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人生シミュレーション
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火星から久しぶりに地球に戻って来た太郎は、スクリーニング済み新着情報の中に人生シミュレーションの広告があるのに気付いた。興味を持ったので、業者の評判やサービス内容をチェックして問題ないと判断し申し込んだ。人生シミュレーション業者に彼の個人情報を提供し、3通りの生き方で彼のこれからの人生経路を予測してもらった。それぞれの生き方での予測結果はデータとして受け取る。が、身体的特徴の変化も予測されていたので、適当な衣服を着た人物像として、ホログラフ化してもらい、会話を通して経験を語ってもらうことにした。分身一人ずつ3回のセッションではなく、3名一緒に1回のセッションをアレンジした。それがあのような結果になるとは、このとき想像できなかった。
そしてこの日、太郎は人生シミュレーション業者が送ってきたアプリを使って、自宅の居間を会議室にモーフィングさせ、彼自身の分身3名と初めて対面した。彼らはサーバーに保管されている太郎の誕生時からの行動履歴と生体情報記録を学習させて生成されていた。このセッションで太郎は30年後の自分の分身たちと会うことを希望したので、彼らの年齢は65歳だった。平均寿命が110歳のこのとき、それは働き盛りの年齢を意味した。彼らの職業は、それぞれ農園経営者、通信ネットワークエンジニア、そして宇宙ゴミ回収業者だった。
セッション開始のアナウンスと同時に、太郎の前にホログラフ化された彼の分身3名が現れた。太郎は、何だか三つ子の親戚に会ったような気分になり、思わず微笑んでしまったが、すぐ我に返り、会議室のテーブルを挟んで向かい側に腰掛けるよう分身たちに勧めた。
「初めまして。よく来てくれました。あなたたちにとって、俺は30年前の自分自身だから、奇妙だけど、後輩にアドバイスする気持で、何でも話してほしい」
分身たちは、穏やかな表情で太郎を見つめた。
太郎は続けた。「俺たちは、みな同じ名前だけど、何と呼んだらいいかな?」
返答がないので、「構わなければ、月並だけど、左から一郎さん、二郎さん、三郎さんでどうでしょう?」と提案した。
「それでいいです」3名の分身たちは、口をそろえて答えた。
太郎はまず一郎に話しかけた。「では、早速本題に入ります。一郎さんの職業は、農園の経営ですよね。経緯と現状について話してください」
一郎は、軽く頷き話し始めた。「私は、火星に居たときに食べていた培養細胞を立体プリンターで成型した肉や水耕栽培の野菜に飽き飽きして、無性に地球が恋しくなった。たまらなく昔のように地球の大地で野菜を栽培したくなって、夢にまで見るようになった。そこで地球へ帰り、昔里山だった場所で耕作放棄地を手に入れ、遺伝子操作をしていない作物を無農薬で栽培し始めた。このやり方では、収穫は天候など自然に左右されるけど、正確な気象予報と土壌、微生物、小動物、作物の詳細なモニター、それに革新的マーケットモデルの採用など考えつくことは何でも実行して、事業を継続可能にした。南米アマゾンで見つかった新種の野菜を栽培したこともある」
太郎は、いつも見ている火星の荒涼とした風景を脳裏に浮かべながら言った。「地球の自然はリッチだよね。俺たちが知っているのは、そのほんの一部でしかない」
そして今度は二郎に向かって尋ねた。「二郎さん。あなたは職業が通信ネットワークエンジニアだけど、具体的にどういう事をするのですか?」
二郎が話し始めた。「私は、一種のハンターのような事をしている」
「ハンター?」
「そう。通信データは、量子暗号で守られているけど、広大な通信ネットワークには、ウィルスやその断片が残っていて、それらがまるで意思を持つかのように組み合わさり、成長し、増殖し、悪さをするようになった。私は、通信会社と契約して、このようなデジタルバクテリアを発見し退治している。この業界に入ったきっかけは、地球・火星間飛行中に強力なソーラーストームに遭遇して地球基地と連絡できなくなった経験から、通信の脆弱性に気付いたからだ」
