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1. 始まり
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音楽が始まった。
今、一番好きな曲『ブロッサム』。
私、瀬戸希は、舞台袖からマネジメントしているTAKUYAが歌い出すのを見つめていた。
バックスクリーンには開花するさまざまな種類の花が映り、TAKUYAの甘いマスクにピンクのスポットライトが当たる。
観客が曲に気づいて、わぁっと歓声をあげた。
今日は、TAKUYAの念願の譜道館ライブだ。
デビューして二年。地道に活動を続け、ファンを増やして、ここまで来た。なかなか早い方だと思う。私的にも初めて一から担当するアーティストなので、思い入れがある。
それに──
(あぁ、本当に素敵な曲。藤崎さんに楽曲提供してもらえて、本当によかった)
しみじみと思いながら、歌に耳を傾ける。
藤崎東吾は、歌良し声良し顔良しの作詞作曲家で、たまにセルフカバーで歌うとミリオンセラーになるほど人気のカリスマミュージシャンだ。
もともと藤崎さんの大ファンで、彼が唯一出しているアルバムを暗唱できるほど聴き込んでいた私は、藤崎さんの曲が欲しくて欲しくて、一年がかりで社長を説得して予算をもらい、今度は弱小プロダクションのそこそこ人気の――人気急上昇中だけど――アーティストに楽曲提供してもらえるよう、藤崎さんを口説き落としたのだ。
(あきらめずに頑張って、よかったなぁ)
最初は当然、藤崎さんに相手にもされなかった。
挨拶から始めて、ようやく口をきいてもらえるようになって、楽曲提供の話をしたら、やっぱりけんもほろろに断られて……と道のりは長かった。
それでもめげずにお願いしつづけて、「根負けした……」とオーケーをもらえたときには、感動で泣いてしまった。生きててよかったと。
『ブロッサム』を藤崎さん自身が歌っているデモ音源は私の宝物だ。
初めて聴いたとき、やっぱり感激して泣いた。号泣した。
藤崎さんの甘いテノールの声が大好きで、実はTAKUYAが歌うより、彼の歌う『ブロッサム』の方が好きなのは内緒だ。
「希《のぞみ》さん」
その大好きな声が私の名前を呼んだ。
「藤崎さん! 来てくれたんですか?」
声の主を見る。ちょっと長めのストレートの前髪を流した奥には、涼やかな切れ長の目が覗き、形のいい鼻と唇が続く。相変わらず、整った綺麗な顔。
確か今年三十歳なはずだけど、小じわの一つもない肌は下手な女性よりも綺麗で、うらやましい。
忙しいはずの彼が、一曲しか提供していないアーティストのライブの初日に顔を出してくれるとは思わなかった。
藤崎さんが来てくれたことに心躍ったけれど、まだ『ブロッサム』が流れているところで、それを聞き逃したくなくて、ペコリとお辞儀をして、また舞台に目を戻した。
「本当に素敵……。すばらしい曲を提供してくださって、本当にありがとうございます」
私は歌に聴き惚れながら、隣に並んだ藤崎さんに改めて感謝する。
目がキラキラと輝いている自信がある。
藤崎さんの曲はどれも私の琴線に触れ、心の深くを揺さぶる。
(あぁ、本当に好き)
数多くの彼の曲の中でも『ブロッサム』はなにか違った。メロディラインの甘さも歌詞の言葉選びもとびきり輝いているように特別感があり、聴くたびにタイトルの通り、花が開くような高揚感をもたらしてくれる。
私の中で『ブロッサム』が一番好きな歌になった。
私が好きなだけじゃない。実際、発売と同時にシングルは爆発的に売れ、ダウンロードや動画の再生回数も記録を更新しまくり。問い合わせが殺到して、毎日うれしい悲鳴を上げていた。
『ブロッサム』に没頭していると、藤崎さんに聞かれた。
「また僕の曲が欲しい?」
「えっ、また書いてくれるんですか!?」
「やっと振り向いてくれたね」
勢いよく振り返ると、藤崎さんは思ったより近くにいた。
うっかり身体が触れそうなくらい。
そして、身をかがめると私の耳もとで囁いた。
私の大好きな声で。
「曲を提供するかどうかは君次第かな……」
「それはどういう……?」
私を流し見る彼の色気に当てられゾクゾクしながら彼を見つめると、後ろから抱きしめられた。
さわやかなシトラスの香りがふわっと漂う。
長身の藤崎さんに左頬を引き寄せられ、彼の顔が近づく。
私は現実感なく、その綺麗な顔に見とれてフリーズしていた。
ひんやりした唇が私のものに重なった。
(えっ?)
