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第一章
第12話 ブラッドリーは真実を知り、決断する
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コートニーの振り下ろした酒瓶は、ブラッドリーの背中に鈍痛を走らせた。
だが、この程度の痛みなど受けて当然だとブラッドリーは思う。
腕のなかのローザは意識を失い、完全に脱力しているにもかかわらず、羽のように軽かった。
ローザの後ろでしゃがんでいるアーサーが、涙を流しながらブラッドリーを見上げている。
(すまない……)
スミレ色の瞳に見つめられて、“戦神”ブラッドリーは目をそらした。
「は……、は……!」
息苦しくあえぐような声に、ブラッドリーは振り返る。
そこにはコートニーがいた。
彼女は震え、歯の根も合わず、今にも泣き出しそうなほどに瞳を揺らしている。
そんな表情を見るのは、初めてだった。
つい先日、泣き顔を見ることはあったが……。
ブラッドリーがコートニーの目を見ると、コートニーは力が抜けたように崩折れてしまった。
酒瓶が手から落ちる。
(酒なんて、飲めなかったじゃないか……!)
ブラッドリーはつい痛々しいものを見るような目になってしまう。
「……リュック」
リュックはいつの間にかコートニーのうしろにいた。
「あとを頼む」
そう言うと、リュックは無言でうなずく。
ブラッドリーはローザを横抱きにし、アーサーを見つめる。
「……いっしょに来るか?」
聞くと、アーサーは涙を袖でふき、こくんとうなずいた。
「おいで」
ブラッドリーがしゃがむと、アーサーは背中に飛びついてくる。
「ああ、肩車のほうがいいな。……登れるか?よし、そうだ。髪の毛つかんでいいから、振り落とされるなよ」
ブラッドリーは立ち上がると、すぐに走り出した。
リュックとコートニーを残して。
(あまり人目につかないほうがいいだろう……)
思案した結果、寝室の窓から入ることにする。
ただし、寝室は二階だった。
「飛ぶぞ」
「ひっ!」
ブラッドリーはローザを抱え、アーサーを肩車したままジャンプして、二階の窓から難なく入った。
人間業ではない。
魔法すら使っていなかった。
(……痛い)
アーサーが力いっぱい髪の毛をつかんでいたので、かなりの痛みがブラッドリーに走る。
だが、アーサーの受けた痛みを思えば、この程度の痛みを受けるのは当然とも思う。
ベッドに行くと、ローザをそっと寝かせた。
「あの……魔力切れだって……」
アーサーが教えてくれる。
「ああ……、顔色から見てしばらく寝かせておけば大丈夫だろう……」
戦場では、魔力切れで倒れる魔術兵たちをよく見たものだ。
よっぽど重篤なケースでない限り、心配はいらなかった。
アーサーが肩車から降りて、ローザのかたわらに座る。
「ローザ……」
目に涙を浮かべ、心配げに頭を撫でる手つきは、壊れものに触れるかのようにやさしい。
ローザは静かな寝息をたてている。
ついさっきまで冷たい怒りを発していた人物と同一とは思えない。
まるで無垢な少女のような寝顔だとブラッドリーは思う。
ブラッドリーはつい見入ってしまう自分の視線を恥じるように引き剥がすと、いつも寝ているソファに腰掛けた。
(さて、これからどうしたものか……)
コートニーに打たれた背中に鈍い痛みが走った。
ローザが起きると、すぐそばでアーサーが寝息をたてていた。
(あら、天使……)
夢かと思い、まじまじと見つめるが、どうも本物のアーサーである。
(なんでわたしはアーサー様とベッドで眠っているのかしら……?)
魔力切れと極度の緊張から来る眠気を断ち切って、ローザは起き上がろうとした。
「んん……ローザ……」
しかし、アーサーは眠ったままなのに、袖を握ってきた。
(う、動けない……!)
