと巷間に囁かれることとなった。
なかにはローザのことを詐欺師扱いするものもいた。家の利益のために、国を欺いたのだと。
その頃には、“廃聖女”と不名誉な二つ名がささやかれていた。
結局、役立たずで利用価値のないローザは父親から見放され、助けられることはなかったのである。
「ふんっ!」
今のデニスが鼻を鳴らす。
「恨みに思うのなら、なぜその場で言わない?今更になって私を非難するのか?そんなことは人として卑怯ではないか?」
「人として……?」
ローザは信じられない言葉を聞いたかのように、弱々しく繰り返す。まさか、デニスから人の道を説かれることがあろうとは。
「そうだ!いつまでも前を見ず、過去に囚われているのが人として正しいとでもいうのか?」
「それは……」
たしかに一般論としては正しい気もするが、加害者が被害者に言う言葉だろうか。
だが、今のローザは頭にモヤがかかったかのように、反論する気力を失っていた。
デニスが、極めつけの一言を放った。
「ふんっ!お前、ちょっと恨みっぽいんじゃないのか?」
蔑むかのように放たれたその言葉は、完全にローザの方に責があると断じるものだった。
「……っ!」
いつものローザなら、眼尻を上げて、苛烈なまでの反論をしていただろう。
しかし、今のローザはまるで幼気な少女のようにもろく、傷つきやすくなっていた。
うつむいて、顔を真っ赤にすることしかできない。
(やだ……!こんな最低な奴の前で涙なんか流したくないっ……!)
心の奥底で声が聞こえるものの、体は縮こまって言う事を聞かない。
涙が落ちそうになったその時、
「ああっ!奥様、申し訳ございませんっ!」
ニコラが謝るのと同時に、ローザの頭に水が被せられていた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!つまづいてしまいました!お召し物を変えましょう!そうしましょう!お風邪を召してしまいますからっ!」
有無を言わさぬ調子で引っ張られ、ローザはニコラに応接室から連れ出されたのだった。
そして、そのままローザの自室へと手を引かれていく。
その間、ニコラが振り返ることはなかった。
けれど、繋いだ手は力強く、時折聞こえるニコラの鼻水をすする音、耳まで真っ赤になった顔色をローザは目の覚める思いで見た。
窓から射し込む光が、ニコラの頬を伝う涙をキラキラさせている。
「ニコラ!」
ローザははやく伝えたくて、ニコラに手を引かれながら大声で言った。
「助けてくれてありがとう!わたしのために泣いてくれて、怒ってくれてありがとう!」
今やローザも涙を流していたけれど、さっきまでの涙とはまったく別の涙だった。
ニコラは顔をぶんぶんと振るだけで、何も答えない。
きっと今は声も出せないのだろう。
その美しい姿を見て、ローザは心に火が灯るのをたしかに感じるのだった。
いや、執務室に乗り込んで行って、説明すべきではないか?
よし行こう!
そう思って見るものの、勇気が出ない。決意が萎んでいく。
いやいや、こういうことはむしろ何でもないことのように、自然に伝えたほうがよいのではないか?
そんな弱気な思いまで頭をよぎり、結局ローザは悶々と過ごすことしかできなかった。
「……ローザ?」
「あ、ごめんなさい!はい、あーん……」
アーサーにオムレツを食べさせている途中にも関わらず、ボーっとしてしまう。
(こんなんじゃ係失格じゃない!しっかりしなきゃ!)
自分を叱咤してみるが、いまいち元気が出てこない。
心に穴が空いて、元気が抜けていく感じがする。
そのまま寝る時間がやってきてしまった。
幸いにもというべきか、今日はローザとブラッドリーのふたりきりで寝る日で、アーサーはいない。
ギスギスした雰囲気をアーサーには味あわせたくなかった。
(……うん!アーサー様のためにも、絶対に今夜中に誤解を解こう!)
ローザはそう決心し、寝ないようにあえてベッドに座って待っていた。
だが、なかなかブラッドリーは現れない。
(もしかして、今日は執務室で寝るとか……?わたしと同じ部屋で寝たくないから……?)
