恋と呼べなくても

Cahier

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 お盆明けを迎え、夏休みも終わりに近づいた。直は、週に三日ほどの頻度で真のマンションへ通っている。午前九時半から夕方一七時まで。彼は、勉強に付き合ってくれた。

「やった。間違え、いっこだけだったよ!」
「単語数を増やしたおかげもあって、読解の精度はあがってるね。でもスピードが遅い。全然時間配分の範囲で読みきれてない」
「……はい。わかってます」
「リスニングも毎日一〇分でもいいから必ず聞いてね。英語は配点が高いから絶対にコケるな。万全を期しておかないとね」
「……はい。九月の模試、申し込みました」
 直は、落ちこんだ声でそう報告した。真は、よしとうなずくと「僕から提案があるんだけど」と下をむく彼女の顔をあげさせる。
「提案って?」
「今日は、もう勉強はいい。さすがにこんをつめすぎだよ。そろそろ能率も落ちてくるだろうし」
 時刻は十五時。てっきり、まだ研鑽を積むことになるだろうと思っていた直は、意表を突かれている。
「一応、高校最後の夏休みでしょう?」 
 そう真にいわれて彼の意図を理解すると、たちまち直の顔に花が咲いたのだった。
「海! 海見にいきたい!」
「べただね。でも海沿いはあと一時間はたたないと暑くて死ぬ」
「じゃあ、おやつのカステラ食べてから!」

 ・・・

 三時のおやつの文明堂から一時間くらいして、ふたりは東京湾を一望できる臨海公園にやってきた。さほど太陽は高くないが、紺碧を残した夏空が水面をインディゴとエメラルドに染めていた。
  
「見て、海きれい! あれは羽田空港、あれ恐竜橋、あっちはディズニーランド!」

 ちょうど空港の位置から、飛行機が離陸していく。
 同じ方角をながめている真は、仏国の父へ想いをはせているのだろうか。と、直は思った。親子がどれくらいの頻度で連絡を取り合っているのかとか、真はパリへいきたいのではないだろうか、とか詮索してしまう。だが直は、ふみこんで聞きだすつもりはなかった。いずれ彼の口から話が出るのを待とうと考えていたし、彼がそれを望まないならばそれでもよかった。
 
 ふたりは水辺のほとりに腰かけた。そのまわりには、カップルと思しき男女がいて、うだるような蒸し暑さの中で体を密着させている。

「なんか、あんまり家族連れいないね」と直がさりげない感じでいうと、真は近くのカップルに視線を飛ばした。彼らは、腕を組み手の指を絡めあっている。
「恋人同士は、手を握りあって当然か。直はどう思う?」
「正直、よくわからない。ただ、他の人たちが手をつないで歩いてたり、キスしてるところを見ると、自分にはできないなって思う。真は?」
「同じ。前に付き合ってた人がいたっていっただろう」
「うん」と口を閉じてうなずいた。
「あの人は、よく自分から手を握ってきた。理由がないときもそうするから、ちょっとキツかった」
「うそ。ちょっとじゃないでしょ?」 
 そう直がつぶやくと、真は再び体を寄りそいあっている男女を見ていった。 
「僕の場合、手を握るのもハグするのも、できないわけじゃない。ただ、それをするのは理由があるからだよ。共感とかなぐさめとか、勇気づけたいとか。そういうのは、性的な肉体接触とは、まったく違うものだと思ってる」
「……私ね、時々どうしてもこう考えてしまう。自分は、欲張りで冷たい人間なのかなって」
「なぜ?」
「だって、好きな人と性的なことはしたくないのに、その人から好きになってもらいたい、その人と普通に恋愛がしたいって思うのは、わがままで欲張りだよ。罪なのかもしれないよ」
「罪……?」と真はおうむ返しする。
 
 少し情緒が不安定になっていると直は自覚していた。ほかのカップルをみて自分と比較したことが理由なのか、あるいは、真の元カノの話をきいたからなのか。いずれにせよ、気分が落ち込んでいる。 

「あぁ。そうだね、罪だ」 
 横から真が静かにいった。その言葉に、直は感情を顔に表すことができなかった。ただ彼に頭をむけて、目の黒いところをじっと見た。

「って僕がそういえば納得したの?」
 
 喉の奥がとても痛くて、息をそっと吐くと、直の視界はひどく滲んだ。押しとどめられない感情が、滴となってこぼれ落ちていく。泣きながら「しないよ。絶対にしない。ごめん」といい返す。

