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(6)二人の逃避行

慰霊碑

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 道端に時折供えられた花束を目にすることがある。そこに祠や地蔵菩薩といったものがなければ、きっとそこは惨劇があったに違いない。タクシーの運転手はダッシュボードから数珠を持ち出した。彼はそこに来た理由を察していたが、敢えて聞こうとしなかった。なぜなら志桜里は杖をついていたからだ。事故から一年半が経過しても完全に足が治っていなかったので、事故の被害者であると気が付いていた様子であった。

 タクシーを降りてしばらく行ったカーブのカードレールの脇に小さな慰霊碑が置かれていた。それは事故で亡くなった志桜里のチームメイトの両親が地主の許可を得て設置したものだった。そこは実際の事故現場の手前にあった。そこは周囲の風景が一望できる場所であった。

 そこに持ってきた花束を供えると志桜里はしゃがんで祈り始めた。その表情は生き残った事を詫びるようにも、許しをこうているようにも見える悲しそうな表情をしていた。この時、なんともいえない永い沈黙が流れていた。いたまられなくなった俺は周囲の風景を見た。

 その風景は新聞やテレビで何度も見せられたものであったが、その時とは違い穏やかな雰囲気だった。春の優しい陽射しがこぼれ、木々に新緑が芽吹き、小鳥のさえずりがあたりの空気を和ませていた。しかし、それが志桜里の心に響いてはいない様子だった・・・

 「あの先の・・・大きな杉の木があるでしょ。あそこを通り過ぎた時に、取り上げたのよ彼女が持っていた本を。バスの中でバスケや勉強に関係ないのを読んではいけないといってね、それでちょっと言い合いになっていたのよ、そしたら本気で怒っていてね、そしたら・・・」

 そこまで言って志桜里は両手で顔を覆い隠した。どうも事故直前の事が去来したようだ。他のチームメイトの女子から聞いた話によれば、蛇行運転をしていたトラックに気付いた志桜里がとっさに伏せるようにと叫んだということだった。しかし、志桜里と亡くなった二人は立っていたのですぐにしゃがむことが出来ず、運転席を押しつぶした鉄骨に接触したという。その時、志桜里は辛うじて即死を免れたけど、死んでも不思議じゃない大けがを負った・・・

 志桜里はそのまま黙り込んだ。周りは春だというのに彼女の心の中はまだ真冬だった。それを改めて認識せざるを得なかった。そこで三十分ほど停車した後、再び出発して向かったさきは何事もなければ志桜里たちが向かうはずだった、宿泊施設のある村だった。その車中で志桜里の悲しそうで思いつめた顔は変わることなかったが、こんなことを口にしていた。

 「もし、あの時あんなことにならなかったら、私は今頃どこでなにをしていたんだろうね・・・あの二人も・・・」
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