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第1章 ヴォルフスベルクの冒険者

37 交渉 ②

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「――まずはそちらの要求から聞こうか?」

 ブリュンヒルト・フォン・アーデルハイトは、組んでいた腕をほどき、腰に手を当てた。
いたずらっ子の言い訳を聞く母親のような振る舞いだ、と不覚にも思ってしまったが、今はそんな呑気な気分ではいられない。

 それに、ルートヴィヒ職人頭は毅然と答えた。

「冒険者兄弟団の金庫から押収した金銭の返却、親方のツンフト規則の遵守、職人のクエスト報酬の減額の撤回、報酬の魔力コアの配布復活、週休二日制の復活、そして名誉ある職人の地位への復帰を要求する。これらを約束してくれるのであれば、我々はストライキを解き、親方衆と貴方と市参事会に再び恭順を誓う」

「先日の二度の戦闘で、そちらは無視出来ない程の打撃を受けているはずです。これ以上の長期戦はそちらも望むところではないのでは? そろそろ冬も訪れます」

 そこに、ヨハン幹事が畳みかける。
 この一言で、ブリュンヒルトも動揺するはずだ。
 彼らはそう思っただろう。

 だが、ブリュンヒルトは彼らが言葉を終えると、フン、と鼻を鳴らした。

「貴様ら、それで我々に優位に立ったつもりか?」

「お、おう」

 呆れた、と言わんばかりに彼女は頭を左右に振る。

「はあ……。あのな、お前たちが討ち取っていたのは、所詮都市防衛軍の雑兵ばかり。こちらはまだ冒険者職人も、親方衆も温存している。だが、貴様らはどうか? 少なくない数の味方を失い、怪我人も多いはずだ。そんな状況でどこまで戦える?」

「うっ……」

 ルートヴィヒ親方は怯んだ様子を見せる。

(不味いのう……交渉の場で威勢をなくしてしもうた)

 と、アスタルテは念話で言う。

(こういう時は弱みを見せた方が負けじゃ。最早あの女のペースに飲まれておる)

(じゃあ、どうすれば……)

(もう望みは薄いかも知らん)

(そんな……)

 俺はがっくりと肩を落とさざるを得ない。こんなところでつまずいてしまうなんて。

「寧ろ、こちらから貴様らに要求をすべきではないかと思わんかね? 即刻、今すぐ降伏し、我々の軍門に下るべし。さもなくば貴様らを反逆者として殲滅しても構わんと判断する。どうだ? 最後通牒だが、降伏する気はないか?」

 元より玉砕覚悟で始めたストライキだ。こんなところで膝を折るわけにはいかない。

「降伏すれば慈悲を与える。それは約束しよう」

 というブリュンヒルトの言葉にも屈しないでくれ! ルートヴィヒさん、ヨハンさん!

「……我々冒険者職人を舐めないでもらいたい」

 と、ヨハン幹事。

「ほう、最後通牒を蹴るか」

 意外だ、という風に感心深げにブリュンヒルトは鼻を鳴らす。

「ええ。我々冒険者職人にも誇りがあります。決して親方に使われ、依存するだけの存在じゃない。我々は自由で名誉あるヴォルフスベルクの冒険者職人です。あなた方の横暴に決して屈したりはしない!」

 普段感情を荒げることのない人の、一世一代の啖呵切り。見ているこちらも感極まって涙が目尻に浮かびそうだ。

「幹事はこう言っているが、職人頭、貴様はどうなのかね?」

「俺も同意見だ。この要求が受け入れられないのであれば、徹底的に戦うまでだ。冒険者職人の意地を、とくと見せてやる」

 ルートヴィヒ職人頭の握った拳に、青い血管が浮き出ているのがはっきりと分かった。
 彼らはここまで肝を据えているのだ。ならば俺たちも心せねばならないだろう。

 ブリュンヒルトは一度職人たちと冒険者職人専属居酒屋の建物を睥睨すると、ふぅ、と息を吐いた。
 そして、

「貴様らの言い分は分かった。であれば、最早事を決するのは言葉ではなく剣だ。次の戦いが、最後の戦いとなるだろう」

 そう言い残し、彼女は踵を返して、その場を立ち去った。

 後に残された俺たち冒険者職人。

 次が最後ということは、恐らく同じ冒険者職人や親方衆までも戦闘に投入してくるということだろう。熾烈な死闘になりそうだ。
 武者震いしながら、ブリュンヒルト・フォン・アーデルハイトの背中を見送った。


 ◆


「よっしゃあ! あのクソ女と腰巾着どもに目にものを見せてやるぜ!」

「私も恋人の敵を取るわ! あの綺麗な顔を汚い涙と鼻水まみれにしてやる!」

「聖カドワラよ、我らにご加護を!」

 交渉は失敗し、もうすぐ鎮圧部隊の総攻撃が始まる。
 そうストライキに参加した冒険者職人たちに伝えた。すると、彼らは遥か東方の聖地を奪回する聖戦士が如く、意気軒高にルートヴィヒ職人頭の言葉に応じた。
 正直落胆し士気に致命的な影響が出るかと思っていたが、それは杞憂だったようだ。
 彼らは己の意志で己の名誉と生活を懸てこの戦いに参陣した者たちだ。覚悟など塔に出来ていたということだ。

「そうなれば、こちらも敵の総攻撃に備える準備が必要かと。バルコニーの防御壁や、広間のバリケードの点検を行い、必要とあらば強化を」

 俺はそうルートヴィヒ職人頭に提案する。

「ああ、ハンスの子オードよ、その通りだ。今のままでは心もとない。ヨハン、資材はどれくらい残っているか?」

「帳面上は、防御施設を今の二倍の強度に出来るだけの木材がまだ残っています。しかし、これはあくまでも帳面上の数字の話なので、私が倉庫に直接確かめに行ってきます」

「そうしてくれ」

 ルートヴィヒの指示に従い、ヨハンは居酒屋の奥の方へと小走りで向かった。

「ハンスの子オード、お前には食糧の残量を調べて欲しい。そして、それを皆に平等に配る手はずを整えて欲しい」

「お、俺がですか?」

「そうだ。お前は未来の兄弟団幹部候補だぞ? これくらいできる能力があるはずだ」

 そ……そこまで俺を買ってくれているのか……!

