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17 死とおにぎり
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姉の心臓がついに止まったと連絡が来たのは、12月の頭だった。
まあそうだろうな、と思っていた。死神はその顔を覆った黒い布に、「喪」と書いてあることまで読めるくらいはっきり見えていたし、姉のベッドの上にも何か、黒い塊が見えて来ていた。
イチカにそれが見えるのに反比例してサハラには何も見えなくなって、一緒に来てくれるようになっていた。
ちょうど放課後、姉の家に行こうと準備をしているときに病院から連絡があって、二人で駆けつけると、お医者さんが一生懸命、姉の胸を押して心電図を動かしているところだった。
でもイチカにもわかった。イチカが来るまで、ただそれが動いていることを見せてくれようとしているだけだと。
看護師さんが「いらっしゃいました」とお医者さんに耳打ちすると、お医者さんは息を切らして、手を止めた。もちろん、心電図も止まった。
「……ありがとうございました」
「ご臨終です」
これからどうすればいいのか、スズシロも来られないからわからなくて、万世さんに電話をかけた。万世さんはあの事務員みたいなおばさんと、今回は弟子みたいな若い男の人と来てくれて、姉の遺体を運ぶ手筈を整えてくれた。
ただ、イチカの家は神社の敷地にあるから、穢れである遺体を入れることができない。これはじいちゃんの神葬祭の時もそうだった。急いで近所の祭儀場の小部屋を借りた。
そしてサハラとそれぞれに、とりあえず家に戻ってやらないといけないことをやった。サハラがいつも通りの掃除や家事を一手にやる一方で、イチカは学校に忌引きを取ることを連絡して、御霊舎に神棚封じの白い紙を貼る。スズシロや白羽様にもお知らせしなければならない。
ふと、紙を張っていてじいちゃんの霊璽が光っていることに気がついた。この間イチカが作ったお札みたい。そう、霊璽は神となった御霊が入っているのだから、イチカにそれが見えても不思議ではない。でも今までは光ったりしていなかった。どうして?
なんとなく、じいちゃんも姉ちゃんにお別れしたいのかなと思った。喪服にする制服と一緒に霊璽を包み、家のことはサハラに任せて、葬儀場に行くことにした。家を出るときに社殿に寄る。柏手を打つ。
すっと白羽様が目の前に立った。
白羽様……。
「姉が、死にました。だから、もういいです……」
だから、もう姉のために何かしてくださらなくていいです。
白羽様は何も言わなかった。スズシロが隣に来て、バス停まで一緒に歩いてくれた。
『気をしっかり持てよ。私もそばにいるから』
いつも厳しいスズシロにしては、優しかった。
「うん」
バスに乗る。冬至間近の日はとっぷりと暮れていて、バスのライトの中に白いスズシロの背が見えた。
そう家から離れていない葬儀場に着く。小さな別館に入ると、万世さんのところのあのおばさんが姉の遺体を整えてくれていた。祭壇が組まれただけの、普通の客間みたいな部屋だ。大きめのテーブル、座布団、茶櫃。
部屋の奥の扉からダイニングキッチンと、布団も引けるリビングに抜けることができ、その部屋の隣にトイレもバスルームもある。
普通の家と違うのは、遺体を入れるためなのか、弔問を楽にするためなのか、大きく開く磨りガラスの障子一枚でしか玄関と区切られていないことだけ。
「通夜祭は明日。遷霊祭も一緒に夜やります」
「はい。ありがとうございます」
あの死神がいない。不思議な感じがした。霊璽に体から魂を移動させる遷霊祭が明日ということは、まだ姉の御霊は体にあるということだ。てっきり死神はそれを見届ける人だと思っていた。
その代わり、姉の胸の上にあった黒いもやは、かなり黒々と渦を巻くようになっていた。これはなんだろう?
「すみません、私もずっとついているわけにはいかなくて……どなたか、他にいらっしゃいますか?」
「大丈夫です。本当に、ありがとうございました」
スズシロがいるはずだった。それに、姉と二人になるのも久々だった。まあ、血の繋がった姉じゃなかったわけだけど。
おばさんが申し訳なさそうに何度も頭を下げながら帰った。そっと姉の顔を見る。何のチューブも付いていない顔を見るのは本当に久しぶりだ。美少女霊能力者か。たしかに可愛らしい顔をしている。
姉ちゃんの親はどうしているんだろうか。連絡先もわからない。万世さんがなんとかしてくれるのか? 本来なら、こうして亡くなった枕元で番をするのは、血の繋がった親のはずなのに。
「あ、姉ちゃん。そういえば連れて来たよ。姉ちゃんのじいちゃん」
じいちゃんの霊璽を出して隣に置く。神道では、じいちゃんは神様になってこの霊璽を依代にしていることになっている。この光はもしかしたら、神様になったじいちゃんの神威なのかもしれない。
「ほんとはだめだよなあ。神様になった人を、死んだ人のところに連れてくるなんて。でもさ……」
他に誰もいなくてさあ。
そのとき、ピンポンとインターフォンが鳴った。びっくりしたけど、姉の親かな? とも思って戸を開けた。
「イチくん」
サハラとスズシロがいた。
「サハラ! ス……」
スズシロ、と言い掛けて飲み込んだ。サハラは家にあった重箱に、たくさんおにぎりを作って来てくれていた。
「夕飯、食べられなかったでしょ。一人で、何作ろっかなって思ってたんだけど、だったらお弁当にしてイチくんと食べよと思って」
思わず、笑ってしまった。嬉しくて。サハラも釣られたように笑った。
『おい。ここにしめ縄を張れ。万世は何をやってるんだ。死は穢れなので私は中に入れない。何かあったら飛び出してこいよ』
スズシロが外から言った。何かあったら? 不吉なことを言われた気がする。とりあえずサハラとお弁当を食べる。
「うま」
「よかった」
姉の遺体が横たわった部屋の隣の部屋で、お茶を飲みながらおにぎりを食べる。非現実的だ。
「あとで、お姉さんのお顔を見てもいい?」
「うん。きれいだったよ」
「怖がってごめんなさいって」
「はは。仕方ないよ。怖かったんだろ」
今は怖くないみたいだ。じゃあやっぱりあの姉の黒い何かは、死んだときに出る神様関連の何かなんだろう。じいちゃんの時にもしもう数えで15になっていたら、同じように何か見えたのかもしれないな、とイチカはぼんやり思った。
食べ終わってからしめ縄に出来そうなものを探すが、そういうものはない。どうしても張るものなんだろうか。ちょっと玄関から顔を出すと、まるで狛犬みたいにスズシロがこちらに背を向けて座っていた。
「おーい」
控えめに呼ぶ。スズシロが振り向く。
「しめ縄にできそうなのがないんだよ。明日でいい?」
『まあ、いいが邪魔が入るかもしれんぞ。覚悟しておけ』
「………」
どうもスズシロがすごく不穏なことばかり言う。いや、じいちゃんの時は自分に見えも聞こえもしなかっただけで、実はこれぐらいスズシロとしては気を揉んでいたのかもしれない。
姉ちゃんがいる部屋に戻ると、サハラが姉の顔を見ていた。
「穏やかだね」
「まあ、眠ったまま死んだからね」
「どうして扇を持つの?」
「神道だと、死んだ人は神様になるから、神様と同じ格好をするんだ」
「そっかあ」
それで私にも見えないんだね、もしかしたら、イチくんのお姉さんの幽霊が見えるかも知れないと思ったの。
そのサハラの言葉に、なんとなく違和感を感じた。
姉ちゃんは、まだ神様になっていないはずだ。だから、サハラに見えないのはどうしてだ?
ぱりぱりぱり、と何かが裂けるような音がした。
「何? この音」
「え? 何か聞こえる?」
さなぎ。さなぎみたいなの。
ぱりぱりぱりぱり
何か別なものになろうとしているの。
目を上げると、姉の上にあった黒いものがひび割れて、中から何か出てきた。
まあそうだろうな、と思っていた。死神はその顔を覆った黒い布に、「喪」と書いてあることまで読めるくらいはっきり見えていたし、姉のベッドの上にも何か、黒い塊が見えて来ていた。
イチカにそれが見えるのに反比例してサハラには何も見えなくなって、一緒に来てくれるようになっていた。
ちょうど放課後、姉の家に行こうと準備をしているときに病院から連絡があって、二人で駆けつけると、お医者さんが一生懸命、姉の胸を押して心電図を動かしているところだった。
でもイチカにもわかった。イチカが来るまで、ただそれが動いていることを見せてくれようとしているだけだと。
看護師さんが「いらっしゃいました」とお医者さんに耳打ちすると、お医者さんは息を切らして、手を止めた。もちろん、心電図も止まった。
「……ありがとうございました」
「ご臨終です」
これからどうすればいいのか、スズシロも来られないからわからなくて、万世さんに電話をかけた。万世さんはあの事務員みたいなおばさんと、今回は弟子みたいな若い男の人と来てくれて、姉の遺体を運ぶ手筈を整えてくれた。
ただ、イチカの家は神社の敷地にあるから、穢れである遺体を入れることができない。これはじいちゃんの神葬祭の時もそうだった。急いで近所の祭儀場の小部屋を借りた。
そしてサハラとそれぞれに、とりあえず家に戻ってやらないといけないことをやった。サハラがいつも通りの掃除や家事を一手にやる一方で、イチカは学校に忌引きを取ることを連絡して、御霊舎に神棚封じの白い紙を貼る。スズシロや白羽様にもお知らせしなければならない。
ふと、紙を張っていてじいちゃんの霊璽が光っていることに気がついた。この間イチカが作ったお札みたい。そう、霊璽は神となった御霊が入っているのだから、イチカにそれが見えても不思議ではない。でも今までは光ったりしていなかった。どうして?
なんとなく、じいちゃんも姉ちゃんにお別れしたいのかなと思った。喪服にする制服と一緒に霊璽を包み、家のことはサハラに任せて、葬儀場に行くことにした。家を出るときに社殿に寄る。柏手を打つ。
すっと白羽様が目の前に立った。
白羽様……。
「姉が、死にました。だから、もういいです……」
だから、もう姉のために何かしてくださらなくていいです。
白羽様は何も言わなかった。スズシロが隣に来て、バス停まで一緒に歩いてくれた。
『気をしっかり持てよ。私もそばにいるから』
いつも厳しいスズシロにしては、優しかった。
「うん」
バスに乗る。冬至間近の日はとっぷりと暮れていて、バスのライトの中に白いスズシロの背が見えた。
そう家から離れていない葬儀場に着く。小さな別館に入ると、万世さんのところのあのおばさんが姉の遺体を整えてくれていた。祭壇が組まれただけの、普通の客間みたいな部屋だ。大きめのテーブル、座布団、茶櫃。
部屋の奥の扉からダイニングキッチンと、布団も引けるリビングに抜けることができ、その部屋の隣にトイレもバスルームもある。
普通の家と違うのは、遺体を入れるためなのか、弔問を楽にするためなのか、大きく開く磨りガラスの障子一枚でしか玄関と区切られていないことだけ。
「通夜祭は明日。遷霊祭も一緒に夜やります」
「はい。ありがとうございます」
あの死神がいない。不思議な感じがした。霊璽に体から魂を移動させる遷霊祭が明日ということは、まだ姉の御霊は体にあるということだ。てっきり死神はそれを見届ける人だと思っていた。
その代わり、姉の胸の上にあった黒いもやは、かなり黒々と渦を巻くようになっていた。これはなんだろう?
