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第二章
第24話 ローザ、幼なじみに祝福される
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一週間が経った。
「で、あいつの評判はどうなんだー?」
執務室のソファで、ロイがぐでーと横になって聞いた。
「……お前はなんでまだいるんだ?」
ブラッドリーは眉間にシワを寄せている。
「へへー、優秀な部下がそろっていてね。あと、コートニーさんもいるしー」
どうやらコートニー・アッシャーは北方拠点にあっても、その秀でた能力を発揮しているらしい。
「肝心の防衛業務があるだろう?」
「部下に仕事を任せることで、成長を促してんのよー。大丈夫、大丈夫」
ブラッドリーは一瞬疑いの目でロイを見つめるが、ロイはあらゆることに卒がない男であることを思い出し、ため息ひとつに留める。
こいつが大丈夫というからには、大丈夫なのだろう……。
「……あいつというと、ウィル・キゼンヤ司祭のことか?」
「そうそうー。あのキゼンヤ家の坊っちゃん。いや、たまげたね。キゼンヤ伯爵家の三男坊とは」
「そうだな」
「キゼンヤ家といえば金貸し屋って話だが、どうやら教会にも勢力を伸ばそうって腹なんだろうなー。欲深なこって」
「そうだな」
伯爵としての領地経営のほかに、キゼンヤ家は3代前からいわゆる銀行業を営んでいた。
多くの貴族たちがお世話になっていて、なかには名だたる大貴族や王族まで顧客リストに載っているという。
「案外教会まで借金漬けだったりしてなー。ま、生臭坊主しか実際いねーもんな。あっはっは」
「そうだな」
ブラッドリーは淡々と書類を処理している。
「……お姫様、横取りされないか心配だなー?」
「そ……んなわけないだろう!?」
ブラッドリーは怒鳴り、あまりの勢いに書類が宙を舞った。
ロイがニヤニヤしている。
「冗談、冗談よー。んで、どうなんだ、ウィル・キゼンヤ司祭は?」
ブラッドリーは苦々しい顔になった。
「……評判は上々だ」
新設された教会の講義室には多くの人が詰めかけていた。
彼らを前にして、ウィルは堂々と教鞭をふるっている。
「さて、なぜ勉強するべきか!わかるかな?ウェンディくん!」
村の小さな女の子、ウェンディを教鞭で指す。
「えーと、かしこくなるため?」
「その通り!賢いぞ、ウェンディくん!」
ほめられたウェンディがえへへと照れる。
「では、おばあさまのマーリーンさん。賢いとはどういうことでしょうか?」
今度は、ウェンディのとなりに座っているマーリーンに問いかける。
マーリーンは微笑みを浮かべる。
「なにが食べられるものか知っている、ということではないでしょうか?」
会場に笑いが起きる。
しかし、ウィルは笑わずに、うんうんと頷いていた。
「それはとても重要なことですね。私たち人間は、何か食べなければ死んでしまいます。最初は何が食べられるのかわからなかったはずです。多くの人の経験が伝わって、マーリーンさんがそれを受け継いでいる。共有し、伝えている。それは人間の知の本質です。賢いということを、マーリーンさんは端的に表現してくれました」
ウィルは洗練された微笑みを浮かべ、拍手した。
すると、生徒たちのなかにも、なるほどという空気が広がり拍手が広がる。
生徒たちはウィルの授業に引き込まれていった。
「私達は共有し、伝えるために勉強するのだと言ってもいいでしょう。それは食べ物という目に見えるものもそうですし、目に見えないものについてもそうです」
「それって神様ですか?」
中年男性が声をあげる。
「そうです。しかし、神ばかりが目に見えないものではありませんね。たとえば、約束事、ルール、国、お金などなどがそうです」
「国やお金は目に見えるのでは?」
中年女性が意見した。
「そうでしょうか?国というのは、目に見えますか?私は国土すべてをつぶさに見たことはありませんし、国に住む人々すべてに会ったこともありません。なんとなく国というものがあるのだと、頭のなかで想像しているに過ぎません」
生徒たちがざわつくが、ウィルは続けた。
「お金についてもそうです。なぜこの硬貨が価値を持つのでしょう?」
ウィルはポケットから金貨を取り出す。
生徒たちは静まり、その金貨に目を奪われた。
「貴重な材料でできているからですか?しかし、貴重だからといって、それに価値を認めるのはなぜでしょう?それは頭のなかで価値があると想像し、みんなが価値を認めているからです。つまり、ルールです」
ウィルは金貨を親指で弾いて宙に投げ、それを振った手で軽くキャッチする。
「本当には、価値のないものかもしれませんよ」
すこしの沈黙のあと、ウェンディが手をあげて聞いた。
「せんせーは、かみさまにも価値がないって言ってるんですか?」
「……ふふ、ウェンディくん、キミは本当に賢いね」
大人たちがざわついた。
まさか、神の坐す教会で、よりによって神に仕える司祭がそんなことを……!?
