18 / 22
18 蛹と羽化
しおりを挟む
「サハラ、逃げて」
直感的に、よくない感じがした。
「え?」
ずるりと出て来たのは、髪の長い女だった。蛇のように、のたうつように、姉の胸から姉の中に入っていく。サハラには見えていない。
ずるん
真っ白な爪先まで、姉の中に。ばちんと現実的な音がして、電気が落ちた。
「きゃっ」
サハラが驚いて叫ぶ。闇の中に、ぽうとじいちゃんの霊璽が光って辺りを照らしている。その霊璽からの光を頼りに、イチカは壁に付いていた非常用の懐中電灯を彼女に手渡した。
「これを、持って。この家を出て」
「え? でも」
「いいから。俺のことは気にしないで。こっちを照らさないでね」
こっちを照らしたら、彼女にも見えてしまう。
姉の遺体が、半身を起こしていた。
『ふふ』
しんとした部屋の中に、女の声が響いた。
『ふふふふほほほほほほほ』
「サハラ。行って」
「誰かいるよね? イチくん」
がたがたとテーブルの上の急須や茶碗が揺れる。ピシリ、パシッと家鳴りの音がする。カシャカシャと、ビニール袋を握り込むような音。サハラが思わず、布団に手を向けた。懐中電灯の明かりが舐めるように白い上掛けを照らし、満面の笑みの姉の顔を浮かび上がらせる。
「いやっ」
パパっと懐中電灯の明かりが点滅し、また消える。霊璽からの光しかなくなる。つまり、サハラには何も見えなくなる。
「今、お姉さん……」
「あれは姉じゃない」
サハラの手を取る。たぶん何かが姉に乗り移ってしまったんだ。障子一枚で隔たった玄関からサハラを突き飛ばすように締め出した。鍵を内側からかける。
「イチくん! イチくん!」
「サハラ、大丈夫だから! 家に、神社に戻って!」
みし、と何かが畳の上を歩く音がする。何が取り憑いた? サハラに見えないなら、神様に近い何かの依代になってしまったんだ。何か別なものを依代にしなければ。鏡? 小太刀があった。あれではだめだろうか。姉のための霊璽があるかも知れない……。
『うふふふふふふふふほほほほほはほほほほほ』
怖い。
そもそも神様はどんなものでも穢れを嫌う。あのヤマノケが、たかが縄一本を越えられなかったように。それなのになぜ最たる穢れである遺体を依代にできるのか。まだ神様じゃないんだ。でもサハラに見えるほど弱くもない……遺体を動かせるくらいに、強い。
振り返ると、姉が立ち上がって笑っていた。
『うふふふやっとやっとやっとやっとほほほほほほほほほ』
「姉ちゃんから出て行け!」
思わず叫んだ。
『うるさい、伊邇』
ぞっとするような野太い声が響いた。
『お前が、お前さえいなければ! お前に神など見えなければ!』
ずんと姉が足を踏みしめた。姉の体からうぞうぞと黒いもやが出てきてはその白い神衣の上を這い回っていく。
『神々よ、私を見よ! 私を! 私は神になるの! おほほほほほほほほほほほほほ』
どうすれば。
「か……かけまくも…畏き」
テーブルがふわと空中に持ち上がり、降ってくる。慌てて避ける。神様か……。
「い、いざなぎの大神……つくしの」
今度は急須と茶碗が飛んでくる。髪がいつの間にか部屋中を覆っている。サハラが言っていた通り……。
「姉ちゃん!」
姉ちゃん………。
「どうしてだ! なんでそんなもんになった!」
『いつもお前ばかりのうのうとして! 私が私が私があんなに苦しんで苦しん苦しんでいたのに』
ぐっと息が詰まる。あれは姉ちゃんだ……。乗り移った何かじゃない。
仕方なくそれを受け入れた瞬間、何もかもが頭の中で繋がった。
サハラが言っていた、病室の、ずっと姉の胸の上に座っていた女は、姉の霊だったんだ。もう動かない体から抜け出た魂。そしてそれは、サハラにも見えるただの霊魂だったのに、どんどん力を貯めて、神に近くなって行った。サハラに見えなくなって俺に見えるようになったのはそのせいだ。