私は藤崎さんにキスされていた。
「君が僕のものになるなら、いくらでも曲を提供してあげるよ」
驚いて固まっていると、近い距離のまま、彼はささやく。
甘い声の内容はひどいもので、私の思考は停止した。
(『僕のもの』って……幻聴?)
でも、抱きしめられて、頬にキスされて、色っぽいまなざしで見つめられると、現実だと実感した。
彼の意図を理解すると、かあっと顔が熱くなる。
「……こんなところで止めてください!」
目立たない位置にいるので、幸い誰も注目していないけれど、誰に聞かれたり見られたりしてるかわからない。押し殺した声で咎め、身体を離そうとするけど、藤崎さんの力は強く、びくともせず、為すすべもなかった。
「こんなところじゃなければいいの?」
耳にも口づけを落とされながら、ささやかれる。
ビクッと感じてしまう自分が嫌だ。首を振って、なんとか抗おうとする。
「いいわけないです! だいたい私じゃなくても、藤崎さんならいくらでも相手をしてくれる人がいるでしょ?」
「うん、いるね」
藤崎さんがあっさり認め、耳もとでくすっと笑う。
その吐息が鼓膜をくすぐって、ぴくんと反応してしまう。
(手近にいるなら誰でもいいってこと?)
不穏な返しに憤りを覚える。
「じゃあ、その人たちでいいじゃないですか!」
「でも、君を見てると曲のアイディアが湧くんだ」
「えっ? アイディア?」
思いがけないことを言われて、怒りも忘れて、私はまた聞き返した。
藤崎さんは思いのほか真剣な顔で言う。
「君といると曲が湧いてくるんだ。だから、抱いたらいったいどうなるのかなと思って。あぁ、今も浮かんできた……」
彼はそう言って、ハミングを始めた。
超好みのセクシーな声と良質な音楽を直接耳に吹き込まれて、私は腰砕けになった。
「おっと……」
それを藤崎さんが支えてくれる。
「今のでそんなに感じたの? 君は本当に僕の曲が好きなんだね」
楽曲提供を求めて口説き落とす時に、どれだけ私が藤崎さんの曲が好きか、何度も熱弁していた。彼には言ってなかったけど、本当は曲だけでなく、藤崎さんの声もとても好きだった。
藤崎さんは笑って、私のあごを持ち上げた。また、不埒な表情だ。
「たしか『曲をくれたらなんでもする』って言ってたよね? だから、曲の誕生に手を貸してくれてもいいと思うんだ」
(曲の誕生に手を貸す?)
彼を見返しながら、茫然とする。
確かになんでもするとは言った。でも、藤崎さんは笑って聞き流してたから、まさか今さらそんなことを言われるとは思ってなかった。しかも、こんな形で。
(でも、藤崎さんの新曲が聴けるの?)
それは私にはとても魅力的なことた。
それにさっきの曲の続きを聴きたかった。
「手を貸すって、どうやって……?」
「だから……こっちにおいで」
私は藤崎さんにすぐ横の小部屋に連れ込まれた。
カチャッと鍵が締められて、閉じ込められたのに気づく。
向かい合わせで壁に押しつけられて、唇を塞がれた。
唇を合わせるだけのキスではなく、舌を擦りつけるような深いキスを繰り返される。
ぺちゃぺちゃと音がするくらい舌を絡められて翻弄される。
「んんっ!」
抵抗しようとするけど、舌も手も彼に絡められ、壁と藤崎さんに挟まれている。身体を擦りつけられ、胸の先まで刺激される。
強く口を吸われて酸欠のようになり、ますます頭はぼんやりして、脚の力が抜けてきた。
思わず、彼のシャツを掴んでしまった。
ようやく唇を離した藤崎さんはふっと笑い、耳もとでささやいた。
綺麗な顔に意地悪い表情を浮かべている。
「僕は曲がどんどんできる。君は新しい楽曲を手に入れる。悪くない取引だろ?」
(新しい、楽曲……。悪く、ない……?)
混乱にかすんだ頭で彼の言葉を繰り返す。思考を進めるより先に、藤崎さんが歌い始めた。
「また新しい曲が浮かんだよ………LaLaLa~♪ Mumm~」
私は一瞬で藤崎さんの歌に心を奪われる。
(その曲が聴きたい!)
藤崎さんが耳もとでささやくように歌うから、情緒がめちゃくちゃになる。
「ねぇ、僕のものになってよ」
歌詞のようにささやかれて、思わず、うなずきそうになる。
――わぁぁぁ!
