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第『1』話

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「聞いてるの?我孫子君!」
「はい……聞いてますよ課長」

 課長の岸谷由美子(きしたに ゆみこ)がヒステリックに声を荒らげた。
彼女の眼前には冴えない20代の若者が1人……何の特徴も無い黒髪の髪型に何処にでもいそうな平凡な顔立ち…身長はまぁまぁ体つきもさほど悪くは無い……
よく見てみれば顔つきの元は良いのだから時間と手間を掛ければ少なくともこの会社の中では一番ともいえそうな美男子に化けるかもしれない……しかし本人にその気がないので有り得ない話なのだが。
 そんな彼は彼女のこの営業1課の部下の1人我孫子(あびこ)慶次(けいじ)である。

 その彼は事あるごとに課長の由美子から説教を受けている……一部の人物においてはキツイ眼鏡美人の説教を毎日受けるなんてご褒美の様だが残念な事に彼にはこの様な趣向は皆無であった。
 この課では毎日の恒例行事であったが、慶次にとっては何で毎回怒られなければいけないのか理解に苦しむ所であった。

「この発注書を三課に届けてと言ったでしょう?」
「そうでしたね…すいません…でもそれよりも先に二課に原料の確認をして貰った方が確実でしたから…下請けさんも二課の方からだと依頼しやすいですし」
「だけど三課に届けてと言ったでしょう!三課の課長の承認も必要なのよ!!」
「そうでしたか……それは失礼しました」

 この調子で暖簾に腕押し…他の20代の社員に比べて肝が座っていると言えばそうかもしれないが……
 彼にしてみれば無駄を省き合理性を追求しただけなのだがこのヒステリックな上司は無駄が好みの様であった。
道理で体にも無駄な贅肉が付いているだけだ……特に胸の辺りに。



(全く…何なの?この子は……)

 由美子は何となくバカにされているような気がしてならなかった。
彼が言っている事は判る…確かにその方が早いし合理的だ…余計な経費や人件費を使わなくても済むことも理解できる……しかしながらこればかりは彼女の力ではどうしようもない……この会社の…いや、この国の古くから伝わる悪習とも言うべき体質なのだから。
 彼女だって好き好んで三課の狸親父に手柄を分け与えるような事をしてるのではないのだから……
本人も内心では理不尽に思っていることをずけずけと指摘され半ば八つ当たり的に彼に説教をしているのだ。

……と気付いたところで急に申し訳ない気持が強くなってしまった。

「…も、もういいわ……次からは気をつけて頂戴ね…」
「?…はぁ…では失礼します」

 普段ならもう少し絞られるのだが…まぁ終ったんならいいか…

「アビちゃん良かったね~」
「お…まぁな…」

 自分の席に着くと横の女性が小声で話しかけてきた…ショートヘアのー似合う大きな瞳の何処か幼さを残した同僚だ。
同期入社の西久地香苗(にしくじ かなえ)だった。
同期入社の男性陣はやたらと家柄だとか学歴だとかを気にする眼鏡が多くて理解を深める事は不可能だった……
僕はこんな性格だし……それにああいう貴族みたいな連中は前から苦手だったし……
僕だって一応大学出てるし…成績だって悪くないよ?………多分
彼らは自分達と同じエリート臭を漂わせていないとすぐに異端児みたいに扱って来るしね……実際、異端児なんだけどもね。
そんな僕と気軽にお話が出来ちゃう数少ない友人がこのかなちゃんなのだ。

「ゆみちゃんも悪い娘じゃないんだけどね…ストレスかなぁ?」
「そうか…ストレス怖いな…それと一応上司をちゃん付けで呼ぶんじゃねぇよ…」

 彼女も良い感じに異端児だが……愛嬌があるし人懐こい性格で人気者だ……
僕が世界を制した暁には本妻には向いていないが…妾には最適かも知れんな……
由美ちゃん程ではないがそこそこのいい感じに育っているしな……どこがとは言わないが。

「?なぁに?アビちゃん何かやらしい目してるぅ~何?ゆみちゃんで妄想しちゃったりしてるの?今夜のおかずだったりするの?それとも私?やだぁ~私だったらお金取るからね?」
「……取り合えず千円でいいか?」
「え…やだぁ~私なの?もうアビちゃんのえっち~でも千円とかありえないし~」

