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2. 早く言ってよ!
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二日目もレクルムとサアラはひたすら馬車に揺られていた。
昨夜よく眠れなかったレクルムは、ついうとうとしてしまう。
(昨夜はひどかった……)
思い返すと頭痛がして、レクルムは額に手を当てた。
風呂からあがったサアラの肌はしっとりつやつやになっていて、瞳は初めての風呂に興奮してキラキラしていた。
ほわほわしている彼女の髪が濡れたままだったので、レクルムは送風の魔法で乾かしてやった。
なんだか先ほどから、学費を稼ぐためにやっていたベビーシッターの仕事を思い出していた。
(それにしては育ちすぎた子だけどね……)
サアラは目を真ん丸にして、彼が髪を梳いて乾かすのを見ていた。
「魔法って便利なんですねー」
ほえ~っと感嘆の声をあげて、サアラが言う。
平民で魔法が使えるものなどほとんどいないので、こうして髪を乾かす方法があるなんて思ってもみなかったのだ。
逆にレクルムの方は、昔からこの方法を使っていたし、周りは魔術師だらけだったので、驚かれる方が新鮮だった。
「まあね。それより、君の髪って、なんでこんなに不揃いなの?」
上質な石鹸を使って洗った彼女の髪は、サラサラでパールのような光沢が出て綺麗になった分、今度は長さが揃っていないのが気になった。
レクルムが聞くと、サアラはあっけらかんと答えた。
「あぁ、それは長くなったら、自分で適当に切ってるからです。後ろを切るのって難しいですよね!」
「後ろどころか、左右も合ってないけど?」
元気よく言う彼女に、どれだけ不器用なんだと彼は呆れる。
サアラが不器用なのはその通りなのだが、髪に関しては、彼女の部屋には──と言っても四人部屋だったが──鏡がなくて、ハサミの指示に従って切ったらこうなったというのが真相だった。
几帳面なレクルムは切り揃えたくてたまらなくなった。前髪が伸びすぎて目に入りそうなのも気になった。
(それよりもまず飯だね)
彼は手早く自分の髪も乾かして、サアラを連れて、食堂に行った。
「字が読めないの?」
メニューを渡しても困惑している様子のサアラに、レクルムは聞いた。
平民だと字が読めない者も多かったことを思い出したのだ。
自分も平民なのに、いつの間にか貴族社会に毒されているなと自戒する。
「違うんです。字は孤児院で習ったのですが、お料理の名前がわからなくて……」
恥ずかしげにサアラが言った。
孤児院で出る食事は、野菜を刻んだスープにパン、たまに卵料理がつくぐらいで、肉や魚は特別なお祝いの日にしか出なかった。それもただ焼いただけで、名前のついた料理なんてなに一つ知らなかった。
それなので、デミグラスソースとかグラタンとか書かれていても、さっぱり味の想像ができずに戸惑っていたのだ。
メニューはさっきから『どれもおいしいから安心して』と伝えるばかりで、参考にならない。
周りからはとても美味しそうな匂いが漂ってくるし、隣りの席の料理も魅惑的だ。
(本当にどれを選んでも美味しそう!)
お腹は空いていないと思っていたのに、現金なサアラのお腹はくぅ~っと鳴った。
「私はいただけるだけで有難いので、レクルム様と同じでいいです」
そう言うサアラに彼は溜め息をついた。
(ほぼ丸一日一緒にいて、初めて名を呼ばれたな)
そういうレクルムだって、サアラの名を呼んでいないのだが、それには気づかず、不機嫌そうに言う。
「様、はいらない。僕も平民だ。それに料理の名前がわからないなら一緒だとつまらないだろ? 肉か魚かどっちがいい?」
「え、えっと、どちらかというと肉、です……」
(もしかして肉が食べられるの?)
