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12 サタン

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 レベル上げをしながらちょいちょいマップを眺めていると、ダンジョンは、1日にいくつかが数十分間だけ現れることが分かった。エネミーのレベルが高すぎたり、先客がいるのを避けると1日一つ入れるかどうかというところだ。ルイたちや齊藤たちに急に襲われたことを考えれば、他のパーティの人々に会うのが怖い。

 あれから二箇所ほどダンジョンをクリアして、俺はレベル34、サタンも36になっていた。戦った時にサタンがトドメを刺すので、サタンの方に少し多めに経験値が入った結果だ。さすがにレベルが上がりにくい。ダンジョンの奥の石碑にはそれぞれメッセージが書かれていたが、断片的でよくわからない。

 一つは「滅ぼす者は決して割れぬ鏡の城にいる」。

 もう一つは「祭壇に生贄を捧げれば『滅ぼす者』が姿を表す」だった。

 鏡の城……。祭壇に捧げれば、は「いけにえを持つ者」とやらのことなんだろうが、ルイさんたちのように闇雲に殺してみたところで、「いけにえ」を持っているかどうかと言うのはわからないだろう。これまたもう少しヒントが必要なのだ。

「他のダンジョンをクリアしたやつらからも話を聞ければなあ」
「……」

 サタンはあまりダンジョン攻略に積極的ではなかった。なんとなくだが、どうも元の世界に戻りたくないんじゃないかと思う。でも……。

「よ。お前も色々あんのかも知れんけど、ログアウトはしなくちゃあ。見ろよ、俺たちが出会ってから一週間だ。『命の水』も半分くらいになってる。お前のもそうだろ? 現実の世界では一週間、糞尿垂れ流しの寝たきりになってほっぽらかされてるかも知れない。とりあえずログアウトしてさ、ちゃんとまたログインして遊ばないか?」

「………私は……。そうか。もう半分なのか……」

「そんなに嫌なのか? 目を覚ますのが?」
「……このゲームが続くのも、終わるのも嫌だ……。私はひとりぼっちだ……」
「え? 現実の世界でか?」
「いつも一人だ……。一人でみんなが楽しそうにやってるのをただ見ていることしかできない」

 なんだろうな。学校でいじめにでもあってんのかな? 不登校とか? 隣に立って石碑を見ていたはずの彼女は、いつの間にか深く俯いていた。

「………お前は、サタンというのがどんな悪魔か知っているか?」
「えー……。よくは知らないな。聖書に出てくるんじゃなかったかな?」
「そう……。サタンというのは、イブをそそのかして知恵の実を食べさせた悪魔……」
「ああ……」

 サタンは明け方とも夕方とも付かない荒野の中で蹲った。そうして見ると彼女はとても小さかった。色も白くて弱々しい。

「なぜそんなことをしたのかな? 知恵の実など食べさせなければ人間は楽園にいられたのに……。わたし……サタンも堕天しなかった」
「………」

 なぜ。

 ヒトは知恵の実を食べたことで羞恥心を始めとするあらゆる負の感情を手に入れた。

 それらを知ることさえなければ、蝶や野に咲く花のようにただたゆたい、神に愛でられて生きる芸術品のままだったのに。失楽園させた張本人で、その罪をもって堕天させられたのが、サタンという悪魔。

 なんでこの子はサタンなんて名乗ってるのかなあ。

「俺はさ、サタンていうやつは優しかったんだと思うよ」

「……優しかった?」
「うん。そりゃあさ、楽園でアハハウフフって生きてたら楽だったのかも知れない。何もしなくても食べ物もあって、服もいらない。脳みそからっぽでさ。でもサタンはさ、もっと他のことも知ったらいいのにって思ったんだろ。あのさ……」

 つまんねえかなあ。こんなおっさんの話じゃあな。

「俺はさ、現実の世界ではプログラムを組む仕事してんだよ。0と1の世界だよ。ここが0でここが1なら、っていうのを延々と組み合わせるんだ。ちょっとしたことで動かなくなることもある。どこが間違ってるのかわからない。何度もデバッグしてデバッグして……。苦しいばっかりだ。うまくできたと思っても、クライアントに渡してみたらうまく走らないこともある。

 でも、それで間違いや抜け道を見つけて動き出した時、『ああ!』って思うんだ。すげーもん作った! ってさ。なあ、こればっかりは、楽園でルンルンしてるだけじゃ絶対に味わえないんだ。わかるかな?」

「………」

「なあ、楽園にいたんじゃ楽園にあるもののことしか見えないんだ。枯れない花、死なない蝶、それじゃだめなんだよ。桜はさ、散るから愛しいんだ。死ぬから大切なんだ。それは散った後の姿や、死んでしまうことを知ってるからこそなんだ。それは負のことかも知れないけど、それを知らなきゃ本当の意味はわからないんじゃないか。俺はさ、サタンが知恵の実を食べさせてくれたのは、そういうことを教えてくれようとしたんじゃないかと思うよ。そう思わないかな」

「………」

「神様が子供っぽいよな。自分の箱庭が思った通りにならなくなったからってさー。悪魔扱いしちゃうとか」

「うぐっ」

 サタンは何も言わなかった。

 俺が背中を差し出すと、いつも通り無言でおぶさって来たけど、今日のサタンの体はとても熱くて、少し震えていて、俺の襟の後ろがびしょびしょに濡れた。

 








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