ウィルがひゅんっと教鞭を空中に振った。
「もちろん神は唯一絶対です。問題は、目に見えないものには偽物や悪いものも多いということです。つまり、ウソですね。なぜ勉強するべきか、それはだまされないためである、という理由を一つあげて、今回の授業を終わりたいと思います」
ウィルが優雅にお辞儀する。
まるで演奏を終えたヴァイオリン奏者のようだ。
生徒たちは咀嚼しきれない知識にため息をつきながらも、興奮したように拍手した。
ウィルもまた、やさしげな微笑みでもって生徒たちを見つめるのだった。
そのなかには、ローザの姿もあった。
生徒たちが帰った講義室で、ローザとウィルはふたりきりになった。
ローザはウィルの教鞭をぐにぐにいじっている。
「どうだったかな、ボクの授業は?」
ローザは教鞭をひゅんっと鳴らして、ウィルを指す。
「詐欺師になれるわね」
笑って言ったけれど、ローザは半分本気でそう思った。
まさかあの泣き虫ウィルが、堂々とみんなの前で授業をするような人物になるとは夢にも思わなかった。
「ははっ!ひどいな。とても誠実な授業だっただろうに」
「途中まではね。それにしても、17歳にして魔法塔を卒業したなんてすごいじゃない!」
「ああ、努力したからね。特に座学を」
ウィルは自嘲するように微笑んだ。
「知っての通り、魔法の才能に関してはイマイチだから、実技は苦労したよ」
「ふーん。でも、そこだってパスしたんでしょう?」
「ま、一応ね」
「じゃあ、すごいことよ。誇っていいわよ」
そう言うと、ウィルは年相応の少年のように照れて顔を赤くした。
こういうところは変わってないなと思い、ついうれしくなる。
「そう言えば、わたしも今更ながら、初等魔術を勉強したりしてるのよ」
「はは、すっ飛ばしてただろうからね」
「そうなの。でも、案外おもしろいわ。アーサー様といっしょに勉強してるんだけど……。そうだ!ウィルって、昔ライトニングボールくれた時あったわよね!?」
前のめりになって聞いたからなのか、ウィルはその分だけ引いて目をそらした。
「あ、ああ、そんなこともあったかな……?」
「あったわよ!覚えてないの?うれしかったんだから。ま、わたしも最近まで忘れてたんだけど」
「なんだよ、忘れてんじゃん」
ウィルは苦笑した。
「あはは!でも、うれしかったのは本当。あの時はありがとね」
「どういたしまして。……覚えてないけど」
「なによー、思い出せよー、こいつー」
教鞭でウィルの脇腹をちょんちょんと突っついてやる。
「くふっ!やめろ!」
「ふふ、相変わらずくすぐりに弱いとみた」
「みんでいい、くほっ!」
なつかしい気分に浸りながら、ひとしきりいじって笑った。
「それにしても体は大きくなっても変わらないね。安心したー」
「ごほっ……ごほっ……、そっちも変わらないね……容赦のないとことか……」
「なにげに久しぶりだもんね。5年近くかな?」
「そうだね……」
ふたりの間に沈黙が訪れた。
ウィルが魔法塔へと入学した頃ローザの力は失われていき、強制的に実家に幽閉されたのだった。
そのことが頭をよぎっているのはウィルの顔を見れば明白で、もしかしたら会いに来てくれていたのかもしれないとも思う。
会えることはなかったが。
「……はあ、時間は残酷ね。」
自然とため息をついてしまう。
「なんだい?おばさんみたいだな」
ウィルはニヤリと毒のある笑顔を見せた。
「あんたは本当に可愛かったのに、こんな憎まれ口叩くようになって……!まったく、お姉ちゃんは悲しいわよ……」
ローザは嘆いてみせた。
「ふっ……」
すると、ウィルは何を思ったのか、腰掛けていた教卓から立ち上がり、座っているローザのすぐ前まで近づいてきた。
「な、なによ……?」
