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22 伊邇と咲耶
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その石の前でパンパンと柏手を打つと、サハラもそれに倣った。
「お姉さんはこの石にいるの?」
「そう。この石のそばから動きたくなさそうだったから、これを依代にして入ってもらった」
「これからどうなるの?」
「今はあんまり良くない神様だけど、ちゃんとお祀りして鎮めれば、そのうち守り神になるんじゃないかって」
「スズシロさんが言ってた?」
「そう」
あの日の翌日、イチカが「姉ちゃんに、白羽様みたいなちゃんとした神様になってほしい」と言ったら、スズシロはやり方を教えてくれた。
『鎮め鎮むる。落ち着かせる、ということ。名前を持ち、役割を持てば白羽様に付いて働くこともできるだろう。お前はそれをヒトの世界から支えなければならないぞ』
「うん」
宿命。生まれつき持っている命題。
「スズシロ、運命は変えられないの?」
『運命はいくらでも変えられる。たとえばお前がこの神社を出ても何も咎めるものはない。私は「お前の課題」と言ったが、学校の宿題と違って正解はお前が決めるんだ。決まっているのは運命ではなく、問題だけだ』
「ね。もう三年生だね。三者面談どうするの?」
「ああ。万世さんに言ってみるよ。サハラは?」
「嫌だけど、ママにちゃんと連絡しないとね……。ねえ、高校は? イチくんなら、一高行けるよね」
「高校、どうしようかなと思って。そこから万世さんに相談したくてさ。ちゃんと神事とか、神主としてのこと、習いたいなと思ってるんだ。だから高校に行かないかも知れないし」
「そっか。神主さんになるんだね」
「うん。色々考えたんだけど、そうしたいなと思った。サハラは?」
「ふふ。ねえ、咲耶って呼んで」
「……咲耶は」
ふと、目と目が合った。サハラ……咲耶の目は大きくて、つやつやと潤み、伊邇の目を見つめていた。
「私、ちゃんと勉強したいと思ってるの。できるだけ、いい高校行きたいんだ。公立でだからがんばらないといけないけど。それでね、大学で日本の神話とか、神道のこととかやりたいの。それで……」
ここに戻ってきたいの、と咲耶は続けた。
「うん」
彼女はここが好きなんだな、とわかった。そしてイチカもまた、とっくに彼女が好きだった。彼女も自分を好きならいいと思う。
「いいってこと? ここに来ても」
「うん。スズシロも喜ぶし……」
まぐわうとは、目合う。目と目を見交わして、思いを伝え合うこと。いつか彼女の目を見た時、確信が持てるといい。気持ちが通じ合っていると。
気恥ずかしくなって目を伏せる。万世さんのところで何か習うとしたら、ここを一度は出ないといけないかも知れない。咲耶だって、ここからずっと高校に通うのは難しいだろう。
それでも、何かが心を励ます。正解は自分で決めることができる。
石の横に植えられた桜の蕾が赤くなっていた。間もなく咲く。
「桜が咲きそうね」
「そうだね。あ、木花咲耶姫はさくらの語源だって話があったな……」
「そうなの?」
ふっと咲耶が伊邇の隣に並び、桜の枝を仰ぎ見たその伊邇の頬にキスをした。
「……!」
「伊邇くんは、邇邇芸命だね」
とっさに、何も言葉が浮かばなかった。咲耶は顔を真っ赤にして俯いた。
「あ、ごめん、ね。嫌だったよね」
「ん」
その紅い頬に、伊邇もキスを返した。
『ふん。一歩前進だな。奥手』
スズシロが真っ赤になって固まってしまった二人の隙間をするりと通り抜けて伊邇を見上げる。
「うるさいな、スズシロ。あっち行ってろよ」
「スズシロさん、そこにいるの? 見てたの? やだ……何て言ったの?」
「いや……ちゃんと……ちゃんとお参りしろって」
『違う。もっと押してもいい。いいか、めぐりというものは確かにあるが、逃せば次がないことだってあるんだぞ』
桜の枝の先に、何か人形のようなものが載っているなと思ってよく見ると、白羽様だった。今日は何の化粧もしていない。ただにこにこと二人を見ている。
「咲耶、あの枝の先に白羽様がいる。今日は機嫌が良さそう。とほかみえみため」
「それ、イチくんいつもお参りの時言うよね。何て言ってるの? 呪文?」
『おいイチカ、話を聞け』
「呪文?」
「呪文じゃないの? なんだろってずっと思ってたの。トーカミ?」
「ああ、呪文じゃない。神様への挨拶みたいなもの。とほかみえみため」
「とほ……覚えられない……」
「漢字で考えるとすぐ覚えるよ。あのね」
