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29.ずっと?
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そして、これまでとは違う日常が始まった。
あてがわれたマンションで、昨夜買ってきたパンと牛乳で朝ごはんにする。
昨夜は疲れてるのに、なかなか寝つけなかった。
このところ、藤崎さんの温かい腕の中で眠るのにうっかり慣れてしまっていたから、冷たい布団の中でなかなか温まらない手足を丸めていた。
眠い目をこすり、会社に行く。
事務所に入る前に、周りを確認してみたけど、怪しい人影はなくて、ほっとする。
今日は変な取材申し込みもなく、純粋に『One-Way』の取材やプロモーションに集中できた。昨日の騒ぎのおかげで、売上は過去最高を記録していた。ネットのランキングでもダウンロード回数1位をマークした。
(スクープのおかげなんて、複雑な気分だわ)
それでも、あちこちから声がかかって、うれしい悲鳴をあげる。
今週はそんな風にバタバタと駆け回って、忙しく過ごした。
毎日クタクタになって、マンションに帰る。
真っ暗の部屋に電気をつけながら、いつもならご飯とお風呂と藤崎さんの笑顔が待っていたのにと思ってしまう。
(バカね。あれが非日常だったのよ!)
適当にご飯を作って、食べて寝るだけの生活。
そこに、毎日のように私を気づかう藤崎さんからメッセージが入る。
胸が温かくなり、切なくなる。
よっぽど藤崎さんの牽制が効いたのか、マスコミからはあれ以来なにひとつ問い合わせはなく、知り合いの記者から探られることもなかった。
『大丈夫ですよ』と返しながら、やっぱり藤崎さんはすごいと思う。
さすがカリスマアーティスト。
藤崎さんの威力を思い知った。
やっぱり住む世界が違うわ。
離れてみて、冷静になって、つくづく思う。
そんな雲の上の存在と、契約とはいえ、私が恋人役をやるなんて、異常事態だったんだと。
それに……。
スクープ騒ぎの翌日にマネージャーの佐々木さんに電話で謝ったときの会話を思い出す。
『東吾にも困ったもんよね~。希ちゃんに被害が及ぶようなことがあれば藤崎東吾を辞めるって、血相を変えてなんとかしろと迫ってきたのよ。社長なんか真っ青になっちゃって、あちこちに電話してたわ』
「本当にご迷惑をかけて、申し訳ありませんでした」
『あれは誰が悪いものでもないから、仕方ないわよ。そういえば、東吾はSNSのコメントも本気で引退してもいいぐらいの勢いで書いたらしいわよ。あんなに必死になるなんてね。ふふっ』
佐々木さんはおもしろがって笑っていたけど、それを聞いて、私は青ざめた。
簡単にメディアを切る宣言なんて、普通はとてもできない。あらゆるメディアを切ったとしても、売れる自信があるからこそできる技だと思ってたのに、全然違った。
(藤崎さんがそこまで考えてたなんて! 藤崎東吾が私のせいで消えてしまうのはイヤ!)