周囲の様子から期待はしていたけど、お祝いじゃないのに、そんな豪華な食事が食べられるなんてとサアラはワクワクした。
「じゃあ、君のはこの『デミグラスハンバーグ』を頼もう。僕は『白身魚のムニエル』にするよ」
「はい、お願いします」
気になってた料理なので大歓迎だ。
サアラはニコニコとレクルムがオーダーするのを聞いていた。
『うちのハンバーグはおいしいよー』
『いい選択をしたね!』
机の上にセッティングされていたフォークとナイフが囁いてきた。
「うわぁ、楽しみ!」
思わず声をあげてしまって、注目を引き、慌てて口を押さえた。
表情がころころ変わるサアラに、レクルムはその無感動な目を向ける。
本当は王宮へ向かう間も適性を見て、着くと同時に『伝承の聖女』と認定し、ヴァンツィオ火山に送るのを推奨されていた。
物と会話しているような仕草を見せる彼女は明らかに伝承に当てはまる。
しかし、レクルムはそれに気づかない振りをして、決定的になるのを避けた。
(別にそこまで急ぐ必要はないよね。王都まではまだかかるし、二年も続いている災害が数日伸びたってさして状況はかわらないでしょ。だいたい本当に災害が止むかどうかもわからないのに)
そう思うレクルムも、引き伸ばせたとして二、三日だと思っていた。
(つまり、来週末には彼女は……。いや、ヴァンツィオ火山に向かう旅程があるか)
また数日命が伸びたところで意味はない……と思いかけて、サアラの言葉を思い出す。
───私にとっては、こうやって豪華な馬車に乗って、見たこともない場所に行けるのは意味のあることです。
きっと彼女なら、火山への死の旅も楽しんでしまう気がした。彼女が楽しめるのなら、少しでも引き伸ばすことに意味があるのかもしれないと思い直した。
「おまたせしました」
給仕が彼らの前に料理を置いた。
サアラは大きな目を見開いてハンバーグを凝視している。
この美味しそうなものを自分が食べられるなんて、と信じがたい思いでいっぱいだった。
見せられただけで、自分用は他にあるのではないかと疑い、周囲を見回す。
「どうしたの? 食べようよ」
不審な顔でレクルムが言うと、「ほ、本当に私がこれを食べてもいいんですか?」と震える声で逆に聞かれた。
「当たり前でしょ? さっき頼んだ……あぁ、それがデミグラスハンバーグだよ」
サアラの食事情を知らないレクルムは呆れたように言う。そのくせ、丁寧にも料理名を教えてくれた。
「これがデミグラスハンバーグ!」
伝説の食材に出会ったかのように改めてハンバーグを凝視する彼女に、レクルムは苦笑した。
「ほら、温かいうちに食べなよ。………ナイフとフォークは使えるよね?」
まさかと恐る恐る聞いてみると、サアラが頷くので、ほっとした。
食べる前から感動に震えていたサアラはハンバーグを一口食べると衝撃を受けて、倒れそうになった。
(なにこれなにこれ、美味しい美味しい美味しい!!!)