吐普加美依身多女。
私に遠く繋がる神よ、どうか微笑んでください。
遠神笑美給。
<了>
「お姉さんはこの石にいるの?」
「そう。この石のそばから動きたくなさそうだったから、これを依代にして入ってもらった」
「これからどうなるの?」
「今はあんまり良くない神様だけど、ちゃんとお祀りして鎮めれば、そのうち守り神になるんじゃないかって」
「スズシロさんが言ってた?」
「そう」
あの日の翌日、イチカが「姉ちゃんに、白羽様みたいなちゃんとした神様になってほしい」と言ったら、スズシロはやり方を教えてくれた。
『鎮め鎮むる。落ち着かせる、ということ。名前を持ち、役割を持てば白羽様に付いて働くこともできるだろう。お前はそれをヒトの世界から支えなければならないぞ』
「うん」
宿命。生まれつき持っている命題。
「スズシロ、運命は変えられないの?」
『運命はいくらでも変えられる。たとえばお前がこの神社を出ても何も咎めるものはない。私は「お前の課題」と言ったが、学校の宿題と違って正解はお前が決めるんだ。決まっているのは運命ではなく、問題だけだ』
「ね。もう三年生だね。三者面談どうするの?」
「ああ。万世さんに言ってみるよ。サハラは?」
「嫌だけど、ママにちゃんと連絡しないとね……。ねえ、高校は? イチくんなら、一高行けるよね」
「高校、どうしようかなと思って。そこから万世さんに相談したくてさ。ちゃんと神事とか、神主としてのこと、習いたいなと思ってるんだ。だから高校に行かないかも知れないし」
「そっか。神主さんになるんだね」
「うん。色々考えたんだけど、そうしたいなと思った。サハラは?」
「ふふ。ねえ、咲耶って呼んで」
「……咲耶は」
ふと、目と目が合った。サハラ……咲耶の目は大きくて、つやつやと潤み、伊邇の目を見つめていた。
「私、ちゃんと勉強したいと思ってるの。できるだけ、いい高校行きたいんだ。公立でだからがんばらないといけないけど。それでね、大学で日本の神話とか、神道のこととかやりたいの。それで……」
ここに戻ってきたいの、と咲耶は続けた。
「うん」
彼女はここが好きなんだな、とわかった。そしてイチカもまた、とっくに彼女が好きだった。彼女も自分を好きならいいと思う。
「いいってこと? ここに来ても」
「うん。スズシロも喜ぶし……」
まぐわうとは、目合う。目と目を見交わして、思いを伝え合うこと。いつか彼女の目を見た時、確信が持てるといい。気持ちが通じ合っていると。
気恥ずかしくなって目を伏せる。万世さんのところで何か習うとしたら、ここを一度は出ないといけないかも知れない。咲耶だって、ここからずっと高校に通うのは難しいだろう。
それでも、何かが心を励ます。正解は自分で決めることができる。
石の横に植えられた桜の蕾が赤くなっていた。間もなく咲く。
「桜が咲きそうね」
「そうだね。あ、木花咲耶姫はさくらの語源だって話があったな……」
「そうなの?」
ふっと咲耶が伊邇の隣に並び、桜の枝を仰ぎ見たその伊邇の頬にキスをした。
「……!」
「伊邇くんは、邇邇芸命だね」
とっさに、何も言葉が浮かばなかった。咲耶は顔を真っ赤にして俯いた。
「あ、ごめん、ね。嫌だったよね」
「ん」
その紅い頬に、伊邇もキスを返した。
『ふん。一歩前進だな。奥手』
スズシロが真っ赤になって固まってしまった二人の隙間をするりと通り抜けて伊邇を見上げる。
「うるさいな、スズシロ。あっち行ってろよ」
「スズシロさん、そこにいるの? 見てたの? やだ……何て言ったの?」
「いや……ちゃんと……ちゃんとお参りしろって」
『違う。もっと押してもいい。いいか、めぐりというものは確かにあるが、逃せば次がないことだってあるんだぞ』
桜の枝の先に、何か人形のようなものが載っているなと思ってよく見ると、白羽様だった。今日は何の化粧もしていない。ただにこにこと二人を見ている。
「咲耶、あの枝の先に白羽様がいる。今日は機嫌が良さそう。とほかみえみため」
「それ、イチくんいつもお参りの時言うよね。何て言ってるの? 呪文?」
『おいイチカ、話を聞け』
「呪文?」
「呪文じゃないの? なんだろってずっと思ってたの。トーカミ?」
「ああ、呪文じゃない。神様への挨拶みたいなもの。とほかみえみため」
「とほ……覚えられない……」
「漢字で考えるとすぐ覚えるよ。あのね」
吐普加美依身多女。
私に遠く繋がる神よ、どうか微笑んでください。
遠神笑美給。
<了>
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