夢魔はじめました。

入海月子

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キスをする時って?

夢魔はじめました。

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 しばらく泣いて、ようやく落ち着いてきた私は、ライアンの胸に顔をうずめたまま、つぶやいた。

「ライアンとは全然嫌じゃなかったんです。でも、こういうことをいろんな人としないといけないのかなって思ったら……」
「他のやつと?」

 ライアンの手に力が入ったので、私は顔をあげた。

「え、お前、その瞳………」

 なぜかライアンが私を見て、驚愕した。

「えっ、瞳?」
「黒くなってる!」
「黒く?」

 私はカバンから手鏡を出して、覗き込む。
 確かに、瞳の色が赤から黒に変わっていた。

「どういうこと?」

 ライアンを振り返って、パッと赤くなる。
 彼は下半身裸のままだった。
 ちなみに、私は上半身裸で、慌てて手で胸を隠す。
 そうか、私が泣いちゃったから、あの状態のまま抱きしめてくれてたんだ。

 ライアンも顔を赤くしながら、私に服を渡してくれて、自分も服を着た。

 お互いに服を整えて、改めて向かい合う。

「夢魔は瞳が赤いって言ってましたよね? 瞳の色が変わるって聞いたことありますか?」
「いや、夢魔の生態に詳しいわけじゃないけど、聞いたことがない」
「私、特有のことなのでしょうか? それとも知られてないだけ?」
「夢魔がそうやって、完全に人に擬態するなら、もう少し話題になっていてもおかしくないから、特有のことじゃないか?」
「擬態……」
「いや、ごめん! 言い方が悪かった!」

 ついうつむいてしまう私を慌ててライアンが慰めてくれる。

「一般的な夢魔の話をしてただけで、お前が何かしてるとは思ってないから!」

 でも、目印の赤い瞳がないと、人間に化けてると思われるわけね。
 もう人間じゃない……。
 さっきのショックが戻ってきて、それに耐えようと目をきつく閉じる。

 ふいに暖かいものに包まれる。
 ライアンが抱き寄せてくれたのだ。
 なだめるように髪の毛をなでてくれる。

「ごめんな……」

 そう言って、額にキスが落とされる。

「…………っ!」

 ぶわぁっと顔が赤くなる。
 この世界の人はこんなにスキンシップ多めなのかな?
 キスが挨拶みたいな。
 アメリカみたいに。
 それなら、私でもいけるかもしれない。
 知り合いをいっぱい作って、挨拶のキスをしまくるついでに、ちょこっと精を分けてもらう。
 うん、これくらいなら、なんとかいけるかも。

「………キスってどういう時にするんですか?」

 私の人生……いや夢魔生活のために、素朴な疑問を口にしただけなのに、ライアンは思いっきり動揺した。

「ど、どういう時か?」

 あさっての方向を見ながら、彼はボソッと言った。

「…………愛しいと思った時とか?」

 わ、わ、わ、わー!!
 そういうことを聞いたつもりじゃなかったのに!
 今までのキスは、私に精を分けるためにやむなくしてたキスよね?
 でも、さっきのキスは『愛しい』と思ってくれたってこと?

 きゃー! きゃー!

 イケメンのそんなセリフは破壊力抜群で、私はぼ、ぼぼぼっと赤くなって、悶えた。

「そ、そうじゃなくて、挨拶とかでするのかなーって」
「そんな気軽にするわけないだろ!」

(残念……。アメリカンなノリじゃないんだ)

 そんな百面相をする私の唇を親指で辿って、ライアンは言った。

「お前、本当に不思議で、おもしろいな……」

 チュッと唇に触れるだけのキスをして、彼は身体を離した。

「そろそろ出かけないと、森から出られない」

 彼は立ち上がって、荷物をまとめた。
 固まってた私も、慌てて立ち上がる。

 すっかり敷物になってたマントの土を払い、ライアンは身につけた。

「行くぞ」

 ライアンが洞窟を出たのに続いて、私もカバンを持って外に出た。

 日がだいぶ高くまで昇ってる。
 さすがに昼前だと思うけど、私のために時間を無駄にしちゃったようで、申し訳ない。

 ライアンは、歩きながら乾パンを頬張り、水を飲んでいた。
 時々太陽で方向を確認していたけど、迷いなく進む。
 たぶん、森の外へ出る方向へ。




 お日様がてっぺんを過ぎたところで、ライアンは立ち止まって、私を見た。

「疲れたか?」

 私の歩く速度に合わせて、ゆっくり歩いてくれていたし、不思議なことに、前までこんなに歩いたらクタクタだったはずなのに、ほとんど疲れを感じていない。
 そういえば、この世界に来たばかりでさまよっていた時もそうだったかも。
 夢魔って意外と体力あるのかしら?

 私は首を横に振った。

「でも、私のペースに合わせてて大丈夫ですか?」

 どう考えても、ライアンひとりで行った方が早いのに、置いていくっていう選択肢はなかったのかな?

