ギャル子さんと地味子さん

junhon

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ギャル子と部長

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 彼女は追われていた。
「どこへ逃げた!?」
「探せ! まだ遠くには行っていないはずだ!」
「必ず捕まえろ! 逃したら首が飛ぶぞ!」
 男達の怒声を遠くに聞きながら、彼女は路地裏で息を殺す。
 辺りが静寂に包まれるまでたっぷりと時間を置いた後、彼女はポリバケツの影から身を乗り出した。
 路地裏から大通りをうかがい、追っ手がいないことを確認して人混みに紛れ込む。
 目指すは聖地、そこに行けばどんな夢でも叶うという約束の地。
 高鳴る胸を押さえながら、彼女は身を潜めつつ目的地へと向かうのだった。
 
 
 
「ふ~ん♪ ふ~ん♪ ふ~ん♪」
 夏休みのある日、小町は鼻歌を歌い、足取りも軽く街を歩く。
「ご機嫌だね、小町」
 隣を歩く時子がそんな小町を横目で見て言った。
「もちろんですよ。今日はあの海野柑奈うみのかんな先生の新刊の発売日ですよ。これが浮かれずにおられましょうか!」
「海野柑奈?」
 時子は小首を傾げる。
「ええ!? 知らないんですか!? 今年の春に大ヒットしたドラマ『あれが僕らの月』ですよ?」
「うん、知らない」
「ならば教えて差し上げましょう! 海野先生は数年前に彗星の如く現れた超大型新人なのです。処女作『あれが僕らの月』は百万部を超える大ヒット作。その甘く切ない恋模様に世の女性はメロメロなのですよ。もちろん私の中では恋水こいみずコージィ先生の作品が至高なのですが、三本の指には入りますね」
 自分の好きな分野のこととなると饒舌になってしまうのがオタクのさが。小町は海野先生の作品がいかに素晴らしいか熱弁を振るう。時子は時々相づちを打ちながらその言葉に耳を傾けた。
「ん?」
 と、喋りながら書店へと向かっていた小町の目に怪しげな人物が止まった。
 帽子にサングラス、さらにはこの炎天下だというのに口元はマスクで覆われている。
 その人物は建物の影から影へと飛び移るようにして移動していた。
 尾行、あるいは逆に何者かに追われているといった様子である。
 明らかに不審者なのだが、小町はその後ろ姿に見覚えがあった。ちなみに体型とポニーテールの髪型から女性だということは一目瞭然である。
「どうしたの?」
 時子が突然口と足を止めた小町を振り返る。
「いや、あの人なんですけど。どっかで見覚えが……」
 小町はその不審者を指さし、首を捻った。
文芸部うちの部長さんじゃない?」
 時子は一目でその正体を看破する。
「あー! ほんとだ。菅野部長ですよ! 変装して何やってるんだろ?」
「……跡をつけてみましょうか」
 時子の提案に小町は頷く。
 少し距離を置きながら菅野羽海かんのうみの背中を追ってみたが、彼女はくまなく周囲に視線をさまよわせながらどこかを目指しているようだった。尾行ではなく何者かに追われているらしい。
 と、その行く手を遮るように一人の男が立ち塞がった。
 こちらも炎天下に黒のスーツとサングラスという出で立ちだった。明らかにカタギな商売の人間には見えない。
「見つけましたよ。さあ、私と一緒に来てもらいましょう」
 男の腕が伸びる。羽海は踵を返して駆け出そうとするが、男に手首を捕まえられた。
「は、離せ!」
「こ、こら。大人しくして下さい」
 羽海はその手を振りほどこうと暴れるが、男の手から逃れられない。
 さすがにただ事ではないと小町も悟る。
「ギャル子さん!」
「ええ!」
 小町の呼びかけに時子が駆け出す。あっという間に距離を詰めて羽海を捕まえる男の腕をとった。
 どういう技を使ったのか不明ながら、それだけで男の手が羽海から離れる。
「な、何だ!? お前――わぁあああああ!」
 そして台詞を言い終わる前に、得意の合気道によって男は地面に転がされた。
「ギャリソンくん!?」
 突然の救いの手に海は目を見張る。
「部長! さっさと逃げますよ!」
 そこへ追いついてきた小町が呼びかける。
「あ、ああ!」
 突然街中で繰り広げられた一瞬の争いにざわめく喧噪をあとに、三人は脱兎の如く逃げ出すのだった。
 
 
 
 「助かったよ、ギャリソンくん。それに藤見くんも」
 男を撒いたあと、小町たちは喫茶店で一息つく。夏場に走ったので喉はカラカラ、エアコンの冷気が心地いい。
「部長、あの男の人は一体何なんですか? 普通の人には見えませんでしたが」
「そうだな……とある組織の人間、とだけ言っておこう」
 小町の質問に羽海は真剣な表情で答えた。女子高生が言うような台詞ではないが、嘘を言っているようには見えない。
「組織って……えらく物騒な感じなんですが」
「ああ、奴らは人身売買を行うシンジケートの様なものだ。この私を捕まえて強制労働につかせようと目論んでいる」
「えーと、その……警察に保護してもらった方がいいんじゃないんですか?」
 話の大きさに困惑しながら、小町はそう提案してみる。
「そうしたいのはやまやまなんだがな。私はこれから行かなければならない場所があるんだ」
「ならせめて私……は役に立ちませんが、ギャル子さんに守ってもらえば……」
「いや、助けておいてもらって何だが、君達を私の事情に巻き込みたくない。少々お喋りが過ぎたと思っているくらいだ」
「でも……」
「伏せて!」
 そこへ時子の鋭い一言が飛ぶ。小町と羽海は反射的にその言葉に従った。
「ギャル子さん、どうしたんですか?」
「さっきの男が店の中を覗いている」
 自分も頭を下げながら時子は小町の問いに答える。
「ええ!?」
 小町はさらに身を低くしながら、そっと外の様子がうかがえる窓へと目を向けた。
 確かに先程の黒服の男が首を伸ばして喫茶店の中をうかがっている。
 小町たちの席は店の奥なので気付かれてはいないとは思うのだが、三人は息を殺して男が去るのを待った。
 しかし、男は入り口へと回ると店内へと足を踏み入れる。
「いらっしゃいませ。一名様でよろしいですか?」
「いや失礼。ちょっと人を探していまして。すぐに出ていきますので」
 ウェイトレスにそう断りを入れ、男は店内を見回しながらこちらへと近付いて来た。
「私が足止めするから二人は逃げて」
 見つかるのも時間の問題と、時子はそう言い置いて席を立つ。そして男の前へと身をさらした。
「き、君は!? いや、ちょっと待てくれ!」
 構えをとろうとする時子の姿に男は慌てて言いつのる。
「私は怪しい者じゃあない。先生を探しているだけなんだ」
「先生?」
 男の言葉に時子は首を捻った。
「私は光弾社こうだんしやの佐々木と申します」
 そう言って男は懐から名刺を取り出し、ビジネスマナーに則った姿勢で時子に差し出す。
 時子はそれを受け取って確認するが、そこには男の言ったとおりのことが書かれていた。
「海野柑奈先生がホテルから逃げ出して困っているんだ。君は知り合いなのかい? 先生はどこへ?」
 その名を聞き、男から隠れるように床を張って迂回していた小町が勢いよく立ち上がる。
「海野柑奈先生!?」
 小町の視線が男と羽海の間を何度も往復する。
「え!? え!? え!?」
 羽海は「やばー」と小さく漏らし、そっとその場から逃げだそうとするが――
 その襟首を小町はむんずと捕まえた。
「部長? いいえ海野先生? 事情を説明してもらいましょうか」



「いかにも、この私、菅野羽海が海野柑奈だ」
 羽海はふて腐れながらもそう白状した。
 光弾社の編集者・佐々木を加え、小町たちは再びテーブルに着いている。
「じゃあ、組織って言うのは……」
「悪の秘密結社、光弾社だな。こいつらは作家を監禁し、執筆を強要するのだ。私は今日のオンリーイベントにどうしても参加したかったのに!」
 小町の問いに憤慨しながら羽海は答えた。
「人聞きの悪いことを言わないで下さいよ。先生が締め切りを守ってくれないから仕方なく……」
 佐々木は困った表情を浮かべて言い繕う。
「それこそ仕方がないだろう! 夏コミの原稿で忙しかったのだ! 本当は今日のイベントにも新刊を出したかったくらいなのだぞ。だからせめて同人誌を買い漁るくらいの自由があってもいいだろう!」
「ですから、先生が原稿さえ上げてくれれば……」
「どのみちもう締め切りには間に合わん。イベントは一期一会の今日だけなのだ!」
「いやしかし、部長があの海野先生とは驚きましたよ。部長はBL一辺倒の腐女子だと思っていたのに」
 羽海が当たり散らすのをなんとか宥めようとする佐々木との間に小町は口を挟んだ。
「私は趣味を仕事にしたくはないのだよ。BLは趣味、恋愛作家は仕事だ」
 羽海は胸を張ってそう答える。
「じゃあ、ちゃんとお仕事して下さいね」
 小町はそんな羽海ににっこりと微笑みかけた。
「ギャル子さん、連行して下さい。ついでに佐々木さんを手伝ってあげて下さいよ」
「分かったわ」
 時子は何処からともなく取り出した文芸部編集者モードの三角眼鏡を装着する。
 そして羽海の背後に回り込むと、その腕を後ろへと捻りあげた。
「ちょっ、ギャリソンくん?」
「では佐々木さん、私もお手伝いしますのでホテルへと戻りましょう」
「ああ、ありがとう。助かるよ」
「いやだーーー! いやだーーー!」
 羽海は抵抗しようとするが、後ろ手に腕の関節を極められているために身動きが取れない。
「新作も楽しみにしてますからね~」
 去っていく三人を小町は見送る。
「離せーーー! 私はイベントに行くんだ! ○○が××に押し倒されて後ろからズッコンバッコンされる同人誌を買うんだぁあああ!!」
 周りの目も気にせず、そんな台詞を叫び続ける羽海の姿が遠くなっていく。
「腐ってやがる……」
 小町は戦慄と共にそう呟くのだった。
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