 前世で務めていた会社では、ただ辛いだけの労働を延々と強いられているだけで誰も評価もしてくれなかったが、ここではちゃんと俺の仕事を、能力を見てくれる人がいる。
 とあれば、やる気が出るのも必定である。

「分かりました! すぐに行ってきます!」

「店主のおやっさんには、皆に特別美味いごちそうを振る舞ってくれ、と言っておいてくれ」

 ……。
 ………………。

「残りの食糧は約二週間分か……」

 ならば、今日大盤振る舞いしても、まだ少し籠城は継続できるか、と俺は食糧庫の中で独りごちる。
 大きな作戦の前には、特別なごちそうが振る舞われることは、古今東西の軍隊ではよくあることだ。もうすぐ死ぬかもしれない兵士たちに、この世で最後のごちそうを食べてもらう、それが意図だった。
 各食材の残量を数えると、それを伝えるために居酒屋店主の下へと俺は向かう。

「もうすぐ敵の総攻撃なんですってね?」

「はい、そうです。ルートヴィヒさんは貴方に……」

 と言ったところで、店主は俺の言葉を遮る。

「はい、分かっています。総攻撃前の最後の食事を作ってくれ、と」

「そうです」

「私としては、死に向かう人々の最後の食事を作るよりも、勝利を祝うごちそうを作りたいのですがね……。ですが、分かりました。その依頼承りましょう」

「食糧庫の残量は――」

 俺は自分で調べてきた食糧の残りの量を店主に伝える。思いの外多かったようで、彼は驚いていた。

「ルートヴィヒ職人頭は、大盤振る舞いしても構わないと言っていました」

「ならば、とっておきの料理を作りましょう。ルートヴィヒさんに宜しくお伝えください」

「分かりました」

 冒険者兄弟団専属居酒屋の店主にも、この戦いへの想いがある。それを僅かばかりとも知れたように思う。


 ◆


「わははは! 皆の衆、遠慮はいらんぞ。どんどん食え!」

 その日の夜は、間近に迫った敵の総攻撃への防衛の壮行会として、冒険者職人たちは大いに食べた。
 戦闘が近いとあって、飲酒は控えられたが、それでも彼らは陽気に歌って騒いだ。

 特攻隊のような、死地に向かう者の悲壮感というものはそこにはなかった。
 流石は魔獣との戦いが日常である冒険者。死の恐怖など簡単に克服できる。

 俺も冒険者として訓練を受け、死の恐怖には前世よりも慣れていた。
職人親方何するものぞ! 今の高揚した気分であれば、ブリュンヒルト・フォン・アーデルハイトすら討ち取れるのではないか? そう思わせるだけの勢いがあった。

「ではぁ~、ヘルマンの子リオナ、歌いま~す!」

 調子に乗ったリオナが、テーブルの上に飛び乗って、大声で歌い出す。
 曲は「マルグレーテ」。騎士の青年と恋仲になった農民の少女マルグレーテの心情を歌った、庶民に人気の一曲である。

「林檎の花咲けり、ほの暖かき川辺に、マルグレーテは歌いにけり」

「いいぞいいぞリオナちゃん!」

「流石この町一番の歌姫!」

 口笛や手囃子で、職人たちはリオナの歌声に喝采を上げる。

「愛しきかの方は、王の命令で行きたり
 遠い東方の地へ、聖なる約束の土地へ。
 剣も紋章も無き、ただの女子たる私は、
 かの方の帰りを、一人故郷で待つばかり」
 
「この歌ホント好き……」

「神曲だわ……」

 騒ぐとは真逆に、しんみりと聞き入っている者も多数。

「どうか神よ、至高の御方よ
 愛しきかの方に王への忠義を守らせ給え
 神聖なる騎士の義務を果たさせ給え
 そして愛しきかの方を、栄光とともに私の腕の中へと還し給え
 私はかの方への愛を守り抜きます」

「ブラーヴォ―! ブラーヴォ―!」

「素晴らしいぞブラーヴォー!」

 何故かロノマ半島の言葉でリオナの歌を称賛する者が多数いた。それが最近の流行りなんだろうか?

「小川の畔でマルグレーテは歌いにけり、愛しき者に捧げる歌を」

 ここで、リオナは歌い終わり、礼儀正しくぺこりとお辞儀をした。

「リオナ万歳!」

「古の歌舞音曲の女神の生まれ変わり!」

「ブラーヴォー!」

 彼女へのシュプレヒコールが、居酒屋の広間を満たす。
 妻の歌が皆に喜ばれたとあって夫として嬉しくもあるが、皆の前で愛の歌を歌われるのはちょっと妬けるな……。

 こういうのは俺と二人きりの時に歌って欲しいものではあるね……。

と我ながらクッソめんどくさい独占欲が頭をもたげてきたところで、広間の隅で獲物を前にした肉食獣のようにギラついた目をしたリアル戦いの女神のドスの利いた声が耳に飛び込んできた。

「今度は妾を仲間外れにするんじゃないぞよ……」

 はいはい、承知してますって。
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