ネガティブな想像がふくらんでいく。
深夜過ぎ、ようやくブラッドリーが寝室にやってきた。
ブラッドリーはベッドに座っているローザを見て、ぎょっとしたような顔を見せる。
その表情を見て、ローザはつんのめるように言った。
「ブラッドリー様、お話がありますの……!」
「……寝ずに待っていたんですか?」
「はい……!ぜひ今夜中に誤解を解いておきたいと思いまして……!」
「……必死ですね」
ブラッドリーの声が冷たく響いた。
「え……?」
「……いや、失礼。続けてください」
ブラッドリーは目をそらし、自制するようにうつむく。
「は、はい……」
とにかく続けねばならない。
ローザは必死に説明した。
あれは友達同士のハグであったこと。
ウィルとは幼なじみでしかなく、誤解されるようなことはなにもないこと。
結婚を祝ってくれていたのだということ。
それだけのことでしかないのだが、それだけのことでしかないからこそ必死に言葉を重ね、重ねれば重ねるほど、ローザはむしろ泥沼にハマっていくような感覚に陥る。
(なんか、まずいかも……)
しかし、ブラッドリーはうなずいて言った。
「……わかりました。信じましょう」
「よかった……!」
ホッとしたのも束の間、ブラッドリーが先ほどと同じ冷たい声音で言う。
「そもそも私達は内緒とはいえ離婚した仲です。ただの友達でしかありません。だから、あなたがそんなに必死になって浮気の誤解を解く必要はないのです」
「ブラッドリー様……?」
ブラッドリーは表情をなくしたように真顔だった。
「私があなたの浮気を咎める権限もありません。ですが、公の場でああいうことをするのは謹んで頂きたい。建前だけの夫婦とはいえ、建前というのは存外大事ですから」
「そ、そんな、わたし浮気なんて……!」
「もういいでしょう。疲れているのです」
取り付く島もなく、ブラッドリーは自分のベッドに入ってしまう。
ランプの明かりは吹き消され、ローザはポツンと取り残された。
(どうしたら良かったの……?やっぱりすぐにでも執務室に行って説明すればよかった?)
ローザの胸は悲しみにおしつぶされそうだった。
(今からでも、納得してもらえるまで話すべき……?)
いつものローザなら、そうしただろう。
かつてアーサーと週二で寝ることを了解させた時のような気概をもって。
だが、今のローザは微動だにすることもできなかった。
暗闇でひとりぼっちの、幼い子どものように頼りなげだった。
悪いことは重なるものだ。
次の日、ローザにとって最悪のひとりがやってきた。
デニス・ゼファニヤ公爵令息。
ローザの腹違いの兄で、20も歳が離れていた。
ローザが子どもの頃には、すでに兄は実家の公爵邸とは別の屋敷に住んでいたが、金の無心に来るので顔を合わせる機会はよくあった。
38歳の彼は、未だに放蕩を続けている。
あちこちに借金を作り享楽の限りを尽くすものの、反省することをせず、ゼファニヤ家唯一の男子であることから相続のみを頼りに生きていた。
その男がどういうわけか、唐突に訪ねてきたのである。
ローザはアッシャー城の応接間で、デニスと向かい合って座っている。
侍女のニコラがお茶を出し終えると、単刀直入に聞いた。
「……お兄様、どうしていらっしゃったのですか?」
「ずいぶんご挨拶だな。お久しぶりですの一言もないのか?」
でっぷりとっした腹を押しのけて、デニスは尊大に足を組んだ。
「……お久しぶりです。お元気でしたか?」
「お前の夫はいないのか?あの奴隷辺境伯の?」
質問させておいて、デニスは答えない。
「……ブラッドリー様は現在城外の視察に赴いております。そのような呼び方はおやめください」
「ふんっ!」
馬鹿にしたように鼻を鳴らし、デニスは口唇を歪めた。
「一丁前に貴婦人気取りか。いいよなあ、女は。いざとなれば子どもを作ればいいんだから。最低限の価値は保証されているというわけだ」
ゲフフ、とデニスはひとりで笑う。
うしろに控えているニコラが、あまりの下品さに呆気にとられているのが気配でわかった。
「……」
ローザはただ暗い目でデニスを見つめている。
「……なんだその目は?」
「いえ……」
「ふんっ!お前、まさかまだ恨んでいるのか?つまらないことをいつまでも……!」
そう言われた瞬間、フラッシュバックのように、ローザの脳裏にある記憶がよみがえった。
それは“癒し手”の力を大幅に失った頃。
「役立たずめ!」
ローザは父親の前で、デニスに悪しざまに罵倒されていた。
「もうお前に利用価値はない!」