ローザは抑え込まれ、ほどなく眠りに落ちた。
とても幸せな寝顔であったという。
執務室。
ブラッドリーはいつもの自分の席に座っていた。
だが、表情はいつも以上に険しく、実際落ち着かない気分だった。
信頼していた仲間に対して、裁判官の真似事をしなければならないのだから、無理もない。
それでも、聞かねばならない。
「……コートニーさん。申し開きはありますか?」
「……」
コートニーはだまって目の前の椅子に座っている。
酒は抜けているようだが、虚脱して抜け殻のようでもあった。
扉の前には、リュックが立ち、コートニーをうしろから見張っていた。
逃げ出す心配など考えられないが、形式上仕方がない。
かつての恩義ある領主の娘。信頼できる仲間。
ついさっきまでそう思っていた。
アーサーの痛々しい傷跡やローザへの蛮行を目の当たりにするまでは。
間抜けだとそしられても仕方がないと思う反面、未だに信じられないという気持ちがブラッドリーとリュックにはあった。
「……簡単なことよ」
コートニーは乾いた声で言う。
「私は元領主の娘よ。いえ、伝統あるアッシャー家の血を引く娘。だから、元戦争奴隷のあなたたちがこの城を我が物顔で闊歩しているのが許せなかった。それだけよ」
ブラッドリーと何人かの側近は戦争奴隷から傭兵になり、戦で手柄を立てて英雄とまで呼ばれるようになった経緯がある。
それまで無表情を装っていたリュックが黙ってられないとばかりに叫んだ。
「そんなバカなことがありますかっ!?あなたの御父上が匿ってくれたから、俺達は戦争奴隷から抜け出せたんじゃないかっ……!あなただって俺達に親切にしてくれたじゃないか……!」
コートニーは投げやりな様子で言う。
「それが間違いだったって言ってるのよ。父はたしかにやさしい人だった。だけど、領主としてはどうだったかしら……?」
コートニーは暗い目になる。
「民を戦地に投入せよという王都の命に逆らい、民を逃がした。民を優先し、領地を失った愚かな領主。結果、辺境伯の称号は剥奪され、ミジメな最期を遂げたわ」
リュックが歯を食いしばるようにして、コートニーの背中に反論する。
「剣を握ったこともない人達を、一時の足止めのために犠牲にしろなんて馬鹿げた命令から守ったんだ!民あっての領主だって知ってた御父上は名君ですよ……!」
コートニーは首を振る。
「そうかしら……?それだって結局、独りよがりの名誉のためでしょう?」
その言葉を聞いて、リュックは目を見張る。
「残された母と私がどんなにかミジメな暮らしを強いられたか……?あなたにはわかって?リュック……」
振り向いた半顔に見つめられ、リュックは押し黙る。
これまでに見せることのなかったコートニーの側面にやりきれない思いを抱いたのか、リュックは部屋を飛び出した。
「……ダメね。私が逃げ出したらどうするつもりなのかしら」
コートニーは逃げ出すつもりなど毛頭ないのに、まるで悪女のような口ぶりでつぶやく。
「……」
ブラッドリーはただただ無言で、コートニーを見つめていた。
真紅の瞳に見つめられて、コートニーは下唇を噛む。
「……なぜ、アーサーを傷つけたのですか?」
「……憎かったからですわ」
「本当に?」
「ええ……」
「やさしくしてくれていたと思いましたが……」
「……」
「……では、いつから傷つけていたのですか?」
「……」
「私の結婚が決まったこの一ヶ月以内からですか?」
「……」
コートニーは答えない。
沈黙は是を意味していた。
(やはり……)
だとしたら、見落としていたのも納得できる話だった。
ただでさえ結婚準備で忙しかったのに加え、秘密裏に行っている辺境の外との交渉事でブラッドリーと側近たちはこの一ヶ月多忙を極めた。
普段の公務も当然ある。
城内のことはだからこそ、信頼のおけるコートニーに全て任せていたのだ。
(だからといって、アーサーを放ったらかしにしていた言い訳には何もならないが……)
改めて息子とのコミュニケーション不足をブラッドリーは内心悔いた。
