22 / 45
22
しおりを挟む*
とある市民図書館。普段ならば閑散とした館内は夏休みとあって少々人出が多い。
「ねぇ、あの銀髪のひとみてよ」
息をひそめて雑談する少女たち。彼女らの集中力を阻害しているのは、ひと組の男女だった。とりわけハイトーンのシルバーヘアに注意をむけている。銀髪の彼は、机にひじをついて頬を支えた姿勢のまま、ぼんやりした瞳を少女たちへ放った。
「きゃあっ」
とかなんとか小声をあげた。彼に射抜かれた彼女たちは、色めき立って物音をたてる。前髪の奥から、彼は目を細めて白眼視を飛ばしたが、逆に恍惚させてしまっている。なにやらさわがしく、彼女たちはよほど銀髪が気になるようである。
「どうしよう……長文、また半分間違えた」
直は、しなびた声でいった。真の黒目は、彼女の回答用紙をむかい側からにらんでいる。英語の長文から、ぐいと視線を直へと移した。
「正答率うんぬんより、回答に時間をかけすぎだ。本番だったら、とっくにタイムアウトだよ、直」
「わかってるんだけど。時間を気にするほど、空回りして読めないの。ねぇ、真はどうだった?」
「全問正解だよ」
「うっそお。なんで」と直は、真から回答用紙を取りげげた。
「あたりまえでしょ。英語で論文読んでんだから」
話は四〇分前にさかのぼる。
ふたりは、同じ問題を同時に解きはじめた。
真は、一〇分たらずでペンを机上に置いた。それから待つこと三〇分。きょうは、真のチューターが初回ということもあり、時間制限を設けなかったので、彼は直が問題を解き終わる待っていたわけである。
「まさかとは思うんだけど、一語一句全部読んでるの?」
「そうしたいのはやまやまだけど。わからない単語もあるし、読むのが遅いから時間も足りないの」
その返答を聞いた真は、不可解な表情で「つまり、全部読むつもりでいるのね?」と重ねた。
「うん、そうだけど?」
直の返答を受けとった真は、課題は山積みか、とつぶやいた。
「まずスキミングとスキャニングを覚えないといけないね」と説明する。
直は視線を宙にあげ、スキャン……と聞き返す。
「重文と復文を見分けられるようにならないと。あと前置詞句。いいね?」
とりあえず直は、ちょめちょめと真のアドバイスを箇条書きでノートに書きつづった。しかし、バンっ! と真の手が邪魔をする。
「そんなん、メモとっても意味ないから。体に叩き込むの!」
顔を近づけてヒソヒソと話しをする。真の顔面は二〇センチより近く直に接近している。つい、銀髪の前髪に見惚れたが直は目を細めてもっと真に近づいた。
「なに?」
「ねぇ。ここ枝毛……ちゃんとケアしないと髪傷んじゃうよ」
そのとき、直の後方から小さな悲鳴がきこえてきた。きゃあっと、先程の小娘どもがハイになっているのである。彼女たちの位置からは、真と直がキスをしたように見えていた。
「おしずかに!」
巡回する司書の女性が叱り飛ばす。ピシャリと女子たちは静かになった。
直は、ようやく彼女たちの存在に気がつき、胸苦しさがこみあげる。うつむくと、ぐうぅと、空腹を知らせる音がなった。気まずそうに顔を持ち上げる。
「充電切れか」と、真は小声でいった。
時刻はお昼の十三時。直と真は午前中から開始した勉強を中断させることにした。
・・・
この図書館は比較的大型な施設で、解放的なフリースペースが設備されている。そこは、クーラーが弱になっていて、強制しない涼しさが心地よい。
平日ランチタイムのピークを過ぎた広間は、にぎわいもなく、ふたりに好奇の視線をむける若者もいない。
食事の前、真はある提案をもちかけた。
「思ったんだけど。やっぱり図書館はやめたほうがいいと思うよ。人目も気になって集中できやしない」
「うん。でも静かに勉強できるところ、ほかに知らないし」
「静かに勉強ねぇ。勉強はむしろ声に出してしたほうがいい。とくに英語はそう。こっちも声のトーンが気になって教えたいものも教えられないんだよ」
「わかった。でもどこで?」
すると真が思案顔になってこういった。
「もし、直がいやじゃなかったら。ぼくんちでも。ひとり暮らししてるんだ」
「家にいってもいいの?」
直の声色はうかれていた。真は、注意をうながすように「いいのって、君は、いいわけ?」と同意を確かめる。
「うんっ。ありがとう」
笑みをうかべている直に対して、真の表情はかたい。
「少しは抵抗すると思ったんだけど。本当に同意してるの?」
直は、真の心配を察していなかった。というよりむしろ、『勉強する場所が見つからない問題』が解決したことを端的に安堵していた。彼女にとって、彼のいる空間は安全な場所なのである。
「じゃぁ、もうお弁当たべてもオッケー?」と直は控えめにきく。
「あぁ」といって、渋々と真はうなずいた。