「あぁ、なんとか夕暮れまでには森を抜けられそうだ。………お前をこんなところに置いていったら、心配でならないだろ」

 私の心を読んだように、ライアンがぶっきらぼうに言った。
 心が温かくなる。

 ライアンって優しいよね。
 この世界でライアンに会えて、本当によかった。

「それとも、実は森で暮らしたいとか思ってるのか?」
「いいえ、とんでもない! 連れてってください!」

 私が首をブンブン振ると、彼は笑って、また歩き始めた。

「疲れたら言え」



 それからしばらく歩くと、川に出た。
 川と言ってもせせらぎで、ライアンは「ちょっと休憩しよう」と言った。

 私は近くの岩に腰を下ろした。

 ライアンは川の水を飲んだり、水筒の水を入れ換えたりしている。
 かと思えば、川をじっと眺めた途端、ピカッと水面が光って、魚が浮いてきた。
 なんて簡単な魚捕り!
 昨日もそうやって獲ったのね。

 魚を持って戻ってきた彼に「捌きましょうか?」と声をかけると「頼む」と魚とナイフを渡された。

「用を足してくる」と彼が森の中に行ってる間に魚を捌いて串に刺す。
 こんなことでも役に立ててよかった。
 そして、トイレ事情がなくて本当によかった。
 ちなみに、トイレが不要なのはライアンに告げてある。
「なるほど、食べる必要がないから出す必要もないのか」と妙に納得された。

 彼がなかなか帰ってこないから、岩を動かして、木を拾ってきて、竈っぽいものを作ってみる。
 昨日の彼の真似だ。

 ライアンは、手にウサギのようなものを持って帰ってきた。

「悪い。遅くなって。森ウサギを見つけたから、つい追っかけてしまった」
「大丈夫です」

 私が作った竈を見せると、彼はにっこり笑って、褒めてくれた。
 そこに火を入れ、魚を炙っている間に、ライアンはウサギを解体した。

 魚はオーケーでも、ウサギはダメだ。
 もちろん、鳥もダメだし、っていうか、動物はダメだ。
 そっちを見ないようにして、魚をひたすら眺める。
 ライアンはそれに気づいたようで、向きを変えて、背中で作業を隠してくれた。

 解体が終わったようで、肉を川で洗ってきて、一口大に切って、枝に通す。
 その作業なら手伝えるわ。

 解体した残りの部分は焼いたのか、跡形もなくて、ほっとした。
 だって、スプラッタは苦手なんだもん。
 ウサギの頭とか残ってたら悲鳴もんだ。

 魚が焼けて、ライアンが食べている間に、今度は肉の番をする。
 お肉の焼けるいい匂い。

 ライアンは魚もお肉も半分残して、夜に食べると言った。

「そうだ! ビタミン!」
「びたみん?」

 木の枝を拾ってた時に見つけた実を彼に渡す。

「これって食べられます?」
「あぁ、グミンの実だな。採ってきてくれたのか?」
「枝を拾ってる時に見つけたから」
「ありがとう。でも、迂闊に森の中に入るなよ? すぐ戻ってくるつもりだったから、注意するのを忘れてて、すまない。ここは結界を張ったから大丈夫だが、森の中は危ない」
「わかりました」

 そっか、いつの間にか守られてたんだな。

 ライアンは美味しそうにグミンの実を食べてくれた。
 やっぱり甘党みたいだ。

「チョコも食べます?」

 私は残りのチョコを箱ごと渡した。
 彼の目が輝く。

「昨日のあれか!」

 彼はひと粒口に入れて、目を細めた。

「これは日持ちするのか?」
「はい。半年は保つかな? でも、熱いと溶けます」
「そんなに保つのか! じゃあ、大事に食べるよ」

 ライアンはうれしそうに荷物に仕舞った。
 そして、私を見ると、あれ?と首を傾げた。
 私の頬に手を当て、角度を変えて、瞳を覗き込む。

「やっぱり少し赤く戻ってる」
「瞳が?」
「そうだ」

 そう言うと、おもむろに口づけられた。

「んっ? んんっ……」

 舌を入れられ、唾液を流し込まれる。

 んー、美味しい……。

 反射的に飲み込むと、じんわりとエネルギーが身体に行き渡る気がする。
 ライアンの甘みにチョコの甘みも付け加わって、うっとりとそれを味わう。

「ふぅ……」

 満足げな溜息を漏らすと、ライアンが笑った。
 そして、また私の瞳を覗き込む。

「あぁ、やっぱり。今ので黒く戻った」
「えっ?」
「たぶん、精が足りなくなると瞳が赤くなるんじゃないか? 逆に精が満たされると黒くなる」
「ってことは、精が満たされてる間は人の中で生きられるんですね!」
「そうだな。この見た目でこの性格で夢魔だって気づくやつはいないだろうな」

 私はうれしくなって微笑んだ。
 ライアンも私の頭をなでながら、微笑んでくれた。
 空色の瞳が優しい。

「それで、だ。森の外に出たら、俺は行かないといけないところがあるから、とりあえず街を目指すが、お前はどうする?」
「……………」

 私は人から精を分けてもらうしかないから、人がいるところに行くしかない。
 だから、とりあえず、ライアンに街まで連れて行ってもらって……。

「娼館……?」

 ポツリとつぶやいた。
 人間のふりができるなら、娼館で働いたら、万事解決じゃない?
 恋人もすぐに作れる気がしないし、飲み屋で誰か男の人を引っ掛けるとか無理そうだし。
 仕事と思えば………。

 ライアンがギョッとした。

「お前、処女だろ? そんなところで処女を捨てるつもりか? そんなくらいなら俺がもらう!」
「だって、私が生きるためにはそうするしかないです……」
「待て待て早まるな! 言う順番を間違えた」
「?」

 ライアンは私をじっと見つめて言った。

「お前が嫌でないなら、しばらく俺がお前の餌になる。俺は隣のシュトラーセ教国を目指しているが、ついてこないか? もちろん、どこで別れてもいい」
「え? いいんですか?」
「俺は追われる身だから、隠れ蓑にもなっていいんだよ。男の一人旅を探してるはずだからな。お前のことは守るから……」
「ライアンがいいなら、私は有難いです」

 そう言うと、ライアンはニカッと笑った。
 イケメンの満面の笑みは攻撃力がすごい。
 胸を撃ち抜かれたようで苦しい。私はそっと胸を押さえた。

「じゃあ、改めて、よろしくな!」
「こ、こちらこそ、よろしくお願いします」



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