13 / 52
嫌な記憶
しおりを挟む
「それで、由井社長との同棲は順調なのか?」
望晴が閉店準備をしていると、店長の啓介が聞いてきた。
拓斗の部屋に居候してから二週間ほど経つ。
「同棲じゃなくて、同居です! おかげさまで、なにごともありませんよ。顔を合わす時間も少ないですし」
はじめに拓斗が言った通り、彼は平日はほとんど家にいないし、土日は望晴が仕事で、休みも重ならないので、朝以外やり取りはほとんどない。
拓斗は初日は九時に帰ってきたものの、その後は十一時すぎだったり、深夜を回ったりと遅かった。
それでも彼は自分で食事を温めて、いつも残さず食べてくれた。
(あんなに遅くに夕食をとるほうが身体に悪そうだけど……)
朝食をとりながら、食事の量や味つけなどの感想を聞いてみるが、「ちょうどいい」という言葉しかもらえない。
せめて栄養があって、消化に良いものを心がけることにした。
食べることが好きな望晴は、料理も好きだったので、作ることにストレスはなかった。
(本当にルームシェアをしているだけみたいね)
家事以外には、拓斗が休みの日の服のコーディネートをした。
せっかく棚に整理して服を並べたのだが、望晴が選んでくれるならそれに越したことはないと任せられたのだ。
それ自体はいいのだが、毎回彼の寝室に入るのがドキドキする。
それでも、順調なのには変わりなかった。
啓介は笑顔でうなずく。
「それはよかったな。最初に聞いたときには驚いたよ。でも、そこまで回復したなら、もう安心だな」
「自分でも不思議です。今のところ、なんのストレスもなくて」
心配してくれる啓介に、望晴は笑みを向けた。
言われたように、異性と普通に生活できるようにまでなった自分を喜ばしく思う。
「いっそ、そのまま結婚してしまえばいいじゃないか」
「だから、由井さんとはそういう関係じゃないんです!」
からかう啓介に、望晴はきっぱり否定した。
彼との関係を勘ぐられるのは拓斗に申し訳ないと思ったからだ。
家探しをしたいのだが、審査に時間がかかり、火災保険が下りるのは少し先になるということで、しばらく拓斗のところに身を寄せることになっている。
保険金が出る前に、引っ越しするのはきつかったから、拓斗の好意には感謝しかない。
一見クールな印象の彼はとんでもなく面倒見がいいようだ。
本人は気になっていることを放置するのは気持ちが悪いと言っていたが、そう感じること自体、人がいいのだと思う。
それなのに、望晴のせいで、拓斗に不利益が生じるのは嫌だった。
やたらと望晴を拓斗とくっつけようとしてくる啓介は、彼なりに彼女の将来を案じているのだろうが。
「でも、あんなセキュリティばっちりのところに住んでいたら、もうストーカーに狙われても大丈夫だな」
「やめてくださいよ、縁起でもない」
望晴は顔をしかめた。
大学を中退せざるを得なくなったストーカーのことを思い出してしまった。
彼女は大学の同級生につきまとわれ、ゴミを漁られたり、盗撮された写真が送られてきたりした結果、不安障害になってしまったのだ。
家を出ようとすると、息ができなくなったり、吐いたりする。
学校に通えないどころか、男性まで怖くなってしまった。特に、ストーカーのように若い男性に対しては、恐怖心から声が出なくなった。
家から出られなくなって、泣きながら親に電話して、迎えにきてもらった。
実家に戻り、大学を中退して下宿を引き払ったのだ。
スマートフォンも解約して、大学の知り合いと音信を絶った。ストーカーを遮断するために。
母親が警察に相談して、警察からストーカーに警告を与えてくれたらしいが、その後のことは望晴に気持ちの余裕がなくて聞いていない。
警察の警告が効いたのか、距離が離れていたためか、実家のほうまではストーカーは現れず、ようやく彼から逃れられたと安心できた。