その返事を合図に、直は弁当を取りだす。テーブルの上にひとつ、ふたつ。
「はい。約束のものです」
それは、グレーの布とすみれ色の布に包まれた二つの弁当箱。
「本当に作ったの。これやってるひまがあったら、勉強時間にまわせばいいと思うんだけど」
「やだ。真は、私の勉強みてくれる。公平を期すために。私は、真にお昼を持ってくる」
「公平を期すねぇ。僕は見返りを望んだわけじゃない。勉強に付き合う以上、合格はしてほしいけど」
「真の時間をとってもらってばっかりで申し訳ないの。やっぱり、タダで勉強みてもらうなんて気が引けるよ」
「たいしたことじゃないけど。それで直の気持ちが落ち着くなら好きにして。僕もメシの心配をせずにすむ」そういうと、ようやく真は優し気に笑った。
グレーの風呂敷に包まれた弁当が真の目の前にある。
直は「私のお弁当箱だから、小さいかもしれないけど」といって彼が布の結び目をとくのを待った。
真の動作はゆっくりで、彼はおそるおそる灰色の布を広げたのだった。紺色のコンテナは、底が深く大容量だ。
『小さいかもしれないけど』——そうでもないぞ。といいたげな真の目元はぴくっと動いた。彼は、蓋を開けるのをまるでちゅうちょしていた。
直は、緊張感を隠してその瞬間を待つ。かちゃんと、蓋のクリップをはずす音がして、彼はついにその箱を開けた。
「……」
真の反応は鈍い。だまって黒目を弁当に落としたまま、うんともすんとも言わない。むろん、ほめごろしする言葉が返ってくるとは、さすがに期待していなかった。が、眉一つ動かさない様子を見た直は、しだいに焦慮感が込みあげた。
「もしかして、嫌いなものあった?」
すると真は、「ごめん」と一言だけ発した。
いったい、彼はなにを考えているのだろうか。弁当のできばえに自信があっただけに、直の胸中は急転直下した。
「食べられない」
真は、静かにそういった。
「どうして?」
直は細い声で訊き返す。
「こんなの、食べられるわけない」
「……どういう意味?」
「無理だ。食べ方がわからないんだ」
直は気がついた。真の瞳は少し濡れて見える。これほど切なそうで、悲しげな顔をする彼を見たことがなかった。
どういうわけか、直は詳しい事情をきいてはならないと直感した。同時に真がある種の悲哀を感じていると悟った。
「……あのね、真。私にとって、お弁当は涙の味なの」
直は、慎重に言葉を選ぶ。真は視線を上げた。
「つかれたとき、つらいとき、頑張ったとき。逆に、頑張りたいと思うとき。お弁当を食べると涙がでちゃうことがあるの。あれって、なんでなんだろう」と窓の外を眺めていう。すぐに「私の料理の腕がいいって、うぬぼれてるわけじゃないよっ」と手のひらをふってつけ加えた。
「でも、ひとつ、確かなことがある。朝、作ってるときに考えるんだ。これを開けたとき、嬉しい気持ちになるようにって。そう思って、お弁当は作ってるんだ」
直は、風呂敷に手をかけて自分の弁当箱も開梱する。蓋を開け、弁当の中身をのぞき込むと彼女の目尻はさがった。
真は、直の様子をじっと目で追いかけていた。
「私ね、卵焼きはいつも絶対入れるの。うっかり卵を切らしたとき以外は、抜いたことないんだよ」
それを最後に直と真は視線を重ねた。彼は憂えるまなざしのままで、箸のケースを手にとる。二本の棒を持ち、もたつく速度でゆっくり卵焼きに箸をつけた。持ちあげてみると、淡い黄金色の長方形は、一口におさまるくらいの大きさ。
彼は、その卵焼きを口にした。唇をくっつけて、あごを動かしていたが、しばらくすると顔を下にむけた。そうかと思えば、上目で直を見返した。にやける真の顔を見た直は胸をなでおろす。手の甲で口元を抑えた彼の瞳はやっぱり少し光ってみえた。
「私も。いただきます!」
手と手を合わせて挨拶すると、直は、艶やかに照る肉巻きを持ちあげた。肉に巻かれたインゲンの緑色が引き立っている。
直の旺盛な食べっぷりを見た真の目元は、緊張感が溶けていく。彼が再び食べはじめるのを見ると、なぜか直の目元から涙が落ちた。軽い涙をぽろぽろこぼしながら「うん、まぁまぁかな」と、直は笑った。
真がこらえた涙は、直がかわりに流した。結局、直は真になにも聞かなかった。彼も、彼女の涙についてふれることはなかったが、弁当は完食した。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

みいちゃんといっしょ。
新道 梨果子
ライト文芸
お父さんとお母さんが離婚して半年。
お父さんが新しい恋人を家に連れて帰ってきた。
みいちゃんと呼んでね、というその派手な女の人は、あからさまにホステスだった。
そうして私、沙希と、みいちゃんとの生活が始まった。
――ねえ、お父さんがいなくなっても、みいちゃんと私は家族なの?