『憎い憎い憎い憎い憎いお前がおまえお前がお前が何故お前だけがお前だけが』
ふつふつと。三年もかけて、魂は神に近い何かになった。
うじゃうじゃと髪が蠢く。あっと思ったときには、手足に絡みついていた。
『死ね! 伊邇! お前の御霊を食らって私は強い神になるのだ』
みしりと首に髪が這い上がってくる。苦しい……何か、何かできないか……
「ひと ふた みい……よ」
『やめろ』
──姉ちゃんがこれだけ俺に干渉できるなら、俺もできるはずだ。
力任せに首元の髪を引きちぎる。ぶちぶちと音を立てて髪が切れる。でもまた新たに絡みついてみちみちと首を絞める。
「いつ む なな や ここの たり」
足を動かす。髪が千切れる。また巻きつく。きりがない。
──なんで、なんで俺を殺したいんだ……。
立っていられない。倒れ込む。何か柔らかい冷たい物が下にある。姉の寝ていた布団だとわかる。
「ぐ……」
顔にも、身体中に髪の毛が絡む。蜘蛛に絡め取られた虫のように、ぐるぐる巻きにされている。
「ふるへ ゆらゆらと……」
目にも髪が入って、目を開けていられない。何か。何か……ないか。
力を振り絞って腕を伸ばす。何かが指先に触れる。何でもいい、とにかく姉の依代になるもの。あの体に入ったままだから、より悪くなっている気がする。奇跡が起きて欲しい。身をよじる。夢中で握ったそれを、姉の方に向けた。
なんと、この祝詞を唱えれば、死んだ人さえ蘇ったと………
「………ふるへ」
髪の隙間でなんとか目を開き、姉を見た瞬間、ぱっと強い光が部屋の中を照らした。眩しい……細めた目の中に、たしかに懐かしいじいちゃんの背中が見えた。
『いやだ! やめろ!』
断末魔のような声が響いた。その光は、姉を包むように、縛り付けるように捉えると、そのまま同化して伊邇が姉に向けていた何かの中に吸い込まれてしまった。伊邇は自分が、祖父の霊璽を姉に向けていたことに初めて気がついた。
辺りは暗闇になった。
「…………」
何が起こったのか。
あれだけ、身体中に絡みつき、縛り上げていた髪の毛が気づけばなくなっていた。感触だけが残っている。ふと気づくと、ドンドンドンと、玄関の戸を誰かが叩いている音がする。手探りで、何度も何かにぶつかりながら玄関の鍵を開けると、泣きそうなサハラが立っていた。
「イチくん!」
「サ……ハラ……」
サハラの後ろにスズシロが見えた。ほっとした。
直感的に、よくない感じがした。
「え?」
ずるりと出て来たのは、髪の長い女だった。蛇のように、のたうつように、姉の胸から姉の中に入っていく。サハラには見えていない。
ずるん
真っ白な爪先まで、姉の中に。ばちんと現実的な音がして、電気が落ちた。
「きゃっ」
サハラが驚いて叫ぶ。闇の中に、ぽうとじいちゃんの霊璽が光って辺りを照らしている。その霊璽からの光を頼りに、イチカは壁に付いていた非常用の懐中電灯を彼女に手渡した。
「これを、持って。この家を出て」
「え? でも」
「いいから。俺のことは気にしないで。こっちを照らさないでね」
こっちを照らしたら、彼女にも見えてしまう。
姉の遺体が、半身を起こしていた。
『ふふ』
しんとした部屋の中に、女の声が響いた。
『ふふふふほほほほほほほ』
「サハラ。行って」
「誰かいるよね? イチくん」
がたがたとテーブルの上の急須や茶碗が揺れる。ピシリ、パシッと家鳴りの音がする。カシャカシャと、ビニール袋を握り込むような音。サハラが思わず、布団に手を向けた。懐中電灯の明かりが舐めるように白い上掛けを照らし、満面の笑みの姉の顔を浮かび上がらせる。
「いやっ」
パパっと懐中電灯の明かりが点滅し、また消える。霊璽からの光しかなくなる。つまり、サハラには何も見えなくなる。
「今、お姉さん……」
「あれは姉じゃない」
サハラの手を取る。たぶん何かが姉に乗り移ってしまったんだ。障子一枚で隔たった玄関からサハラを突き飛ばすように締め出した。鍵を内側からかける。
「イチくん! イチくん!」
「サハラ、大丈夫だから! 家に、神社に戻って!」
みし、と何かが畳の上を歩く音がする。何が取り憑いた? サハラに見えないなら、神様に近い何かの依代になってしまったんだ。何か別なものを依代にしなければ。鏡? 小太刀があった。あれではだめだろうか。姉のための霊璽があるかも知れない……。
『うふふふふふふふふほほほほほはほほほほほ』
怖い。
そもそも神様はどんなものでも穢れを嫌う。あのヤマノケが、たかが縄一本を越えられなかったように。それなのになぜ最たる穢れである遺体を依代にできるのか。まだ神様じゃないんだ。でもサハラに見えるほど弱くもない……遺体を動かせるくらいに、強い。
振り返ると、姉が立ち上がって笑っていた。
『うふふふやっとやっとやっとやっとほほほほほほほほほ』
「姉ちゃんから出て行け!」
思わず叫んだ。
『うるさい、伊邇』
ぞっとするような野太い声が響いた。
『お前が、お前さえいなければ! お前に神など見えなければ!』
ずんと姉が足を踏みしめた。姉の体からうぞうぞと黒いもやが出てきてはその白い神衣の上を這い回っていく。
『神々よ、私を見よ! 私を! 私は神になるの! おほほほほほほほほほほほほほ』
どうすれば。
「か……かけまくも…畏き」
テーブルがふわと空中に持ち上がり、降ってくる。慌てて避ける。神様か……。
「い、いざなぎの大神……つくしの」
今度は急須と茶碗が飛んでくる。髪がいつの間にか部屋中を覆っている。サハラが言っていた通り……。
「姉ちゃん!」
姉ちゃん………。
「どうしてだ! なんでそんなもんになった!」
『いつもお前ばかりのうのうとして! 私が私が私があんなに苦しんで苦しん苦しんでいたのに』
ぐっと息が詰まる。あれは姉ちゃんだ……。乗り移った何かじゃない。
仕方なくそれを受け入れた瞬間、何もかもが頭の中で繋がった。
サハラが言っていた、病室の、ずっと姉の胸の上に座っていた女は、姉の霊だったんだ。もう動かない体から抜け出た魂。そしてそれは、サハラにも見えるただの霊魂だったのに、どんどん力を貯めて、神に近くなって行った。サハラに見えなくなって俺に見えるようになったのはそのせいだ。
『憎い憎い憎い憎い憎いお前がおまえお前がお前が何故お前だけがお前だけが』
ふつふつと。三年もかけて、魂は神に近い何かになった。
うじゃうじゃと髪が蠢く。あっと思ったときには、手足に絡みついていた。
『死ね! 伊邇! お前の御霊を食らって私は強い神になるのだ』
みしりと首に髪が這い上がってくる。苦しい……何か、何かできないか……
「ひと ふた みい……よ」
『やめろ』
──姉ちゃんがこれだけ俺に干渉できるなら、俺もできるはずだ。
力任せに首元の髪を引きちぎる。ぶちぶちと音を立てて髪が切れる。でもまた新たに絡みついてみちみちと首を絞める。
「いつ む なな や ここの たり」
足を動かす。髪が千切れる。また巻きつく。きりがない。
──なんで、なんで俺を殺したいんだ……。
立っていられない。倒れ込む。何か柔らかい冷たい物が下にある。姉の寝ていた布団だとわかる。
「ぐ……」
顔にも、身体中に髪の毛が絡む。蜘蛛に絡め取られた虫のように、ぐるぐる巻きにされている。
「ふるへ ゆらゆらと……」
目にも髪が入って、目を開けていられない。何か。何か……ないか。
力を振り絞って腕を伸ばす。何かが指先に触れる。何でもいい、とにかく姉の依代になるもの。あの体に入ったままだから、より悪くなっている気がする。奇跡が起きて欲しい。身をよじる。夢中で握ったそれを、姉の方に向けた。
