窓辺の席の白雪姫

一樹

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窓辺の席の白雪姫

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 その日、ギリスは珈琲を飲みながら読書をしようと考えた。
 私的な理由で彼は物語の本が好きだった。
 今年、この王都にある貴族の子息が集められる学園に入学した彼の学生鞄には、実家から持ち出してきた本が常に二、三冊ほど入っていた。
 彼に与えられた寮の部屋には、備え付けられた本棚に入り切らないほどの量の本が、机や床に散乱しているほどであった。
 それらも、実家から持ってきた本である。
 加えて、学園の図書館から借りてきたものもあるのだから始末におえない。
 それでいて、物の位置と借りてきた本の返却期限は把握しているのである。

 今日は学園は休みであった。
 そのため、学園から離れた場所にある小さな喫茶店【エリュシオン】に彼は訪れた。
 入学してすぐに、良い読書する場所はないかと探していて見つけた店であった。
 落ち着いた雰囲気で、飲み物もだが料理もギリスの口に合った。
 そして、何よりもこの店の常連になってしまう出会いがあった。

(今日はいるかな)

 ドキドキと高鳴る鼓動を落ち着ける。
 深呼吸をひとつして、ギリスは店の扉を開いた。
 カランカランと、来客を知らせるベルが鳴った。
 すぐに店員が出てきて、カウンター席に案内してくれた。
 席に座りつつ、ギリスはミルクたっぷりの珈琲を注文する。
 店員がそれを受けて、厨房へと引っ込んだ。
 鞄から一冊本を取り出しながら、キョロキョロと店内を見回した。

(あ、いた)

 窓側の一番奥の席に、綺麗な銀色を見つける。
 それは、ギリスと同い年――15歳か16歳ほどの、美しい少女であった。
 夜空に煌めく星のような銀色の髪。
 同じ色をした瞳。
 肌は白く、まるで人形のようだ。
 さながら子供向けの絵本に出てくる女神のように美しい。
 彼女のテーブルには、紅茶とアップルパイがあった。
 それらを美味しそうに口に運んでいる。

 彼女はこの喫茶店の常連だった。

「…………」

 怪しまれないよう、ギリスはすぐに彼女から視線を外し、持ってきた本を開いて読み始めた。
 それは、冒険小説だった。
 弱かった主人公が世界を救う、勇者になる物語。
 ギリスとは正反対の、勇気と強さを持った少年の物語だった。

 貴族の世界では、こういった娯楽色の強い読み物は低俗として扱われている。
 そのため、そういった作品が好きなギリスには、物語について語る友もいなければ、一緒に作品を楽しんでくれる者もいなかった。
 元々内向的な性格でもあるので、同級生に自分から話しかけに行く勇気もわかなかった。
 学園の図書館には、詩集や歴史書、医学書、毒草や宝石図鑑等はある。
 明らかな作り話である小説は、無くはないのだが少なかった。
 なんなら、ギリスの父親――フランバウル男爵の所蔵している本の方が勝っているほどである。

 しばらく本の世界に没頭する。
 やがて、店員がギリスの注文した、ミルクがたっぷりと入った珈琲を運んできた。

 店員に礼を言って、また本に集中する。
 読みながら、彼は考えた。

 どうすれば、あの美しい少女と言葉を交わせるようになれるだろうか。
 正直なところ、あの少女に会いたくてギリスはこの喫茶店に通い続けている。
 しかし、言葉を交わしたことは1度もなかった。
 この店では、常連同士が言葉を交わすのは珍しいことではなかった。
 なんてことない雑談をして、笑い合い、飲み物を飲んでサヨナラをする。
 そんな客が多い店だった。
 けれど、ギリスと美しい少女【白雪姫】――雪のような白銀の姫、という意味で【白雪姫】と彼は勝手に呼んでいた――は今のところ会釈をしたことすらなかった。

