恋人はアンドロイドですが何か? 傷心アルファ×献身オメガ ~二人でザマァするはずが、どんどん話が大きくなっていく!~

大波小波

文字の大きさ
上 下
111 / 256

5

しおりを挟む
               中島なかじま 康太こうた 二十一歳 



 ゆっくりと目をつむる。鼻から大きく息を吸い込み、拳を強く握る。そして口から長くゆっくりと息を吐き出して、目を開く。

 これは儀式だ。心を落ち着かせて集中力を高めるための儀式。意識して呼吸を整えながら、落ち着いた頭で考える。

 世界が終わるということの意味を。

 と……いうことはだ、来年……オリンピックはない。俺は……今の俺のまま死ぬことになる。

「……くそっ」

 思い出す。

 それは小学二年生のときだった。

 その頃の俺は特撮ヒーローが大好きだった。五人組のヒーローが一人の怪人を倒すやつじゃなくて、ヒーローと悪役がサシで戦うやつが好きだった。

 ヒーローごっこもやった。父さんが仕事から帰ってくると悪役をやってもらって、ほとんど毎日のようにやっていた。でもそれは所詮ごっこ遊び。父さんがわざと大げさに負けてくれるのが、いつの頃からか気に食わないと思うようになった。

 それで俺は本当に強くなりたいと考えた。ヒーローがやっていた空手が習いたくて、思い立ったその日のうちに父さんにお願いした。しかし近所には空手の道場がなくて、結局俺は柔道を習うことになった。

 それが俺と柔道の出会いだった。

 柔道は楽しかった。自分より大きい相手を投げたり、押さえ込んだりと、どんどん夢中になっていった。それでも小学五年生になるまで、俺は道場に遊びに通っていた。

 柔道に対する意識に変化が訪れたのは、小学五年生のときに見たオリンピックの影響だった。それまで三年間柔道をやっていたが、柔道をテレビで見るのはそれが初めての機会だった。

 衝撃的だったのは軽量級の工藤竜司くどうりゅうじ選手。初戦から決勝戦まで全て背負い投げで一本勝ち。このとき工藤選手は二大会連続の金メダルだった。

 めちゃくちゃかっこいいと思った。大好きだった特撮ヒーローよりもずっとかっこよかった。その日から俺のヒーローは工藤選手になった。そして俺は柔道でオリンピックを目指すことを決めた。

 それからずっと俺は人生の全てを柔道に捧げてきた。

 初めて大会で優勝したのは小学五年生の十一月、地元で行われる食品メーカーの名を冠した小さな大会だった。それから俺は十八歳まで、出場した大会で一度も負けたことはなかった。インターハイ、国体はもちろん、年齢制限のない選抜選手権や世界大会であるワールドカップでも優勝した。高校三年生のときには憧れであった工藤選手とも二度対戦し、二度とも一本勝ちで勝利した。

 それも二度目の試合はオリンピックの選手選考に大きく影響する、選抜選手権の決勝戦だった。

 その試合、開始まもなく組み手を取ったところで、俺は先にポイントを奪われた。工藤選手の戦い方は柔道をかじったことのある者なら誰だって知っていた。彼はひたすらに背負い投げにこだわりを持っていた。もちろん足技も使う。しかしそれは牽制や相手の体勢を崩すためのものか、背負いにつなげるための予備動作でしかなかった。もし相手を背負いで投げて、それが技ありだったなら、彼は寝技を避け、次の背負いで一本を狙っていった。彼が求めるのはただ一つ、背負い投げによる一本勝ちだけだった。誰もが彼の背負いを警戒していた。それでも背負いで投げてしまうのが彼の強みだった。その工藤選手が開始直後の組み手争いの中、足技の小内巻き込みでポイントをとりにきたのだ。俺は完全に虚を突かれ、背中こそつかなかったが倒されてしまった。判定は有効。その後、工藤選手はいつも避けていた寝技で押さえ込みまで狙ってきた。試合は結局内股で俺の一本勝ちだったが、工藤選手は巴投げまでやってきた。必死さこそ伝わってきたが、正直いつものスタイルのほうが恐さがあった。

