37 / 45
37
しおりを挟む「えっとなんだったけ?」と記憶の糸をたぐるとすぐに思い出した。
「英語の長文でね、おもしろい話があったの。戦争中に敵国同士の男女が、お互いの祖国を捨てて一緒に他国へ亡命するの。ロマンティックだったな」
「それって、なにかの史実じゃないの?」
「うーん、わからない」と、眉をさげて笑う直は、まだ語りの続きがあった。
「それで、彼女が彼にこういったの。『私たちは、パートナー・イン・クライムだね』って。……すっごく、やるせない気持ちになったよ。大好きなひとと一緒にいようと望むことが、犯罪になっちゃうだなんてさ」
「あぁ、多分その文脈では、犯罪って意味じゃないと思うよ」
「えっそうなの。じゃあ、なんて訳せばよかったの」
「共犯者や犯罪仲間って意外に、別の使い方があるんだよ。友情とか恋人同士の親密さを表現する比喩的な慣用句さ」
「比喩的な慣用句?」
「つまり『自分たちには、一緒に犯罪を犯すことができるほどの信頼関係と深い絆がある』っていいたいんだよ。たまに親友や恋人の言い換えとして使われるフレーズ」
「なるほどぉ」
「直は、アガサ・クリスティ読んだことないの?」
「ないです」と矢継ぎ早に答えた。
「さようですか」
「どうしよう。長文の内容読み間違えたかな」
「心配いらないよ。話の大筋は理解していたようだし。解答には影響しないと思うけど」
自信を持たせるように、真はさりげなく鼓舞した。すると、直はスプーンをくわえたまま、つと黙りこんだ。
「ねぇ。私たちって、パートナ・イン・クライムかな……」とささやく。上目を真にむけると黒目がぶつかった。彼は頬づえした状態で片腕を組んでいた。銀の前髪のかかった瞳に意識がふれて思わずはにかんだ。
「なぜ笑う?」
「わからない」
「大丈夫か。やっぱり熱あるんじゃないの。顔赤いし」
「ちょっとね。考えてたの。無性愛者であることは罪じゃない。でも現実社会では、批判したり存在を認めたくない人たちもたくさんいるんだよね……」
「そうだね」
「私は、丸汐研の外で無性愛の人に出会ったことがない。だから、実際のところ、世の中にはどれくらい無性の人が存在してるんだろうって疑問に思うの」
直がそういうと、真はスマートフォンをいじり始めた。しばらくして、ある画面を直に見せてくれた。
「『職場の新しい上司がエースフォビアだった、つらすぎる』って、なにこれ。ネットの掲示板?」
「そう。当事者たちが書きこみしてるんだよ」
「ねぇ、『エースフォビア』ってなに?」
「エースは無性愛者の愛称。フォビアは嫌悪って意味。つまりアンチ無性愛ってこと」
直は、真が机上に置いたディバイスの液晶画面に目を落とす。
「例えば、私の高校で色々からかってきた男子達は?」
「それは、ただの無知」と一蹴して真は続けた。
「無性愛について周知したうえで、ヘイトしてくるならエースフォビアかもね」
「まぁ、彼らにちゃんと説明したところで受けいれてくれそうもないけど。とにかく学校の中では、理解者はいなかったと思う」
「案外近くにいたりして。エース・スペクトラムを自覚しないまま、周囲に溶けこんだり、逆に違和感を感じてるケースがよくある。いずれにせよ結局は、本人が困ってなければあえて自分にラベリングする必要もないんだと思う」
「でも私は、自分が無性愛だと自認した上で関係を持ちたいよ」
いい返された真は、直へ視線をむけた。
「だって。それが私だからだよ。特に好きなひとには、本当の自分を見てもらいたいって思ってしまうよ……間違ってる?」
「間違ってないよ」と真は答えた。
・・・
翌日。直は二日ぶりに自宅へ戻った。一週間は入院することになった母が帰るまでは、ひとりで過ごすことになる。直は、真の家を去る際に彼からあるものを受けとった。
それは紫のドラゴンのぬいぐるみ。真によれば、突発的な熱がでて寝込んでいたあいだずっと、直は抱きしめていたらしい。よほど気に入ったと悟った真は、遠慮する直をなだめて手放した。
「ようこそ、よろしくね」
ぬいぐるみになんら抵抗もなく直は話しかける。銀の翼と長い尻尾のその龍は、彼女の枕元に置かれた。
合格発表までの二週間は気もそぞろ。不合格だったときを想定し、次の受験が必要だった直は勉強のルーティーンを変更しようとしなかった。そのようなわけで、試験を終えてからも気鬱にとらわれること一四日。
合格発表の朝を迎えて、彼女は大学を訪れた。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。


【完結】ぎゅって抱っこして
かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。
でも、頼れる者は誰もいない。
自分で頑張らなきゃ。
本気なら何でもできるはず。
でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。
全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―
入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。
遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。
本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。
優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立
水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~
第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。
◇◇◇◇
飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。
仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。
退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。
他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。
おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。

古屋さんバイト辞めるって
四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。
読んでくださりありがとうございました。
「古屋さんバイト辞めるって」
おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。
学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。
バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……
こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか?
表紙の画像はフリー素材サイトの
https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる