恋と呼べなくても

Cahier

文字の大きさ
上 下
20 / 45

20

しおりを挟む

「……変わった。って?」 
 丸汐教授は、片足をひざの上にのせて組んだまま、回転式の椅子をゆらして続けた。
「思っていることを素直に吐きだすようになったというか。抑圧されていたんですよ、彼は」
「抑圧。そうなってしまったのは、過去の体験とかが原因ですか?」
「彼の場合それもあるんでしょうが。ここへくる学生たちは、ほとんどにかよったことを話します。自分が異常で異質なのではないか、と疑念がぬぐえないままときを過ごすうちに、標準や一般という箱の中に自分を押しこめて蓋をするようになった。そうして、元々の自分をいなかったことにしたのだけれども、本心では『自分は壊れてなどいない』と思いたかったのだと。ですが、皆、結局は箱の蓋を開けてしまうのです。彼らを見ていて思います。悩み、苦しみが続いたとしても、生きていればおのずと道は、ひらかれる」

 丸汐の話に引きこまれた直は、近くの椅子に腰かける。彼女のだんまりした口を開いた。
「先生。私は、まわりの友達の感覚がわからなくて、自分をみんなの中で浮いた存在みたいに思ってました。同級生と付き合ったのは、純粋に彼と話してて楽しかったからです。でも付き合ったら、なにもかもが、変わってしまったんです。それから……」 
 直はますます饒舌になっていく。丸汐は、黙って耳を傾けた。
「交際した同級生は、私の知ってる彼ではなくなった。キスをされたり、体を触られることを嫌だといえませんでした。むしろ、友達は『よかったね』とか『仲がよくてうらやましい』っていったんです。ほかの人たちにとっていいことが、私にとっては、つらいことで。その私の葛藤を、真は一瞬で見抜いたんです」
「そうでしたか」
「それからずっと彼のことばかり考えてた。この気持ちが恋愛感情なのか。正直よくわからないです。彼と友情関係を結びたいわけでもない。でも、彼のことが好きです。この気持ちを名前でよべなくてもいいんでしょうか?」
 
 丸汐は、組んだひざの上に手を置いていた。黙ったままいい返してこない。そんな彼を見た直は後悔の色を浮かべて下をむく。
 数秒あいだを置いて、丸汐はいった。

「パートナーに対して、真に正直であること。……それが、もっとも大切なことでは?」 

 さらりとした口調に反して、言葉に重みを感じた。直は、それ以上の説明を要求せず、彼の言葉を自分の頭の中に大事にしまっておくことにした。
「はい。わかりました。ありがとうございます」と返事をする。
 真剣な様子の直を見た丸汐は、またクスッと笑った。
「残念ながら、私に恋愛のことを相談されても気のきくことはいえないでしょう。私がハートのエースを手にすることはありません」と、直が持っているトランプに人差し指を突き立てた。
「アロマンティックは、他者に恋愛感情を抱きませんから」という。
 直は、それがある種のカミングアウトであると悟った。彼女は、そっと黒目を丸汐へむける。教授は、落ち着いた姿勢を崩すことなく穏やかな目元で彼女を見返している。

 ふふふ、と微笑すると、「そうですね、白石君が適任かな」と横目を流した。すると研究室の扉をやや乱暴にたたく音がしてドアが開いた。


「はいはい、おつかれでーす」 
 雅の声が快活に響く。
「噂をすれば」と丸汐は口角をあげる。
 
 しかし入室してきたのは雅だけではなく、そのうしろに一人の男性とおぼしき人物がいる。直は、彼のくすみかかった暗い緑色の髪をまじまじと見た。耳の軟骨から耳たぶのほうにむかって貫通する太めのインダストリアルピアスも凝視してしまう。
 ——すごく痛そう!! と、直は彼のビジュアルに物怖じする。そしてその彼は、雅より先に直に飛びついたのだった。

「あれあれ。お客さんがいる。ほらね、多めに買って正解だったじゃん」
「直にゃん!」 
「おーい。雅ちゃーん。にゃんって?」 

 おきざりにされたグリーンヘアの彼は、雅に問いかける。が、無視されている。かわりに丸汐が声をかけてきた。

「ごきげんよう紫田《しばた》君、院試おつかれさまですね」
「楽勝っす」
「まだ面接のってるけど、やはり髪は、そのままなんですね」
「どうせ、普段の風体バレてるから。わざわざ黒染めしなくてもいいかなって。真は気にしすぎなんだよ」
「そうかもしれませんねぇ」というと、丸汐はデスクチェアから立ちあがって伸びをした。
「ほんとは、もっと明るくしたかったんすけど。ビリー・アイリッシュみたいに。で、誰このひと?」と指差した。
「コラっ」と雅が人差し指をにぎりつぶす。

「はい、この子は直ちゃんです。職業女子高生。好きなものは、真です」
 一方的に紹介文を読みあげた雅は、同じく勝手に彼の自己紹介を代弁して直に伝えた。
紫田しばた健次郎けんじろう。学部四年生。丸汐研のメンバーです。真と同じく、院への内部進学が決まってるんだよ」

「どーも」と健次郎は、直に愛嬌ある笑みをみせた。そうかと思えば、「ねぇ、好きなものが真って、どういうこと?」とまるで恐怖体験を語るような声でそういった。

「私は、日向直といいます。来年、ここを受験する予定です。受かったら、丸汐先生のところで無性愛について勉強がしたいんです」
「無性愛ってエイセクシュアル? へぇ、めずらしいね。ていうか高校生なんでしょ。よく知ってたねそんなの」
「それは……」と直が口をまごつかせると、健次郎は、はっとしたようにあごに手を置いた。
「あぁっ、だから真が好きなわけ!?」
「おどろけ、健次郎。好きなのは真も同じだぞ。もうぞっこんだ」
 快心の一撃だった。雅は目を細長くさせて小さく暴露する。健次郎は、「ゴッシュ」と、つぶやいて口を片手でおおった。 
 雅は、健次郎の肩に手をおくと「話せば長くなるから」といったが、その先はめんどくさそうな顔で「押して知るべし」と放棄する。
「健次郎。あんたはさ。取り残されてんだよ」
 