 せめて、今年の長期休暇までにお近付きになりたい。
 いや、なんなら卒業までには……。

 そう考えてはいるものの、下手に声をかけて変に思われたらどうしよう。
 嫌われたらどうしよう、とそんな風にギリスは考えてしまうのだった。

 彼女も物語が好きなようで、王都の端にある国立図書館で借りてきた物を読んでいる姿を何度か見たことがあった。
 彼女は謎解きの話が、探偵小説や推理小説と呼ばれるミステリを好んで読んでいるようだった。
 今日は短編集を楽しそうに読んでいた。
 ギリスも国立図書館には何度か足を運んだが、様々な専門分野の本は多かったけれど物語の本は、父のコレクションの方が多い。
 物語の本に限ってだが、なんで国立図書館より所蔵量が多いんだ、と呆れてしまう。
 挙句のはてに、実家の決して大きくない邸では所蔵しきれず、敷地内に小さな掘っ建て小屋を建てて、そこに所蔵することになってしまった。
 父はそのことで、だいぶ母と喧嘩した。
 父としては、それこそ一軒家のような立派な建物を建てて、本棚を置き、そこにズラリと本を並べて悦に入りたかったようだ。
 男爵としての仕事もあるのに、誰が管理するんだ、と母は正論を叩きつけていた。
 長期休暇で帰省したら、もう一つ二つ小屋が増えているかもしれない。

(ホームシックかなぁ)

 本を読むのを一旦やめて、ギリスは珈琲を一口啜った。
 ミルクたっぷりの甘い珈琲が、じんわりと口の中に広がる。

「…………」

 またチラリ、と白雪姫を見た。
 彼女は、どこから取り出したのか新聞を読んでいた。
 短編集は脇に置いてある。
 彼女は新聞を読みながら、その細く白い指。
 人差し指を自分のコメカミにやって、トントンと軽く叩いていた。
 珍しい癖だな、と思った。
 しかし、そんな姿も絵画のようで美しかった。


 それから数日して、ギリスはなんと白雪姫と言葉を交わすことに成功する。

 その日は、何故か【エリュシオン】は混んでいた。
 人混みが苦手なギリスは、店に入って後悔した。
 あえて混む時間を避けてきたというのに、ほぼ満席だった。
 そこに店員がかけてきて、客が常連のギリスだとわかると、

「すみません、何故か今日は忙しくて。
 席も見ての通りで満席でして。
 相席でもよければ、ご案内できますが」

 言いつつ、店員は奥の窓辺の席を示した。
 ドキリ、と心臓が鳴った。
 そこは二人がけの席だ。
 そこに座る、先客の背中が見えた。
【白雪姫】だ。

(なんて幸運だ!)

 胸の高鳴り、興奮を表に出さないよう気をつけながら、ギリスは店員に、

「相席で構いません」

 そう言った。
 店員はホッとしたように、ギリスを白雪姫が座る席へと案内した。
 白雪姫に店員は相席のことを説明する。
 これで断られれば他の席に案内されることになるだろう。
 しかし、さらに幸運は続いて白雪姫は店員からの説明を受けたあと、ギリスを見てニコッと華が咲いたように微笑むと相席を了承してくれた。

「あ、ありがとうございます」

 テーブルを挟んで、白雪姫の向かい側に座りながら、ギリスは相席を了承してくれた礼を口にした。

「いいえ~、いいんですよ」

 のんびりと彼女は返してくる。

「時々この店に来られてますよね」

 白雪姫はギリスを見ながら、そう言ってきた。
 白雪姫の言葉に、ドギマギしながら席に案内してくれた店員にいつものミルクたっぷりの珈琲を注文した。
 店員がバタバタと去っていく。

「あ、はい」

「貴族の学生さんなのに、物語の本を読んでる珍しい方だなって思ってたんです。
 あ、すみません、不躾でしたね」

「い、いえ」

 そこで疑問が浮かぶ。

「え、どうして貴族ってわかったんですか?」

「制服ですよ。
 貴方様、すみません、貴方様のお名前は?」

 彼女は、ギリスが時折制服でこの店に来ていることを知っていた。
 その制服で、彼が学園の生徒だとわかったらしい。

「え、あ、ギリスです」

「ギリス・フランバウル様ですね」

「呼び捨てで大丈夫ですよ」

「そういうわけには」

「では、さん付けでお願いします」

「でも……」

「お願いします。
 どうにも【様付け】は慣れていなくて」

 学園でも身分は下の方だから、呼ばれる時は呼び捨てか【さん付け】のことが多いのだ。

「そうですか」

 彼女はなにか察したようで、了承してくれた。

「あ、私の名前メアリと言います」

「え、あ、はい!
 め、メアリ、さんですね」

 かなりどもりながら、ギリスは彼女の名前を口にした。
 メアリ・クラリッサ・メイプルというのが彼女の名前らしい。
 ギリスもフルネームを改めて名乗る。
 と、そこでさらに疑問が浮上する。
 ギリスは家名を名乗っていない。
 にも関わらず、どうしてわかったのだろう。

