16 / 52
君を元気づけるには
しおりを挟む
その夜、拓斗はいつもより早く帰ってきた。といっても九時近かったが。
「おかえりなさい。早く帰ってきてくれてよかったです」
そう言った望晴に拓斗は気づかわしげな視線を投げた。
「またなにかあったのか?」
心配させてしまったことに気づき、望晴は慌てて首を横に振った。
拓斗は彼女を気づかって早めに帰ってきてくれたのかもしれない。そう思うと、心が温かくなる。
それなのに、望晴はのんきにステーキを食べていて、申し訳ない。
「すみません、違うんです! 今日はステーキにしちゃったから、焼き加減をお聞きしたくて」
「ステーキ……」
「お肉を食べると元気になりますよね!」
高級スーパーの肉はやはり美味しかった。
その味を反芻して、望晴は満たされた顔をしている。
彼女の顔をしげしげと眺めた拓斗がぷっと噴き出した。
「元気になったようで、なによりだ」
突然の彼の笑顔を真正面から浴びて、望晴はドギマギしてしまった。
普段、感情のない人形みたいな整った顔が、パッと色がついたようにあざやかな笑顔になった。
口端を上げただけの笑みが多いので、めずらしい笑顔に望晴はうろたえる。
(そんな顔もできるんだ……)
そのギャップにずるいと思ってしまう。
「おかげさまで元気です。ありがとうございます」
動揺を隠すように、視線を逸らして望晴は言った。
「食事の準備をしますので、着替えて待っていてください。あっ、それで焼き加減はどうなさいますか?」
「じゃあ、ミディアムで」
「承知しました」
望晴はキッチンに向かい、拓斗は自室に行った。
拓斗が着替えて戻ってくるのに合わせてテーブルに料理を出した望晴は、なんとなく向かいに腰かける。
「今日は本当にありがとうございました」
「別にたいしたことはしていない」
改めて礼を言うと、拓斗は首を振った。先ほどの笑顔が嘘のようにそっけない。
料理を食べながら、彼は言葉を続けた。
「男性恐怖症でここに住むのは本当に問題ないのか?」
単刀直入に尋ねられ、望晴はうなずいた。
「はい。なぜか由井さんには恐怖心を感じないので。ここに住まわせていただいて、本当に助かっています。職場にも近いしセキュリティもばっちりだし、有難いです。それに男性恐怖症を早く治さないとカラーコーディネーターにもなれないし」
「カラーコーディネーター?」
「夢なんです。由井さんにしているように、その人や場面に合ったコーディネートをするコンサルタントになるのが。それには男性を怖がってはいられないですよね!」
「なるほどな」
改めて観察するように自分を見つめてくる拓斗に、望晴の胸がうるさくなる。
彼はふいにニッと笑った。
「じゃあ、ここにいる間に特訓するか?」
「特訓、ですか?」
「僕は怖くないんだろ? それなら、僕で男に慣れる訓練をするといい」
そう言って拓斗は手を差し出してくる。
握手するように。
触れる訓練というわけだろうか。
そっとその手に触れると、ギュッと握られた。
節ばった思ったより大きな手に自分の手が包まれて、とくんと心臓が跳ねる。
嫌な感じはしない。
するりと親指で彼女の手の甲をなでてから、拓斗は手を離した。
その特訓は毎晩のように続けられることになった。
***
それから数日後、啓介はモールの責任者会議で外していて一人で店番をしていると、声をかけられた。
「あれー、お姉さん、また会ったね。これは運命じゃない?」
そちらを見ると、この間ナンパしてきた男性だった。
望晴の顔はこわばったが、かろうじて口が動いた。
「いらっしゃいませ」
「そんなに警戒しないでよ。服を買いに来ただけなんだから」
普段そんなに怖がられることないのになとつぶやいた彼は確かに男前なので、邪険にされることは少ないのだろう。
それでも、望晴には響かなかった。
顔の良さでは拓斗のほうが上だと思う。
「カジュアルなシャツが欲しいんだけど、選んでよ」
そう言われて、本当に服を買いに来たんだと肩の力を抜く。
にこやかな彼は先日は強引だったものの、悪気はないのかもしれないと思い直した。
