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しおりを挟む翌日。それは、登校してきた直が階段をのぼる途中のことだった。階段おどり場にたむろしている男子三人組の前を通り過ぎると、「おはよう、無性愛者」と声をかけられた。直は、足を止めて彼らに視線をむける。
「音也もかわいそうだよな。恋愛異常者と知らずにキスしてたなんて」
「……べつに私は普通だよ。恋愛はするし」
「キスもしたくないらしいじゃん。恋人っていわねえよ。なぁ?」
横のふたりも同意するように、あごを引いた。
「……どうして。いろんな人間がいるって理解しようとしないのはなんで?」と直は声を震わせていい返す。
「無性愛って認めたら人類が滅亡するじゃん。子孫残さないってことなんだからさ」
「それって、ある意味罪深いよな。おまえ、少子化の根源」
もはや、反論する言葉が即座に浮かんでこない。直の瞳は凍りついている。すると、右端の男子がズボンのポケットに手を入れたまま、ボソっとつぶやいた。
「ハズいだけだったりして。上手いヤツと、いっぺんしてみたら?」
「信じられない」と、直は声を落として彼らから離れた。
教室へ入ると、美結がいた。
目が合うと、美結は「お、おはよう」とぎこちなく挨拶をする。
「……おはよう」 席に着こうとすると、直は他のクラスメートから視線をキャッチした。昨日、自分がこの場で大声で発言したことを思い出してしまった。
・・・
昼休みのチャイムがなる。ひとりで食べる弁当も悪くない。直は、毎朝自分で弁当を拵《こしら》えている。彼女の通う高校には料理部があり、興味を持ったこともあったが、結局三年間帰宅部のままだった。
放課後、直はとある一室のドアの前に立っていた。『在室』のプレートを確認。ノックをすると、ドアのむこうがわから「はい、どうぞ」と聞こえた。
「失礼します」
「こんにちは。えーっと、三年三組の日向直さんですよね」
「はい。突然すみません」
「気にしなくていいのよ」というと、その女性はドアの外にあったプレートを『在室』から『面談中』へと裏返す。
「座って。改めまして。スクールカウンセラーの田中です」
「日向です。よろしくお願いします」
テーブルを挟んでむかい合う。席に着いた直とカウンセラーの田中だったが、すぐに会話は始まらない。直は最初の一言が、のどのあたりでつっかえている。彼女が唇をなめる仕草を見た田中はいった。
「今日はお昼なに食べたの?」
「え、お昼ですか。普通に、持ってきたお弁当です」
「お弁当。お母さんが作ってくれるの?」
「いいえ。私は自分で作ってます」
「あら、すごいわね。毎日?」
「一応。好きなんで、料理」
「へぇ、じゃぁ、食べることは?」
「食べること、はい。好きですけど」
「じゃあ、気持ちがいらいらしたり、不安になると、つい、たくさん食べちゃったりすることはあるかな?」
「……それは、ないです」
「そっか。でも、日向さんすごく痩せてるよね」
「あの。私、摂食障害とかじゃないし、過食して、吐いたりとかしてないですよ」
すると、田中はじとっと直の目を見返した。早くも居心地の悪さを感じた直は、視線を逸らした。
「なにか、学校生活で困ってることとかある? お家でのことでもいいよ。何か不安があったら、きかせてちょうだい」
「あの……実は、」と、直はいいかけてもう一度だけ田中の顔色をうかがった。
自分で決断してカウンセリング室を訪れたのだし……。そう、覚悟を決めた直は、単刀直入にいった。
「私、付き合っていた彼氏がいたんですけど、別れたんです。理由が、キスをしたり、性的な行為をしたくなかったからなんです。前に彼の家へ行った時があって。『セックスしたい』って押し倒されたけど、私は断ったんです。それで、先週なんですけど、私から別れたいといいました」
突拍子もなく恋バナが始まった。田中は、なにを考えているのか表情が全く動かない。そのカウンセラーは傾聴を続けた。