バンバンテーブルを叩きたい衝動にかられ、それを必死で我慢して彼女は悶えた。
言葉もないとはこのことで、噛みしめるように咀嚼して、幸福感に満たされながら飲み込んだ。
「大丈夫?」
彼女の尋常じゃない様子にレクルムは心配になったが、「美味しすぎて、死ぬかと思いました!」と涙目で答えるサアラに目を瞬かせた。
「そう……それはよかった」
そっけなく答えて、自分も料理を口にする。
ふと自分のムニエルを食べさせたらどういう反応をするのだろうと思った。
「これ、食べてみる?」
ムニエルを一口フォークに刺して、彼女に差し出すと、躊躇せずにパクンと食べる。
すると「サクサク~、お魚ジューシー、レモン、いい仕事~」と歌うように言いながら、また悶えた。
予想通りの反応に満足して、レクルムは食事を進めた。
サアラも上機嫌な顔でパクパク……たまにぶり返した感動に打ち震えながら食べている。
しばらく食べていると、今度はサアラがボタボタと涙を零し始めた。
「な、なに? どうしたの!?」
彼が驚いて聞くと、サアラは『絶望』を貼り付けたような悲痛な顔ですすり泣きながら答えた。
「こんなに……こんなに……美味しいのに、これ以上……食べられないんです……」
「はあ?」
少量の粗食しか食べ慣れていない彼女の胃の容量は小さく、限界まで口に入れたが、どうしてもそれ以上は食べられず、完食できないと泣いていたのだ。
「残せばいいじゃない」
「とんでもない! そんなもったいないこと、できません! これ、持って帰って、明日のお弁当にしたらダメですか?」
あっさり告げたレクルムに対し、下げられまいと皿を抱えてサアラが叫んだ。
「ダメに決まってるでしょ。恥ずかしいことしないで」
顔をしかめてレクルムが言うと、彼女は『彼に恥をかかせてしまう』とハッと気づいて、皿から手を離し、しおしおと俯いた。
ポタポタと涙が落ちるのをレクルムは不機嫌そうに眺めると、溜め息をついた。
「残さなければいいの?」
「はい。でも、もう食べられないんです……」
この世の終わりのような表情で、サアラが訴える。
「じゃあ、僕が食べてあげるよ。それならいいでしょ?」
「本当ですか!」
ぱああっと顔を輝かせて、彼女が身を乗り出した。しかし、その直後に「でも、お腹壊しませんか?」と心配そうにする。
「別に。これくらい大した量じゃないし」
そう言って、レクルムは彼女の皿を取り、残った料理を食べてやった。
「その茶色いソースのが美味しいんですよ! ハンバーグも柔らかくて肉汁がジュワーでしょ?」
彼が食べるのをニコニコと解説付きでサアラは眺めていた。
───今思えば、食事はまだマシだったんだ。
馬車の壁にもたれて、レクルムは目を閉じたまま回想していた。
そのあとのことがフラッシュバックして、彼は片手で顔を覆った。
レクルムは重くなった胃を抱え、部屋に戻って、就寝の準備をした。
自分の夜着を出したところで、サアラがそれを持っていないのに気づく。
孤児院の職員によると、彼女には私物はなく、手ぶらで馬車に乗り込んできたのだった。
服と一緒に買えばよかったと思っていたら、サアラは「お洋服を買っていただいたので、今まで着ていたワンピースを夜着にします」と言った。
孤児院では寒いときはそのまま、夏は下着で寝ていたらしい。女性修道院に併設された孤児院だったため、女の子しかいなかったようだが、なんて無防備な……とレクルムは呆れた。
「そう」
衛生上どうかと思うが、他に着るものがないのだから仕方がないと彼は頷いた。
サアラが風呂場で着替えてくると言ったので、学習しているなと感心していたら、戻ってきた彼女を見て、絶句した。
「き、君、下着ぐらいつけなよ!」
薄いワンピースの胸元にポツ、ポツと二つかわいい尖りが見えていた。
レクルムは一気に血があるところに向かうのを感じた。それを必死で分散させようと、首を振った。
「だって、洗って干しちゃったから……」
当然のようにサアラが言う。
(ということは下も履いてないのか……?)
レクルムは目眩がした。
確かに替えの下着もないから洗うしかないんだろうが、そういうことは早く言ってくれ、と心の中で叫んだ。
「さっさとベッドに入って! 明日絶対下着を買うから!」
怒鳴った彼の耳は真っ赤だった。
『いやねー、こんなかわいいサアラに怒鳴るなんて』
着古したワンピースが憤慨する。
サアラはなぜ彼が不機嫌になっているかわからずオロオロしていた。
「おやすみ!」
一向にベッドに入ろうとしないサアラに業を煮やして、レクルムは自分のベッドに入ると、彼女に背を向けて、横になった。
目を閉じると、膨らみの上のささやかな尖りを思い出し、その連想で風呂での彼女の姿まで思い出してしまう。
(僕じゃなかったら、襲われてるから!)