 そんな事を言いながら背中を叩くの止めろ……ほらっ…ゆみちゃんこっち睨んでるじゃん……



「ふう」

 屋上にやってきてタバコをくわえて一息ついた。

「わかっちゃいるが…疲れるんだよなあ…」

 指をこすりライターの様な仕草をするとタバコの先に火が灯り彼は煙を深く吸い込んだ。

「ゆみちゃんじゃないが…この世界はストレスが溜まりやすいのは同意するな…」

 この世界…そう、彼は転生者である。
しかしながら、今、巷で流行のファンタジーの世界への転生ではなくファンタジーの世界からの逆転生である。
最初は発展した科学と近代化社会にすこぶる興奮したが……ああ…前世が錬金術師とかなら喜んでこの世界への転生を素直に喜べただろう。
残念ながら彼の前世は魔術師だった…それも筋金入りの魔道を追及し『魔導王』とまで呼ばれる存在だった彼がこの魔道とは全く無縁のこの世界に転生してしまったのだ。
 まず彼は一般家庭の長男として転生した…物心ついたときにはすでに前世の記憶が備わっていた。
前世ではその名を知らぬものはいないであろう…『魔導王』邪悪なる魔法使いアビゴルゲイザー……
転生後は冗談にしか聞こえない名前…我孫子慶次
そんな自称邪悪な魔導師もこの国の義務教育によりすばらしい道徳心を植え付けられていた。
…に加えて両親も正義感溢れる優しい両親…
このままでは正義の味方に更生させられるのではないかと感じていた矢先に妹ができた。
 もちろん両親の意識は妹と向かう……その結果、邪悪なる魔法使いの心を宿した正義感溢れる一般市民がここに誕生した。

心の奥底では『いつかこの世界を征服してやろう!』…の計画ももはや厨二病止まり…
思春期にはあまりにかわいがる両親に嫌気がさして…

『僕の目的はこの世界を征服することだ!!』

などと口走ってしまったが…

『それじゃしっかり勉強して征服しないとね…』

などと塾に通う羽目になったりしたのは……いい思い出だ……

 そんな家族との生活はあまりにも幸福で暖かくて…以前の自分の知らないものだった
このまま成長し魔法などとは縁のないこの世界でこの家族との心温まる生活で俺の一生が終わるのだろうと思っていた。

しかしその両親も大学卒業目前で車の事故で亡くなってしまいその遺産で妹と2人で何とか生活している。
かといって資産家のわけではないので一生暮らしてゆける訳ではない為、当時中学生であったの妹のためにも慌てて卒業後は働くことにしたのだ。

 なら、さっさと世界を征服しろって?それは僕だって真っ先に考えたよ……
前世同様に僕の中の魔力はこの世界においても最高である…
はっきり言って1週間もあればこの国を制圧できる自信がある。

だったら実行しろって?…出来てたらやってるよ……

 体内の魔力はいわゆる導火線なのだ……導火線に火をつけることにより世界に漂う火薬…魔素が魔法と呼ばれる現象が引き起こすのだ。
結論から言うとのこの世界の魔素は僕とすこぶる相性が悪い…
最高に悪い……
壊滅的に悪い……
むしろ魔法は使えないと言い切っても良い位だ。
実行できるものはといえば……
先ほどのような『点火(ファイア)』などの初級の魔法と『照明(ライト)』等の生活魔法と呼ばれる前世の世界では子供でも使えるぐらいのものだ。
全ての魔法を扱えた彼であったが中級以上の魔法はどうにも成功率が低い……成功してもその効果は極めて低いのだ。
それ以前に彼の道徳心が失敗して大きな被害を出す事を嫌悪する傾向にあり魔法の使用は控えているのが現状だった。
戦略級広域攻撃用魔法などを発動する事などそれこそ厨二病と同意義だ。
偉大なる魔法使いであるこの僕がサラリーマンなど……
しかし…これもたった一人の肉親である妹の為には仕方が無い事だ……
妹の為だと思えば朝から怒られたぐらいで挫けたりはしないのだ。
家に帰れば……

『帰りお兄ちゃん』

 最愛の妹が天使の様な笑顔で出迎えてくれるのだ……その笑顔は瀕死の状態も全快させてしまう程の癒しの力を持っているのだ!
もうマジ天使!マジでスイート・ラブリーエンジェル!!
何っ?!シスコンだと!?
僕は真剣に妹のこと考えてだな……はっ!
ふふ…貴様なかなかやるな…この僕を煽って妹とお近づきになろうなど…その手には乗らんよ!!
これはプライベートなことなので余計な詮索を止めてくれたまえ!!




「あ、いたいた、アビちゃ~ん」

 入り口からかなちゃんが顔を覗かせた。
屈託の無い笑顔でかけてくる……ドリブルだ…ダブルドリブルだ……思わずトラベリングしてしまいそうなほどに激しく揺れていた……何がとは言わないが。

「どした?」
「今週末空いてる?みんなで飲み会をしようって話なんだ」
「……いや…僕はパス……ダメ」
「え~!聞いておいてダメだとか……
アビちゃん前回も来なかったでしょう?やっぱり同期の付き合いは…」
「いや…僕は人見知りが激しくてな…」
「どうして最後まで喋らしてくれないの?…嘘だよね?社長とかにも平気でおじさんとか言っちゃう癖に人見知りは無いでしょう…」
「…僕、の黒歴史に触れないでくれ…アレは本当に無関係なおじさんだと思ったんだよ」