今思えば、そこまでになる前に警察に相談すればよかったが、子どもだった望晴にとってそれはハードルが高かった。
心理カウンセリングを受けるうちに、望晴は日常生活に支障がないくらい回復した。一年かかった。
そんなときだ。
彼女の事情を知っていた従兄の啓介が、東京にお店を出すから、そこで働いてみないかと声をかけてくれたのは。
『民度が高いところだから、変な客もめったにいないし、望晴のリハビリにもなるんじゃないかな』
実家よりさらにストーカーのいる場所から遠く離れた東京なら安心できると思った。
それに、大学を中退してしまった手前、自分で生計を立てたかったこともあり、望晴はそれを受けたのだ。
結果は大正解で、望晴はめきめきと元気になり、本来の調子を取り戻した。
それでも、男性恐怖症は完全には治っていなかったが。
「悪い悪い。もうあんなことはそうそうないだろう」
暗い顔になった望晴を見て、啓介が謝った。
「そうですよね」
嫌な記憶を振り払うように、望晴はかぶりを振った。
望晴が閉店準備をしていると、店長の啓介が聞いてきた。
拓斗の部屋に居候してから二週間ほど経つ。
「同棲じゃなくて、同居です! おかげさまで、なにごともありませんよ。顔を合わす時間も少ないですし」
はじめに拓斗が言った通り、彼は平日はほとんど家にいないし、土日は望晴が仕事で、休みも重ならないので、朝以外やり取りはほとんどない。
拓斗は初日は九時に帰ってきたものの、その後は十一時すぎだったり、深夜を回ったりと遅かった。
それでも彼は自分で食事を温めて、いつも残さず食べてくれた。
(あんなに遅くに夕食をとるほうが身体に悪そうだけど……)
朝食をとりながら、食事の量や味つけなどの感想を聞いてみるが、「ちょうどいい」という言葉しかもらえない。
せめて栄養があって、消化に良いものを心がけることにした。
食べることが好きな望晴は、料理も好きだったので、作ることにストレスはなかった。
(本当にルームシェアをしているだけみたいね)
家事以外には、拓斗が休みの日の服のコーディネートをした。
せっかく棚に整理して服を並べたのだが、望晴が選んでくれるならそれに越したことはないと任せられたのだ。
それ自体はいいのだが、毎回彼の寝室に入るのがドキドキする。
それでも、順調なのには変わりなかった。
啓介は笑顔でうなずく。
「それはよかったな。最初に聞いたときには驚いたよ。でも、そこまで回復したなら、もう安心だな」
「自分でも不思議です。今のところ、なんのストレスもなくて」
心配してくれる啓介に、望晴は笑みを向けた。
言われたように、異性と普通に生活できるようにまでなった自分を喜ばしく思う。
「いっそ、そのまま結婚してしまえばいいじゃないか」
「だから、由井さんとはそういう関係じゃないんです!」
からかう啓介に、望晴はきっぱり否定した。
彼との関係を勘ぐられるのは拓斗に申し訳ないと思ったからだ。
家探しをしたいのだが、審査に時間がかかり、火災保険が下りるのは少し先になるということで、しばらく拓斗のところに身を寄せることになっている。
保険金が出る前に、引っ越しするのはきつかったから、拓斗の好意には感謝しかない。
一見クールな印象の彼はとんでもなく面倒見がいいようだ。
本人は気になっていることを放置するのは気持ちが悪いと言っていたが、そう感じること自体、人がいいのだと思う。
それなのに、望晴のせいで、拓斗に不利益が生じるのは嫌だった。
やたらと望晴を拓斗とくっつけようとしてくる啓介は、彼なりに彼女の将来を案じているのだろうが。
「でも、あんなセキュリティばっちりのところに住んでいたら、もうストーカーに狙われても大丈夫だな」
「やめてくださいよ、縁起でもない」
望晴は顔をしかめた。
大学を中退せざるを得なくなったストーカーのことを思い出してしまった。