加えて、自分の結婚が原因でコートニーが変わってしまったということにも、責任を感じてしまう。
「……私を侍女頭にしてくれたのには、感謝しています。おかげで母は安らかに逝けましたから。けれど、あなたは私を拾ってくれても、妻にはしてくれませんでしたね」
コートニーは乾いた瞳で、一筋の涙を流した。
「いえ、それどころか抱くことさえ拒否なさいましたわ」
「それは……!」
結婚の命が下ってすこしあとのことだ。
ブラッドリーの寝室に深夜、コートニーは訪ねてきたことがあった。
仕事熱心なコートニーのことだ。
何か火急の件かふたりきりで相談したいことでもあるのかと思い、ブラッドリーは部屋に招き入れた。
すると、コートニーはブラッドリーに抱きついてきた。
普段の穏やかさとは異なる情熱的な瞳で、戸惑うブラッドリーを見上げる。
「……抱いてください」
ポツリと投げられた告白は、しかし受け容れられることはなかった。
ブラッドリーはコートニーの肩をつかむと、強引に引き剥がす。
「……俺は、あなたを女だと見ていない」
コートニーはあまりの言葉に泣きそうな顔になった。
しかし、ブラッドリーは痛々しいものを見るような顔でコートニーを見つめるばかりで、ほかになにも言ってはくれなかった。
コートニーは真紅の瞳から逃れるように目をそらし、一筋の涙を流して、部屋を去った。
「……いいのです。私の浅ましい考えは見透かされていたのでしょうから」
コートニーは涙をふいた。
「私はたしかにアーサー様にやさしくしていましたわ。けれど、それはいつか母になると心のどこかで思っていたから。そうして、領主の妻としてかつての地位に返り咲けると信じていたから」
「……」
「私は勝手にかつての華々しい地位を夢見ていた愚かな女なのです。だから夢から覚めたら、愛しいと思っていたはずのものが、途端に憎らしく感じられたのです。……なんとも、浅はかで愚かでしょう?」
いつの間にか外は雨がシトシトと振り始めていた。
ブラッドリーは真紅の瞳で、ただコートニーを見つめていた。
沈黙のあと、ブラッドリーは毅然とした声で告げる。
「……あなたがアーサーにしたことを許すことはできません。それは、妻のローザにしようとしたことも同様です」
ブラッドリーの口から妻という言葉を聞かされ、コートニーは打たれたように揺れた。
「加えて、侍女頭としての責務を放棄し、いたずらに秩序を乱したことから、この城を治める者として命じます。コートニー・アッシャー、あなたを侍女頭から解任します」
「……はい」
「処分は追って沙汰します。リュック」
ブラッドリーが声を掛けると、扉の外で待機していたらしいリュックが暗い目をして入ってくる。
コートニーはリュックの手を借りるまでもなく、立ち上がると自分の足で扉に向かった。
その背に、ブラッドリーは声をかける。
「……コートニーさん、あなたは友でした」
その声は苦渋に満ちていて、コートニーは思わず振り返る。
ブラッドリーは、真紅の瞳でまっすぐにコートニーを見つめていた。
コートニーの胸に、どうしようもない後悔の念が押し寄せる。
「ふっ……!くっ……!」
やがて雨は土砂降りになり、コートニーの嗚咽も押し流した。
だが、この程度の痛みなど受けて当然だとブラッドリーは思う。
腕のなかのローザは意識を失い、完全に脱力しているにもかかわらず、羽のように軽かった。
ローザの後ろでしゃがんでいるアーサーが、涙を流しながらブラッドリーを見上げている。
(すまない……)
スミレ色の瞳に見つめられて、“戦神”ブラッドリーは目をそらした。
「は……、は……!」
息苦しくあえぐような声に、ブラッドリーは振り返る。
そこにはコートニーがいた。
彼女は震え、歯の根も合わず、今にも泣き出しそうなほどに瞳を揺らしている。
そんな表情を見るのは、初めてだった。
つい先日、泣き顔を見ることはあったが……。
ブラッドリーがコートニーの目を見ると、コートニーは力が抜けたように崩折れてしまった。
酒瓶が手から落ちる。
(酒なんて、飲めなかったじゃないか……!)