 そして俺はオリンピックの軽量級代表として選ばれた。三大会連続優勝中、三十二歳の工藤竜司選手ではなく、十八歳で高校生の俺がオリンピックの日本代表に選出されたのだ。

 それは日本中を騒がす大きなニュースになった。工藤選手は国民的ヒーローだったから。

 柔道をよく知っている人たちは俺の選出を好意的に受け止めてくれた。しかしオリンピックくらいでしか柔道を見ないような人たちの中には俺を否定する者が多かった。

 経験が足りないとか若すぎるとか……俺のことを何も知らないような奴らが、口々に俺を否定した。

 だから俺は取材に対して言ったんだ。

 俺は試合で負けたことがない。世界大会で優勝するより工藤選手に勝つほうが難しい。工藤選手に勝てた時点で金メダルは貰ったようなもんだ。だからぐだぐだ文句を言ってないで安心してくれと。

 この発言で俺はまた叩かれた。ビッグマウスだとか天狗になっているだとか、いろいろ言われた。

 それでも俺は全く気にしなかった。オリンピックで優勝して黙らせてやればいい。そう思っていた。

 そしてオリンピック。

 初戦だった。相手はデンマーク代表のクリスティアン・エリクセン選手。以前に一度対戦したことのある相手だった。軽量級の割には背が高く力が強い。四肢も長くやりにくい相手ではあるが、恐れるような一発を持っているわけではない。

 俺は畳の上で彼と対峙した。

 ゆっくりと目をつむる。鼻から大きく息を吸い込みながら拳を強く握る。そして口から長くゆっくりと息を吐き出して、目を開く。相手を真っ直ぐに見据えて、審判の合図で礼をする。

 そして試合が始まった。

「せい!」

 声を出して組み手争いのために手を構える。

 この試合でまず俺を否定する奴を黙らせてやる。一分以内、いや一撃で倒す。そんなことを考えていた。

 俺は組み手争いも強い。開始数秒で俺は自分の組み手を取った。そして相手の呼吸に合わせて、軽くこちらに引き寄せる。相手はそれに反発する。そこに一歩踏み込んで足技に行くそぶりを見せる。またそれに合わせて相手の重心が移動する。

 そこに内股を仕掛けた。

 完璧だった。相手はおもしろいくらい簡単に浮き上がる。俺は自分ごと回転し相手を投げ飛ばした。少し勢いがつきすぎたため相手の背中は畳についていないかもしれない。それでも完全に投げ飛ばした。スーパー一本で問題ないだろう。

 そんなふうに考えながら、投げ飛ばした姿勢のままで審判を見上げた。審判の手は水平に上げられていた。技ありだ。目を疑って電光掲示板を見る。技ありが点滅していた。

 そのとき視界から電光掲示板が消えた。

 あ、やばい……

 そう思ったときには、すでに押さえ込まれていた。一本と技ありの違いもわからないヘボ審判が押さえ込みを宣言する。

 二十秒で逃げなければ、俺は負ける。

 完全な形で押さえ込まれていた。それでも負けるわけにはいかない。必死にブリッジして体を回転させようともがいた。

 やばい、やばい、やばい……頭の中がその言葉だけで埋め尽くされていく。焦りが募る。それでも俺は必死に暴れ、押さえ込みから逃れようとした。

 そしてやっと逃げ出した。

 そう思ったそのとき……相手は座ったまま両拳を天へと突き上げて、歓喜の声を上げていた。そして審判が一本を宣言した……

 俺は負けたのだ。相手の選手が次の試合で敗れたため、敗者復活戦もなく一回戦敗退。

 帰国するとバッシングの嵐だった。八年間公式戦で負けたことのなかったこの俺が、たった一敗しただけで……これまでどれだけ過酷な練習を重ね、どれだけ多くのものを諦めて俺が柔道だけに取り組んできたのかを知りもしない奴らに、負け犬のレッテルをはられて嘲笑の的にされた。

 それでも言い訳は出来なかった。審判の誤審で無理やり負けにされたわけじゃない。あそこで気を抜かなければ、問題なく勝てた試合だったのだ。そもそもあのときの俺は相手選手と対峙しながら、別のものと戦おうとしていた。俺は負けるべくして負けたのだ。

 それからの俺は今まで以上に柔道に全てを捧げた。絶望に浸っている暇なんてなかった。全てが終わってしまったわけではない。俺にはまだ四年後があった。次のオリンピックでこの汚名を返上したかった。

 そのためだけに生きてきた。毎日、毎日、吐くまで練習した。どれだけ練習しても、次ぎ勝てる確信が持てなくてひたすらに練習を続けた。食事にも気を使い、好物だったチョコレートなどの甘いものも、あの敗戦以来一度も口にしてはいない。