彼女は大学の同級生につきまとわれ、ゴミを漁られたり、盗撮された写真が送られてきたりした結果、不安障害になってしまったのだ。
家を出ようとすると、息ができなくなったり、吐いたりする。
学校に通えないどころか、男性まで怖くなってしまった。特に、ストーカーのように若い男性に対しては、恐怖心から声が出なくなった。
家から出られなくなって、泣きながら親に電話して、迎えにきてもらった。
実家に戻り、大学を中退して下宿を引き払ったのだ。
スマートフォンも解約して、大学の知り合いと音信を絶った。ストーカーを遮断するために。
母親が警察に相談して、警察からストーカーに警告を与えてくれたらしいが、その後のことは望晴に気持ちの余裕がなくて聞いていない。
警察の警告が効いたのか、距離が離れていたためか、実家のほうまではストーカーは現れず、ようやく彼から逃れられたと安心できた。
今思えば、そこまでになる前に警察に相談すればよかったが、子どもだった望晴にとってそれはハードルが高かった。
心理カウンセリングを受けるうちに、望晴は日常生活に支障がないくらい回復した。一年かかった。
そんなときだ。
彼女の事情を知っていた従兄の啓介が、東京にお店を出すから、そこで働いてみないかと声をかけてくれたのは。
『民度が高いところだから、変な客もめったにいないし、望晴のリハビリにもなるんじゃないかな』
実家よりさらにストーカーのいる場所から遠く離れた東京なら安心できると思った。
それに、大学を中退してしまった手前、自分で生計を立てたかったこともあり、望晴はそれを受けたのだ。
結果は大正解で、望晴はめきめきと元気になり、本来の調子を取り戻した。
それでも、男性恐怖症は完全には治っていなかったが。
「悪い悪い。もうあんなことはそうそうないだろう」
暗い顔になった望晴を見て、啓介が謝った。
「そうですよね」
嫌な記憶を振り払うように、望晴はかぶりを振った。
6
お気に入りに追加
243
あなたにおすすめの小説
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
甘すぎるドクターへ。どうか手加減して下さい。
海咲雪
恋愛
その日、新幹線の隣の席に疲れて寝ている男性がいた。
ただそれだけのはずだったのに……その日、私の世界に甘さが加わった。
「案外、本当に君以外いないかも」
「いいの? こんな可愛いことされたら、本当にもう逃してあげられないけど」
「もう奏葉の許可なしに近づいたりしない。だから……近づく前に奏葉に聞くから、ちゃんと許可を出してね」
そのドクターの甘さは手加減を知らない。
【登場人物】
末永 奏葉[すえなが かなは]・・・25歳。普通の会社員。気を遣い過ぎてしまう性格。
恩田 時哉[おんだ ときや]・・・27歳。医者。奏葉をからかう時もあるのに、甘すぎる?
田代 有我[たしろ ゆうが]・・・25歳。奏葉の同期。テキトーな性格だが、奏葉の変化には鋭い?
【作者に医療知識はありません。恋愛小説として楽しんで頂ければ幸いです!】
契約結婚のはずなのに、冷徹なはずのエリート上司が甘く迫ってくるんですが!? ~結婚願望ゼロの私が、なぜか愛されすぎて逃げられません~
猪木洋平@【コミカライズ連載中】
恋愛
「俺と結婚しろ」
突然のプロポーズ――いや、契約結婚の提案だった。
冷静沈着で完璧主義、社内でも一目置かれるエリート課長・九条玲司。そんな彼と私は、ただの上司と部下。恋愛感情なんて一切ない……はずだった。
仕事一筋で恋愛に興味なし。過去の傷から、結婚なんて煩わしいものだと決めつけていた私。なのに、九条課長が提示した「条件」に耳を傾けるうちに、その提案が単なる取引とは思えなくなっていく。
「お前を、誰にも渡すつもりはない」
冷たい声で言われたその言葉が、胸をざわつかせる。
これは合理的な選択? それとも、避けられない運命の始まり?
