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アンドレイの帰還

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アンドレイの帰還
 太陽が地平線の向こうに沈み、遠くの山々に続く荒れた道が見えにくくなり、星が光り始めた。ねじれた木にもたれかかって物思いにふけっていたアンドレイは、まきになるものを集めて火を点け、手をかざした。こんなとき、彼は、自己追放した時に別れたエレナのひた向きな目差まなざしや笑う仕草を思い出す。(彼女は今どうしているのだろうか?責任から逃げ出さない男と巡り合っただろうか?)エレナのことを思い出すことは、アンドレイにとって一時の息抜きであり同時に罪悪感に苦しむことでもあった。彼は、彼女に何かを期待する権利は自分には無いとわきまえていた。
 遠くから人を乗せた馬が二頭ゆっくり近づいてきた。彼等はテリシア王国の旗を掲げている。アンドレイの近くに来て馬から降りると一人が話しかけてきた。
「アンドレイ様ですか?」
「そうだが、何の用か?こんな所で」
「陛下からのお手紙です」と言って、宮廷の使いは、テリシア王国の封蝋でシールされた羊皮紙の手紙をアンドレイに渡した。
 内容は、簡潔で核心をついていた――長年疎遠にしていた其方そなたに突然書状を送ることを許してほしい。敵対しているブランシア王国が、このところ軍隊を増強して我が国への侵略を準備している。私は、年齢と長年続いた戦争での消耗で、もはや気力、体力、知力が残っていない。どうか、祖国を守ることに力を貸して欲しい。私は、昔起こったことに拘泥こうでいしていない――との内容だ。彼が必要とされているのだ。王国が彼を必要としているのだ。

 アンドレイは、手紙を握りしめた。王の言葉が心に焼き付けられた。彼がかつて放棄した祖国が、今彼を呼び戻している。応えることが出来なかった親の期待のシンボルである父親が、今彼の帰還を願っている。しかし、どうして帰ることなど出来よう?彼は父が望む戦士ではなかったのだ。彼は戦場から逃げ出し、父の期待を裏切ったのだ。
 しかしブランシア国が祖国を侵略するという知らせは、彼の心の奥底を揺さぶった。彼は故郷にいる人々の顔や生まれ育った土地の山河を思い出した。戦争の闇がいまそれら全てを飲み込もうとしている。アンドレイは故郷を見捨てることはできなかった。彼は故郷へ戻ることを決意した。

 テリシア王国の町は、以前のままで変わっていなかったが、通りは静かで、忍び寄る戦争の重々しさが空気を満たしていた。アンドレイが馬に乗ってゲートを通ると、人々は振り返り、ひそひそと話すのが見えた。彼らは覚えていた――戦場から逃げた若者が、他人のいくさの為に何年も戦って男らしくなって戻ってきた。戦士の風貌をそなえているが、中身は変わったのか?――という彼らの疑心がアンドレイには読めた。
 しかし彼はもはやかつての臆病な若者ではなかった。傭兵として数多くの戦闘を経験し、ドランの教えやロリアンとの友情を通じて成長した彼は、心の中に強い信念を持っていた。彼は父の影から解放され、自分自身の真の価値を捕えていた。

ブランニス王との再会
 アンドレイは国王の前に通された。父親である。ブランニス王は、もはやアンドレイが若かったころの巨人のような姿ではなかった。老いた国王は、背が曲がり目の中の炎が弱くなっていた。しかし日焼けした顔のしわの下には、まだ強さが残っていた。二人は向かい合ったまま何も言わずに立っていた。父と息子。血縁で結ばれ、過去の傷によって離された二人である。
「帰ってきたか」ブランニスは、やっと口を開いた。彼の声は枯れてはいたが、しっかりしていた。
「帰ってきました」アンドレイは、口を強張こわばらせて答えた。
 ブランニスは、鋭い目差でアンドレイを見つめた。
「この国にブランシア軍が攻めてくる。私は以前のように軍隊を指揮できそうもない。だが、其方そなたなら出来る」
 アンドレイは、父の言葉に愕然がくぜんとした。(指揮するだと?戦場から逃げた自分が、どうして軍の指揮など出来よう?)彼は、父の期待の重圧を再び感じ、息苦しくなった。
「私は、あなたが望むような人間ではありません」アンドレイは、静かに言った。「ずっとそうでした」
 ブランニスは、目差を和らげた。それは、アンドレイが初めて国王ではなく父親を見た瞬間だった。

