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ザオウの森①

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 待ち合わせの時間の十分前に、ラフィーは正面玄関に行った。この間リュオに言われたことを気にしていたのだ。
 でも、八時になっても、リュオは姿を見せなかった。

(やっぱり忙しいのかな。忙しいよね。どうして森に行く気になったんだろ?)

 ラフィーが待っていると、十五分を過ぎた頃、バタバタとリュオが駆け寄ってきた。

「ご、ごめん……」

 全力で走ってきたのか、ぜいぜいと荒い息で柱に手をついて、呼吸を整えている。

(急いで来てくれたんだ)

 ほんわかと胸が温かくなったけど、口に出たのはかわいくない言葉。

「体力ないくせに、そんなに走ってくることないのに!」

 案の定、リュオはムッとした顔をしたが、息が切れてしゃべることができず、悔しそうだった。

「ほら、お茶!」

 ラフィーは自分の水筒を差し出した。
 この前出かけたときに、緊張で喉がカラカラになったから、今日は水筒と軽食を持ってきたのだ。
 リュオは素直に受け取り、水筒をあおる。

「んっんっ……っはぁ……」

 こくこくと動く喉仏が妙に色っぽく感じて、ラフィーは目を逸らす。
 なんだか改めて、男の人だなぁと思った。

「……ありがとう」

 まともに礼を言われて、ラフィーまで喉が乾いてきて、返された水筒を見つめる。

(リュオが口をつけた水筒……)

 飲むのは後にしようと、頬を赤らめながら、彼女は水筒をしまった。

「忙しいなら、わざわざ私に付き合うことないのよ?」

 改めて見たリュオは昨日の昼以来なのに、寝不足なのか、目の下に隈はあるし、顔色が悪かった。
 そういえば、ちょっと前に、研究が大詰めと言ってなかったかしらとラフィーは思い出して、申し訳なく思う。

「リュオ、帰って寝たら? そんな顔でついてきてもらいたくないわ」

 ラフィーがそう言うと、顔をしかめたリュオはカバンから瓶を出し、中身を一気飲みした。
 それはラフィーの見慣れた体力回復薬だった。
 みるみるうちにリュオの顔色がよくなる。

「これでいいんだろ! 僕だって、森に用があるんだ」
「え、なにかほしい素材でもあるの?」
「そんなところ。……行くよ?」

 リュオはスタスタ歩き始めて、慌ててラフィーは後を追った。

「ねぇ、いくら師匠の体力回復薬が効くからといって、あまり頼りきりは体によくないからね!」

 気になっていたことを後ろから叫ぶ。
 リュオは不機嫌そうに振り返って、「そんなこと、知ってるよ」とつぶやいた。



 この間とは反対の西門に向かう。
 繁華街ではないので、薄暗い通りを抜けて、西門に着くと、やはり街灯がない街外は暗い。
 ただ、今夜は晴れているので、三日月と星のささやかな光で、前回よりはマシだった。

(これなら、なんとか大丈夫かも)

 でも、リュオは黙って手を差し出してくれた。
 ラフィーは暗闇が怖いというままのスタンスでいくことにして、有り難くそっと手を重ねた。その手をグッと握って、リュオは歩き出す。
 前回は本当に怖くて怖くて必死に彼にしがみついていたから、最初以外は意識はしなかったけど、少し余裕のある状態で手を繋いでいると、手汗が気になり、手の角度が気になり、握る力加減が気になり、ラフィーはギクシャクと歩いた。
 チラッとリュオを伺うと、口を引き結んで、機嫌が悪そうだ。その不本意そうな様子に切なくなって、ラフィーは俯いた。

(そんなに嫌なら来なければいいのに! あ、でも、リュオも用があるって言ってたわ。私はそのついでなのかな? そうじゃないと、リュオが私と出かけたがるわけないもんね)

 ドキドキしているのは私だけだと唇を噛み、ラフィーは歩みを進めた。

 一方、リュオも余裕はまったくなかった。先日と打って変わって静かについてくるラフィーに戸惑っていた。

 ちょうど仕事が立て込んでいる時期で、この時間を作るために徹夜した。夕食も食べる暇なく、なんとか仕事を切り上げて急いでやって来たのだった。それでも遅刻してしまったが。
 空き腹に体力回復薬を流し込んだおかげで、強制的に体を活性化されているようで、心身が分離しているような妙な気分だ。

(それでも、無理した甲斐があったな)

 ラフィーと手を繋いで夜道を歩く。彼女の息づかいが聞こえる距離。ときどき肩が触れて、ドキッとする。
 こんなことを他の男とされたらたまらない。
 彼女はやっぱり暗闇が怖いのか、うつむき加減に歩き、手に力が入っていて、体がこわばっている。
 そんな様子もかわいらしく思え、気を抜くと、すぐ口許が緩んでしまいそうで、リュオは意識的に顔を引き締めた。 
 二人が無言で歩き続けると、真っ黒に見えるザオウの森が近づいてきた。



「暗い……」

 森の入口で立ち止まり、ラフィーがつぶやいた。
 リュオがあきれたように言葉を返す。

「そりゃそうだよ。夜の森だからね」

 鬱蒼と茂った木々に覆われた森は、月明かりも星明かりも通さず、すべてが黒く塗りつぶされていた。

(この中に入るの!?)

 リュオと出かけることだけで頭がいっぱいで、当然の光景に思い至らなかった自分をラフィーはバカバカとなじった。
 ブルブル震えだしたラフィーにリュオが溜め息をつく。

「なんだよ。ここまで来て、ビビってるのか?」
「悪かったわね! 怖いものは怖いのよ!」
「開き直ったな」
「だって、仕方ないでしょ!」
「明かりをつけてやるから、行くよ?」

 リュオは魔法で明かりを灯すと、ラフィーを引っ張って、森へ入っていった。
 ビクビクとついて歩くラフィーはだんだんとリュオに寄り添うようになり、しまいには左腕に抱きつくような格好になった。
 
(かわいいな)

 思わず、リュオが笑いを漏らすと、見咎めたラフィーが「今、笑ったでしょ! バカにして~!」と膨れる。

「怖がりすぎで、おもしろくなったんだよ」

 リュオの魔力だと、ここを真昼のように照らし出すのも容易いが、敢えてしない。

(動物たちを驚かせたらいけないからね)

 自分に言い訳をしながら、ラフィーがしがみついてくるのをひそかに楽しむ。やわらかなもので腕を挟まれている感触がして、頬が緩んでしまうのを必死で堪える。
 前回は彼女に抱きつかれて動揺する一方だったが、予想していた今回のリュオは浮かれぎみであった。
 草むらがガサッと動いただけで、「わっ」と飛び上がり、ホゥと夜鳥が鳴いただけで、ビクッと震えるラフィーが可愛くて仕方がない。

(でも、ラフィーはクロードが好きなんだよな……)

 そっとリュオは溜め息をついた。
 急激にテンションが落ちる。
 ラフィーはクロードが来ると、満面の笑みで出迎える。リュオにはしかめっ面しか見せないのに。そして、ガイラを口説くのを見たくないようで、すぐ席を外そうとする。

(非の打ち所がないって言ってたよね。相手にされてないと指摘したら、泣きそうになってた……)

 あれは失言だった。本当は『だから、僕にしときなよ』と言いたかったのだ。
 
(僕は失言ばかりしているな)

 ラフィーも最初の頃はリュオにも笑ってくれていた。それが愛想笑いだとしても。

(いや、違うな。初めて会ったときは同じ全開の笑顔だった)

 リュオは思い返した。



 半年ほど前、彼が休憩に王庭をぶらついていたとき、汚れるのも厭わず、しゃがみこんで雑草を抜いている女の子がいた。長い黒髪を後ろで結んだ知的な美人だった。
 新しい庭師かとも思ったが、服装は普通のシャツとスカートでそのような様子には見えない。
 不審に思って、リュオは声をかけた。

「君、王庭でなにをしているの?」

 その声に振り返った彼女は、翠の瞳をキラキラさせて答えた。

「ここ、すごいですね! さすが王宮! 珍しい薬草がいっぱい生えているんです!」

 つり目でツンとした子かと思ったのに、彼女の意外に無邪気な笑顔を見て、リュオは一瞬、言葉に詰まった。

「…………生えているというより、植えてあるんじゃないかな?」
「え、でも、師匠が採ってきてって……」

 とたんに不安そうに彼女は首を傾げた。

「師匠って?」
「ガイラ・サリ先生です」
「あぁ、ガイラの弟子なのか?」
「はい! 昨日からお世話になってますラフィー・リンと言います」

 にっこり笑って元気にハキハキ答える彼女は、見た目の割に、少々幼い話し方でなんだか可愛らしかった。

「ガイラが薬草を採ってきてと言うなら、薬草園でってことなんじゃない?」
「薬草園? そういえば、そう言ってたかも。もしかして、ここで薬草を採ったらダメでした?」

 ラフィーはさっと青褪めると、手の中の薬草をどうしようと見つめて、うろたえた。

「う~ん、よくはないだろうけど、それくらいならいいんじゃない? 薬草園はあっちだよ」

 普段、決して面倒見のいいタイプではないのだが、なぜかリュオは王宮に来たばかりで不慣れなラフィーをそこまで案内した。

 それからしばらくして、ガイラの薬剤庫に魔力回復薬を取りに行ったところ、ラフィーがいた。 
 「いらっしゃいませ~」とのん気な声で出迎えてくれる。
 リュオの顔を見て、「あ、こないだの! 先日はありがとうございました!」と元気にお礼を言ってくれる。
 彼が「いや、別に」と言うと、ガイラが驚いて、「あなたたち知り合いだったの?」と聞いてきた。

「薬草園に案内してくれたんです!」

 ラフィーが答えると、「へぇ~、リュオがね~」とおもしろそうにガイラが言うので、リュオは渋面になった。


 そういえば、あのときまでは、ラフィーは自然に笑ってくれていたんだ。
 リュオは思い出した。
 
 なぜか次にリュオが薬剤庫に行ったときには、ラフィーは愛想笑いになっていた。人のことなど、普段は気にしない彼だったが、なぜか気になって、薬剤庫にたびたび通うようになってしまった。

 誰かになにか言われたのか、ラフィーは出会ったときの無邪気な笑顔は見せず、きどったような綺麗な愛想笑いしかしなくなった。

 そんなものかと思い始めたとき、クロードがやってきた。そのときのラフィーの笑顔を見て、衝撃を受けた。自分に向けるものと全然違っていた。力の抜けた自然な笑顔。
 苛ついた。
 それで、つい言ってしまったのだ。自分に向けられた愛想笑いに対して『そんな不自然で気持ち悪い愛想笑いをされても、不愉快になるだけだよ』と。

 傷ついた顔をした彼女に『しまった』と思った。でも、謝る前に『じゃあ、二度とあなたには笑いかけない!』と宣言され、ムッとして、『それは有り難いね!』と嫌味を返してしまった。それ以来、顔を合わせては口喧嘩の応酬で、謝りそびれている。
 皮肉なことに、そのやり取りで、リュオは自分の気持ちに気がついた。

(今だったら、言えるかな)

「ラフィー」

 リュオは自分の片腕にしがみついて歩くラフィーを見て、口を開いた。

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