レクルムは悶々として、寝つけず、何度も何度も寝返りを打った。
翌朝、さわやかに目覚めたサアラと、げっそりとしたレクルムがいた。
昨夜よく眠れなかったレクルムは、ついうとうとしてしまう。
(昨夜はひどかった……)
思い返すと頭痛がして、レクルムは額に手を当てた。
風呂からあがったサアラの肌はしっとりつやつやになっていて、瞳は初めての風呂に興奮してキラキラしていた。
ほわほわしている彼女の髪が濡れたままだったので、レクルムは送風の魔法で乾かしてやった。
なんだか先ほどから、学費を稼ぐためにやっていたベビーシッターの仕事を思い出していた。
(それにしては育ちすぎた子だけどね……)
サアラは目を真ん丸にして、彼が髪を梳いて乾かすのを見ていた。
「魔法って便利なんですねー」
ほえ~っと感嘆の声をあげて、サアラが言う。
平民で魔法が使えるものなどほとんどいないので、こうして髪を乾かす方法があるなんて思ってもみなかったのだ。
逆にレクルムの方は、昔からこの方法を使っていたし、周りは魔術師だらけだったので、驚かれる方が新鮮だった。
「まあね。それより、君の髪って、なんでこんなに不揃いなの?」
上質な石鹸を使って洗った彼女の髪は、サラサラでパールのような光沢が出て綺麗になった分、今度は長さが揃っていないのが気になった。
レクルムが聞くと、サアラはあっけらかんと答えた。
「あぁ、それは長くなったら、自分で適当に切ってるからです。後ろを切るのって難しいですよね!」
「後ろどころか、左右も合ってないけど?」
元気よく言う彼女に、どれだけ不器用なんだと彼は呆れる。
サアラが不器用なのはその通りなのだが、髪に関しては、彼女の部屋には──と言っても四人部屋だったが──鏡がなくて、ハサミの指示に従って切ったらこうなったというのが真相だった。
几帳面なレクルムは切り揃えたくてたまらなくなった。前髪が伸びすぎて目に入りそうなのも気になった。
(それよりもまず飯だね)
彼は手早く自分の髪も乾かして、サアラを連れて、食堂に行った。
「字が読めないの?」
メニューを渡しても困惑している様子のサアラに、レクルムは聞いた。
平民だと字が読めない者も多かったことを思い出したのだ。
自分も平民なのに、いつの間にか貴族社会に毒されているなと自戒する。
「違うんです。字は孤児院で習ったのですが、お料理の名前がわからなくて……」
恥ずかしげにサアラが言った。
孤児院で出る食事は、野菜を刻んだスープにパン、たまに卵料理がつくぐらいで、肉や魚は特別なお祝いの日にしか出なかった。それもただ焼いただけで、名前のついた料理なんてなに一つ知らなかった。
それなので、デミグラスソースとかグラタンとか書かれていても、さっぱり味の想像ができずに戸惑っていたのだ。
メニューはさっきから『どれもおいしいから安心して』と伝えるばかりで、参考にならない。
周りからはとても美味しそうな匂いが漂ってくるし、隣りの席の料理も魅惑的だ。
(本当にどれを選んでも美味しそう!)
お腹は空いていないと思っていたのに、現金なサアラのお腹はくぅ~っと鳴った。
「私はいただけるだけで有難いので、レクルム様と同じでいいです」
そう言うサアラに彼は溜め息をついた。
(ほぼ丸一日一緒にいて、初めて名を呼ばれたな)
そういうレクルムだって、サアラの名を呼んでいないのだが、それには気づかず、不機嫌そうに言う。
「様、はいらない。僕も平民だ。それに料理の名前がわからないなら一緒だとつまらないだろ? 肉か魚かどっちがいい?」
「え、えっと、どちらかというと肉、です……」
(もしかして肉が食べられるの?)
