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しおりを挟む直が、はじめて真の大学をおとずれてから二日後のこと。それは水曜日の朝だった。直は教室に入るなり、帰属の女子グループの視線を集めた。
「おはよう」といったが、すぐ違和感に気がついた。友人たち三人は、笑って挨拶を返さない。それどころか、ただならぬ空気をまとって一同だまりこくっている。
優香が沈黙を破った。
「直……別れたんだって?」
心の準備ができていなかった直は、その話題に唇をくっつけた。
「別れちゃう前に相談してほしかったよね。ひとりで抱え込むなんて、水くさいじゃん」と真希は眉を下げている。
「ねぇ、ずっと思ってたんだけどさ。直ってちょっとなに考えてるのかわからないところあるっていうか。それは、責めてるんじゃなくてね。別れたら普通、めっちゃ落ち込むじゃんか。なのに昨日もいつも通りで。私たちなにも知らなかったなんてショックっていうか」と優香が腰に手を置いていった。
「ウチらが恋バナすると口数一気に減るしさ。悩んでたことがあったなら、シェアしてほしかったよね」
うんうん、と真希と美結はうなずく。
直は、この場に暗雲が立ち込めているとわかっていた。けれども同時に、逃げたくない、と告白する決意をした。
「あの。私ね。音也とキスするのがいやだったの……。手をつないだり、抱き合ったり……つまりその、べたべたしたりするのがいやだったの」
彼女たちは困ったおももちで、お互いの顔を見合っている。
「え、べたべたってなに?」と優香がつぶやいた。そのなんともいえない湿った声色に、直は胸騒ぎがした。
「……ほんとだったの?」
ポツリとこぼしたのは一番右の真希だった。彼女は直をじっと見つめてその先を暴露した。
「音也と男子たちが話してたの。直は性の病気なんだって」
「ちがう。私は病気じゃない。男の人と……いろいろ、そういうことをしたくないだけだよ」
「ねぇ、それってつまり。直ってレズビアンってこと?」
そういったのは優香だ。
「だから、恋バナもあんま、たのしそうじゃなかったの?」顔を曇らせた。
「直、ごめんね。いままでなにも知らずにいて。ひとりで悩んでつらかったよね。でもいまの時代さ、同性愛もめずらしいことじゃないし」と美結がいう。
「……ちょっとみんな待って。私の恋愛対象は男の人で……その。ただ、性愛を抱かないの。性的なことには興味がない無性愛者なんだよ」
「無性愛者って。それ、直が考えた言葉?」と優香はいった。
そのとき、教室の後方でガタンと机が動く音がした。
男子生徒の顔には、スキャンダル聞いちゃいました、と書いてある。会話に夢中だった直たちは、その彼に気がつかなかった。
「山本くん。今の話……」
直が声をかけると、彼は引き止めるすきすら見せず教室を出て行ってしまった。
「大丈夫だよ。たぶん」と美結は皆を落ちつかせる。
すぐに真希が話をもどした。
「キスとかその先のこととかは、したくないのに男と恋愛はするってどういう意味なの。だってさ、直。そういう特別なことができる相手を恋人っていうはずでしょ?」
「そうだよ。性愛を抱かないってありえなくない? 愛を確かめ合うには体で確かめ合うしかないと思うよ」と優香も横から口を出す。
「つまり、直は将来、子供も欲しくないってこと?」と優香は質問を重ねた。
「子供って。そんなこと、わからないよ」
「ねぇ、それやっぱり病気なんじゃないの。ほら、そういう人のためのセラピー治療とかも聞いたことあるよ……」
「優香。いいかげんにしてよ!!」
直は声をあらっぽくした。
「な、なにムキになってんの!! こっちは心配してんのにさ。直ちょっとおかしいよ!」
「ふたりともケンカしないで」と美結は優香を落ち着かせた。
「私はキスやセックスなんかしたくないっていってるの! なんで、したくないことが病気なの!?」
懸命に説明しようとしていたが、直のいうことは逆効果だった。友人たちは後ずさり、直の大きな声が教室中に響き渡った。
——いまあの人、セックスっていった?
ひそひそと声が聞こえる。タブーにふれた直はクラスメートからひんしゅくをかった。弁明しようと直が一歩ふみだすと、周囲がビクッと動いた。
最悪だ……と逃げるように教室を出ていく。
昇降口でローファーに履き替える。ぞくぞくと登校してくる学生の波に逆流するように歩いた。結局その日は、朝から学校を休んだ。
しかし直は、帰宅電車と反対のホームから車両に乗った。
下車して駅のトイレに入り、鏡をのぞく。白シャツのえりぐりを触り、深紅のリボンをはずした。するとラインの通知が。美結からのメッセージだった。
(いまどこ? さっきはごめんね。私は、直の悩みに気がつかなかったこと反省してる。)
(悩みってなに。なんで美結が反省するの?)
(直が普通の恋愛をしないってわかってたら、きっと相談にのれたと思うんだ……。)
(普通の恋愛ってなに)
すると美結の返信は途絶えた。
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