望晴は生真面目に彼を見て、似合う色を考える。
ここで働くようになり、望晴はカラーコーディネートの勉強をして、資格を取った。
拓斗に告げたようにパーソナル・カラーコーディネーターになりたいと思っている。
そのためにはこんなふうにいちいち男性に気を立てていてはいけないと反省した。
気持ちを切り替えて、通常の接客をしようとする。
「それでは、こちらでいかがでしょうか?」
彼はイエベ春タイプだから暖色が似合うだろうと、オレンジレッドのシャツを差し出した。明るい印象の彼に合いそうだと、あくまで店員のスタンスで接する。
彼はそれを気にする様子もなく、「いいね」とうなずいた。
「じゃあ、試着してみようかな」
「それでは、こちらへどうぞ」
彼を試着室に誘導して、カーテンを閉める。着替えた彼は、望晴に見せるように外に出てきた。
「どうかな?」
「やっぱり明るい色がお似合いですね。このシャツは色は派手ですが、形がトラディショナルなので、意外と落ち着くんですよ」
「勧め方がうまいね。じゃあ、これをもらっていくよ」
「ありがとうございます」
会計を済ませ、ショッパーを渡すと、彼はにやっと笑った。
「この店も君も気に入ったよ。しばらく通おうかな」
その言葉にどう答えようかと望晴が戸惑っているうちに、彼は手を振って去っていった。
(やっぱり苦手だわ)
望晴は溜め息をついた。
「おかえりなさい。早く帰ってきてくれてよかったです」
そう言った望晴に拓斗は気づかわしげな視線を投げた。
「またなにかあったのか?」
心配させてしまったことに気づき、望晴は慌てて首を横に振った。
拓斗は彼女を気づかって早めに帰ってきてくれたのかもしれない。そう思うと、心が温かくなる。
それなのに、望晴はのんきにステーキを食べていて、申し訳ない。
「すみません、違うんです! 今日はステーキにしちゃったから、焼き加減をお聞きしたくて」
「ステーキ……」
「お肉を食べると元気になりますよね!」
高級スーパーの肉はやはり美味しかった。
その味を反芻して、望晴は満たされた顔をしている。
彼女の顔をしげしげと眺めた拓斗がぷっと噴き出した。
「元気になったようで、なによりだ」
突然の彼の笑顔を真正面から浴びて、望晴はドギマギしてしまった。
普段、感情のない人形みたいな整った顔が、パッと色がついたようにあざやかな笑顔になった。
口端を上げただけの笑みが多いので、めずらしい笑顔に望晴はうろたえる。
(そんな顔もできるんだ……)
そのギャップにずるいと思ってしまう。
「おかげさまで元気です。ありがとうございます」
動揺を隠すように、視線を逸らして望晴は言った。
「食事の準備をしますので、着替えて待っていてください。あっ、それで焼き加減はどうなさいますか?」
「じゃあ、ミディアムで」
「承知しました」
望晴はキッチンに向かい、拓斗は自室に行った。
拓斗が着替えて戻ってくるのに合わせてテーブルに料理を出した望晴は、なんとなく向かいに腰かける。
「今日は本当にありがとうございました」
「別にたいしたことはしていない」
改めて礼を言うと、拓斗は首を振った。先ほどの笑顔が嘘のようにそっけない。
料理を食べながら、彼は言葉を続けた。
「男性恐怖症でここに住むのは本当に問題ないのか?」
単刀直入に尋ねられ、望晴はうなずいた。
「はい。なぜか由井さんには恐怖心を感じないので。ここに住まわせていただいて、本当に助かっています。職場にも近いしセキュリティもばっちりだし、有難いです。それに男性恐怖症を早く治さないとカラーコーディネーターにもなれないし」
「カラーコーディネーター?」
「夢なんです。由井さんにしているように、その人や場面に合ったコーディネートをするコンサルタントになるのが。それには男性を怖がってはいられないですよね!」
「なるほどな」
改めて観察するように自分を見つめてくる拓斗に、望晴の胸がうるさくなる。
彼はふいにニッと笑った。
「じゃあ、ここにいる間に特訓するか?」
「特訓、ですか?」
「僕は怖くないんだろ? それなら、僕で男に慣れる訓練をするといい」