「え、どうして家名を??」

 今日は彼は私服である。
 白雪姫ことメアリはクスクス笑って、説明してくれた。

「上着のカフスボタンですよ」

 ギリスは、ハッとする。
 この店に来る時はなるべく身だしなみを整えるようにしていた。
 上着は母が入学祝いにと仕立ててくれたもので、その上着にはカフスボタンがついている。
 そう、男爵家の紋章がはいったカフスボタンだ。

「フランバウル男爵家の紋章が入ってますよね」

 王家や公爵家ならともかく、田舎貴族の紋章を記憶している者なんてそうそういない。

「人間観察が趣味なんです」

 メアリは恥ずかしそうに、耳を真っ赤にして弁明してきた。

「気持ち悪いですよね」

「い、いいえ!!
 まるで推理小説に出てくる探偵みたいで、すごいです!!
 カッコイイです!!」

 メアリの言葉に、ギリスはつい勢い込んで返してしまった。
 思ったより大きい声が出てしまった。
 店が混んでいてザワついていなければ、かなり目立っていたことだろう。
 幸い、客たちは自分たちの会話に夢中でギリス達には目すら向けていない。

「ありがとうございます」

 彼女はふんわりやわらかに、まるで春のそよ風のような優しい微笑みをギリスに向けた。

「す、すみません、女性に対してカッコイイだなんて」

 ギリスは自分の投げた言葉を謝罪する。
 しかし、メアリは気にしていなかった。
 むしろとても嬉しそうだ。

「いいえー。
 嬉しいですよ。
 人間観察もですけど、謎解きも好きなんです」

 メアリが言った時、ギリスの注文した珈琲が運ばれてきた。
 店員がテーブルに珈琲を置いて去る。
 それを見送ってから、ギリスはメアリへ言った。

「探偵小説や推理小説をよく読んでますもんね」

「あ、見られてましたか」

「僕も好きなんですよ。
 と言うか、物語は本に限らずなんでも好きです」

「へぇ!」

 二人の会話は弾んだ。
 お互い持ってきた本は読まずに、読書談義に花を咲かせる。
 ある程度盛り上がったところで、ギリスはこんなことを口にした。

「でも、幻想小説は勿論ですけど、探偵小説や推理小説のような事件は実際にはお目にかかれないですよね。
 大掛かりな仕掛けを使ったトリック、あるいは駅馬車等の時刻表を用いたトリックの事件なんて、現実にはそうあることじゃない」

 ギリスの言葉を受けて、メアリの目がキラリと光った。

「あら、そうでもないですよ?」

「というと??」

 メアリはゴソゴソと、横に置いていた鞄から新聞の切り抜きを取り出して、見せてきた。
 それは、訃報掲載欄の切り抜きだった。
 とある伯爵令嬢の葬儀等の情報が載っている。

「これは、今から一ヶ月ほど前の新聞に掲載されたものです。
 エイブル伯爵家の令嬢が病死したため、その葬儀に関するお知らせを載せたものです。
 令嬢は、ギリスさんの通う学園の二年生でした。
 しかし、春先に体調が悪化し学園に通うことが困難になって退学しました。
 その後、実家があるエイブル伯爵領で静養していましたが回復することなく亡くなったということです」

「はぁ、えっとこれが?」

 正直、本の虫である彼はあまりそういった情報が入ってこない。
 まだ入学して間もないし、わざわざそんな情報をくれる友人もいないからだ。

「この訃報掲載欄だけならなんてことは無いです。
 よくある、人が天に召されたことを知らせるだけの記事ですから」

 でも、とメアリは意味ありげにギリスを見た。
 蠱惑的な色気を纏った星屑色の瞳が、ギリスに向けられる。

「この伯爵令嬢が亡くなる前、彼女の実家のお屋敷で奇妙なことが起こっていたらしいんです」

「奇妙なこと?」

「えぇ、私の友人がこの伯爵令嬢のお屋敷でメイドとして働いているんです。
 その彼女から、令嬢が亡くなる二日ほど前に手紙が届いたんです。
 そこに書いてあったんです」

 そう前置きをして、メアリは語り出した。

「伯爵令嬢はリリ様というお名前だったらしいです。
 友人の手紙によると、リリ様はとんでもない悪霊に取り憑かれているのだ、というのです。
 それは、リリ様が結果的に死においやってしまったとある少女の悪霊だというのです」