 二者が会話するあいだ、直の黒目は、雅と健次郎とを行ったり来たりした。
 口を挟めず圧倒されていると、ぐうぅっとお腹のなる音が鳴った。とたんに部屋の中がしんとした。
 
 一同の視線を集めた直は、目をぎゅっとつむって「ごめんなさい。私」と食いしばるように白状した。
「直ちゃん。またおなかすいてるの?」
「すいません。きょう短縮日課で。うちに帰って食べる予定だったんです」
 弁解して腕時計をみる。時刻はちょうど十四時。真が学校にこなければ、とっくに昼食をすませていた。 
 健次郎は、手にしていた乳白のビニール袋を持ちあげた。
「よくわかんないけど。よろしくね。直、メロンパン好き?」
 いきなり下の名前で呼ばれた直は動揺した。
「うちの大学のパン屋のパン。おいしいよ。一緒に食べよ」と健次郎は口元をひいた。
「ガーリックブレッドが一番人気なんだけどさぁ。昼前に売りきれちゃうんだよ。で、メロンパンが二番人気」
「そ、そうなんですね」
 気の優しい青年だとわかり、緊張の糸がゆるんだ直はうなずいて「ありがとうございます」と答えた。
「丸汐先生は?」
「ありがとう。でも結構です。これから会議なので。高級茶菓子つきの」と嫌味のない口調でいった。
「では、部屋番よろしくおねがいします。直ちゃん、ごゆっくり」といっていなくなった。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

もしもしお時間いいですか?

ベアりんぐ
ライト文芸
 日常の中に漠然とした不安を抱えていた中学1年の智樹は、誰か知らない人との繋がりを求めて、深夜に知らない番号へと電話をしていた……そんな中、繋がった同い年の少女ハルと毎日通話をしていると、ハルがある提案をした……。  2人の繋がりの中にある感情を、1人の視点から紡いでいく物語の果てに、一体彼らは何をみるのか。彼らの想いはどこへ向かっていくのか。彼の数年間を、見えないレールに乗せて——。 ※こちらカクヨム、小説家になろう、Nola、PageMekuでも掲載しています。

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

四季彩カタルシス

深水千世
ライト文芸
それぞれの季節、それぞれの物語。 どこかで誰かが紡ぐ物語は悲喜こもごも。 親子や友情をテーマにした短編集です。

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

六華 snow crystal 8

なごみ
現代文学
雪の街札幌で繰り広げられる、それぞれのラブストーリー。 小児性愛の婚約者、ゲオルクとの再会に絶望する茉理。トラブルに巻き込まれ、莫大な賠償金を請求される潤一。大学生、聡太との結婚を夢見ていた美穂だったが、、

先輩に退部を命じられた僕を励ましてくれたアイドル級美少女の後輩マネージャーを成り行きで家に上げたら、なぜかその後も入り浸るようになった件

桜 偉村
恋愛
 別にいいんじゃないんですか? 上手くならなくても——。  後輩マネージャーのその一言が、彼の人生を変えた。  全国常連の高校サッカー部の三軍に所属していた如月 巧(きさらぎ たくみ)は、自分の能力に限界を感じていた。  練習試合でも敗因となってしまった巧は、三軍キャプテンの武岡(たけおか)に退部を命じられて絶望する。  武岡にとって、巧はチームのお荷物であると同時に、アイドル級美少女マネージャーの白雪 香奈(しらゆき かな)と親しくしている目障りな存在だった。  だから、自信をなくしている巧を追い込んで退部させ、香奈と距離を置かせようとしたのだ。  そうすれば、香奈は自分のモノになると思っていたから。  武岡の思惑通り、巧はサッカー部を辞めようとしていた。  しかし、そこに香奈が現れる。  成り行きで香奈を家に上げた巧だが、なぜか彼女はその後も彼の家を訪れるようになって——。 「これは警告だよ」 「勘違いしないんでしょ?」 「僕がサッカーを続けられたのは、君のおかげだから」 「仲が良いだけの先輩に、あんなことまですると思ってたんですか?」  甘酸っぱくて、爽やかで、焦れったくて、クスッと笑えて……  オレンジジュース(のような青春)が好きな人必見の現代ラブコメ、ここに開幕! ※これより下では今後のストーリーの大まかな流れについて記載しています。 「話のなんとなくの流れや雰囲気を抑えておきたい」「ざまぁ展開がいつになるのか知りたい!」という方のみご一読ください。 【今後の大まかな流れ】 第1話、第2話でざまぁの伏線が作られます。 第1話はざまぁへの伏線というよりはラブコメ要素が強いので、「早くざまぁ展開見たい!」という方はサラッと読んでいただいて構いません! 本格的なざまぁが行われるのは第15話前後を予定しています。どうかお楽しみに! また、特に第4話からは基本的にラブコメ展開が続きます。シリアス展開はないので、ほっこりしつつ甘さも補充できます! ※最初のざまぁが行われた後も基本はラブコメしつつ、ちょくちょくざまぁ要素も入れていこうかなと思っています。 少しでも「面白いな」「続きが気になる」と思った方は、ざっと内容を把握しつつ第20話、いえ第2話くらいまでお読みいただけると嬉しいです! ※基本は一途ですが、メインヒロイン以外との絡みも多少あります。 ※本作品は小説家になろう様、カクヨム様にも掲載しています。

処理中です...