そのとき、舞台のほうから歓声が聞こえてきて、ハッと我に返った。
TAKUYAのライブの真っ最中だというのを思い出す。
「無理です! 仕事があるので、失礼します!」
私は力いっぱい藤崎さんを押しのけて、その部屋から逃げ出した。
今、一番好きな曲『ブロッサム』。
私、瀬戸希は、舞台袖からマネジメントしているTAKUYAが歌い出すのを見つめていた。
バックスクリーンには開花するさまざまな種類の花が映り、TAKUYAの甘いマスクにピンクのスポットライトが当たる。
観客が曲に気づいて、わぁっと歓声をあげた。
今日は、TAKUYAの念願の譜道館ライブだ。
デビューして二年。地道に活動を続け、ファンを増やして、ここまで来た。なかなか早い方だと思う。私的にも初めて一から担当するアーティストなので、思い入れがある。
それに──
(あぁ、本当に素敵な曲。藤崎さんに楽曲提供してもらえて、本当によかった)
しみじみと思いながら、歌に耳を傾ける。
藤崎東吾は、歌良し声良し顔良しの作詞作曲家で、たまにセルフカバーで歌うとミリオンセラーになるほど人気のカリスマミュージシャンだ。
もともと藤崎さんの大ファンで、彼が唯一出しているアルバムを暗唱できるほど聴き込んでいた私は、藤崎さんの曲が欲しくて欲しくて、一年がかりで社長を説得して予算をもらい、今度は弱小プロダクションのそこそこ人気の――人気急上昇中だけど――アーティストに楽曲提供してもらえるよう、藤崎さんを口説き落としたのだ。
(あきらめずに頑張って、よかったなぁ)
最初は当然、藤崎さんに相手にもされなかった。
挨拶から始めて、ようやく口をきいてもらえるようになって、楽曲提供の話をしたら、やっぱりけんもほろろに断られて……と道のりは長かった。
それでもめげずにお願いしつづけて、「根負けした……」とオーケーをもらえたときには、感動で泣いてしまった。生きててよかったと。
『ブロッサム』を藤崎さん自身が歌っているデモ音源は私の宝物だ。
初めて聴いたとき、やっぱり感激して泣いた。号泣した。
藤崎さんの甘いテノールの声が大好きで、実はTAKUYAが歌うより、彼の歌う『ブロッサム』の方が好きなのは内緒だ。
「希《のぞみ》さん」
その大好きな声が私の名前を呼んだ。
「藤崎さん! 来てくれたんですか?」
声の主を見る。ちょっと長めのストレートの前髪を流した奥には、涼やかな切れ長の目が覗き、形のいい鼻と唇が続く。相変わらず、整った綺麗な顔。
確か今年三十歳なはずだけど、小じわの一つもない肌は下手な女性よりも綺麗で、うらやましい。
忙しいはずの彼が、一曲しか提供していないアーティストのライブの初日に顔を出してくれるとは思わなかった。
藤崎さんが来てくれたことに心躍ったけれど、まだ『ブロッサム』が流れているところで、それを聞き逃したくなくて、ペコリとお辞儀をして、また舞台に目を戻した。
「本当に素敵……。すばらしい曲を提供してくださって、本当にありがとうございます」
私は歌に聴き惚れながら、隣に並んだ藤崎さんに改めて感謝する。
目がキラキラと輝いている自信がある。
藤崎さんの曲はどれも私の琴線に触れ、心の深くを揺さぶる。
(あぁ、本当に好き)
数多くの彼の曲の中でも『ブロッサム』はなにか違った。メロディラインの甘さも歌詞の言葉選びもとびきり輝いているように特別感があり、聴くたびにタイトルの通り、花が開くような高揚感をもたらしてくれる。
私の中で『ブロッサム』が一番好きな歌になった。
私が好きなだけじゃない。実際、発売と同時にシングルは爆発的に売れ、ダウンロードや動画の再生回数も記録を更新しまくり。問い合わせが殺到して、毎日うれしい悲鳴を上げていた。
『ブロッサム』に没頭していると、藤崎さんに聞かれた。
「また僕の曲が欲しい?」
「えっ、また書いてくれるんですか!?」
「やっと振り向いてくれたね」
勢いよく振り返ると、藤崎さんは思ったより近くにいた。
うっかり身体が触れそうなくらい。
そして、身をかがめると私の耳もとで囁いた。
私の大好きな声で。
「曲を提供するかどうかは君次第かな……」
「それはどういう……?」
私を流し見る彼の色気に当てられゾクゾクしながら彼を見つめると、後ろから抱きしめられた。
さわやかなシトラスの香りがふわっと漂う。
長身の藤崎さんに左頬を引き寄せられ、彼の顔が近づく。
私は現実感なく、その綺麗な顔に見とれてフリーズしていた。
ひんやりした唇が私のものに重なった。
(えっ?)