焦ってすぐ藤崎さんに電話をかけた。
「私は本当に大丈夫ですから、辞めないでくださいね!」
『もうなんか、あれこれ行動を制限されるくらいなら引退してもいいかなと思って。実際、こうして君にも会えないし』
藤崎さんが拗ねたように答えた。
佐々木さんの言ってたとおりで、慌てて止める。
「ダメですよ! 引退なんて、熱烈なファンとして、許容できません! もっといっぱい曲を作ってください」
『ファンね……。希は曲作りには厳しいね』
「だって、大ファンなんですもん。それに最近の曲はよりいっそう好きになりましたし」
『君を想って作ってる曲ばかりだからね』
藤崎さんの甘い言葉に耳をくすぐられて、ドキドキしてしまう。
(もうっ、本当にいつもいつも誤解を招く言い方は止めてほしい。私を見て、着想してるのだとしても)
「……私が役に立ってて、光栄です」
『でも、やっぱり君がいないと曲が書けない。いつ戻ってきてくれる?』
「いつと言われても……」
藤崎さんのすごさを目の当たりにした私はもう彼のもとに戻れる気がしなかった。
それに好きな人のセフレをするのも胸が苦しい。
「まだ一日しか経ってないじゃないですか!」
『それでもつらいんだ』
そんな落ち込んだ声を出されると、胸がしめつけられる。
でも、勘違いしてはいけない。
(求められてるのは作曲のため。私じゃない)
目を閉じて、湧きおこる感情をやり過ごした。
どうにか藤崎さんをいなして、電話を切る。
(私だって、一日会えないだけでつらいわ。でも、藤崎さんの感じているのとは違う)
声を聴くだけでこんなに動揺してしまう自分が嫌になってしまう。
この想いを忘れるために、打ち込める仕事があってよかった。
一週間が経った頃、藤崎さんから電話が来た。
『もうそろそろ戻ってきてもいいんじゃない?』
「ダメですよ。まだ一週間ですよ?」
『もう一週間だよ。相変わらず、君はつれないね。……こんなに圧倒的な片想いは初めてだよ。こっちはあと一曲だというのに、希がいないから、少しも書けなくて苦しんでるのに』
「なに言ってるんですか。もうあと一曲なら、私がいなくても大丈夫ですよ」
『全然大丈夫じゃないよ』
弱々しい声を出す藤崎さんに同情しそうになるけど、時間が経てば経つほど、藤崎さんのそばに戻るのが怖くなっていた私は、冷静な声を作って言った。言ってしまった。
「藤崎さん、もう契約は止めません? 藤崎さんならきっと私なしで書けますから」
「……それはもう僕のところに戻るつもりがないってこと?」
一瞬の沈黙のあと、低い声で藤崎さんが聞いてくる。
(契約不履行で怒ってる? でも、もう無理だもん)
藤崎さんのそばにいたら、また迷惑をかけることがあるだろう。そのたびに藤崎東吾の引退の危機に陥るなんて、ファンとして、許容できない。
それに、もう心に蓋をして抱かれるのはムリだ。つらすぎる。
「ごめんなさい。だけど、これはいい機会だと思うんです。こんな関係はもうやめましょうよ」
『こんな関係じゃなかったらいいの? それなら、契約とかどうでもいいから、ずっと僕のそばにいてよ』
「ずっと? ムリです!」
『即答か……』
暗い声で藤崎さんがつぶやいた。
「だって、ムリに決まってます!」
この人はわかってるのだろうか?
こんなプロポーズまがいのことを言われて、私の心臓が破裂しそうになってるのを。
抱かれる度に、唐突に歌詞のように『好きだ』とか『愛してる』とか言われるのを聞かないふりしてやり過ごすのが、どんなにつらいかを。
いくら大好きな藤崎さんの作曲のためだとはいえ、そんな生活、ずっとなんて続けられるはずがない。
心が壊れちゃう。
だいたい藤崎さんだって、好きな人ができて結婚したくなるかもしれない。他のミューズが現れるかもしれないじゃない。
そうしたら、どうするの?
……想像するだけで胸が引き裂かれるように痛い。
『ムリね……。やっぱり君はTAKUYAくんの曲がもらえたら、それでいいのか……』
「違います! なんでTAKUYAが出てくるんですか!」
『だって、そうじゃないか! ブロッサムのときも今回のOne-Wayだって、曲ができたら君は僕のことを見向きもしなくなる』
「そんなこと、ありません!」
『結局、君はTAKUYAくんのことしか見てないんだね。わかった』
「ちがっ……」
違うと言いたかったのに、プツンと電話が切れた。
(そんなわけないじゃない! 本当にそうだったら、どんなに心が楽だったことか!)