そう言って拓斗は手を差し出してくる。
握手するように。
触れる訓練というわけだろうか。
そっとその手に触れると、ギュッと握られた。
節ばった思ったより大きな手に自分の手が包まれて、とくんと心臓が跳ねる。
嫌な感じはしない。
するりと親指で彼女の手の甲をなでてから、拓斗は手を離した。
その特訓は毎晩のように続けられることになった。
***
それから数日後、啓介はモールの責任者会議で外していて一人で店番をしていると、声をかけられた。
「あれー、お姉さん、また会ったね。これは運命じゃない?」
そちらを見ると、この間ナンパしてきた男性だった。
望晴の顔はこわばったが、かろうじて口が動いた。
「いらっしゃいませ」
「そんなに警戒しないでよ。服を買いに来ただけなんだから」
普段そんなに怖がられることないのになとつぶやいた彼は確かに男前なので、邪険にされることは少ないのだろう。
それでも、望晴には響かなかった。
顔の良さでは拓斗のほうが上だと思う。
「カジュアルなシャツが欲しいんだけど、選んでよ」
そう言われて、本当に服を買いに来たんだと肩の力を抜く。
にこやかな彼は先日は強引だったものの、悪気はないのかもしれないと思い直した。
望晴は生真面目に彼を見て、似合う色を考える。
ここで働くようになり、望晴はカラーコーディネートの勉強をして、資格を取った。
拓斗に告げたようにパーソナル・カラーコーディネーターになりたいと思っている。
そのためにはこんなふうにいちいち男性に気を立てていてはいけないと反省した。
気持ちを切り替えて、通常の接客をしようとする。
「それでは、こちらでいかがでしょうか?」
彼はイエベ春タイプだから暖色が似合うだろうと、オレンジレッドのシャツを差し出した。明るい印象の彼に合いそうだと、あくまで店員のスタンスで接する。
彼はそれを気にする様子もなく、「いいね」とうなずいた。
「じゃあ、試着してみようかな」
「それでは、こちらへどうぞ」
彼を試着室に誘導して、カーテンを閉める。着替えた彼は、望晴に見せるように外に出てきた。
「どうかな?」
「やっぱり明るい色がお似合いですね。このシャツは色は派手ですが、形がトラディショナルなので、意外と落ち着くんですよ」
「勧め方がうまいね。じゃあ、これをもらっていくよ」
「ありがとうございます」
会計を済ませ、ショッパーを渡すと、彼はにやっと笑った。
「この店も君も気に入ったよ。しばらく通おうかな」
その言葉にどう答えようかと望晴が戸惑っているうちに、彼は手を振って去っていった。
(やっぱり苦手だわ)
望晴は溜め息をついた。
6
お気に入りに追加
243
あなたにおすすめの小説
初恋は溺愛で。〈一夜だけのはずが、遊び人を卒業して平凡な私と恋をするそうです〉
濘-NEI-
恋愛
友人の授かり婚により、ルームシェアを続けられなくなった香澄は、独りぼっちの寂しさを誤魔化すように一人で食事に行った店で、イケオジと出会って甘い一夜を過ごす。
一晩限りのオトナの夜が忘れならない中、従姉妹のツテで決まった引越し先に、再会するはずもない彼が居て、奇妙な同居が始まる予感!
◆Rシーンには※印
ヒーロー視点には⭐︎印をつけておきます
◎この作品はエブリスタさん、pixivさんでも公開しています
駆け引きから始まる、溺れるほどの甘い愛
玖羽 望月
恋愛
雪代 恵舞(ゆきしろ えま)28歳は、ある日祖父から婚約者候補を紹介される。
アメリカの企業で部長職に就いているという彼は、竹篠 依澄(たけしの いずみ)32歳だった。
恵舞は依澄の顔を見て驚く。10年以上前に別れたきりの、初恋の人にそっくりだったからだ。けれど名前すら違う別人。
戸惑いながらも、祖父の顔を立てるためお試し交際からスタートという条件で受け入れる恵舞。結婚願望などなく、そのうち断るつもりだった。
一方依澄は、早く婚約者として受け入れてもらいたいと、まずお互いを知るために簡単なゲームをしようと言い出す。
「俺が勝ったら唇をもらおうか」
――この駆け引きの勝者はどちら?