ドキリとするような、男性的な眼差しでウィルは見下ろしてくる。
否応なく自分がか弱い女性で、相手はたくましい男性であることを自覚させられるような、そんな視線だった。
「ローザ……」
だが、そんな緊張感のある空気を壊すように、ウィルはニカッと少年染みた笑みを浮かべた。
「ちっちゃくなったなー!てゆーか、成長してんの?」
無遠慮に頭を両手でもみくちゃにしてくる。
「やめなさい!こいつめ!」
「くはっ!脇、やめて!」
ウィルは飛び退くように離れた。
「まったく……!」
「ふふん。でもさ、本当のところどうなの?」
「なにが?」
「……今って、幸せなの?」
その問いには、いろいろな意味が含まれていることが感じられた。
政略結婚や継母になったこと。辺境暮らしであること。能力を失ったこともそうだろう。
ウィルのブラウンの瞳は、そういった諸々を含めて、今幸せなのかと実直に聞いているように思われた。
だから、ローザも実直に答える。
「……ええ、幸せよ」
「……本当に?」
ローザはサファイア色の瞳を輝かせて、まっすぐにウィルの瞳を見つめて微笑んだ。
「うん。本当。アーサー様は最高に可愛いし、ブラッドリー様はやさしいし、侍女のニコラと話すのは楽しいし、ほかのみんなも良くしてくれるわ。わたし、人生で今が一番幸せだと思う」
それは、本心からの言葉だった。
「……酷いな。ボクといっしょにいた時が一番じゃないのかい?」
「あはは!そうね。二番目かなー?」
ウィルは苦笑しつつも、ハグをしてきた。すこし強いくらいの力で。
「……結婚おめでとう」
ローザは思わず、目が潤む。
「……ありがとう。祝ってくれたのは、あなたが初めてよ」
ローザもハグを返す。同じくらいの力を込めて。
「そいつは光栄だ」
ウィルはローザの背中をやさしくポンポンと叩いた。
「……ん?」
「どうしたの?」
「いや、何か悪寒が……。全身の毛が逆立つというか……」
「やだ、風邪じゃないの?」
ローザが反射的に体を離すと、ウィルの体の向こうに、ブラッドリーが立っているのが見えた。
「ブ、ブラッドリー様……!」
ブラッドリーは信じられないものを見る目でふたりを睨みつけていた。
「ブラッドリー様、これはちがうのです!」
「……っ!」
ローザは説明しようとするが、ブラッドリーは痛みをこらえるように振り返ると、そのまま足早に講義室を出ていってしまった。
簡単に解ける誤解のはずだ。
だが、ローザは立ち上がって数歩追ったものの、なぜか追うことができない。
足が止まり、立ち尽くした。
自分でも信じられないほど臆病な気持ちがわき出てきて、足がすくんでしまったのだ。
ローザの背後では、ウィルが酷薄な笑みを浮かべていた。実に愉しげに。
「で、あいつの評判はどうなんだー?」
執務室のソファで、ロイがぐでーと横になって聞いた。
「……お前はなんでまだいるんだ?」
ブラッドリーは眉間にシワを寄せている。
「へへー、優秀な部下がそろっていてね。あと、コートニーさんもいるしー」
どうやらコートニー・アッシャーは北方拠点にあっても、その秀でた能力を発揮しているらしい。
「肝心の防衛業務があるだろう?」
「部下に仕事を任せることで、成長を促してんのよー。大丈夫、大丈夫」
ブラッドリーは一瞬疑いの目でロイを見つめるが、ロイはあらゆることに卒がない男であることを思い出し、ため息ひとつに留める。
こいつが大丈夫というからには、大丈夫なのだろう……。
「……あいつというと、ウィル・キゼンヤ司祭のことか?」
「そうそうー。あのキゼンヤ家の坊っちゃん。いや、たまげたね。キゼンヤ伯爵家の三男坊とは」
「そうだな」
「キゼンヤ家といえば金貸し屋って話だが、どうやら教会にも勢力を伸ばそうって腹なんだろうなー。欲深なこって」