「少女の、悪霊」

 繰り返したギリスに、メアリは頷いて続けた。

「リリ様は昨年、入学してきたとある女生徒へ厳しく教育をしていたらしいのです。

 そして、その女生徒はあまりの厳しさに心を病み、自ら命を絶ったそうです。

 その彼女の死後、リリ様の体調不良が起こりました。
 実家にて療養することになり、リリ様は伯爵領に帰りました。
 その直後から、リリ様の体調は悪化していきます。
 食べ物はそのほとんどを吐いてしまっていたらしいです。
 辛うじて、柑橘類の果物から作ったジュースなら口にできたそうです。
 時を同じくして、伯爵家の敷地内にあった花壇が荒らされるようになりました。
 なんでも、伯爵夫人が信心深い方で元々花壇の一部では魔除け用の花が植えてあったらしいのです。
 附子トリカブト等ですね。
 それを抜きにしても、園芸用として栽培されるのは珍しくないですが。
 それがグチャグチャに踏み潰され、荒らされていたのだとか」

 そこで、メアリはアイスティーで、喉を潤した。
 続ける。

「不審者でも入り込んだのか、はたまた泥棒かと大騒ぎになったらしいです。
 けれど、盗まれた物はなにもなく、また被害はその花壇だったこともあり、警備を増やすことで対応したとのことでした。
 そして、その一件から二日後に伯爵令嬢リリ様は急死したとの事です。
 死因は急性心不全とのことでした。
 リリ様には婚約者がおり、葬儀にはその婚約者も出席しました。
 ご両親よりも深く嘆き悲しんでいた、ということです。
 婚約者はすで学園を卒業し、王宮で働いていた官僚で家格はリリ様と同じ伯爵位の家だったとのことです。

 体調の悪化もあり、退学したリリ様でしたが回復したらすぐに婚礼を挙げる手筈だったとのことです。
 それは叶わない、悲しい結果になりましたけど。

 さて、リリ様にとって運命の日になった出来事を追っていきましょう。
 とは言っても、リリ様の体調は変わることなく最悪だったとのことです。
 その日も口に出来たのは、彼女の父である伯爵が取り寄せたレモンで作ったジュースとスープくらいでした。
 彼女が亡くなったのは、もう就寝しようかといった時刻でした。
 就寝前に、彼女はココアを一杯飲みたいと、控えていた最近雇ったばかりの小間使いを呼びつけ、持ってこさせました。
 小間使いに毒味をさせて、毒が入っていないことを確認すると、彼女はココアを受けとって口にしました。
 続いて水を彼女は所望しました。
 リリ様の部屋には予め水差しが用意され、すでに毒味を終えていたものだったので、メイドがグラスに注いだものを彼女は飲みました。
 その後、少しして彼女の容態が悪化しました。
 胸の痛みと吐き気といった症状が出たらしいです。
 水を飲んで、だいたい10分後だったらしいです。
 屋敷は大騒ぎとなり、すぐに主治医が呼ばれ、リリ様の死亡が確認されたとのことです。
 念の為に、彼女の口にしたものに毒が入ってなかったか、もしくはそうと知らずに毒を含む食材が使われていなかったかが調べられました」

 そこで、メアリはまたも言葉を切った。
 今度はアイスティーを口に含むことなく、真っ直ぐギリスを見つめてきた。

「結果はどうだったと思います?」

 メアリは、小さな子にクイズを出すように問いかけてきた。

「どうだったんですか?」

 ギリスは続きが気になって聞き返した。

「どこからも毒は出てきませんでした。
 彼女が飲んだジュースは、その都度作られ毒味されていました。
 スープもです。
 ココアも同様です。
 では、水でしょうか?
 しかし、水も毒味がされていたものでした。
 もしもどこかしらで毒が混入していたのなら、毒味役が先に死んでいるはずです。
 でもそうなっていません。
 そして、主治医が調べた結果、リリ様は急性心不全と診断されたのでした。
 友人は、それをリリ様のキツい当たりによって死を選んでしまった少女の悪霊の仕業だと考えてしまいました。
 リリ様が亡くなってすぐに、仕事の合間に私宛の手紙を書き、送ってきました。
 少しパニックになっているようでした」