周囲の様子から期待はしていたけど、お祝いじゃないのに、そんな豪華な食事が食べられるなんてとサアラはワクワクした。
「じゃあ、君のはこの『デミグラスハンバーグ』を頼もう。僕は『白身魚のムニエル』にするよ」
「はい、お願いします」
気になってた料理なので大歓迎だ。
サアラはニコニコとレクルムがオーダーするのを聞いていた。
『うちのハンバーグはおいしいよー』
『いい選択をしたね!』
机の上にセッティングされていたフォークとナイフが囁いてきた。
「うわぁ、楽しみ!」
思わず声をあげてしまって、注目を引き、慌てて口を押さえた。
表情がころころ変わるサアラに、レクルムはその無感動な目を向ける。
本当は王宮へ向かう間も適性を見て、着くと同時に『伝承の聖女』と認定し、ヴァンツィオ火山に送るのを推奨されていた。
物と会話しているような仕草を見せる彼女は明らかに伝承に当てはまる。
しかし、レクルムはそれに気づかない振りをして、決定的になるのを避けた。
(別にそこまで急ぐ必要はないよね。王都まではまだかかるし、二年も続いている災害が数日伸びたってさして状況はかわらないでしょ。だいたい本当に災害が止むかどうかもわからないのに)
そう思うレクルムも、引き伸ばせたとして二、三日だと思っていた。
(つまり、来週末には彼女は……。いや、ヴァンツィオ火山に向かう旅程があるか)
また数日命が伸びたところで意味はない……と思いかけて、サアラの言葉を思い出す。
───私にとっては、こうやって豪華な馬車に乗って、見たこともない場所に行けるのは意味のあることです。
きっと彼女なら、火山への死の旅も楽しんでしまう気がした。彼女が楽しめるのなら、少しでも引き伸ばすことに意味があるのかもしれないと思い直した。
「おまたせしました」
給仕が彼らの前に料理を置いた。
サアラは大きな目を見開いてハンバーグを凝視している。
この美味しそうなものを自分が食べられるなんて、と信じがたい思いでいっぱいだった。
見せられただけで、自分用は他にあるのではないかと疑い、周囲を見回す。
「どうしたの? 食べようよ」
不審な顔でレクルムが言うと、「ほ、本当に私がこれを食べてもいいんですか?」と震える声で逆に聞かれた。
「当たり前でしょ? さっき頼んだ……あぁ、それがデミグラスハンバーグだよ」
サアラの食事情を知らないレクルムは呆れたように言う。そのくせ、丁寧にも料理名を教えてくれた。
「これがデミグラスハンバーグ!」
伝説の食材に出会ったかのように改めてハンバーグを凝視する彼女に、レクルムは苦笑した。
「ほら、温かいうちに食べなよ。………ナイフとフォークは使えるよね?」
まさかと恐る恐る聞いてみると、サアラが頷くので、ほっとした。
食べる前から感動に震えていたサアラはハンバーグを一口食べると衝撃を受けて、倒れそうになった。
(なにこれなにこれ、美味しい美味しい美味しい!!!)