「そうだな」
伯爵としての領地経営のほかに、キゼンヤ家は3代前からいわゆる銀行業を営んでいた。
多くの貴族たちがお世話になっていて、なかには名だたる大貴族や王族まで顧客リストに載っているという。
「案外教会まで借金漬けだったりしてなー。ま、生臭坊主しか実際いねーもんな。あっはっは」
「そうだな」
ブラッドリーは淡々と書類を処理している。
「……お姫様、横取りされないか心配だなー?」
「そ……んなわけないだろう!?」
ブラッドリーは怒鳴り、あまりの勢いに書類が宙を舞った。
ロイがニヤニヤしている。
「冗談、冗談よー。んで、どうなんだ、ウィル・キゼンヤ司祭は?」
ブラッドリーは苦々しい顔になった。
「……評判は上々だ」
新設された教会の講義室には多くの人が詰めかけていた。
彼らを前にして、ウィルは堂々と教鞭をふるっている。
「さて、なぜ勉強するべきか!わかるかな?ウェンディくん!」
村の小さな女の子、ウェンディを教鞭で指す。
「えーと、かしこくなるため?」
「その通り!賢いぞ、ウェンディくん!」
ほめられたウェンディがえへへと照れる。
「では、おばあさまのマーリーンさん。賢いとはどういうことでしょうか?」
今度は、ウェンディのとなりに座っているマーリーンに問いかける。
マーリーンは微笑みを浮かべる。
「なにが食べられるものか知っている、ということではないでしょうか?」
会場に笑いが起きる。
しかし、ウィルは笑わずに、うんうんと頷いていた。
「それはとても重要なことですね。私たち人間は、何か食べなければ死んでしまいます。最初は何が食べられるのかわからなかったはずです。多くの人の経験が伝わって、マーリーンさんがそれを受け継いでいる。共有し、伝えている。それは人間の知の本質です。賢いということを、マーリーンさんは端的に表現してくれました」
ウィルは洗練された微笑みを浮かべ、拍手した。
すると、生徒たちのなかにも、なるほどという空気が広がり拍手が広がる。
生徒たちはウィルの授業に引き込まれていった。
「私達は共有し、伝えるために勉強するのだと言ってもいいでしょう。それは食べ物という目に見えるものもそうですし、目に見えないものについてもそうです」
「それって神様ですか?」
中年男性が声をあげる。
「そうです。しかし、神ばかりが目に見えないものではありませんね。たとえば、約束事、ルール、国、お金などなどがそうです」
「国やお金は目に見えるのでは?」
中年女性が意見した。
「そうでしょうか?国というのは、目に見えますか?私は国土すべてをつぶさに見たことはありませんし、国に住む人々すべてに会ったこともありません。なんとなく国というものがあるのだと、頭のなかで想像しているに過ぎません」
生徒たちがざわつくが、ウィルは続けた。
「お金についてもそうです。なぜこの硬貨が価値を持つのでしょう?」
ウィルはポケットから金貨を取り出す。
生徒たちは静まり、その金貨に目を奪われた。
「貴重な材料でできているからですか?しかし、貴重だからといって、それに価値を認めるのはなぜでしょう?それは頭のなかで価値があると想像し、みんなが価値を認めているからです。つまり、ルールです」
ウィルは金貨を親指で弾いて宙に投げ、それを振った手で軽くキャッチする。
「本当には、価値のないものかもしれませんよ」
すこしの沈黙のあと、ウェンディが手をあげて聞いた。
「せんせーは、かみさまにも価値がないって言ってるんですか?」
「……ふふ、ウェンディくん、キミは本当に賢いね」
大人たちがざわついた。
まさか、神の坐す教会で、よりによって神に仕える司祭がそんなことを……!?