私は苦しくて、顔を覆った。
これで藤崎さんとの関係が終わった。
自分で言いだしたくせに、もう藤崎さんとご飯を食べることも、微笑み合うことも、抱き合うこともないと思うと悲しくて、私は泣き伏した。
あてがわれたマンションで、昨夜買ってきたパンと牛乳で朝ごはんにする。
昨夜は疲れてるのに、なかなか寝つけなかった。
このところ、藤崎さんの温かい腕の中で眠るのにうっかり慣れてしまっていたから、冷たい布団の中でなかなか温まらない手足を丸めていた。
眠い目をこすり、会社に行く。
事務所に入る前に、周りを確認してみたけど、怪しい人影はなくて、ほっとする。
今日は変な取材申し込みもなく、純粋に『One-Way』の取材やプロモーションに集中できた。昨日の騒ぎのおかげで、売上は過去最高を記録していた。ネットのランキングでもダウンロード回数1位をマークした。
(スクープのおかげなんて、複雑な気分だわ)
それでも、あちこちから声がかかって、うれしい悲鳴をあげる。
今週はそんな風にバタバタと駆け回って、忙しく過ごした。
毎日クタクタになって、マンションに帰る。
真っ暗の部屋に電気をつけながら、いつもならご飯とお風呂と藤崎さんの笑顔が待っていたのにと思ってしまう。
(バカね。あれが非日常だったのよ!)
適当にご飯を作って、食べて寝るだけの生活。
そこに、毎日のように私を気づかう藤崎さんからメッセージが入る。
胸が温かくなり、切なくなる。
よっぽど藤崎さんの牽制が効いたのか、マスコミからはあれ以来なにひとつ問い合わせはなく、知り合いの記者から探られることもなかった。
『大丈夫ですよ』と返しながら、やっぱり藤崎さんはすごいと思う。
さすがカリスマアーティスト。
藤崎さんの威力を思い知った。
やっぱり住む世界が違うわ。
離れてみて、冷静になって、つくづく思う。
そんな雲の上の存在と、契約とはいえ、私が恋人役をやるなんて、異常事態だったんだと。
それに……。
スクープ騒ぎの翌日にマネージャーの佐々木さんに電話で謝ったときの会話を思い出す。
『東吾にも困ったもんよね~。希ちゃんに被害が及ぶようなことがあれば藤崎東吾を辞めるって、血相を変えてなんとかしろと迫ってきたのよ。社長なんか真っ青になっちゃって、あちこちに電話してたわ』
「本当にご迷惑をかけて、申し訳ありませんでした」
『あれは誰が悪いものでもないから、仕方ないわよ。そういえば、東吾はSNSのコメントも本気で引退してもいいぐらいの勢いで書いたらしいわよ。あんなに必死になるなんてね。ふふっ』
佐々木さんはおもしろがって笑っていたけど、それを聞いて、私は青ざめた。
簡単にメディアを切る宣言なんて、普通はとてもできない。あらゆるメディアを切ったとしても、売れる自信があるからこそできる技だと思ってたのに、全然違った。
(藤崎さんがそこまで考えてたなんて! 藤崎東吾が私のせいで消えてしまうのはイヤ!)
