恋と呼べなくても

Cahier

文字の大きさ
上 下
29 / 45

29

しおりを挟む

 そこがどこなのかわからなかった。
 ただあたりは薄暗くて、神秘的な銀色の髪と、あの憂えるような瞳以外はよくわからなかった。
 彼の手が——自分の後頭部に触れたとき、この人はこんなに背が高かっただろうかと思った。かかとを少し浮かせなければ、唇が届かないくらいに……。
 けれどもすぐに自分の身体は、彼もろともゆるやかに地平へ倒れこんだ。仰向けになって、彼の瞳の黒いところをただ見ていた。
 まつ毛をゆっくり下げてまぶたを閉じた。 —— 
 
「ああっ」
 
 両目を見開くと同時に激しい動悸がした。

 直は、高所から落下したような気分だった。一瞬の衝撃的な動揺が全身をかけめぐる。その時、彼女の身体は極度の疲労感で満たされた。片手で口をふさぐと、心拍数の速さは尋常ではなかった。ドクン、ドクンと。しばらく、動くことができなかった。 
 記憶を必死に頭の中に呼び起こす。暗い部屋で。彼とふたりきりで。自分は。いったいなにをしたのか……。思い返すことを拒絶するように、直は強く目をつむった。

 ・・・
 
(今週は、会えない。急に用事ができた。ごめんね) 
 直は、真へそうメッセージを送った。
(わかった。風邪をひかないように)と返ってきた。 
 これで、週末に彼とは会えない。 
 真には会いたかったが、このときの直は、彼と普通に接する自信がなかった。同時に急用などないくせに、うそをついたことにひけ目を感じ、いっそう心がしずんだ。

 翌週の日曜も直は真に会わなかった。
 
(授業の宿題が忙しい)といういうと、彼は問いただすこともしない。ただ直の体調を気にかけるメッセージが返ってきた。
  
 そして、二度あることは三度あるという言葉の文字通り、直は次の日曜日も(会えない)と連絡したのだった。
 
 ・・・

 直が真に最後に会ったのは、もう三週間以上前になる。聖夜をむかえる支度を万全に整えた師走の街は、人々が足早にすれちがっていく。通りやお店のあちこちでクリスマスソングが流れている。日暮も早くなっていた。
 
 ある月曜の放課後。短縮日課で早く学校を出た直がやってきたのは、真の大学だった。久しく正門をくぐり、丸汐の研究棟をめざして歩く。
 研究棟が目に入った。すると直の脚は少し震えた。理由は、寒さが原因ではなかった。

「……直?」 

 大好きだったその低く淡い声にこれほど怯えを感じたことはなかった。ふり返ると、真は片手に数冊の書籍をかかえて立っている。

 図書館かわからないが、どこからか戻ってきたらしく、上着も羽織っていなかった。彼は、すぐ近くまでやってくると、直の視線を捕らえようと頭を少し低くした。しかし直は、目を合わせることを拒むようにアスファルトを見つめている。

「来るなら連絡してくれればよかったのに」と真はいった。
 直は、黙ったまま人形のように動かない。
 
「直、」 
「ごめんなさい……やっぱり帰る」
 そういって一歩ふみだすと、真が道を阻《はば》んだ。
「待って。考えすぎかもしれないけど……。これ、前にもあったよね?」

 ——足よ、動いて。 

 直はそう頭の中で叫んだ。やっとの思いで真をよけるように左へ歩をふみだしたが、動きはあっさり先読みされて真は立ちふさがった。
 待って。と真は繰りかえす。
「なにがあった?」
 問いかけに黙り続ける。時計の秒針が一周を過ぎた頃だ。 直は、右足を少し引いて勢いよく走りだした——。

「直!!」 

 後ろから叫ぶ声が聞こえたが、構うことなく全力疾走。すると真は追ってきてあっという間に距離を縮めててしまった。
 
 真の足がこんなに速いなんて知らなかった。普段バイクに乗っているからと、直は盲点を突かれた。それでも、かつて陸上部だったころの脚力を取り戻した直のほうが一枚うわてだった。 

 青信号の点滅する長い横断歩道をまよわず駆け抜ける。赤に変わったとき、彼は大きな交差点の向こう岸に立っていた。ふたりは全身で息をしてにらみ合う。車が行き来してお互いの視線を邪魔した。次に信号が青になったとき、真の前から直の姿は消えていた。
  

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】ぎゅって抱っこして

かずえ
BL
幼児教育学科の短大に通う村瀬一太。訳あって普通の高校に通えなかったため、働いて貯めたお金で二年間だけでもと大学に入学してみたが、学費と生活費を稼ぎつつ学校に通うのは、考えていたよりも厳しい……。 でも、頼れる者は誰もいない。 自分で頑張らなきゃ。 本気なら何でもできるはず。 でも、ある日、金持ちの坊っちゃんと心の中で呼んでいた松島晃に苦手なピアノの課題で助けてもらってから、どうにも自分の心がコントロールできなくなって……。

全力でおせっかいさせていただきます。―私はツンで美形な先輩の食事係―

入海月子
青春
佐伯優は高校1年生。カメラが趣味。ある日、高校の屋上で出会った超美形の先輩、久住遥斗にモデルになってもらうかわりに、彼の昼食を用意する約束をした。 遥斗はなぜか学校に住みついていて、衣食は女生徒からもらったものでまかなっていた。その報酬とは遥斗に抱いてもらえるというもの。 本当なの?遥斗が気になって仕方ない優は――。 優が薄幸の遥斗を笑顔にしようと頑張る話です。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

独身寮のふるさとごはん まかないさんの美味しい献立

水縞しま
ライト文芸
旧題:独身寮のまかないさん ~おいしい故郷の味こしらえます~ 第7回ライト文芸大賞【料理・グルメ賞】作品です。 ◇◇◇◇ 飛騨高山に本社を置く株式会社ワカミヤの独身寮『杉野館』。まかない担当として働く有村千影(ありむらちかげ)は、決まった予算の中で献立を考え、食材を調達し、調理してと日々奮闘していた。そんなある日、社員のひとりが失恋して落ち込んでしまう。食欲もないらしい。千影は彼の出身地、富山の郷土料理「ほたるいかの酢味噌和え」をこしらえて励まそうとする。 仕事に追われる社員には、熱々がおいしい「味噌煮込みうどん(愛知)」。 退職しようか思い悩む社員には、じんわりと出汁が沁みる「聖護院かぶと鯛の煮物(京都)」。 他にも飛騨高山の「赤かぶ漬け」「みだらしだんご」、大阪の「モダン焼き」など、故郷の味が盛りだくさん。 おいしい故郷の味に励まされたり、癒されたり、背中を押されたりするお話です。 

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

古屋さんバイト辞めるって

四宮 あか
ライト文芸
ライト文芸大賞で奨励賞いただきました~。 読んでくださりありがとうございました。 「古屋さんバイト辞めるって」  おしゃれで、明るくて、話しも面白くて、仕事もすぐに覚えた。これからバイトの中心人物にだんだんなっていくのかな? と思った古屋さんはバイトをやめるらしい。  学部は違うけれど同じ大学に通っているからって理由で、石井ミクは古屋さんにバイトを辞めないように説得してと店長に頼まれてしまった。  バイト先でちょろっとしか話したことがないのに、辞めないように説得を頼まれたことで困ってしまった私は……  こういう嫌なタイプが貴方の職場にもいることがあるのではないでしょうか? 表紙の画像はフリー素材サイトの https://activephotostyle.biz/さまからお借りしました。

処理中です...