ウィルがひゅんっと教鞭を空中に振った。
「もちろん神は唯一絶対です。問題は、目に見えないものには偽物や悪いものも多いということです。つまり、ウソですね。なぜ勉強するべきか、それはだまされないためである、という理由を一つあげて、今回の授業を終わりたいと思います」
ウィルが優雅にお辞儀する。
まるで演奏を終えたヴァイオリン奏者のようだ。
生徒たちは咀嚼しきれない知識にため息をつきながらも、興奮したように拍手した。
ウィルもまた、やさしげな微笑みでもって生徒たちを見つめるのだった。
そのなかには、ローザの姿もあった。
生徒たちが帰った講義室で、ローザとウィルはふたりきりになった。
ローザはウィルの教鞭をぐにぐにいじっている。
「どうだったかな、ボクの授業は?」
ローザは教鞭をひゅんっと鳴らして、ウィルを指す。
「詐欺師になれるわね」
笑って言ったけれど、ローザは半分本気でそう思った。
まさかあの泣き虫ウィルが、堂々とみんなの前で授業をするような人物になるとは夢にも思わなかった。
「ははっ!ひどいな。とても誠実な授業だっただろうに」
「途中まではね。それにしても、17歳にして魔法塔を卒業したなんてすごいじゃない!」
「ああ、努力したからね。特に座学を」
ウィルは自嘲するように微笑んだ。
「知っての通り、魔法の才能に関してはイマイチだから、実技は苦労したよ」
「ふーん。でも、そこだってパスしたんでしょう?」
「ま、一応ね」
「じゃあ、すごいことよ。誇っていいわよ」
そう言うと、ウィルは年相応の少年のように照れて顔を赤くした。
こういうところは変わってないなと思い、ついうれしくなる。
「そう言えば、わたしも今更ながら、初等魔術を勉強したりしてるのよ」
「はは、すっ飛ばしてただろうからね」
「そうなの。でも、案外おもしろいわ。アーサー様といっしょに勉強してるんだけど……。そうだ!ウィルって、昔ライトニングボールくれた時あったわよね!?」
前のめりになって聞いたからなのか、ウィルはその分だけ引いて目をそらした。
「あ、ああ、そんなこともあったかな……?」
「あったわよ!覚えてないの?うれしかったんだから。ま、わたしも最近まで忘れてたんだけど」
「なんだよ、忘れてんじゃん」
ウィルは苦笑した。
「あはは!でも、うれしかったのは本当。あの時はありがとね」
「どういたしまして。……覚えてないけど」
「なによー、思い出せよー、こいつー」
教鞭でウィルの脇腹をちょんちょんと突っついてやる。
「くふっ!やめろ!」
「ふふ、相変わらずくすぐりに弱いとみた」
「みんでいい、くほっ!」
なつかしい気分に浸りながら、ひとしきりいじって笑った。
「それにしても体は大きくなっても変わらないね。安心したー」
「ごほっ……ごほっ……、そっちも変わらないね……容赦のないとことか……」
「なにげに久しぶりだもんね。5年近くかな?」
「そうだね……」
ふたりの間に沈黙が訪れた。
ウィルが魔法塔へと入学した頃ローザの力は失われていき、強制的に実家に幽閉されたのだった。
そのことが頭をよぎっているのはウィルの顔を見れば明白で、もしかしたら会いに来てくれていたのかもしれないとも思う。
会えることはなかったが。
「……はあ、時間は残酷ね。」
自然とため息をついてしまう。