裏を返せば、それまでさんざんローザはゼファニヤ家のために利用されてきたのだった。
ローザが癒し手として戦地で兵たちを救ったり、貴族たちの病を治癒していればこそ、本来ゼファニヤ家が負担すべき戦費は減免されていた。
その裏では、ゼファニヤ家はせっせと武器を売っている。
売上面でも、ローザの威光はプラスに働いた。“戦場の聖女”印の武器というわけだ。その威光は伊達ではなかった。
負担金は少なく、売上は最大化できる状況。
幼いながら、ローザはゼファニヤ家のビジネスになくてはならない存在だった。
ローザは莫大な富をゼファニヤ家にもたらしたのである。
そんな功労者であるはずのローザに対して、デニスは暴挙を働いているのだった。
まわりには多くの使用人もいて、ローザに視線が突き刺さるかのようだ。幼い無防備な心に、吊し上げは深刻なダメージを残す。
しかし、父親のトラヴィス・ゼファニヤは、デニスの暴挙を止めるでもなく、ただだまって冷たい目で静観していた。
「外に出せば悪目立ちすることは必至!恩知らずなものどもが騒ぎ出し、今のような減免措置は受けられなくなりましょう!」
信じられないことに、デニスは金のために妹を幽閉しろと言っていた。
だが、さらに信じられないことには、父はそんな兄の進言を拒否するでも撥ねつけるでもなく、肯定したのだった。
「隠し通すことは不可能でも、なるべく延ばすことは可能だろう」
娘なのに、まるで他人事のような冷たい声音で、ローザの幽閉は決定されてしまった。
彼らの思惑はうまくいった。
ローザは不調であるということで籠の鳥のような生活を余儀なくされた。
戦争が終われば特需もなくなる。
その時になってようやくローザは不調ではなく、力を失ったのだと巷間に囁かれることとなった。
なかにはローザのことを詐欺師扱いするものもいた。家の利益のために、国を欺いたのだと。
その頃には、“廃聖女”と不名誉な二つ名がささやかれていた。
結局、役立たずで利用価値のないローザは父親から見放され、助けられることはなかったのである。
「ふんっ!」
今のデニスが鼻を鳴らす。
「恨みに思うのなら、なぜその場で言わない?今更になって私を非難するのか?そんなことは人として卑怯ではないか?」
「人として……?」
ローザは信じられない言葉を聞いたかのように、弱々しく繰り返す。まさか、デニスから人の道を説かれることがあろうとは。
「そうだ!いつまでも前を見ず、過去に囚われているのが人として正しいとでもいうのか?」
「それは……」
たしかに一般論としては正しい気もするが、加害者が被害者に言う言葉だろうか。
だが、今のローザは頭にモヤがかかったかのように、反論する気力を失っていた。
デニスが、極めつけの一言を放った。
「ふんっ!お前、ちょっと恨みっぽいんじゃないのか?」
蔑むかのように放たれたその言葉は、完全にローザの方に責があると断じるものだった。
「……っ!」
いつものローザなら、眼尻を上げて、苛烈なまでの反論をしていただろう。
しかし、今のローザはまるで幼気な少女のようにもろく、傷つきやすくなっていた。
うつむいて、顔を真っ赤にすることしかできない。
(やだ……!こんな最低な奴の前で涙なんか流したくないっ……!)
心の奥底で声が聞こえるものの、体は縮こまって言う事を聞かない。
涙が落ちそうになったその時、
「ああっ!奥様、申し訳ございませんっ!」
ニコラが謝るのと同時に、ローザの頭に水が被せられていた。
「ごめんなさい!ごめんなさい!つまづいてしまいました!お召し物を変えましょう!そうしましょう!お風邪を召してしまいますからっ!」
有無を言わさぬ調子で引っ張られ、ローザはニコラに応接室から連れ出されたのだった。
そして、そのままローザの自室へと手を引かれていく。
その間、ニコラが振り返ることはなかった。
けれど、繋いだ手は力強く、時折聞こえるニコラの鼻水をすする音、耳まで真っ赤になった顔色をローザは目の覚める思いで見た。
窓から射し込む光が、ニコラの頬を伝う涙をキラキラさせている。
「ニコラ!」
ローザははやく伝えたくて、ニコラに手を引かれながら大声で言った。
「助けてくれてありがとう!わたしのために泣いてくれて、怒ってくれてありがとう!」
今やローザも涙を流していたけれど、さっきまでの涙とはまったく別の涙だった。
ニコラは顔をぶんぶんと振るだけで、何も答えない。
きっと今は声も出せないのだろう。
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