バンバンテーブルを叩きたい衝動にかられ、それを必死で我慢して彼女は悶えた。
言葉もないとはこのことで、噛みしめるように咀嚼して、幸福感に満たされながら飲み込んだ。
「大丈夫?」
彼女の尋常じゃない様子にレクルムは心配になったが、「美味しすぎて、死ぬかと思いました!」と涙目で答えるサアラに目を瞬かせた。
「そう……それはよかった」
そっけなく答えて、自分も料理を口にする。
ふと自分のムニエルを食べさせたらどういう反応をするのだろうと思った。
「これ、食べてみる?」
ムニエルを一口フォークに刺して、彼女に差し出すと、躊躇せずにパクンと食べる。
すると「サクサク~、お魚ジューシー、レモン、いい仕事~」と歌うように言いながら、また悶えた。
予想通りの反応に満足して、レクルムは食事を進めた。
サアラも上機嫌な顔でパクパク……たまにぶり返した感動に打ち震えながら食べている。
しばらく食べていると、今度はサアラがボタボタと涙を零し始めた。
「な、なに? どうしたの!?」
彼が驚いて聞くと、サアラは『絶望』を貼り付けたような悲痛な顔ですすり泣きながら答えた。
「こんなに……こんなに……美味しいのに、これ以上……食べられないんです……」
「はあ?」
少量の粗食しか食べ慣れていない彼女の胃の容量は小さく、限界まで口に入れたが、どうしてもそれ以上は食べられず、完食できないと泣いていたのだ。
「残せばいいじゃない」
「とんでもない! そんなもったいないこと、できません! これ、持って帰って、明日のお弁当にしたらダメですか?」
あっさり告げたレクルムに対し、下げられまいと皿を抱えてサアラが叫んだ。
「ダメに決まってるでしょ。恥ずかしいことしないで」
顔をしかめてレクルムが言うと、彼女は『彼に恥をかかせてしまう』とハッと気づいて、皿から手を離し、しおしおと俯いた。
ポタポタと涙が落ちるのをレクルムは不機嫌そうに眺めると、溜め息をついた。
「残さなければいいの?」
「はい。でも、もう食べられないんです……」
この世の終わりのような表情で、サアラが訴える。
「じゃあ、僕が食べてあげるよ。それならいいでしょ?」
「本当ですか!」
ぱああっと顔を輝かせて、彼女が身を乗り出した。しかし、その直後に「でも、お腹壊しませんか?」と心配そうにする。
「別に。これくらい大した量じゃないし」
そう言って、レクルムは彼女の皿を取り、残った料理を食べてやった。
「その茶色いソースのが美味しいんですよ! ハンバーグも柔らかくて肉汁がジュワーでしょ?」
彼が食べるのをニコニコと解説付きでサアラは眺めていた。
───今思えば、食事はまだマシだったんだ。
馬車の壁にもたれて、レクルムは目を閉じたまま回想していた。
そのあとのことがフラッシュバックして、彼は片手で顔を覆った。
レクルムは重くなった胃を抱え、部屋に戻って、就寝の準備をした。
自分の夜着を出したところで、サアラがそれを持っていないのに気づく。
孤児院の職員によると、彼女には私物はなく、手ぶらで馬車に乗り込んできたのだった。
服と一緒に買えばよかったと思っていたら、サアラは「お洋服を買っていただいたので、今まで着ていたワンピースを夜着にします」と言った。
孤児院では寒いときはそのまま、夏は下着で寝ていたらしい。女性修道院に併設された孤児院だったため、女の子しかいなかったようだが、なんて無防備な……とレクルムは呆れた。
「そう」
衛生上どうかと思うが、他に着るものがないのだから仕方がないと彼は頷いた。
サアラが風呂場で着替えてくると言ったので、学習しているなと感心していたら、戻ってきた彼女を見て、絶句した。
「き、君、下着ぐらいつけなよ!」
薄いワンピースの胸元にポツ、ポツと二つかわいい尖りが見えていた。
レクルムは一気に血があるところに向かうのを感じた。それを必死で分散させようと、首を振った。
「だって、洗って干しちゃったから……」
当然のようにサアラが言う。
(ということは下も履いてないのか……?)
レクルムは目眩がした。
確かに替えの下着もないから洗うしかないんだろうが、そういうことは早く言ってくれ、と心の中で叫んだ。
「さっさとベッドに入って! 明日絶対下着を買うから!」
怒鳴った彼の耳は真っ赤だった。
『いやねー、こんなかわいいサアラに怒鳴るなんて』
着古したワンピースが憤慨する。
サアラはなぜ彼が不機嫌になっているかわからずオロオロしていた。
「おやすみ!」
一向にベッドに入ろうとしないサアラに業を煮やして、レクルムは自分のベッドに入ると、彼女に背を向けて、横になった。
目を閉じると、膨らみの上のささやかな尖りを思い出し、その連想で風呂での彼女の姿まで思い出してしまう。
(僕じゃなかったら、襲われてるから!)
レクルムは悶々として、寝つけず、何度も何度も寝返りを打った。
翌朝、さわやかに目覚めたサアラと、げっそりとしたレクルムがいた。
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