「すみません、私もずっとついているわけにはいかなくて……どなたか、他にいらっしゃいますか?」
「大丈夫です。本当に、ありがとうございました」
スズシロがいるはずだった。それに、姉と二人になるのも久々だった。まあ、血の繋がった姉じゃなかったわけだけど。
おばさんが申し訳なさそうに何度も頭を下げながら帰った。そっと姉の顔を見る。何のチューブも付いていない顔を見るのは本当に久しぶりだ。美少女霊能力者か。たしかに可愛らしい顔をしている。
姉ちゃんの親はどうしているんだろうか。連絡先もわからない。万世さんがなんとかしてくれるのか? 本来なら、こうして亡くなった枕元で番をするのは、血の繋がった親のはずなのに。
「あ、姉ちゃん。そういえば連れて来たよ。姉ちゃんのじいちゃん」
じいちゃんの霊璽を出して隣に置く。神道では、じいちゃんは神様になってこの霊璽を依代にしていることになっている。この光はもしかしたら、神様になったじいちゃんの神威なのかもしれない。
「ほんとはだめだよなあ。神様になった人を、死んだ人のところに連れてくるなんて。でもさ……」
他に誰もいなくてさあ。
そのとき、ピンポンとインターフォンが鳴った。びっくりしたけど、姉の親かな? とも思って戸を開けた。
「イチくん」
サハラとスズシロがいた。
「サハラ! ス……」
スズシロ、と言い掛けて飲み込んだ。サハラは家にあった重箱に、たくさんおにぎりを作って来てくれていた。
「夕飯、食べられなかったでしょ。一人で、何作ろっかなって思ってたんだけど、だったらお弁当にしてイチくんと食べよと思って」
思わず、笑ってしまった。嬉しくて。サハラも釣られたように笑った。
『おい。ここにしめ縄を張れ。万世は何をやってるんだ。死は穢れなので私は中に入れない。何かあったら飛び出してこいよ』
スズシロが外から言った。何かあったら? 不吉なことを言われた気がする。とりあえずサハラとお弁当を食べる。
「うま」
「よかった」
姉の遺体が横たわった部屋の隣の部屋で、お茶を飲みながらおにぎりを食べる。非現実的だ。
「あとで、お姉さんのお顔を見てもいい?」
「うん。きれいだったよ」
「怖がってごめんなさいって」
「はは。仕方ないよ。怖かったんだろ」
今は怖くないみたいだ。じゃあやっぱりあの姉の黒い何かは、死んだときに出る神様関連の何かなんだろう。じいちゃんの時にもしもう数えで15になっていたら、同じように何か見えたのかもしれないな、とイチカはぼんやり思った。
食べ終わってからしめ縄に出来そうなものを探すが、そういうものはない。どうしても張るものなんだろうか。ちょっと玄関から顔を出すと、まるで狛犬みたいにスズシロがこちらに背を向けて座っていた。
「おーい」
控えめに呼ぶ。スズシロが振り向く。
「しめ縄にできそうなのがないんだよ。明日でいい?」
『まあ、いいが邪魔が入るかもしれんぞ。覚悟しておけ』
「………」
どうもスズシロがすごく不穏なことばかり言う。いや、じいちゃんの時は自分に見えも聞こえもしなかっただけで、実はこれぐらいスズシロとしては気を揉んでいたのかもしれない。
姉ちゃんがいる部屋に戻ると、サハラが姉の顔を見ていた。
「穏やかだね」
「まあ、眠ったまま死んだからね」
「どうして扇を持つの?」
「神道だと、死んだ人は神様になるから、神様と同じ格好をするんだ」
「そっかあ」
それで私にも見えないんだね、もしかしたら、イチくんのお姉さんの幽霊が見えるかも知れないと思ったの。
そのサハラの言葉に、なんとなく違和感を感じた。
姉ちゃんは、まだ神様になっていないはずだ。だから、サハラに見えないのはどうしてだ?
ぱりぱりぱり、と何かが裂けるような音がした。
「何? この音」
「え? 何か聞こえる?」
さなぎ。さなぎみたいなの。
ぱりぱりぱりぱり
何か別なものになろうとしているの。
目を上げると、姉の上にあった黒いものがひび割れて、中から何か出てきた。
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