私は藤崎さんにキスされていた。
「君が僕のものになるなら、いくらでも曲を提供してあげるよ」
驚いて固まっていると、近い距離のまま、彼はささやく。
甘い声の内容はひどいもので、私の思考は停止した。
(『僕のもの』って……幻聴?)
でも、抱きしめられて、頬にキスされて、色っぽいまなざしで見つめられると、現実だと実感した。
彼の意図を理解すると、かあっと顔が熱くなる。
「……こんなところで止めてください!」
目立たない位置にいるので、幸い誰も注目していないけれど、誰に聞かれたり見られたりしてるかわからない。押し殺した声で咎め、身体を離そうとするけど、藤崎さんの力は強く、びくともせず、為すすべもなかった。
「こんなところじゃなければいいの?」
耳にも口づけを落とされながら、ささやかれる。
ビクッと感じてしまう自分が嫌だ。首を振って、なんとか抗おうとする。
「いいわけないです! だいたい私じゃなくても、藤崎さんならいくらでも相手をしてくれる人がいるでしょ?」
「うん、いるね」
藤崎さんがあっさり認め、耳もとでくすっと笑う。
その吐息が鼓膜をくすぐって、ぴくんと反応してしまう。
(手近にいるなら誰でもいいってこと?)
不穏な返しに憤りを覚える。
「じゃあ、その人たちでいいじゃないですか!」
「でも、君を見てると曲のアイディアが湧くんだ」
「えっ? アイディア?」
思いがけないことを言われて、怒りも忘れて、私はまた聞き返した。
藤崎さんは思いのほか真剣な顔で言う。
「君といると曲が湧いてくるんだ。だから、抱いたらいったいどうなるのかなと思って。あぁ、今も浮かんできた……」
彼はそう言って、ハミングを始めた。
超好みのセクシーな声と良質な音楽を直接耳に吹き込まれて、私は腰砕けになった。
「おっと……」
それを藤崎さんが支えてくれる。
「今のでそんなに感じたの? 君は本当に僕の曲が好きなんだね」
楽曲提供を求めて口説き落とす時に、どれだけ私が藤崎さんの曲が好きか、何度も熱弁していた。彼には言ってなかったけど、本当は曲だけでなく、藤崎さんの声もとても好きだった。
藤崎さんは笑って、私のあごを持ち上げた。また、不埒な表情だ。
「たしか『曲をくれたらなんでもする』って言ってたよね? だから、曲の誕生に手を貸してくれてもいいと思うんだ」
(曲の誕生に手を貸す?)
彼を見返しながら、茫然とする。
確かになんでもするとは言った。でも、藤崎さんは笑って聞き流してたから、まさか今さらそんなことを言われるとは思ってなかった。しかも、こんな形で。
(でも、藤崎さんの新曲が聴けるの?)
それは私にはとても魅力的なことた。
それにさっきの曲の続きを聴きたかった。
「手を貸すって、どうやって……?」
「だから……こっちにおいで」
私は藤崎さんにすぐ横の小部屋に連れ込まれた。
カチャッと鍵が締められて、閉じ込められたのに気づく。
向かい合わせで壁に押しつけられて、唇を塞がれた。
唇を合わせるだけのキスではなく、舌を擦りつけるような深いキスを繰り返される。
ぺちゃぺちゃと音がするくらい舌を絡められて翻弄される。
「んんっ!」
抵抗しようとするけど、舌も手も彼に絡められ、壁と藤崎さんに挟まれている。身体を擦りつけられ、胸の先まで刺激される。
強く口を吸われて酸欠のようになり、ますます頭はぼんやりして、脚の力が抜けてきた。
思わず、彼のシャツを掴んでしまった。
ようやく唇を離した藤崎さんはふっと笑い、耳もとでささやいた。
綺麗な顔に意地悪い表情を浮かべている。
「僕は曲がどんどんできる。君は新しい楽曲を手に入れる。悪くない取引だろ?」
(新しい、楽曲……。悪く、ない……?)
混乱にかすんだ頭で彼の言葉を繰り返す。思考を進めるより先に、藤崎さんが歌い始めた。
「また新しい曲が浮かんだよ………LaLaLa~♪ Mumm~」
私は一瞬で藤崎さんの歌に心を奪われる。
(その曲が聴きたい!)
藤崎さんが耳もとでささやくように歌うから、情緒がめちゃくちゃになる。
「ねぇ、僕のものになってよ」
歌詞のようにささやかれて、思わず、うなずきそうになる。
――わぁぁぁ!
そのとき、舞台のほうから歓声が聞こえてきて、ハッと我に返った。
TAKUYAのライブの真っ最中だというのを思い出す。
「無理です! 仕事があるので、失礼します!」
私は力いっぱい藤崎さんを押しのけて、その部屋から逃げ出した。
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