※ 「小説家になろう」(検索除外中)、「ノベマ!」にも掲載しています。
もしもしお時間いいですか?
ベアりんぐ
ライト文芸
日常の中に漠然とした不安を抱えていた中学1年の智樹は、誰か知らない人との繋がりを求めて、深夜に知らない番号へと電話をしていた……そんな中、繋がった同い年の少女ハルと毎日通話をしていると、ハルがある提案をした……。
2人の繋がりの中にある感情を、1人の視点から紡いでいく物語の果てに、一体彼らは何をみるのか。彼らの想いはどこへ向かっていくのか。彼の数年間を、見えないレールに乗せて——。
※こちらカクヨム、小説家になろう、Nola、PageMekuでも掲載しています。
極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~
恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」
そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。
私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。
葵は私のことを本当はどう思ってるの?
私は葵のことをどう思ってるの?
意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。
こうなったら確かめなくちゃ!
葵の気持ちも、自分の気持ちも!
だけど甘い誘惑が多すぎて――
ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち
ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。
クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。
それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。
そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決!
その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。
六華 snow crystal 8
なごみ
現代文学
雪の街札幌で繰り広げられる、それぞれのラブストーリー。
小児性愛の婚約者、ゲオルクとの再会に絶望する茉理。トラブルに巻き込まれ、莫大な賠償金を請求される潤一。大学生、聡太との結婚を夢見ていた美穂だったが、、

先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件
桜 偉村
恋愛
別にいいんじゃないんですか? 上手くならなくても——。
後輩マネージャーのその一言が、彼の人生を変えた。
全国常連の高校サッカー部の三軍に所属していた如月 巧(きさらぎ たくみ)は、自分の能力に限界を感じていた。
練習試合でも敗因となってしまった巧は、三軍キャプテンの武岡(たけおか)に退部を命じられて絶望する。
武岡にとって、巧はチームのお荷物であると同時に、アイドル級美少女マネージャーの白雪 香奈(しらゆき かな)と親しくしている目障りな存在だった。
だから、自信をなくしている巧を追い込んで退部させ、香奈と距離を置かせようとしたのだ。
そうすれば、香奈は自分のモノになると思っていたから。
武岡の思惑通り、巧はサッカー部を辞めようとしていた。
しかし、そこに香奈が現れる。
成り行きで香奈を家に上げた巧だが、なぜか彼女はその後も彼の家を訪れるようになって——。
「これは警告だよ」
「勘違いしないんでしょ?」
「僕がサッカーを続けられたのは、君のおかげだから」
「仲が良いだけの先輩に、あんなことまですると思ってたんですか?」
甘酸っぱくて、爽やかで、焦れったくて、クスッと笑えて……
オレンジジュース(のような青春)が好きな人必見の現代ラブコメ、ここに開幕!
※これより下では今後のストーリーの大まかな流れについて記載しています。
「話のなんとなくの流れや雰囲気を抑えておきたい」「ざまぁ展開がいつになるのか知りたい!」という方のみご一読ください。
【今後の大まかな流れ】
第1話、第2話でざまぁの伏線が作られます。
第1話はざまぁへの伏線というよりはラブコメ要素が強いので、「早くざまぁ展開見たい!」という方はサラッと読んでいただいて構いません!
本格的なざまぁが行われるのは第15話前後を予定しています。どうかお楽しみに!
また、特に第4話からは基本的にラブコメ展開が続きます。シリアス展開はないので、ほっこりしつつ甘さも補充できます!
※最初のざまぁが行われた後も基本はラブコメしつつ、ちょくちょくざまぁ要素も入れていこうかなと思っています。
少しでも「面白いな」「続きが気になる」と思った方は、ざっと内容を把握しつつ第20話、いえ第2話くらいまでお読みいただけると嬉しいです!
※基本は一途ですが、メインヒロイン以外との絡みも多少あります。
※本作品は小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる