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14 神様憑きと神様

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『だめだ。そこは白羽様の神域ではない。私は行かない』
「えぇ……」

 スズシロは秒で断ってきた。一刀両断だった。

『あの札で消えなかったならお前の手に負えるものでもない。連れてきてお祓いしてみて、それでもだめならもうほうっておくだけだ』
「えええ……てか、お祓いってシステムなんだろ? だめってあるの?」
『システムの処理範囲を超えるということは往々にしてあるだろう。例えば一升瓶には一升の水までしか入らない』
「はあ」
『神社に祀られている神の力が強ければ神界の扉は大きく開き、吸い取る力も強い。弱ければその逆だ』
「白羽様は?」
『氏神としては強い方だ。昭衛しょうえいが真面目にやっていたのでな』
「はあ。じゃあ、なに、ほっとくしかないってこと?」
『そういうことだ。死神が立っているのだろう? 間もなくここに御霊みたまが返ってくるのだから何もする必要はない』
「その、幽霊の方は関係ないってこと?」
『病院についたもろもろが、空になった体に入りたくて寄って来ているだけかも知れんしな。見える者の体はやつらには便利なようだ』
「いや、そんなのやだよ! 変な幽霊に姉ちゃんの体を乗っ取られたくないよ」
『大丈夫だ。死神が来ているということは、間違いなくスイの体には瑞の魂が入ったままだと言うことだ。もう体に御霊がいなければ死神は迎えになど来ない。本当に空になった体を動かすほど強いものはまずいない』
「……」

 こんなにバッサリ切られると思っていなかった。そもそも、スズシロはスイに冷たい印象がある。どうしてなんだろうか。


 そんな中でも、お祓いの仕事はちょこちょこと来続けた。最近ではサハラにお祓いが終わった後、どんなのが憑いていたのか聞いてみるようになっていた。サハラの方から話してくれることもあった。

「今日は憑いてなかったと思うな」
「何も?」
「そう。だからたぶん、気持ちの問題なのかなって」

 サハラに確かめてみると、だいたい半分くらいは何も憑いてないことがわかった。でもみんな、お祓いを終えるとそれなりにすっきりした顔で帰っていく。

「不思議だ」
『不思議じゃない。大祓の祝詞は、別に除霊するための祝詞ではない。禍事、穢れ、あらゆる『まつわること』を祓う。それが霊や呪いなのか、現実世界の悩みなのかは問題ではない』

 スズシロが言った。

『祓う。清める。お前は人の心に積もった何らかの塵芥ちりあくたを、祝詞でもって取り払っているのだ』



 その日のお祓いは、予定では9時からのはずだった。でも10時半を回っても誰も来ない。またか、と思った。
 こういうことはとても多い。特に何か憑いている人はたいてい遅れてしまう。祓われるのを嫌がるからなんだとスズシロから教えられた。

「来ないね」

 スーツを着て、髪を後ろで一つに結んだサハラが縁側で外を見ながら言った。大人びて見える。雨が降っていた。かなり激しい。

「雨で遅れているのかもしれない」
「そうね」

 ガラスに雨が滝のように流れ落ちている。境内の様子はかろうじてわかるという程度だった。やがて、黒い車が鳥居の横に留まったのが、雨越しに見えた。

「あ。来たかな」
「やっとだね」

 車から誰かが降りた。

「なんか、随分大きな人だね?」
「そう? 普通じゃない?」

 普通?

 その人は、ひょこひょこと不思議な歩き方でやってくる。白い。肩を左右に大きく揺らすように……。
 どこかで見たことのある歩き方。逆三角形に見える大きな体。大きい……。鳥居に頭がつかえそうなくらいに。でもその人は鳥居の前で立ち止まった。

 そして、その白い体の中から、普通のサイズの男の人が出てきた。

 ぞっとした。白い体は鳥居の向こうで立ち尽くしている。中から出てきた男の人は鳥居をくぐってこちらに歩いてくるが、しっぽのようなものがその白い体に繋がっている。

 白い体は見ていると、ぐねぐねと粘土のように動き出し、鳥居を覆うような大きさの顔になってべたりと貼り付いた。ぱくぱくと口を動かしている。男は伸び切ったしっぽのようなものをつけたまま、雨の中にへたり込んだ。

『ふん。お出ましだな』

 スズシロがいつの間にか隣でそれを眺めていた。

「何も憑いてないのに、倒れちゃった! 具合悪いのかな? 私、行ってくるね」
「待って!」

 慌ててサハラの細い手首を捕まえた。

「憑いてる! 俺に見えるやつが憑いてる! やばいからここに居て!」

 何も考えずに玄関から飛び出す。バケツをひっくり返したような雨。瞬く間に装束が濡れて重みを増す。スズシロが白く光って見える。

『どうする気だ』

 どう? どうって……。

 雨の中に崩れるように突っ伏している男の腕を肩に回す。みっちりと鳥居にはまり込んでこちらを見ている顔の、唇から生臭い匂いがする。何か叫んででもいるように口を動かしているが、声は幸い聞こえない。

『目を見るなよ』
「うん」

 寒さと怖さに全身に鳥肌を立てながら、なんとか社殿に男を運び込み、下座に体を横たえた。あの白い顔に繋がっている白い長いモノはまだ男から生えている。

『わかってると思うが、あれは神だ。こいつは神憑きなんだな』
「神様……どうしたらいい?」
『祓うことはできない』

 でも、あれは一目でわかる。白羽様みたいな神様じゃないんだ。何か悪いモノ。禍事を寄せるような……。

『神憑きは放っておくしかないんだ。基本的には。手出しはできない。下手に手を出せば、スイのようになる』
「これ、この白いの、切ったらだめなの?」
『切れない。言っただろう、互いに認め合わなければ干渉できないと』

 試しに指をかけてみるが、すっとすり抜けてしまう。こんなにはっきりと見えるのに。

「白羽様と何が違うの?」

『同じだよ』

 えっと思ってスズシロを振り向いた。スズシロは無感情に男を見ている。

『この白い神も、白羽様も同じだ。ただこの神は名もなく、祀られてもいない。役割を持たず、ただ災厄を撒き散らす。ヤマノケのようなものだ』

 そうだ。あの歩き方、どこかで見たと思ったら、ヤマノケだ。

「………おれ、も、この人と同じなの?」
『違う。白羽様は人には憑かない』

 人には憑かない。
 はっと思い付いた。

「ねえ、何かに、何か別なものに、あの神様に入ってもらえないの?」
『それでどうするつもりだ。お前が祀るのか?』
「いや、嫌だ……でも、この人に祀ってもらったらいいじゃん。この人のことが気に入って憑いてるんだろ?」
『祀るのを怠れば今以上の災厄があるかも知れない』
「でも仕方ない。お祓いに来たってことは、自分の中に居てほしくないってことだろ?」
『お前、遷霊せんれいの祝詞を知っているか?』
「知らない。えーと、あれだろ? 神葬祭の時の祝詞。魂を霊璽れいじに移すやつ……。でも覚えてない」
『何なら知っている』
「短いのしか。ひとふたみいよ、とか」
『ふん。仕方がない、それでやってみるしかないな』

 何になら入ってくれるんだろう、神様っていうのは。あたりを見回す。白羽様の御霊舎みたまやが目に入る。中にあるのは………

 サハラが心配そうに社の中を覗き込んだ。

「サハラ! 鏡……手鏡とか持ってないか? できれば丸いのがいい。買って返すから」
「わ、わかった」

 五色糸で陣を張る。

「あの神様は鳥居から入れないのか?」
『白羽様が許せば』
「どうしたら許してもらえる?」
『頼んでみろ』

 サハラが障子越しに手のひらくらいの手鏡を差し出す。

「ありがとう、こっちに来ないで。家の居間にいて」

 どうすれば。全然わからない。でもやるしかない。大祓の祝詞でまずはお浄めをする。男は熱にうなされてでもいるように、脂汗をかいて畳の上に横たわっている。

 ひと ふた み よ いつ む なな や ここの たり


 どうか、白羽様……

 この神様を鏡に移させてください。
 

 ふるへ

 ゆらゆらと


 ──イチカ、この祝詞は、なんと、口にして神器を揺らせば、死んだ人さえ生き返るんだよ。

 ──こんな短いので? そんなことないよー! 死んだ人は生き返らないでしょ? じいちゃんうそつきだー。

 ──昔、神様の力がうんと強かったころは、そんなこともあったのかもしれないよ。

 手鏡を翳して揺らす。これでいいのか……いや。

 信じることだ。離れたと思えば離れている。だめじゃないかと疑えばまた憑く。


 ………ふるへ


 鏡に依頼者の顔が写った、その瞬間、すごい速さで何かがしゅるしゅると鏡の中に吸い込まれた。白い、濃い煙のような何か。長い。そして、男の腰のあたりのしっぽのようなものとその煙が繋がっているのが見えたと思ったら、すぽんと抜けた。

 終わった。

 恐る恐る鏡を返して見る。さっきまでつやつやと新しかった、取っ手がプラスチックの鏡は、何かさびたように曇っている。


 男はのっそりと体を起こし、キョロキョロとあたりを見回した。

 





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