「なんだい?おばさんみたいだな」
ウィルはニヤリと毒のある笑顔を見せた。
「あんたは本当に可愛かったのに、こんな憎まれ口叩くようになって……!まったく、お姉ちゃんは悲しいわよ……」
ローザは嘆いてみせた。
「ふっ……」
すると、ウィルは何を思ったのか、腰掛けていた教卓から立ち上がり、座っているローザのすぐ前まで近づいてきた。
「な、なによ……?」
ドキリとするような、男性的な眼差しでウィルは見下ろしてくる。
否応なく自分がか弱い女性で、相手はたくましい男性であることを自覚させられるような、そんな視線だった。
「ローザ……」
だが、そんな緊張感のある空気を壊すように、ウィルはニカッと少年染みた笑みを浮かべた。
「ちっちゃくなったなー!てゆーか、成長してんの?」
無遠慮に頭を両手でもみくちゃにしてくる。
「やめなさい!こいつめ!」
「くはっ!脇、やめて!」
ウィルは飛び退くように離れた。
「まったく……!」
「ふふん。でもさ、本当のところどうなの?」
「なにが?」
「……今って、幸せなの?」
その問いには、いろいろな意味が含まれていることが感じられた。
政略結婚や継母になったこと。辺境暮らしであること。能力を失ったこともそうだろう。
ウィルのブラウンの瞳は、そういった諸々を含めて、今幸せなのかと実直に聞いているように思われた。
だから、ローザも実直に答える。
「……ええ、幸せよ」
「……本当に?」
ローザはサファイア色の瞳を輝かせて、まっすぐにウィルの瞳を見つめて微笑んだ。
「うん。本当。アーサー様は最高に可愛いし、ブラッドリー様はやさしいし、侍女のニコラと話すのは楽しいし、ほかのみんなも良くしてくれるわ。わたし、人生で今が一番幸せだと思う」
それは、本心からの言葉だった。
「……酷いな。ボクといっしょにいた時が一番じゃないのかい?」
「あはは!そうね。二番目かなー?」
ウィルは苦笑しつつも、ハグをしてきた。すこし強いくらいの力で。
「……結婚おめでとう」
ローザは思わず、目が潤む。
「……ありがとう。祝ってくれたのは、あなたが初めてよ」
ローザもハグを返す。同じくらいの力を込めて。
「そいつは光栄だ」
ウィルはローザの背中をやさしくポンポンと叩いた。
「……ん?」
「どうしたの?」
「いや、何か悪寒が……。全身の毛が逆立つというか……」
「やだ、風邪じゃないの?」
ローザが反射的に体を離すと、ウィルの体の向こうに、ブラッドリーが立っているのが見えた。
「ブ、ブラッドリー様……!」
ブラッドリーは信じられないものを見る目でふたりを睨みつけていた。
「ブラッドリー様、これはちがうのです!」
「……っ!」
ローザは説明しようとするが、ブラッドリーは痛みをこらえるように振り返ると、そのまま足早に講義室を出ていってしまった。
簡単に解ける誤解のはずだ。
だが、ローザは立ち上がって数歩追ったものの、なぜか追うことができない。
足が止まり、立ち尽くした。
自分でも信じられないほど臆病な気持ちがわき出てきて、足がすくんでしまったのだ。
ローザの背後では、ウィルが酷薄な笑みを浮かべていた。実に愉しげに。
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