「伯爵令嬢は呪いか祟りで死んだと、メアリさんのご友人は信じていて。
 メアリさんはそれを本気にしたんですか?」

 メアリは説明の途中だったが、ギリスは言葉を挟んだ。
 メアリは、イタズラを思いついた子供のようにニヤリとしてみせた。

「友人を落ち着かせるため、私はもう少し当時の事について教えてほしいと手紙を書きました。
 翌日に返事が来ました。
 それを読んで、いくつか情報が足りなかったので、それは私が調べました。
 そして確信しました。
 これは、殺人事件であると」

 殺人。
 その言葉に、ギリスはごくりと唾を飲んだ。
 仮にも伯爵令嬢が、急死ではなく殺されたのだとしたら大変なことになる。

「ただ、本当のことを伝えたとしても友人の中の答えは決まっていて、きっと受け入れなかったことでしょう。
 さらに、本当は殺人だったんだ、となっても厄介だったので」

「ので?」

 ギリスは先を促した。

「とりあえず、友人には高名な僧侶のいる寺院を紹介しました。
 そこでお清めをしてきたら、と手紙を書きました。
 それで友人の不安は解消されたようでした」

「……はぁ、まあご友人の心に安寧が訪れたなら良かったです。
 それはそうと、メアリさんが推理した真相とはどんなものだったのですか?」

 ギリスはさらに続きをうながした。

「……あまり、気持ちのいい話ではないですよ?」

 メアリは、苦笑を浮かべて返す。

「ここまで聞いてしまったので気になります。
 教えてもらえませんか?」

 その答えを受けて、メアリはあの指先でコメカミをトントンとする癖を見せた。
 そして、語り出した。

「わかりました。
 では、この一連の出来事を整理していきましょう。
 事の発端は、哀れな女生徒の自殺から始まります。
 リリ様が結果的に死に追いやった女生徒です。
 この女生徒には婚約者がいました。
 ただ公にはしていませんでした。
 そこには様々な事情があったらしいです。
 ただ今回の事件には関係ない部分なので省きます。

 さてこの婚約者が、リリ様を殺害する動機のある人物ということになります。
 女生徒の御家族も、容疑者候補ではありますが犯行が可能だったか、という点では除外されます。
 女生徒の家族は、喪にふくしていてリリ様が毒を盛られた日にはアリバイが成立したのです。
 動機があり、当日犯行が可能だったのは、女生徒の婚約者だけでした。

 彼は最愛の人を死に追いやったリリ様へ復讐することを決意していました。
 そのためには、まず実家に戻ったリリ様のことを調べはじめました。
 そして、体調不良の詳しい内容とその原因について彼は知りました。
 それを知ったことで、彼はリリ様を確実に殺害することを決定します。

 では最愛の人の死だけではなく、それ以上に殺意を抱いた理由とは何だったのでしょう?

 それはリリ様の懐妊でした。
 えぇ、そうです。
 リリ様は新しい命を宿していたのです」

「あぁ、なるほどだからリリ伯爵令嬢はレモンや柑橘類のジュースを飲んでたんですね。
 婚礼を急いでいた節があるなとも感じたんですが、気のせいではなかったわけだ」

 妊娠による悪阻、その症状は様々だ。
 食欲不振が酷くなる者、軽い者。
 食べ悪阻というものもある。
 油っこいものなら食べられる。
 炊いたものではなく、生のライスなら食べられる等だ。
 本当に症状は人によって様々だ。
 その中に、他のものは食べられないが、代わりに酸っぱいものが欲しくなる、という者もいる。
 そう、たとえばレモンをはじめとした柑橘類を欲するようになる。
 リリはこれだったと思われる。

「えぇ、そうです。
 自分の最愛の人はすでに彼岸に行ってしまい、愛の結晶を宿すことはない。
 それなのに、その最愛の人を奪った人物には新しい命が宿っている。
 これを彼は、見逃すことはできなかったんです。
 腹の子ともども、許さない。
 それは固い決意でした。
 そして、彼はリリ様を殺害します。
 では、リリ様の殺害はどのように行われたのか?
 外傷がなかったことから、毒殺が有力でしょう。
 では、どんな毒が使用されたのか?
 答えは、附子トリカブトです。
 花壇に植わっていた附子トリカブトをいくつか採取し、それがバレないように残りを踏み潰してグチャグチャにしたんです。
 そのトリカブトの毒を使って、彼はリリ様を殺害しました。

