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14. 僕は君をたすけたいんだ!

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「ちょっと待ってよ!」

 はっと我に返ったレクルムはサアラに続いて馬車を出ようとしたが、鍵をかけられたようで扉は開かなかった。

 彼女の唇が触れた頬が熱い。

「サアラ!」

 レクルムは急いで魔力遮断布を口に含んだ。
 この布に包まれた者は魔術が使えなくなるが、彼の魔力を流したときだけ無効になるように作ってある。
 唾液にも魔力は含まれているので、それで解除しようとしたのだ。
 ハラリと布が落ちる。
 腕を押さえつけていた布がなくなり、ようやく手を動かせるようになり、今度は手枷を噛んだ。これもレクルムのお手製だった。
 パキンと手枷が割れる。

 彼は凝り固まった手首を回したり振ったりして、感覚を取り戻す。

 すぐ外へ出ようとして、思い留まる。

 もともとレクルムはサアラを助ける機会を伺っていた。
 馬車に乗っているときは無理なので、火山に入って徒歩になるときが狙い目だと思っていた。
 とはいえ、一人二人なら、瞬時に意識を刈り取るのはたやすいが、御者をしていた者を含め、衛兵が六人もいる。それをできれば殺さずに無効化するのは、至難の業だった。

 皆殺しなら強力な魔法を放つだけなのでかえって簡単だ。サアラはあのペンダントが守ってくれる。彼女が返し忘れてくれたのが幸いだった。
 しかし、レクルムはそんなことは極力したくはなかったし、サアラにそんな残虐な光景を見せたくなかった。
 
 窓からそっと外を伺うと、六人の衛兵に取り囲まれて、サアラが去っていくのが見えた。
 どうやら、見張りさえも残していないようだ。
 泣いているらしいサアラを見て、胸が痛む。

(泣くほど嫌なくせに、どうして自ら死に行くんだよ。たすけるって言ったじゃない!)

 そう思って、彼女の言葉を思い出す。

 ───この隙にレクルムは逃げてね。

(まさか、僕を逃がすためになんらかの取引をしたの?)

 レクルムに好都合なこの状況は、そうとしか思えなかった。

(もう、たすけるって言ったのに! どうして信じて待っててくれないの!)

 健気な彼女の想いに胸が苦しくなる。

「もう、バカじゃないの……」

 自分だけ逃げても意味がないのに。サアラがいなければ、すべてが意味をなさないのに。

(なんでわからないの!)

 そう思って、自分がまだなにも彼女に伝えていないことに気づく。

「クソっ」

 毒づいて、窓に手を打ちつける。
 彼女に追いついたら、この気持ちを伝えよう。サアラはどんな反応をするだろう。
 懐いてる相手から求愛されて、戸惑うかな。

(追手から逃げながら口説かないとね)

 もうサアラを逃すつもりのないレクルムは口角を上げた。

 彼らの姿が完全に消えてから、レクルムは鍵を外して馬車から降り、そっと後をつけた。



 
 ハラハラと涙をこぼしながら、サアラは山道を歩いていた。
 昔からの癖で、彼女は声をあげず静かに泣く。
 声を出すと『うるさい』と引っ叩かれるか、罵声を浴びせかけられるかだったので、極力泣かないように、泣いても気づかれないようにという癖がついていたのだ。

 それでも、衛兵に取り囲まれている状態では隠しようもなく、彼らは居たたまれない気持ちで目を逸らした。
 だから、サアラが気を取り直して、涙を拭ったときにはほっとした空気が流れた。
 サアラは胸にかかったままのペンダントに気づいた。

(返すのを忘れちゃった……)

 彼と同じ色のきらめきを見て、それを撫でた。

(ごめんね。彼の代わりに最期まで付き合ってくれる?)