*付きはR描写ありです。
エブリスタにも投稿しています。
独占欲強めな極上エリートに甘く抱き尽くされました
紡木さぼ
恋愛
旧題:婚約破棄されたワケアリ物件だと思っていた会社の先輩が、実は超優良物件でどろどろに溺愛されてしまう社畜の話
平凡な社畜OLの藤井由奈(ふじいゆな)が残業に勤しんでいると、5年付き合った婚約者と破談になったとの噂があるハイスペ先輩柚木紘人(ゆのきひろと)に声をかけられた。
サシ飲みを経て「会社の先輩後輩」から「飲み仲間」へと昇格し、飲み会中に甘い空気が漂い始める。
恋愛がご無沙汰だった由奈は次第に紘人に心惹かれていき、紘人もまた由奈を可愛がっているようで……
元カノとはどうして別れたの?社内恋愛は面倒?紘人は私のことどう思ってる?
社会人ならではのじれったい片思いの果てに晴れて恋人同士になった2人。
「俺、めちゃくちゃ独占欲強いし、ずっと由奈のこと抱き尽くしたいって思ってた」
ハイスペなのは仕事だけではなく、彼のお家で、オフィスで、旅行先で、どろどろに愛されてしまう。
仕事中はあんなに冷静なのに、由奈のことになると少し甘えん坊になってしまう、紘人とらぶらぶ、元カノの登場でハラハラ。
ざまぁ相手は紘人の元カノです。
契約結婚のはずが、幼馴染の御曹司は溺愛婚をお望みです
紬 祥子(まつやちかこ)
恋愛
旧題:幼なじみと契約結婚しましたが、いつの間にか溺愛婚になっています。
夢破れて帰ってきた故郷で、再会した彼との契約婚の日々。
★第17回恋愛小説大賞(2024年)にて、奨励賞を受賞いたしました!★
☆改題&加筆修正ののち、単行本として刊行されることになりました!☆
※作品のレンタル開始に伴い、旧題で掲載していた本文は2025年2月13日に非公開となりました。
お楽しみくださっていた方々には申し訳ありませんが、何卒ご了承くださいませ。
オオカミ課長は、部下のウサギちゃんを溺愛したくてたまらない
若松だんご
恋愛
――俺には、将来を誓った相手がいるんです。
お昼休み。通りがかった一階ロビーで繰り広げられてた修羅場。あ~課長だあ~、大変だな~、女性の方、とっても美人だな~、ぐらいで通り過ぎようと思ってたのに。
――この人です! この人と結婚を前提につき合ってるんです。
ほげええっ!?
ちょっ、ちょっと待ってください、課長!
あたしと課長って、ただの上司と部下ですよねっ!? いつから本人の了承もなく、そういう関係になったんですかっ!? あたし、おっそろしいオオカミ課長とそんな未来は予定しておりませんがっ!?
課長が、専務の令嬢とのおつき合いを断るネタにされてしまったあたし。それだけでも大変なのに、あたしの住むアパートの部屋が、上の住人の失態で水浸しになって引っ越しを余儀なくされて。
――俺のところに来い。
オオカミ課長に、強引に同居させられた。
――この方が、恋人らしいだろ。
うん。そうなんだけど。そうなんですけど。
気分は、オオカミの巣穴に連れ込まれたウサギ。
イケメンだけどおっかないオオカミ課長と、どんくさくって天然の部下ウサギ。
(仮)の恋人なのに、どうやらオオカミ課長は、ウサギをかまいたくてしかたないようで――???
すれ違いと勘違いと溺愛がすぎる二人の物語。
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
ある日、憧れブランドの社長が溺愛求婚してきました
蓮恭
恋愛
恋人に裏切られ、傷心のヒロイン杏子は勤め先の美容室を去り、人気の老舗美容室に転職する。
そこで真面目に培ってきた技術を買われ、憧れのヘアケアブランドの社長である統一郎の自宅を訪問して施術をする事に……。
しかも統一郎からどうしてもと頼まれたのは、その後の杏子の人生を大きく変えてしまうような事で……⁉︎
杏子は過去の臆病な自分と決別し、統一郎との新しい一歩を踏み出せるのか?
【サクサク読める現代物溺愛系恋愛ストーリーです】
森でオッサンに拾って貰いました。
来栖もよもよ&来栖もよりーぬ
恋愛
アパートの火事から逃げ出そうとして気がついたらパジャマで森にいた26歳のOLと、拾ってくれた40近く見える髭面のマッチョなオッサン(実は31歳)がラブラブするお話。ちと長めですが前後編で終わります。
ムーンライト、エブリスタにも掲載しております。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる