恋と呼べなくても

Cahier

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「えっとなんだったけ?」と記憶の糸をたぐるとすぐに思い出した。

「英語の長文でね、おもしろい話があったの。戦争中に敵国同士の男女が、お互いの祖国を捨てて一緒に他国へ亡命するの。ロマンティックだったな」
「それって、なにかの史実じゃないの?」
「うーん、わからない」と、眉をさげて笑う直は、まだ語りの続きがあった。
「それで、彼女が彼にこういったの。『私たちは、パートナー・イン・クライムだね』って。……すっごく、やるせない気持ちになったよ。大好きなひとと一緒にいようと望むことが、犯罪になっちゃうだなんてさ」
「あぁ、多分その文脈では、犯罪って意味じゃないと思うよ」
「えっそうなの。じゃあ、なんて訳せばよかったの」
「共犯者や犯罪仲間って意外に、別の使い方があるんだよ。友情とか恋人同士の親密さを表現する比喩的な慣用句さ」
「比喩的な慣用句?」
「つまり『自分たちには、一緒に犯罪を犯すことができるほどの信頼関係と深い絆がある』っていいたいんだよ。たまに親友や恋人の言い換えとして使われるフレーズ」
「なるほどぉ」
「直は、アガサ・クリスティ読んだことないの?」
「ないです」と矢継ぎ早に答えた。
「さようですか」
「どうしよう。長文の内容読み間違えたかな」
「心配いらないよ。話の大筋は理解していたようだし。解答には影響しないと思うけど」
 
 自信を持たせるように、真はさりげなく鼓舞した。すると、直はスプーンをくわえたまま、つと黙りこんだ。
「ねぇ。私たちって、パートナ・イン・クライムかな……」とささやく。上目を真にむけると黒目がぶつかった。彼は頬づえした状態で片腕を組んでいた。銀の前髪のかかった瞳に意識がふれて思わずはにかんだ。
「なぜ笑う?」
「わからない」
「大丈夫か。やっぱり熱あるんじゃないの。顔赤いし」 
 
「ちょっとね。考えてたの。無性愛者であることは罪じゃない。でも現実社会では、批判したり存在を認めたくない人たちもたくさんいるんだよね……」
「そうだね」
「私は、丸汐研の外で無性愛の人に出会ったことがない。だから、実際のところ、世の中にはどれくらい無性の人が存在してるんだろうって疑問に思うの」
 直がそういうと、真はスマートフォンをいじり始めた。しばらくして、ある画面を直に見せてくれた。
 
「『職場の新しい上司がエースフォビアだった、つらすぎる』って、なにこれ。ネットの掲示板?」
「そう。当事者たちが書きこみしてるんだよ」
「ねぇ、『エースフォビア』ってなに?」
「エースは無性愛者の愛称。フォビアは嫌悪って意味。つまりアンチ無性愛ってこと」
 直は、真が机上に置いたディバイスの液晶画面に目を落とす。
「例えば、私の高校で色々からかってきた男子達は?」
「それは、ただの無知」と一蹴して真は続けた。
「無性愛について周知したうえで、ヘイトしてくるならエースフォビアかもね」
「まぁ、彼らにちゃんと説明したところで受けいれてくれそうもないけど。とにかく学校の中では、理解者はいなかったと思う」
「案外近くにいたりして。エース・スペクトラムを自覚しないまま、周囲に溶けこんだり、逆に違和感を感じてるケースがよくある。いずれにせよ結局は、本人が困ってなければあえて自分にラベリングする必要もないんだと思う」
「でも私は、自分が無性愛だと自認した上で関係を持ちたいよ」 
 いい返された真は、直へ視線をむけた。
「だって。それが私だからだよ。特に好きなひとには、本当の自分を見てもらいたいって思ってしまうよ……間違ってる?」
「間違ってないよ」と真は答えた。


 ・・・


 翌日。直は二日ぶりに自宅へ戻った。一週間は入院することになった母が帰るまでは、ひとりで過ごすことになる。直は、真の家を去る際に彼からあるものを受けとった。
 それは紫のドラゴンのぬいぐるみ。真によれば、突発的な熱がでて寝込んでいたあいだずっと、直は抱きしめていたらしい。よほど気に入ったと悟った真は、遠慮する直をなだめて手放した。

「ようこそ、よろしくね」
 
 ぬいぐるみになんら抵抗もなく直は話しかける。銀の翼と長い尻尾のその龍は、彼女の枕元に置かれた。 

 合格発表までの二週間は気もそぞろ。不合格だったときを想定し、次の受験が必要だった直は勉強のルーティーンを変更しようとしなかった。そのようなわけで、試験を終えてからも気鬱にとらわれること一四日。

 合格発表の朝を迎えて、彼女は大学を訪れた。

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