「アンドレイ、おまえは私とは違う。それは恥ではない。かつて私は、戦場でひるまない者こそ軍を指揮できる者と信じていた。しかし長く生きているうちに、そうでないことが分かった。真のリーダーは、恐怖を知らない者ではなく、恐怖に向かい合い、それでも戦う者のことなのだ」
 アンドレイは、自分の心持こころもちが変化するのを感じた。重荷が幾分軽く感じられた。父親の言葉が心に響いた。自分はブランニス王ではなかったし、これからもそうだ。しかしそれは、きっとたたりではなかったのだ。もしかすると、それは彼の取柄だったのかもしれない。
 彼は、息を深く吸い込み、テリシア王国の軍隊を指揮することを引き受けた。かつては、になうことなど想像もできなかった重責である。彼は、父親の影ではなく、彼自身として、同朋らと一緒に戦うことを決めた。

エレナとの再会
 アンドレイは、帰国を決意したときから、エレナのことが気になっていた。エレナが彼を待っているなどとは期待していない。年月が経ちすぎている。しかし、年を重ねるごとに固まる覚悟の中で(彼女は今何をしているだろうか)と心の片隅で思うことがある。

 父との再会後、アンドレイが戦争の準備のために町で物資の調達をしていると、エレナについての噂話うわさばなしが聞こえてきた。彼女は皆が慕う治療師になったようだ。かつて鍛冶屋かじやの作業場で過ごしていた彼女が、今では病気のときに頼られる人物になっているらしい。アンドレイは驚かなかった。エレナは常にしっかりしていた。人生で直面する難題を片付ける方法を彼女はいつも見出していた。
 アンドレイが負傷兵を見舞いに療養所へ行った時だった、薬草の匂いや患者の静かな話声の中に彼はエレナを見つけた。彼女は慣れた手つきで負傷兵の手当てをしていた。彼女は以前のエレナではなかった――もう若くはなかった、当然だが。しかし今の彼女には落ち着いた強さと年を重ねることで深まるしなやかさが見えた。彼女の目がアンドレイに向けられたとき、彼に気付き、その後、複雑な感情が生じたのが見て取れた。
「アンドレイ」彼女は静かに言った。しっかりした声で感情は抑えられていた。
 彼は、エレナのほうに踏み出したが、少年に戻ったように妙にぎこちなかった。
「エレナ…何年も経ってしまった」
 彼女は兵士の傷に包帯を巻き終えてから、彼に向き直った。
「ほんとうに、そうね」彼女は普通の声で言った。「でも、帰ったのね」
 彼は、言う言葉が見当たらず、ただうなずいた。彼は、この瞬間を繰り返し想像していたが、実際に彼女の前に立つと、言葉が出てこなかった。
「知らなかった…思っても、みなかった…」
「歩み続けたわ」彼女は、まるで彼の心を読むように言った。「そうするしかなかった」
 アンドレイは、見越してはいたが、自分の心が少し沈むのが分かった。それは避けられなかった。
「そうか」
 エレナは、彼の格好を見て、表情をゆるめた。「あなたは変わったわ、アンドレイ。私も変わった。歳月人を待たず、ね」
 彼が黙って頷くと、重い沈黙が流れた。
「すまなかった、エレナ。あのとき突然去ってしまって…、願った男でなくて…」
 彼女は、静かに溜息をついた。目には悲しさと全てを甘受かんじゅする様子が見えた。
「私たちは若かったのよ。あなたは何かを探していた。たぶんあなた自身を。私は、それに逆らえなかった。でも、やっぱりつらかった」
 アンドレイは、彼が選んだ道の重みを再び感じてうつむいた。
「忘れたことは、なかったよ」
 エレナは、ほろ苦い笑顔を少し見せて言った。「私もよ、アンドレイ。でも時の流れは止まらない。私は、家庭を持ったわ」
 彼女の言葉が彼に突き刺さった。彼には自分が傷つく権利などないと知りながら…。
「そうなんだ」
 彼女は、少し躊躇した後、手を伸ばして彼の腕に触れた。
「あなたは、戻って来た。そのことは重要よ、アンドレイ。王国のために戦い、あなたを必要とする人々のために戦う。それが、あなたが、あなたの過去と折り合いをつける方法なのよ」
 アンドレイが彼女の目を見つめると、そこには、二人が別れていた間に彼女が獲得した強さと才知があった。彼は、もう過去には戻れないことは承知していたし、それが二人にとって最善であることは分かっていた。二人の人生は異なる道を進んだ。それぞれの道が接近した時期もあったが、それは思い出となって、今は離れて並行して進んでいた。

「ありがとう、エレナ。俺はやるよ…俺流のやり方で」彼は、決意を更に固めて静かに言った。
 エレナは頷いて仕事に戻った。アンドレイは、重いが晴々とした気持ちで療養所を退出した。エレナは歩み続けた。そして今、彼も前進していく。彼には戦わなければならない戦争があり、助けたい人々がいる。それは、過去のゴーストのためではなく、未来のためだった。

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