ブラッドリーはつい痛々しいものを見るような目になってしまう。
「……リュック」
リュックはいつの間にかコートニーのうしろにいた。
「あとを頼む」
そう言うと、リュックは無言でうなずく。
ブラッドリーはローザを横抱きにし、アーサーを見つめる。
「……いっしょに来るか?」
聞くと、アーサーは涙を袖でふき、こくんとうなずいた。
「おいで」
ブラッドリーがしゃがむと、アーサーは背中に飛びついてくる。
「ああ、肩車のほうがいいな。……登れるか?よし、そうだ。髪の毛つかんでいいから、振り落とされるなよ」
ブラッドリーは立ち上がると、すぐに走り出した。
リュックとコートニーを残して。
(あまり人目につかないほうがいいだろう……)
思案した結果、寝室の窓から入ることにする。
ただし、寝室は二階だった。
「飛ぶぞ」
「ひっ!」
ブラッドリーはローザを抱え、アーサーを肩車したままジャンプして、二階の窓から難なく入った。
人間業ではない。
魔法すら使っていなかった。
(……痛い)
アーサーが力いっぱい髪の毛をつかんでいたので、かなりの痛みがブラッドリーに走る。
だが、アーサーの受けた痛みを思えば、この程度の痛みを受けるのは当然とも思う。
ベッドに行くと、ローザをそっと寝かせた。
「あの……魔力切れだって……」
アーサーが教えてくれる。
「ああ……、顔色から見てしばらく寝かせておけば大丈夫だろう……」
戦場では、魔力切れで倒れる魔術兵たちをよく見たものだ。
よっぽど重篤なケースでない限り、心配はいらなかった。
アーサーが肩車から降りて、ローザのかたわらに座る。
「ローザ……」
目に涙を浮かべ、心配げに頭を撫でる手つきは、壊れものに触れるかのようにやさしい。
ローザは静かな寝息をたてている。
ついさっきまで冷たい怒りを発していた人物と同一とは思えない。
まるで無垢な少女のような寝顔だとブラッドリーは思う。
ブラッドリーはつい見入ってしまう自分の視線を恥じるように引き剥がすと、いつも寝ているソファに腰掛けた。
(さて、これからどうしたものか……)
コートニーに打たれた背中に鈍い痛みが走った。
ローザが起きると、すぐそばでアーサーが寝息をたてていた。
(あら、天使……)
夢かと思い、まじまじと見つめるが、どうも本物のアーサーである。
(なんでわたしはアーサー様とベッドで眠っているのかしら……?)
魔力切れと極度の緊張から来る眠気を断ち切って、ローザは起き上がろうとした。
「んん……ローザ……」
しかし、アーサーは眠ったままなのに、袖を握ってきた。
(う、動けない……!)
ローザは抑え込まれ、ほどなく眠りに落ちた。
とても幸せな寝顔であったという。
執務室。
ブラッドリーはいつもの自分の席に座っていた。
だが、表情はいつも以上に険しく、実際落ち着かない気分だった。
信頼していた仲間に対して、裁判官の真似事をしなければならないのだから、無理もない。
それでも、聞かねばならない。
「……コートニーさん。申し開きはありますか?」
「……」
コートニーはだまって目の前の椅子に座っている。
酒は抜けているようだが、虚脱して抜け殻のようでもあった。
扉の前には、リュックが立ち、コートニーをうしろから見張っていた。
逃げ出す心配など考えられないが、形式上仕方がない。
かつての恩義ある領主の娘。信頼できる仲間。
ついさっきまでそう思っていた。
アーサーの痛々しい傷跡やローザへの蛮行を目の当たりにするまでは。
間抜けだとそしられても仕方がないと思う反面、未だに信じられないという気持ちがブラッドリーとリュックにはあった。
「……簡単なことよ」
コートニーは乾いた声で言う。
「私は元領主の娘よ。いえ、伝統あるアッシャー家の血を引く娘。だから、元戦争奴隷のあなたたちがこの城を我が物顔で闊歩しているのが許せなかった。それだけよ」
ブラッドリーと何人かの側近は戦争奴隷から傭兵になり、戦で手柄を立てて英雄とまで呼ばれるようになった経緯がある。
それまで無表情を装っていたリュックが黙ってられないとばかりに叫んだ。
「そんなバカなことがありますかっ!?あなたの御父上が匿ってくれたから、俺達は戦争奴隷から抜け出せたんじゃないかっ……!あなただって俺達に親切にしてくれたじゃないか……!」
コートニーは投げやりな様子で言う。
「それが間違いだったって言ってるのよ。父はたしかにやさしい人だった。だけど、領主としてはどうだったかしら……?」
コートニーは暗い目になる。
「民を戦地に投入せよという王都の命に逆らい、民を逃がした。民を優先し、領地を失った愚かな領主。結果、辺境伯の称号は剥奪され、ミジメな最期を遂げたわ」
リュックが歯を食いしばるようにして、コートニーの背中に反論する。
「剣を握ったこともない人達を、一時の足止めのために犠牲にしろなんて馬鹿げた命令から守ったんだ!民あっての領主だって知ってた御父上は名君ですよ……!」
コートニーは首を振る。