なんと、この祝詞を唱えれば、死んだ人さえ蘇ったと………
「………ふるへ」
髪の隙間でなんとか目を開き、姉を見た瞬間、ぱっと強い光が部屋の中を照らした。眩しい……細めた目の中に、たしかに懐かしいじいちゃんの背中が見えた。
『いやだ! やめろ!』
断末魔のような声が響いた。その光は、姉を包むように、縛り付けるように捉えると、そのまま同化して伊邇が姉に向けていた何かの中に吸い込まれてしまった。伊邇は自分が、祖父の霊璽を姉に向けていたことに初めて気がついた。
辺りは暗闇になった。
「…………」
何が起こったのか。
あれだけ、身体中に絡みつき、縛り上げていた髪の毛が気づけばなくなっていた。感触だけが残っている。ふと気づくと、ドンドンドンと、玄関の戸を誰かが叩いている音がする。手探りで、何度も何かにぶつかりながら玄関の鍵を開けると、泣きそうなサハラが立っていた。
「イチくん!」
「サ……ハラ……」
サハラの後ろにスズシロが見えた。ほっとした。
0
お気に入りに追加
33
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
クラスメイトの美少女と無人島に流された件
桜井正宗
青春
修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。
高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。
どうやら、漂流して流されていたようだった。
帰ろうにも島は『無人島』。
しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。
男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
赤い部屋
山根利広
ホラー
YouTubeの動画広告の中に、「決してスキップしてはいけない」広告があるという。
真っ赤な背景に「あなたは好きですか?」と書かれたその広告をスキップすると、死ぬと言われている。
東京都内のある高校でも、「赤い部屋」の噂がひとり歩きしていた。
そんな中、2年生の天根凛花は「赤い部屋」の内容が自分のみた夢の内容そっくりであることに気づく。
が、クラスメイトの黒河内莉子は、噂話を一蹴し、誰かの作り話だと言う。
だが、「呪い」は実在した。
「赤い部屋」の手によって残酷な死に方をする犠牲者が、続々現れる。
凛花と莉子は、死の連鎖に歯止めをかけるため、「解決策」を見出そうとする。
そんな中、凛花のスマートフォンにも「あなたは好きですか?」という広告が表示されてしまう。
「赤い部屋」から逃れる方法はあるのか?
誰がこの「呪い」を生み出したのか?
そして彼らはなぜ、呪われたのか?
徐々に明かされる「赤い部屋」の真相。
その先にふたりが見たものは——。
【⁉】意味がわかると怖い話【解説あり】
絢郷水沙
ホラー
普通に読めばそうでもないけど、よく考えてみたらゾクッとする、そんな怖い話です。基本1ページ完結。
下にスクロールするとヒントと解説があります。何が怖いのか、ぜひ推理しながら読み進めてみてください。
※全話オリジナル作品です。

死界、白黒の心霊写真にて
天倉永久
ホラー
暑い夏の日。一条夏美は気味の悪い商店街にいた。フラフラと立ち寄った古本屋で奇妙な本に挟まれた白黒の心霊写真を見つける……
夏美は心霊写真に写る黒髪の少女に恋心を抱いたのかもしれない……
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる