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06 内容と理解

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「お祓い?」

『依頼だと言っただろう。内容を聞け』
「どんな内容になります?」
「とにかくついてないんです。怪我したり、事故ったり、ありえないミスをしたり。厄年ってわけじゃないんですが……同僚とかにも、お祓いでも受けろって勧められて」
「ああ。一般的なお祓いですね」

 厄祓い。じいちゃんがたまに頼まれてやってたやつだ。

「いつになさいますか」

 メモを取ろうとペンを手にして、はっと気がついた。じいちゃんはもういない。厄祓いなんてやったことがない。できない。

「なるはやで。今週の土曜日とか、どうですか」
「あ……の」
『大丈夫だ。受けろ。私が教えてやる』
「………」
「だめですか? 本当に困ってるんです」

 サハラさんの涙が思い出された。誰にもわかってもらえない。頭がおかしいと思われる。

「大丈夫です。午前中のご都合の良い時間にいらしてください。朝早くで構いません」
「ありがとう! なるべく早いうちに伺います」

 チン、と受話器を置く。受けてしまった……。

「本当に大丈夫?」
『それはこっちのせりふだ、イチカ。お前がやるんだ』
「…………」

 装束を出してみる。祖父は小柄だったので、イチカが着ても丈が余るということはない。衣冠束帯というやつ。

『まず潔斎をする。本当は一週間程度続けるのがよろしい。しかし今回は時間がないし、お前は学校に行かなければならない。前日、金曜の夜からするしかない』

 潔斎は、水で(お湯ではなく)体を清める。じいちゃんが木の桶で頭から水をかぶっているのを見たことがある。何杯も何杯もかぶる。

「……あれってどのくらいかけるの?」
『充分洗われたと思うまで』
「そういうのやめてよ……」
『やってみろ。自ずとわかるはずだ』

 そして清潔な着物に袖を通し、塩水でうがいをする。そこからは生臭ものは一切口にできない。そして……

「そして?」
『そこからは依頼人に会ってからのことだ。依頼人が決める』
「ええ………」




 不安ばかりだった。それでも金曜が来て、その夜が来た。風呂桶に水を溜めて、木の桶でそれを汲む。四月下旬。まだ肌寒い。息を止める。桶を頭の上でひっくり返す。

「………っっ」

 冷たい。寒い……。これで終わりにしたいところだが、例によってスズシロが脱衣所で目を光らせている。

『冷たい、嫌だと思うから余計負担になる。目的は何だ? 考えろ。何をせねばならぬのか』
「………」

 歯の根が合わなくて口をきけない。何をせねばならぬのか。体をきれいにしなければならない。意を決して、ざぶんとまた桶に水を付ける。ちびちびやっているから余計寒いんだ。嫌な思いをするためにやっているんじゃない。思い切ってやらなければ。

 バッシャー

『よしよし。お前はのみこみがよい。昭衛の育て方が良かったな』

 次々に水をかぶる。身体中が水と同じ温度になった気がしたところで、もういいだろうと思った。

『言っただろう。自ずとわかると』
「………」
 
 
 翌朝、神社を清めて依頼人を待ったがなかなか来なかった。
 10時を回って、こちらから電話を入れてみようかと思った時、神社の鳥居に車が横付けした。男の人がばっと運転席から出てきて、後部座席の人の腕を自分に回し、よたよたとこちらに向かってくる。

「あの! 神社の人?」
「はい」
「この、こいつが厄祓いして欲しいやつです」

 肩を支えられた男は、額に脂汗をかいて顔を顰めている。しゃべることもできないらしい。

「とにかく尋常じゃなくて。昨日から、足が痛むって言い出して」

 もう片方の肩を脇から支えて、まずは家の客間に連れて行く。とにかく話を聞かなければならない。スズシロが黙って付いてくる。男は座布団に座ることができなかったので、3枚繋げて身を横たえた。

「すみません……」
「ほんとに、おかしいんです。こいつ。今日も頭痛で行けないとか言い出して。で、どなたが神主さんなんですか」

 うっと詰まった。やはりどう見ても中学生、よく見積もっても高校生くらいの伊邇では、話にならないだろうか。

「あの……」

 その時、すっと襖が開いた。黒髪をきっちりとセットして、物凄く色白で酷薄そうな男性が入ってきた。スーツを着ている。

 誰?