「別れたことについて、その理由を友達に話したら、共感してもらえなかったんです。私が無性愛者だっていっても理解してもらえませんでした。それどころか、おかしいって思われたみたいです。田中先生は私のこと、どう思われますか」
——どう思われますか。
そう問われて、田中は数秒考えた。
「日向さんが、その彼と行為したくないって思って、ちゃんと断れたことは、うん。えらかったね。頑張ったね」
「あぁ、それは、もういいんです。それより。先生は、性的なことに関心をもてない私が恋をすることをどう思いますか」
田中は、質問を咀嚼しようとしているのか、まばたきを繰り返す。
「えっとね。日向さん落ち着いて」
「落ち着いてます」
「まず、性的なことに関心がないなんて、いいきれないと思うわ。惹かれあった男女が愛を深めれば、自然に密接になるものなのよ。だからきっと、別れた彼とは、相性が合わなかったんだと思う。日向さんも、いつか心から愛するひとにめぐりあったら、理解できるはずだわ」
「理解できるって、なにをですか?」
「本当の愛をよ」
「本当の、愛?」
直は眉間にしわをきざんできき返す。
「例えばね、日向さんのご両親。あなたのお父さんとお母さんも、お互いに惹かれあって人生を支え合うことを誓ったのよ。そうして、愛を深め合って、行為したから、だから今あなたはここにいる。わかるかしら?」
田中は深憂のこもった静かな口調で続けた。
「日向さんは、まだ若いんだから。これからよ。焦って性行為をしようと思う必要はないわ」
「なにいってるんですか。私の話を聞いてましたか。性行為したかったのは、私じゃなくて彼のほうです。あと、両親のことを引き合いにしないでください。さっきの話、とても気持ち悪かったです」
「……気持ち悪いって?」
「父と母が愛し合って、なんとかって。すごく気分が悪いです」
ごくん、と唾を呑みこんだ直のことを田中は勘ぐるような目で見つめた。
「ねぇ、日向さん。性の授業はうけたよね?」
「はぁっ!?」
「確かに、気持ち悪いって思うのもわかる。でも、あなたにとって大事なことだって教わったでしょ?」
——いやこれは、間違いなく脱線している。さもありなん、という様子で田中の目力はほとばしっていた。身の危険を感じた直は、退室の好機をねらう。しかし、田中は憂色を一層濃くしていった。
「無性愛って、聞き慣れないけど、なんとなくわかるわ。でも、それは一時的な感情を表現した言葉にすぎないと思うの。本気で好きな男性と心が通じ合ったら、性的な関係に自然に移行するし、それは幸せの証じゃないかしら」
「……もう、ムリ」
直は、吐息のようにつぶやいた。ところが、田中の耳には全く届いていなかった。
「ちょうどそういう年頃だものね。誰でも気まずい初体験を経験するものよ」
「私は、無性愛者なんです!」
「落ち着きましょう日向さん。無性愛者って、恋愛をしないってことかしら?」
「いいえ。恋愛感情みたいなのはあります」
「恋愛感情があるのに、性的なコミュニケーションはしたくないの?」
「そうです!」
「矛盾して聞こえるわ。それじゃぁ、どうやってお互いに愛情表現をするのかしら?」
直は、田中をにらみつけると、質問を質問で返した。
「先生は、キスやセックスでしか愛情表現ができないんですか?」
すると喜怒哀楽がない表情で田中はだまりこんだ。そのわざとらしい沈黙が直を萎縮させた。
直は、立ち上がって荷物を取った。頭を下げてから、「せっかく、お時間をとってくださったのに、すみません。もう大丈夫です。失礼します」と告げた。
そそくさと出て行こうとする直に、田中は「待って」と呼びとめる。
ドアノブに手をかけていた直は振りかえった。
「また、いつでも話をきかせてね。先生、相談にのるからね」
もう二度と来ません。と心の中で返す。直は、軽く会釈して退出した。廊下に出ると、空気がひんやりして呼吸が楽になった。
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