 山頂への道は上がるにつれ、細く険しくなっていった。
 あまり使う者がいないらしく、生い茂る木々の根は張り出し、膝丈ほどの雑草が生え放題で、歩きにくい。先頭の衛兵が剣で草を薙いで、道を作っていかねばならないほどだった。それに加え、石ころだらけで傾斜もあるので、サアラはしょっちゅうつまずいて、衛兵に支えられていた。
 当然、歩みは遅くなり、いくらも進まないうちに夕暮れとなった。

「今夜はここに泊まろう」

 隊長が少し開けた場所を見つけて、夜営の準備を命じた。道具を持ってきていた部下たちはテキパキと動き、あっという間にテントを三張組み立てた。

「聖女様は真ん中のテントを使ってくれ」
 
 隊長からそう言われ、サアラはワクワクとテントの入口をめくる。
 中には寝袋が用意されているだけの狭い空間だったが、彼女は秘密基地みたいとおもしろがった。

 中に入って、寝袋を見て、これはなんだろうと考えているサアラに隊長が声を掛けてきた。

「それは寝袋だよ」
「ねぶくろ?」
「そうだ。その中に入って寝るんだ」
「へぇ~、この筒の中に入るんですね」

 早速頭から潜り込もうとしているサアラを、隊長は苦笑しながら止める。

「いや、それは脚から入れるんだ」
「あぁ、なるほど~!」

 サアラはスカートがまくれあがるのも構わず、寝袋に脚を突っ込んで、隊長を焦らせた。

(あの彼の苦労が偲ばれるな……)

 隊長は危なっかしい彼女を見て、額に手を当てた。

「それはそうと、すまないが、これが夕食代わりだ」

 彼は当初の目的を思い出して、サアラに固形食料を差し出した。
 穀物や干し肉を混ぜて固めたもので、お世辞にも美味しいとは言えない代物である。
 それにも興味津々で、サアラは手に取って、眺めたり匂いを嗅いだりした。

「これはどうやって食べるんですか?」
「ただ齧るだけだ。口の中が乾くから、水を飲みながら食べるといい」

 そう言って、隊長は水の入った水筒も渡した。

 粗食に慣れているサアラには十分な食事が終わったら、あとは寝るだけだ。
 衛兵たちは三グループに分かれて、一組はサアラのテントの見張り、残りはそれぞれのテントで休むというローテーションを組んだ。

「おやすみなさい」

 サアラは見張りの者たちに挨拶すると、ワンピースを脱いで、教えられたとおり、脚から寝袋に入った。

(レクルムは逃げられたかなぁ)

 頂上までは明日の夜までかかるらしいし、十分時間があるから大丈夫よねと思って、目を閉じた。
 慣れない山歩きに疲れていた彼女は、それ以上考える暇もなく眠りについた。




「ねぇ、起きて……、ねぇ!」

 身体を揺り動かされて、サアラは眠い目をなんとか開ける。

「ん~~、だれ?」
「僕だよ」

 薄ぼんやりと明るい方を見ると、紫の瞳が見下ろしていた。

「レクルム!?」
「シッ、声を落として」

 サアラは一気に目覚めて声をあげると、レクルムが人差し指を立てた。
 慌てて声をひそめて、「どうして? 見張りは?」とサアラは聞く。

「どうしてって、たすけるって言ったでしょ? 見張りは眠らせた。今のうちに行こう」

 レクルムが手を差し出して、サアラの身を起こした。
 寝袋がハラリと落ちて、彼女の下着姿が露出した。

「ちょっと、なんて格好で寝てるの!?」

 慌てて顔をそむけて、レクルムは彼女の服を探した。

「だって、シワになるから……」

 寝袋の横にたたんで置いてあったワンピースを見つけて、レクルムはサアラに手渡した。

「早くそれを着て。行くよ」

 彼がそう言うのに、サアラは着替えようとせず、首を横に振った。

「行けません……」
「どうして!」
「だって、逃げないって約束したんです。それに、私が逃げたら災害が治まらないんでしょ?」
「そんなの関係ないよ!」
「ダメです。せっかく私を信じてくれた人を裏切るなんて……」
「バカじゃないの! 約束を守って、それで自分は死のうって言うの?」