焦ってすぐ藤崎さんに電話をかけた。
「私は本当に大丈夫ですから、辞めないでくださいね!」
『もうなんか、あれこれ行動を制限されるくらいなら引退してもいいかなと思って。実際、こうして君にも会えないし』
藤崎さんが拗ねたように答えた。
佐々木さんの言ってたとおりで、慌てて止める。
「ダメですよ! 引退なんて、熱烈なファンとして、許容できません! もっといっぱい曲を作ってください」
『ファンね……。希は曲作りには厳しいね』
「だって、大ファンなんですもん。それに最近の曲はよりいっそう好きになりましたし」
『君を想って作ってる曲ばかりだからね』
藤崎さんの甘い言葉に耳をくすぐられて、ドキドキしてしまう。
(もうっ、本当にいつもいつも誤解を招く言い方は止めてほしい。私を見て、着想してるのだとしても)
「……私が役に立ってて、光栄です」
『でも、やっぱり君がいないと曲が書けない。いつ戻ってきてくれる?』
「いつと言われても……」
藤崎さんのすごさを目の当たりにした私はもう彼のもとに戻れる気がしなかった。
それに好きな人のセフレをするのも胸が苦しい。
「まだ一日しか経ってないじゃないですか!」
『それでもつらいんだ』
そんな落ち込んだ声を出されると、胸がしめつけられる。
でも、勘違いしてはいけない。
(求められてるのは作曲のため。私じゃない)
目を閉じて、湧きおこる感情をやり過ごした。
どうにか藤崎さんをいなして、電話を切る。
(私だって、一日会えないだけでつらいわ。でも、藤崎さんの感じているのとは違う)
声を聴くだけでこんなに動揺してしまう自分が嫌になってしまう。
この想いを忘れるために、打ち込める仕事があってよかった。
一週間が経った頃、藤崎さんから電話が来た。
『もうそろそろ戻ってきてもいいんじゃない?』
「ダメですよ。まだ一週間ですよ?」
『もう一週間だよ。相変わらず、君はつれないね。……こんなに圧倒的な片想いは初めてだよ。こっちはあと一曲だというのに、希がいないから、少しも書けなくて苦しんでるのに』
「なに言ってるんですか。もうあと一曲なら、私がいなくても大丈夫ですよ」
『全然大丈夫じゃないよ』
弱々しい声を出す藤崎さんに同情しそうになるけど、時間が経てば経つほど、藤崎さんのそばに戻るのが怖くなっていた私は、冷静な声を作って言った。言ってしまった。
「藤崎さん、もう契約は止めません? 藤崎さんならきっと私なしで書けますから」
「……それはもう僕のところに戻るつもりがないってこと?」
一瞬の沈黙のあと、低い声で藤崎さんが聞いてくる。
(契約不履行で怒ってる? でも、もう無理だもん)
藤崎さんのそばにいたら、また迷惑をかけることがあるだろう。そのたびに藤崎東吾の引退の危機に陥るなんて、ファンとして、許容できない。
それに、もう心に蓋をして抱かれるのはムリだ。つらすぎる。
「ごめんなさい。だけど、これはいい機会だと思うんです。こんな関係はもうやめましょうよ」
『こんな関係じゃなかったらいいの? それなら、契約とかどうでもいいから、ずっと僕のそばにいてよ』
「ずっと? ムリです!」
『即答か……』
暗い声で藤崎さんがつぶやいた。
「だって、ムリに決まってます!」
この人はわかってるのだろうか?
こんなプロポーズまがいのことを言われて、私の心臓が破裂しそうになってるのを。
抱かれる度に、唐突に歌詞のように『好きだ』とか『愛してる』とか言われるのを聞かないふりしてやり過ごすのが、どんなにつらいかを。
いくら大好きな藤崎さんの作曲のためだとはいえ、そんな生活、ずっとなんて続けられるはずがない。
心が壊れちゃう。
だいたい藤崎さんだって、好きな人ができて結婚したくなるかもしれない。他のミューズが現れるかもしれないじゃない。
そうしたら、どうするの?
……想像するだけで胸が引き裂かれるように痛い。
『ムリね……。やっぱり君はTAKUYAくんの曲がもらえたら、それでいいのか……』
「違います! なんでTAKUYAが出てくるんですか!」
『だって、そうじゃないか! ブロッサムのときも今回のOne-Wayだって、曲ができたら君は僕のことを見向きもしなくなる』
「そんなこと、ありません!」
『結局、君はTAKUYAくんのことしか見てないんだね。わかった』
「ちがっ……」
違うと言いたかったのに、プツンと電話が切れた。
(そんなわけないじゃない! 本当にそうだったら、どんなに心が楽だったことか!)
私は苦しくて、顔を覆った。
これで藤崎さんとの関係が終わった。
自分で言いだしたくせに、もう藤崎さんとご飯を食べることも、微笑み合うことも、抱き合うこともないと思うと悲しくて、私は泣き伏した。
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