 どれだけ勝利を重ねても、どんな大会で優勝しても、オリンピックでの汚名はオリンピックでしか晴らすことが出来なかった。

 そのオリンピックが来年だった。すでに選考は始まっている。来月には選考に影響する大会も控えていた。その大会には工藤選手も出場する。

 それなのに……それなのにだ。

 世界が終わる。オリンピックの前に終わってしまう。俺は負け犬のまま、この人生を終える。汚名を返上するチャンスは訪れなかった。

「ふざけんなよ……」

 そんなの許されない……そんなことがあっていいわけがない……

 心の中で様々な感情が入り乱れていた。後悔、怒り、悲しみ、絶望……様々な負の感情が溢れ出してくる。その溢れる思いを吐き出そうと、叫び声を上げようとしたそのとき、電話が鳴った。携帯ではなく、家の電話だ。

 家の電話なので誰からかはわからないが、俺はつい反射的に電話をとってしまった。

「俺だ……」

 それはよく知った声だった。

「新手の詐欺かなんかですか? どうしたんです? 工藤さん。こんなときに」

 工藤選手だった。

「はっ、残念だったな。オリンピックどころじゃなくなっちまったな」

 少し笑いながら、工藤選手はそう言った。

「ですね……これ、ドッキリとかじゃ、ないんですよね?」

「ああ……もうすぐ世界が滅びるんだってよ。本当……ありえねえよな」

「俺は……俺なんか、大口叩いてたのに、オリンピックで一回戦負けの、負け犬野郎のままエンディングですよ……」

「そうだな……まぁ、でも、俺が知っているさ。お前は誰よりも強いって……」

 そう言ってまた少し笑った後、ため息まじりに工藤選手は言葉を続けた。

「俺はな、オリンピックで三回も金メダルを取ってるんだぜ。それなのに、お前には一度も勝てなかった。オリンピック前に二回、後に二回。四戦とも一本負けだ。お前はいっつも、自分は誰よりも練習してるって言うけど、お前はまだ二十一だろ。俺は三十五だ。総合的な練習量じゃあ、圧倒的に俺のほうが多いからな。その俺が十八だったときのお前にすら、手も足も出なかった。どんだけくやしかったかわかってんのか? 俺はもともと前回のオリンピックの後、引退するつもりだったんだ。それなのにまだ続けてるのはな、一度だけでもお前に勝ちたかったからだ。あーー! くっそ! 来月の試合楽しみだったのにな。対お前用の必殺技を用意してたんだぞ。そうだな……お前、ちょっと今から一試合やらねえか? 今どこにいるよ?」

「奈良です」

「くそっ……遠いな。無理か。あー! ちくしょう。もし、あれだぞ。天国みたいなのがあったらそこで勝負すんぞ。勝ち逃げなんて絶対に許さねえからな」

「はは……わかりました。やりましょう。天国で天使が審判なら、あんなヘボい判定しないでしょうしね」

「おい……ちょっと待てよ。あれじゃねえか? 天国だったら俺、全盛期の状態でやれるんじゃねえ?」

「それでも返り討ちにしてやりますよ」

 なんだろう……少し楽しくなってきた。

 工藤選手と話していたら、負の感情は全部どっかに行ってしまった。やっぱり工藤選手はかっこいい。俺と違って他人の目なんて気にしていなかった。きっと、ただ自分のやりたいようにやっているだけなんだ。

 そうだ。俺だって汚名なんて気にする必要なんてない。俺は強い。俺は柔道が大好きだ。

 試合がしたくてたまらなくなってきた。

 もういい。はやく世界なんて滅びてしまえ。そして俺は天国で工藤選手と戦うんだ。必殺技とやらがどんな技なのか楽しみでしかたがない。工藤選手が必殺技だというくらいだから凄い技に違いない。それでも俺は負けない。絶対に勝つ。

 なんせ俺は最強だからな。

 誰がなんと言おうと俺はそう信じている。

 それで、それだけで充分だったんだ。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

その咬傷は、掻き消えて。

北月ゆり
BL
α以上にハイスペックなβ・千谷蒼は、高校時代からΩ・佐渡朝日に思いを寄せていた。蒼はαでない自分と結ばれることはないと想いを隠していたが、ある日酷い顔をした朝日が彼に告げる。 「噛まれ……ちゃった」 「……番にされた、ってこと?」 《運命になれなくとも支えたい一途な薬学部生β ×クズ男(α)に番にされた挙句捨てられた不憫Ω、のオメガバース》 ※BSSからのハッピーエンドですがタグ注意 ※ ストーリー上、攻めも受けも別の人とも関係を持ちます

春風の香

梅川 ノン
BL
 名門西園寺家の庶子として生まれた蒼は、病弱なオメガ。  母を早くに亡くし、父に顧みられない蒼は孤独だった。  そんな蒼に手を差し伸べたのが、北畠総合病院の医師北畠雪哉だった。  雪哉もオメガであり自力で医師になり、今は院長子息の夫になっていた。  自身の昔の姿を重ねて蒼を可愛がる雪哉は、自宅にも蒼を誘う。  雪哉の息子彰久は、蒼に一心に懐いた。蒼もそんな彰久を心から可愛がった。  3歳と15歳で出会う、受が12歳年上の歳の差オメガバースです。  オメガバースですが、独自の設定があります。ご了承ください。    番外編は二人の結婚直後と、4年後の甘い生活の二話です。それぞれ短いお話ですがお楽しみいただけると嬉しいです!

別れようと彼氏に言ったら泣いて懇願された挙げ句めっちゃ尽くされた

翡翠飾
BL
「い、いやだ、いや……。捨てないでっ、お願いぃ……。な、何でも!何でもするっ!金なら出すしっ、えっと、あ、ぱ、パシリになるから!」 そう言って涙を流しながら足元にすがり付くαである彼氏、霜月慧弥。ノリで告白されノリで了承したこの付き合いに、βである榊原伊織は頃合いかと別れを切り出したが、慧弥は何故か未練があるらしい。 チャライケメンα(尽くし体質)×物静かβ(尽くされ体質)の話。

Endless Summer Night ~終わらない夏~

樹木緑
BL
ボーイズラブ・オメガバース "愛し合ったあの日々は、終わりのない夏の夜の様だった” 長谷川陽向は “お見合い大学” と呼ばれる大学費用を稼ぐために、 ひと夏の契約でリゾートにやってきた。 最初は反りが合わず、すれ違いが多かったはずなのに、 気が付けば同じように東京から来ていた同じ年の矢野光に恋をしていた。 そして彼は自分の事を “ポンコツのα” と呼んだ。 ***前作品とは完全に切り離したお話ですが、 世界が被っていますので、所々に前作品の登場人物の名前が出てきます。***

少年神官系勇者―異世界から帰還する―

mono-zo
ファンタジー
幼くして異世界に消えた主人公、帰ってきたがそこは日本、家なし・金なし・免許なし・職歴なし・常識なし・そもそも未成年、無い無い尽くしでどう生きる? 別サイトにて無名から投稿開始して100日以内に100万PV達成感謝✨ この作品は「カクヨム」にも掲載しています。(先行) この作品は「小説家になろう」にも掲載しています。 この作品は「ノベルアップ+」にも掲載しています。 この作品は「エブリスタ」にも掲載しています。 この作品は「pixiv」にも掲載しています。

消えない思い

樹木緑
BL
オメガバース:僕には忘れられない夏がある。彼が好きだった。ただ、ただ、彼が好きだった。 高校3年生 矢野浩二 α 高校3年生 佐々木裕也 α 高校1年生 赤城要 Ω 赤城要は運命の番である両親に憧れ、両親が出会った高校に入学します。 自分も両親の様に運命の番が欲しいと思っています。 そして高校の入学式で出会った矢野浩二に、淡い感情を抱き始めるようになります。 でもあるきっかけを基に、佐々木裕也と出会います。 彼こそが要の探し続けた運命の番だったのです。 そして3人の運命が絡み合って、それぞれが、それぞれの選択をしていくと言うお話です。

【完結】幼馴染から離れたい。

June
BL
隣に立つのは運命の番なんだ。 βの谷口優希にはαである幼馴染の伊賀崎朔がいる。だが、ある日の出来事をきっかけに、幼馴染以上に大切な存在だったのだと気づいてしまう。 番外編 伊賀崎朔視点もあります。 (12月:改正版) 読んでくださった読者の皆様、たくさんの❤️ありがとうございます😭 1/27 1000❤️ありがとうございます😭

嘘つき純愛アルファはヤンデレ敵アルファが好き過ぎる

カギカッコ「」
BL
さらっと思い付いた短編です。タイトル通り。

処理中です...