 レクルムはカッとなって叫んだあと、口に手を当てた。

(冷静にならないと……)

 想定外のサアラの抵抗に、彼はいらついたが、必死で自分を落ち着かせ、彼女を説得する。

「とにかく、ここでこうやってたら、僕まで捕まるから、場所を変えて話をしよう」

 彼の安全を引き合いに出すと、ようやくサアラは頷いた。レクルムは彼女にワンピースを着せ、テントから連れ出した。
 夜営地全体に眠りの魔法を張り巡らせる。

(これで朝までは気づかれないね)
 
 レクルムは逃げないようにサアラの手を掴み、ここに来る前に見つけていた洞窟へと彼女を導いていった。

 歩きながら、彼は考えていた。

 まさか、サアラが生け贄になるのに固執するとは思わなかった。助けに行ったら、喜んでついてきてくれると思っていた。

(それでも、彼女がそれを望んでも、僕は看過できない……)
 
 それを断念させる究極の方法がひとつある。それを思い浮かべて、レクルムはギュッと眉をしかめた。

(それを僕がするの? ズークハイムと一緒じゃないか!)

 でも、このままではサアラはテントに戻ると言うだろうし、引き留めたとしても、明日になれば、衛兵たちが探し始めるだろう。

(僕はサアラに嫌われたとしても、生きていてほしい……)

 迷う気持ちを抱え、彼は足を進めた。

 洞窟に着くと、レクルムは地面に布を敷いて、その上に二人で座った。
 サアラはなにも警戒することなく、彼に抱きついてくる。
 
「たすけに来てくれて、ありがとうございます。それは本当にうれしいの。でも……」

 皆まで言わせず、彼はサアラを押し倒した。

「え……」

 キョトンとした目がレクルムを見上げる。
 この期に及んでも、彼を疑いもしない彼女に、レクルムは目を逸らせた。
 そして、絞り出すような声で、彼女に告げる。

「僕は……どうしても君が生け贄になるなんて、納得いかない……。だから……、だから……今から君を抱く!」

 サアラが息を呑んだ。
 その瞳を見られずに、レクルムは彼女のワンピースのボタンを外し始める。

「…………処女じゃなくなったら、君は生け贄になれないからね。そのうえで、テントに戻れば、約束を破ったことにはならないんじゃない?」

 皮肉な口調で続けるレクルムに、サアラは少しも抵抗しようとしなかったが、悲しげにつぶやいた。

「でも、それじゃあ、私の存在価値が……」

 彼女がまだそんなことを言うので、ダンッと手のひらを地面に打ちつけた。

「そんなのいらないって言ってるでしょ!」

 ビクッと身をすくめるサアラの目を、祈るようにレクルムは見た。

「…………どうしても存在意義が欲しいと言うなら、君が生きてると僕がうれしい。それじゃ、ダメ?」

(私が生きてると、レクルムがうれしい……?)

 彼の言葉に、サアラは目を見開いた。その意味が脳に浸透すると胸が詰まって、思わず涙をこぼした。

(レクルムはどうしてこんなに私を喜ばすのがうまいんだろう)

 サアラは不思議に思った。
 今まで生きてきて、一番うれしい言葉だった。

「…………もう! そんなこと、言われると、生きていたくなるじゃないですか!」

 涙ながらに彼女が訴えると、「だから、生きろと言ってるじゃない!」と反論が返ってきた。

「でも、災害が……」
「そんなこと、知るかっ! 僕は、君をたすけたいんだ、サアラ!」

 初めて名前を呼ばれて、彼女は喜びに身体を震わせた。
 もう気持ちがあふれそうで、サアラは手を伸ばして、レクルムに抱きついた。

「レクルム……でも……」

 彼に抱きつきながらも、サアラがまだ弱々しくつぶやくと、「あー、もういいから黙って」と言いつつ、レクルムは優しく彼女の髪を撫でた。
 そして、彼は眼鏡を外し、彼女の唇をふさいだ。己の唇で。




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