割り切ったはずの契約は、次第に二人の境界線を曖昧にし、心を絡め取っていく――。
不器用なエリート上司と、恋を信じられない女。
これは、"ありえないはずの結婚"から始まる、予測不能なラブストーリー。
ウブな政略妻は、ケダモノ御曹司の執愛に堕とされる
Adria
恋愛
旧題:紳士だと思っていた初恋の人は私への恋心を拗らせた執着系ドSなケダモノでした
ある日、父から持ちかけられた政略結婚の相手は、学生時代からずっと好きだった初恋の人だった。
でも彼は来る縁談の全てを断っている。初恋を実らせたい私は副社長である彼の秘書として働くことを決めた。けれど、何の進展もない日々が過ぎていく。だが、ある日会社に忘れ物をして、それを取りに会社に戻ったことから私たちの関係は急速に変わっていった。
彼を知れば知るほどに、彼が私への恋心を拗らせていることを知って戸惑う反面嬉しさもあり、私への執着を隠さない彼のペースに翻弄されていく……。
![](https://www.alphapolis.co.jp/v2/img/books/no_image/novel/love.png?id=38b9f51b5677c41b0416)
包んで、重ねて ~歳の差夫婦の極甘新婚生活~
吉沢 月見
恋愛
ひたすら妻を溺愛する夫は50歳の仕事人間の服飾デザイナー、新妻は23歳元モデル。
結婚をして、毎日一緒にいるから、君を愛して君に愛されることが本当に嬉しい。
何もできない妻に料理を教え、君からは愛を教わる。
契約結婚のはずが、幼馴染の御曹司は溺愛婚をお望みです
紬 祥子(まつやちかこ)
恋愛
旧題:幼なじみと契約結婚しましたが、いつの間にか溺愛婚になっています。
夢破れて帰ってきた故郷で、再会した彼との契約婚の日々。
★第17回恋愛小説大賞(2024年)にて、奨励賞を受賞いたしました!★
☆改題&加筆修正ののち、単行本として刊行されることになりました!☆
※作品のレンタル開始に伴い、旧題で掲載していた本文は2025年2月13日に非公開となりました。
お楽しみくださっていた方々には申し訳ありませんが、何卒ご了承くださいませ。
断る――――前にもそう言ったはずだ
鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」
結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。
周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。
けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。
他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。
(わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)
そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。
ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。
そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?
契約妻ですが極甘御曹司の執愛に溺れそうです
冬野まゆ
恋愛
経営難に陥った実家の酒造を救うため、最悪の縁談を受けてしまったOLの千春。そんな彼女を助けてくれたのは、密かに思いを寄せていた大企業の御曹司・涼弥だった。結婚に関する面倒事を避けたい彼から、援助と引き換えの契約結婚を提案された千春は、藁にも縋る思いでそれを了承する。しかし旧知の仲とはいえ、本来なら結ばれるはずのない雲の上の人。たとえ愛されなくても彼の良き妻になろうと決意する千春だったが……「可愛い千春。もっと俺のことだけ考えて」いざ始まった新婚生活は至れり尽くせりの溺愛の日々で!? 拗らせ両片思い夫婦の、じれじれすれ違いラブ!
外国人医師と私の契約結婚
華藤りえ
恋愛
※掲載先の「アルファポリス様」の<エタニティブックス・赤>から書籍化・2017年9月14発売されました。
医学部の研究室で、教授秘書兼事務員として働く結崎絵麻。
彼女はある日、ずっと思い続けている男性が、異国の第二王子であると知らされる。
エキゾチックな美貌の優秀な研究者で、そのうえ王子!?
驚き言葉を失う絵麻へ、彼はとんでもない要求をしてきた。
それは、王位を巡る政略結婚を回避するため、彼と偽りの婚約・同棲をするというもの。
愛情の欠片もない求婚にショックを受けながら、決して手は出さないという彼と暮らし始めた絵麻。
ところが、なぜか独占欲全開で情熱的なキスや愛撫をされて、絵麻の心はどうしようもなく翻弄されていき……? 叶わない恋と知りながら――それでも相手を求めてやまない。
魅惑のドラマチック・ラブストーリー!(刊行予定情報より)
※2017/08/25 書籍該当部分を削除させていただきました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる