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第2章 海の都

76 企て ③

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 俺とアスタルテがウベルティーノ・デル・カレット大司教の寝室に忍び込んだ週の安息日。俺たちはいつものように聖ジーフリト通りの教区教会で礼拝をしていた。

 この世界でも一週間は七日であり、その最後の日を安息日として休日と定めている。だが、休日と言っても、地球の日曜日のようにレクリエーションなどを楽しんだりするのではなく、ただいつもしている労働が一切禁じられ、休むことと礼拝しかできないという日ではあるが。料理すら禁じられているのである。由来は、教祖が人間には休息が必要だと神の言葉として一週間の最終日を休日にすべしと定めたとかなんとか。
 しかし、心がけの悪い者はこれ幸いと飲みに出掛けたり、女性の館に出掛けたりし、それらの遊興施設も営業しているものだから、教会は頭を抱えている。
 ただ、冒険者はその職務上、クエスト依頼があったら出張らなくてはならないので、休日じゃない時もあるが。今日は休日だったので、習慣となっている教会での礼拝をしているのである。

「それでは、神前礼拝を」

 と、教区司祭は言う。
 彼の言葉を皮切りに、冒険者たちは教会の半円形のアプシス、すなわち祭壇の前に一列に並ぶ。
 こうして祭壇に向かって一人一人土下座するのが、救世主教の日曜礼拝のシメである。
 ちなみに祭壇には蝋燭と香炉、そして至高神のシンボルである天から降り注ぐ光を模したレリーフが据え付けられているだけであり、仏壇を知っている身からすると何とも地味である。

 クリエムヒルト親方、カール、マルグレーテ、リュエデゲール、そしてリオナは真面目な救世主教徒であるから、喜んで祭壇に向かって土下座する。
 が、不信心な俺は心の中でめんどくせーとか言いながら、土下座して上っ面だけ真面目なふりをする。
 この儀式を拒否すれば、たちまち異端だの異教徒だのレッテル張りされて、酷い目にあうことは目に見えてる。

 そしていつもなら、神前礼拝の次は司祭のありがたいお説教が続くはずが、今回は彼はこう言った。

「本日は勇猛果敢な聖人ゴットハルトのためになるお話をする予定でしたが、急遽大司教猊下からの布告があるということなので、皆さんは聖ジーフリト大聖堂に向かってください」

 ほら、俺たちの企てが実を結ぶぞ!

(オード、やったのう!)

 アスタルテは念話でそう言う。

(ああ、上手くいった。後は大司教の話を確認するだけだ)

 俺とアスタルテは、こっそりとほくそ笑んだ。





「皆さん、決して私をバカにしないでください」

 聖ジーフリト大聖堂の礼拝堂に集まった冒険者たちを前に、ウベルティーノ・デル・カレット大司教はそう前置きを付けて演説を始めた。
 彼は何か恐ろしい者でも見たかのような、怯えた表情で語る。

「これから私が語るのは、俄かには信じがたい、驚天動地の奇蹟であり、そして恐るべき神の預言でもあるのです。この神の言葉を皆さんの前で語らねば、大変なことが起きる。そう確信しているからこそ、私はこうして皆さんをここにお呼び立てし、恐怖に囚われ怯えて震える足を無理矢理踏み出させ、皆さんの前に立っているのです。皆さんどうか、荒唐無稽ではありますが、私の言葉を信じてください」

 大袈裟だが、これがこの世界の人間が、神の言葉を受け取った時の当たり前の反応なのだろう。
 この時点では、冒険者たちは半信半疑といった状態で、眉根にしわを寄せて大司教を見ている者が多かった。

(うーん、オードの言う通り、ちょっとビビらせすぎたかの?)

 アスタルテがそう思ってくれたのであれば幸いである。

「先日、私が夜寝ていると、寝室に天の御使いアリエッタ様が現れたのです」

 そこで、冒険者たちはざわめきだす。

「え、ほんと?」

「そんな奇蹟が……」

「静粛に! 静粛に!」と助祭たちが叫んで冒険者たちを静かにさせる。

「はい、本当です。私の寝室に現れたアリエッタ様は、こう仰いました。神はゼーフルトの冒険者が皇帝派と都市派に分かれて、聖ジーフリト祭の神輿をどちらが担ぐかで揉めているのを、大層嘆かれておられると。神聖な祭りを穢す行為であると」

 それを聞いた冒険者たちは、途端に神妙な顔つきになる。神の名を出されれば、こうなるのも仕方がない。

「アリエッタ様はこうも仰いました。ゼーフルトの冒険者は即刻争いを止め、都市派と皇帝派共同で神輿を担ぐべし、と。さもなければ、ゼーフルトの町とその冒険者に神の災いが下るであろう、と。だからこそ私は戦慄し、皆さんにこのことをお伝えせねばと一念発起したのです」

「で、でも、大司教猊下。猊下の寝室に現れたアリエッタなる存在、悪魔が化けたものという可能性はないのですか?」

 冒険者の中からそういう疑いが出てくるのも御尤もだ。誰しも自らの過ちからは目を背けたいものだ。

 そこで、ウベルティーノ大司教はアスタルテからもらった短剣を取り出した。

「これを見るのです。アリエッタ様が自らが来た証にと置いて行った短剣です。こんな形の短剣、見たことありますか? こんな神々しい輝きを放つ武器を見たことありますか? 聖なる水に浸けて審査もしましたが、邪悪な存在の兆候は見られませんでした」

 アスタルテの短剣は、ここいらではお目にかかれないような特異な形状をしていた。ここら辺の短剣は直身で刺突に向いた形をしているが、これは湾曲しており切断に向いている。それに黄金色に輝くとあれば、人々に神聖さを感じさせるのには充分であった。

 それが人々の引き金を引いた。

「嗚呼、俺たちは何て誤りを犯していたんだ!」

「あたしたちを許してください……!」

「赦されよ、赦されよ、我らの罪を赦されよ」

 堰を切ったように改悛と後悔と謝罪の言葉を吐き出す冒険者たち。涙を流して合掌し、慟哭のあまり胸をかきむしる者まで現れた。

 多分、信心深くない現代日本人の精神を持つ俺には、彼らの気持ちは理解できないのだろう。だが、理解できないからと言って排斥したりするのは何か違うように思えた。同じ日本人でも、理解できない精神構造をしている奴はいる。
 ふとリオナを見ると、彼女も涙を流し、合唱をしていた。
彼女にこの出来事の裏側を教えることができないのは辛いし、彼らの純粋な信仰心を弄んでいるようにも感じて、心にとげが刺さったような気分だった。

この手の策略は、二度としないようにしよう――。

「猊下、どうすれば我々は救われますか? 赦されますか?」

 冒険者の一人が、涙ながらに問いかける。

「アリエッタ様の言う通り、争いを止め、聖ゼーフルト祭の神輿を両派共同で担ぐしかないでしょう。そのようにして祭を挙行し、光の世界の聖人様、ひいては至高神にご覧になっていただくのです」

「神は其れを欲したもう!」

 大司教の言葉に合わせ、冒険者たちは熱狂的に唱和した。
 何だか想定以上に宗教的情熱を掻き立ててしまったように見えるが、祭の時だけでも争いを止め、平和を享受できるのであれば、それに越したことはない。

「神は其れを欲したもう!」

「神は其れを欲したもう!」

 バシリカ様式の礼拝堂の中に、冒険者たちの祈り――必死の哀願がこだまする。
 そうして、その熱情の赴くまま、彼らは賛美歌「汝清らかなる乙女の守護者アリエッタ」を歌いだした。

 この曲は処女の乙女を守護する天の御使いアリエッタを讃える賛美歌であり、アリエッタに扮したアスタルテ(セックス大好きな性愛の女神)としては苦笑せざるを得ない。俺も乾いた笑いが出る。

 それはともかく、計画は大成功を収めたので、あとは聖ジーフリト祭の日を楽しみに待つだけだ。
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