 トリカブトは花が咲く前だと、他の食べられる野草と見分けがつかず、誤って食べて死亡してしまうことがあるそうです。
 これは、知り合いの農家出身の友人に聞いたことです。
 その農家出身の友人の近所に住んでいた御年寄は、誤ってトリカブトを食べて死亡したらしいです。

 このトリカブトの毒は、口にすると個人差もあるとのことですが大体10分~20分ほどで症状が現れるそうです。
 手脚や口、舌などに痺れが現れたり、他にも腹痛や下痢、嘔吐等など。
 さらに呼吸不全になって死亡することもあるそうです。
 そして、トリカブトが使われたとわからない場合、あくまでそういう場合ですが。
 トリカブトの毒を盛られ、死亡した者は、急性心不全として診断されることがあるらしいです」

「毒を盛られたのはわかりました。
 じゃあ、どうやって犯人は毒を盛ったのですか?
 ジュース、スープ、ココア、水。
 伯爵令嬢が口にしたものは全て毒味済みだったんですよね。
 それにも関わらず、伯爵令嬢はトリカブトで死んだとするならいつ、どうやって犯人は令嬢に毒を飲ませたんですか?」

 ギリスが食い気味に、メアリへ訊いた。

「私の考えでは、おそらく水に入れたんでしょう」

「では、水をグラスに注いで手渡したメイドが実は協力者だったということですか?」

 メアリは首を横に振った。

「いいえ。
 この水を手渡したメイドというのは、それなりの年月、伯爵家で働いている方で、動機という点では令嬢を殺す理由が無いのです。
 伯爵令嬢によって死に追いやられた女生徒とも、関係がありませんでした。
 伯爵令嬢の部屋には、あと一人二人メイドが居たらしいですが、同様の理由で彼女達が独を盛ったわけではありません。
 さて、消去法ですがもうおわかりでしょう。
 犯人は新人の小間使いです。
 彼が、彼こそが最愛の人を奪われたがために復讐を成し遂げた犯人なのです。

 では、彼はどうやって毒を盛ったのか?

 水を飲む前、リリ様は何を飲んでいましたか?
 そう、ココアです。
 ココアをメイドを経由して渡され、リリ様はそれを飲みました。
 その間、メイド達の視線はリリ様に集中します。
 万が一にも吐いたり、咳き込んだりしないか。
 それが起きた時にすぐに動けるよう、リリ様に注意が向きます。
 その一瞬のうちに小間使いは、水差しにトリカブトの毒を入れました。
 ある種の早業殺人に入りますね、これは。
 そして、リリ様が使用したココアの入っていたカップと水を飲む時に使用したグラスを下げるよう言いつけられるのを待ちました。
 ほどなく、メイドからそれらを片付けるよう言われ、動きます。
 彼は言われた通りにしました。
 そして、彼が部屋を出た直後くらいに毒が効き始め、屋敷中がバタバタし始めます。
 そして、その騒ぎに乗じて……」

 メアリの次の言葉を予想したギリスは、口を開いた。

「犯人は逃げた?」

「いいえ、水差しを取り替えたんです。
 そのまま警察やお医者様が来て調べられたら一発でバレてしまいますから。
 あくまで、容態が悪化したことによるただの急死。
 犯人である小間使いは、こういう方向に持っていきたかったんだと思います。
 そうすれば、誰にも疑いがかからない。
 疑いがかからないというのは、自分が犯人だとバレないことに繋がります」

「……たしかに」

「そして、その目論見はなにもかも成功します。
 彼は復讐と完全犯罪を成し遂げたのでした」

 まるで物語りを語り終えたように、メアリは締めくくった。
 ギリスは、メアリがテーブルに置いた訃報欄の記事の切り抜きを見る。
 ただの文字としての情報だけが載っている、それ。
 ふと、気になったことがあったのでギリスはメアリに聞いてみた。

「小間使いはどこで、毒の知識をえたんでしょうか?」

「……おそらくは、学園かと」

 それでギリスの中で諸々が繋がった。
 基本、貴族しか通えない学園。
 伯爵令嬢によって死んだ女生徒は貴族だろう。
 その婚約者も、おそらく貴族だ。
 そして、学園の図書館に所蔵されている本の中には毒草図鑑もあったはずだ。

 何ともいえない気分で、ギリスはミルクたっぷりの珈琲をあおるのだった。
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