 とめどなく流れてくる涙をぬぐっていると、となりから真は手の平をすっと差しだした。

「ためしてみる?」

 直の手は少し震えていた。辛抱強く待つ真の手の上に自分の手を重ねると、もっと涙があふれでた。

「感想は?」と真が訊いた。 
 手を握り合っているというより、むしろ真の手の上に直の手が乗っている状態だった。
「つめたい。……真、冷え性なの?」 

 鼻をすすって、ふるえた直の呂律はなんとも滑稽だった。真は、頬がゆるんだ。笑っている。彼があんまり笑うので、直もつられて笑った。

「真は、どんな感じがする?」 
「小さい手。直にバイクの操縦は無理だね」
「そうかな。私、小さいときはバイクに乗るの憧れてたんだよ」
「どうして?」
「日曜日の朝に、見てた仮面ライダーに憧れたから」
「へぇ、仮面ライダー。直が?」
「うん。でも、友達の家に遊びに行った時に友達のお母さんから『女の子が仮面ライダー好きなんておかしい』っていわれたの」
「あぁ、『女の子らしく』ていうヤツね」
「うん。それきり誰にも言わないで秘密にしてた。テレビを見るときだけ憧れた」
「テレビは見続けたのね」
「もちろん。だって、好きな気持ちにうそはつけないでしょ」
「……直はさ。そのままでいなよ。自分の気持ちに正直な直」といって、それから直の手をしっかり握った。

「それは僕にとっても、正直でいてくれるってことだろ?」

 直の体温をうばった彼の手はもう冷たくなどなく、人肌の温もりを感じた。彼女も強く握り返した。ふたりは目線を合わせて、まるで商人が緩みなく握手を交わすような仕草で戯れ合ってお互いの手を離した。 

 真は、「泣きすぎ。ほら顔ふきな」と指さす。直は、リュックの中からハンカチタオルを取りだした。

「ねぇ、直、これ……」と、真はリュックの横に紫のリボンでくくりつけられていた知恵の輪のリングを見つめた。
「はずして見せてくれる?」 
 直は真に手渡した。真はリングを蒼穹にかざしながら目を細くして観察する。
「あぁ、やっぱステンレスなんだよね。不燃ごみだよ」
「え。ごみ?」
 突然、真はバイクのキーホルダーを出してきて、そこからもう片方の知恵の輪をはずした。彼は、ふたつのリングを手の上で眺めている。

「『未練がましいのは体に毒』か……たしかに」などと独り言をいう。
「真、どうしたの?」 

 直は、真がなにを考えているのかわからなくて、銀髪で隠れた彼の瞳をのぞきこむ。すると、わずかに歯を見せたと思った手前、彼は立ちあがった。 
 
 真は、ゴミ箱にその知恵の輪を捨ててしまった。ためらいのない勢いを阻止することはできなかった。 

「ああ~っ!!」と直の声があたりに響きわたる。

 何事もなかったかのように、涼しい顔して戻ってきた真に、「どうしてっ!?」と直はくってかかった。
「いいんだ。やっと捨てられた」
 まるで憑き物の落ちた様子の真は、うしろむきな印象がない。そんな彼を見ると、直は咎めるのがいやになった。
「よ、よ、よくわかんないけど。……真の気持ちが楽になったんならよかったよ。だけどね、」と口ごもった。
「だけど私にとって、おまもりみたいなものだった。新学期から、私を守ってくれるものがなくなっちゃったような気分」
「直は、自分で自分を守れる人間だよ。もっと自信を持って」
「そんなのむり。学校で孤立を感じて負けそうになるときがある」
「じゃあ。そのときは、僕に連絡してみたら。物に頼って持ちこたえるより、人に頼れるほうがずっといいと思うよ」
「迷惑じゃないの?」
「なにいってんのいまさら。あんなにしつこかったくせに。もうとっくに迷惑を通りこしてるよ」 
 にべもない真に、直はふくれっ面でいい返す。
「そういうの、木で鼻をくくるっていうんだよ」
「よし。現代文の勉強もちゃんとしてるみたいだね。試験は英語だけじゃないからね」 
 そっけなくいい返した真に、「話をすり替えないでね」と直は目角が立った。そうかと思えば口元がゆるんで笑いだす。
「ほんとに君は、よく笑うね」 
 真は、遠くの地平線を見つめてそういった。

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