 まあ…その度胸が買われて入社できたような所もあるのだが……

「そういう事で参加ねーじゃあまた連絡するよ~」

 それだけ言うと反転して階下に消えていった……ナイストラベリングだったな……

「……やれやれ…人付き合いが好きじゃないんだよな……」

そう言って吸い込んだ煙を天高く吹き出した。
…これはきっと前世からの影響だろう…前世の僕は自分に取り入ろうとする醜い連中に嫌気が差していた……

 無性にイライラとする自分に気付きはっとする……

「だいぶ溜まってんな……」

 いやもちろん魔力がですよ?何考えてるんですか?嫌ですね……
勿論あちらの方もご無沙汰と言えばご無沙汰ですが……今は置いといて……
 この世界の方々には馴染みが無いでしょうが…魔力と言う物はこの世界の何処にでもあるのですよ…勿論人体の中にもね…
それを魔法やら何やらで使ってやらないとどんどん溜まっちゃうんですよ………勿論体に良い筈はありませんよ……

今夜あたり発散しとくか……





 そして夜……、
最高に可愛い妹との楽しい食事と癒しのひとときを終えた僕は……何?
妹を紹介しろだと?
はっ!僕の可愛い妹をお前達のようなゴミ共に紹介なんてするかよ!!

『彼女はとても恥ずかしがり屋なのでまた今度ね』





しまった!本音の方が出てた……

まぁいいや

 時刻は深夜をまわった所だ……
妹どころかご近所さんもみんなぐっすり眠っている
勿論僕の使用した『睡眠(スリープ)』の呪文の効果なんだけどね…色々試したけどスリープも半径50mぐらいが限界らしい……
前世では都市丸ごと眠らせてやれたのに…

 我が家は庭が広い……結構広い…野球ぐらい出来るかもしんない……やらないけど。
周辺には高層マンションも無いので塀をよじ登らないと覗かれる事は無い。
おまけに結界待ってるので見られる事はまず無い。

「さて今夜もストレスを発散しますかぁ!」

 両手を広げると巨大な魔方陣が現れる……幾何学模様がびっしりと書き込まれたそれは見る者が見れば高度な技術で描かれている事が理解出来るだろう……この世界には彼以外には居ないのだが……
 
『深淵の闇をさすらう破滅をもたらす旅人よ……
そなたの旅に終わりを告げる我が声を聞け……』

僕は基本 無詠唱で魔法を行使する……
それなのに呪文を詠唱すると言う事はそれだけの巨大な魔力を有した魔法を行使するという事だ。

『我は求める…その偉大なる力にてこの大地に烙印を刻め!!』

 魔方陣がひときわ輝きそして静寂が訪れた……何も起こらなかった。

慶次はその場に膝を着いた……別に疲れた訳ではない……

「この年で……これでは本当に只の痛い奴……どこの中二病だよ……」

恥ずかしさに悶絶していた。

 彼は月に何度か体内の魔力を発散させる為にこうやって上級魔法を使用している……
まだ両親が健在だった頃から行っているのだが……
体内の魔力は消失した感覚はあるのだが、肝心の魔法効果は一度として現われた事は無かった。

「……この世界に嫌われてるのかな……」

毎回、軽く落ち込みはするが、心身ともにスッキリしているので良しとした。

「明日も仕事だ…寝るか」








NASAの本部では職員が慌しく走り回っていた。

「なぜ責任者は発見出来なかったんだ!」
「月の裏側になっており……観測できなかったのです!」

 つい先日見つかった隕石がこの地球に衝突する恐れがあったのだ。

「大統領からの返事は…?」
「まだです……どうします?公表するのですか?」
「馬鹿野郎…こんな事公表したら世界中が大パニックだ」

 責任者である マルギスは頭を掻き毟った。

「大変です!!」
「今度は何だ!!」
「隕石とは逆の方向から新たな隕石が現れました!!」
「な……なんだとー!!!」

 その速度は恐ろしく早く、あっという間に地球の横を通過すると迫りくる隕石に直撃して
両方とも跡形も無く綺麗さっぱりと宇宙の藻屑と化したのだった。

呆然とする職員……
しかしゆっくりと歓声が上がり歓喜の声で包まれた。

「まさに奇跡だ…神の御業に違いない…」

マルギスは胸で十字を切ると後ろの椅子に深く倒れるように座り込んだ……

「大至急、大統領に連絡を……人類滅亡の危機は回避されましたと……」

 人知れず地球滅亡は回避された……彼らは神の奇跡と言うだろうが…しかし残念ながら、これは人為的に起こされたものだ。
この現象の名は 『隕石召喚(メテオスウォーム)』……慶次が先ほど行った魔術である。
彼の魔術は成功していた……彼の知らない所で。
我孫子慶次……
前世では想像を絶する大魔法使いであった。
しかし、今の彼はしがないサラリーマンであると同時に、
想像を絶する程の絶望的な魔術の方向音痴だった。


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