「いらっしゃいませ。ご挨拶が遅れまして。私はこちらの神社で運営事務をしております鈴白という者です。こちらが」

 男はすっと手のひらでイチカを指した。

「この白羽神社の神主です。まだ年若いですが、ちゃんと修行しておりますのでどうぞお任せください。伊邇いちか様、こちらへ」

 イチカが促されるままに客間を出る。こんな人、いた? 万世さんの知り合いでも手伝いに来てくれたのかな? 男は深々と頭を下げて、ぴたりと襖を閉じた。男を振り返ると、そこには白い狐が俯いていた。

『ふう』
「………スズシロ?」
『そうだ。神社へ行くぞ。準備をする』

 スズシロが化けてくれたのか? 確かにさっきのスーツの男は鈴白と名乗った気はする。

 スズシロは少しふらつきながら神社に上がって行った。イチカもそれに続く。

『いいか。お神酒と塩と小豆と米を用意しろ。米は生米だ。全部台所にある。五色糸を三方に張れ。ぬさを立てろ』
「うん」

 じいちゃんがやっていたのを思い出しながらやる。とりあえず形にはなった。でも重大な問題がある。

「祝詞がわからない」
『お前が必要だと思う祝詞を唱えろ』
「またそれ?」
『そうだ。覚えているはずだ』
「カシコミカシコミ物申すってやつ?」
『それだ。お前が祈るのは神。途中で祝詞を忘れても、お力をなんと申し上げればお借りできるのか考えろ。式が終わるまで動揺するな。依頼者が死んでいても最後までやれ。わかったら呼んでこい』

 スズシロはなんだかいつも以上にぶっきらぼうだった。イチカは二人の男を呼んできて、社の下座に座らせた。自分は御神体の入った御霊舎みたまやに向き合う。ここに座るのは初めてだ。

「かけまくも畏き伊邪那岐の大神……」

 ふと、口からついて出る。そうだ。これが大祓の祝詞。じいちゃんは改めて教えてくれたことはなかったけど、自分は見ていた。思い出せ。じいちゃんは、ちゃんと手本を見せてくれていたはずだ。

 幣を振る。


 もろもろの

 禍事

 罪 穢れ

 あらむことをば

 祓え給ひ

 清めたまへと申すことを

 聞し召せと

かしこみかしこみもの申す」
 
 ざくざくと幣をふり、男たちを振り向くと、お祓いに来た方の男が口から泡を吹いていてぎょっとした。最後までやれ、というスズシロの声が浮かんで、とりあえず作法通り彼らにも幣を振る。
 すると、ぱっと男は目を開けて手の甲で口の周りを拭いた。

「……以上です」

 男たちは呆然としている。

「あー……足が、痛くない」
「いや、足とかじゃなくて……」

 車を運転してきた男も何と言っていいかわからないようだ。

 終わった? スズシロは?

 玉串料を置いて二人の男は帰って行った。帰りは二人とも自分の足で歩いた。ほっとした。とりあえずなんとかできた。

「スズシロ?」

 あたりを見回すと、スズシロはゆっくりと歩いて来た。尻尾が下がっている。

『……家に行きたい。お神酒と油揚をくれ』
「あ、うん。わかった」

 着替えてちょうど昼時だったので、きつねうどんを作るついでにスズシロに油揚を用意した。向かいの席に置くと、スズシロが座ってくんくんと油揚の匂いを嗅いだ。

『はあ。よいのう、油揚は』
「あれはなんだったの? 何がついてたの?」

 スズシロはもう一度深くにおいを嗅いで、お神酒の方に鼻先を向けた。そしてまたくんくん。

『知らん』
「知らんて」
『話さなかっただろう。お前も聞かなかったではないか』
「でもスズシロには見えたんだろ?」
『見えた。でもあれが何なのかはわからん。どっかで拾った御霊なのかも知れんし、誰かがかけた呪いかも知れん』
「何かわかんないのにお祓いなんてできんの?」
『言っただろう、大抵の人間は神界のモノが見えん。神界がそこにあることすらわからん。神主たちだって例外ではない。昭衛だって見えなかった。でもそれを払わなければならない。見えなくても祓うシステムが結界と祝詞だ。問答は無用、陣と祝詞が組み合わされば神界の扉が開き、吸い込まれる』
「吸い込まれるとどうなんの?」
『さあな。神成りするものもあるだろうし、黒狗のような神獣に喰われるのもいるだろう』
「………」
『祓うとはそういうことだ』

 そしてスズシロはまたお神酒と油揚の匂いを交互に嗅いで、猫みたいに丸まってしまった。

「食わねえの?」
『食ったぞ。腹一杯だ』
「におい嗅いだだけだろ?」
『そう思うならお前、その油揚を食ってみろ』

 言われて齧ってみる。

「うへ」

 なぜだろう。まずい。同じものがきつねうどんに入っていたとは思えないくらいに。



 
 



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