「そうかしら……?それだって結局、独りよがりの名誉のためでしょう?」
その言葉を聞いて、リュックは目を見張る。
「残された母と私がどんなにかミジメな暮らしを強いられたか……?あなたにはわかって?リュック……」
振り向いた半顔に見つめられ、リュックは押し黙る。
これまでに見せることのなかったコートニーの側面にやりきれない思いを抱いたのか、リュックは部屋を飛び出した。
「……ダメね。私が逃げ出したらどうするつもりなのかしら」
コートニーは逃げ出すつもりなど毛頭ないのに、まるで悪女のような口ぶりでつぶやく。
「……」
ブラッドリーはただただ無言で、コートニーを見つめていた。
真紅の瞳に見つめられて、コートニーは下唇を噛む。
「……なぜ、アーサーを傷つけたのですか?」
「……憎かったからですわ」
「本当に?」
「ええ……」
「やさしくしてくれていたと思いましたが……」
「……」
「……では、いつから傷つけていたのですか?」
「……」
「私の結婚が決まったこの一ヶ月以内からですか?」
「……」
コートニーは答えない。
沈黙は是を意味していた。
(やはり……)
だとしたら、見落としていたのも納得できる話だった。
ただでさえ結婚準備で忙しかったのに加え、秘密裏に行っている辺境の外との交渉事でブラッドリーと側近たちはこの一ヶ月多忙を極めた。
普段の公務も当然ある。
城内のことはだからこそ、信頼のおけるコートニーに全て任せていたのだ。
(だからといって、アーサーを放ったらかしにしていた言い訳には何もならないが……)
改めて息子とのコミュニケーション不足をブラッドリーは内心悔いた。
加えて、自分の結婚が原因でコートニーが変わってしまったということにも、責任を感じてしまう。
「……私を侍女頭にしてくれたのには、感謝しています。おかげで母は安らかに逝けましたから。けれど、あなたは私を拾ってくれても、妻にはしてくれませんでしたね」
コートニーは乾いた瞳で、一筋の涙を流した。
「いえ、それどころか抱くことさえ拒否なさいましたわ」
「それは……!」
結婚の命が下ってすこしあとのことだ。
ブラッドリーの寝室に深夜、コートニーは訪ねてきたことがあった。
仕事熱心なコートニーのことだ。
何か火急の件かふたりきりで相談したいことでもあるのかと思い、ブラッドリーは部屋に招き入れた。
すると、コートニーはブラッドリーに抱きついてきた。
普段の穏やかさとは異なる情熱的な瞳で、戸惑うブラッドリーを見上げる。
「……抱いてください」
ポツリと投げられた告白は、しかし受け容れられることはなかった。
ブラッドリーはコートニーの肩をつかむと、強引に引き剥がす。
「……俺は、あなたを女だと見ていない」
コートニーはあまりの言葉に泣きそうな顔になった。
しかし、ブラッドリーは痛々しいものを見るような顔でコートニーを見つめるばかりで、ほかになにも言ってはくれなかった。
コートニーは真紅の瞳から逃れるように目をそらし、一筋の涙を流して、部屋を去った。
「……いいのです。私の浅ましい考えは見透かされていたのでしょうから」
コートニーは涙をふいた。
「私はたしかにアーサー様にやさしくしていましたわ。けれど、それはいつか母になると心のどこかで思っていたから。そうして、領主の妻としてかつての地位に返り咲けると信じていたから」
「……」
「私は勝手にかつての華々しい地位を夢見ていた愚かな女なのです。だから夢から覚めたら、愛しいと思っていたはずのものが、途端に憎らしく感じられたのです。……なんとも、浅はかで愚かでしょう?」
いつの間にか外は雨がシトシトと振り始めていた。
ブラッドリーは真紅の瞳で、ただコートニーを見つめていた。
沈黙のあと、ブラッドリーは毅然とした声で告げる。
「……あなたがアーサーにしたことを許すことはできません。それは、妻のローザにしようとしたことも同様です」
ブラッドリーの口から妻という言葉を聞かされ、コートニーは打たれたように揺れた。
「加えて、侍女頭としての責務を放棄し、いたずらに秩序を乱したことから、この城を治める者として命じます。コートニー・アッシャー、あなたを侍女頭から解任します」
「……はい」
「処分は追って沙汰します。リュック」
ブラッドリーが声を掛けると、扉の外で待機していたらしいリュックが暗い目をして入ってくる。
コートニーはリュックの手を借りるまでもなく、立ち上がると自分の足で扉に向かった。
その背に、ブラッドリーは声をかける。
「……コートニーさん、あなたは友でした」
その声は苦渋に満ちていて、コートニーは思わず振り返る。
ブラッドリーは、真紅の瞳でまっすぐにコートニーを見つめていた。
コートニーの胸に、どうしようもない後悔の念が押し寄せる。
「ふっ……!くっ……!」
やがて雨は土砂降りになり、コートニーの嗚咽も押し流した。
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