「デジタルバクテリアが将来発生するなら、今のうちに対策をとっておいた方がよさそうだ」太郎は、まるで未来を予知出来たような気分で言った。
二郎は、ちょっと眉を上げて言った。「実は、30年以上前、つまりあなたの現時点以前の学術誌に、既にこの件に関する論文が掲載されていた。一般には知られていなかったけど…」
太郎は(そうなのか。誰か対策を始めているのか?)と思いつつ、話題を変えて質問した。
「ところで、あなた自身デジタルの存在だよね。そのようなデジタルバクテリアに遭遇して大丈夫なのか?」
二郎は静かに答えた。「もちろん何重にもプロテクトした上でバクテリア駆除に臨む。ただ新種の場合は、プロテクトの有効性が不明な場合もある」
「もし、バクテリアに感染したら、本人は何か感じるの?」
二郎は首を横に振って答えた。「いや、残念ながらどのような症状が出るのか、今のところ不明だ。十分な症例が集まっていないので」
太郎はこの話題を続けるべきか一瞬迷ったが、本題から逸れていたので、二郎に礼を言って打ち切り、今度は三郎に向かって話し始めた。
「三郎さんの仕事は宇宙ゴミ回収だけど、これまでのいきさつを聞かせてください」
三郎は、上体を少し前に傾けて話し始めた。「私は宇宙エレベーターで繋がっている静止軌道ステーションと火星との間を何度か往復しているうちに、宇宙ゴミを回収している業者と知り合いになって、興味を持ったので転職したんだ。宇宙ゴミは宇宙エレベーターが走るケーブルに接近してくるデブリを捕捉して回収する」
「具体的に、それはどのような作業ですか?」
「ケーブル保護も兼ねた宇宙ゴミ回収ネットに捕らえられた大小のデブリをロボットアームが自動でつかみ取り、放射線量など物性を確認し、カプセルに入れて静止軌道ステーションへ運ぶ。私は、これらの工程を遠隔監視し、デブリの形状や大きさが自動運転で対応出来ない場合、システムに相談しながら最適な手順を決め作業指示を出す。回収した宇宙ゴミは、ある程度溜まった時点で太陽に落ちる軌道で宇宙へ放出する」
太郎は、三郎に礼を言い、一旦会話を中断し次に何を聞こうか黙考した。楽しかった思い出について語ってもらおうか、それとも辛かった経験を先に聞こうか、または、彼らには先輩として太郎に伝えたいことが有るのか尋ねようか、と少し迷った。
すると、二郎が遠慮がちに言葉を発した。「失礼。問題なければ一郎さんや三郎さんと会話したいんだけど、いいかな?」
太郎は一瞬戸惑ったが、彼らがどのような話をするのか興味があったので、話すよう促した。
二郎は、まず三郎に向かって尋ねた。「三郎さん。宇宙エレベーターや静止軌道ステーションでの作業で、最近何か変わったこと起きなかった?例えばロボットアームやエレベーターの動きとかで…」
三郎は二郎の方を向き、話し始めた。「私のスコープではないけど、観光客用宇宙エレベーターの同時通訳システムで変なことが起きた。地球上の全ての言語に対応しているこのシステムで、通訳後に奇妙な音声が入り込むようになった。直ぐ冗長システムに切り替えて対応したけど、原因は調査中らしい。言語学者が興味を持っていると聞いた」
二郎は憂慮するかのような表情をつくり、話を続けた。「そうか。デジタルバクテリアの仕業でなければいいけど…。こいつらは、ネットワーク内のどこへでも瞬時に移動するから、厄介なんだ」
二郎は、今度は一郎に向かって話し始めた。「一郎さんは、自然相手の仕事ですが、作物の収穫にはロボットを使うよね?」
「もちろん。野菜や果物の収穫にはロボットは欠かせない」
二郎は、三郎への質問と同じようなことを一郎にも訊いた。「最近収穫ロボットに何か異常はなかった?私のところではドローンが勝手に飛び回って困ってるんだけど」
一郎は、少し間を置いてから話し始めた。「収穫ロボットは異常がないと思うけど、作物モニター用ドローン数機が少しおかしくなった。いつの間にか飛行高度が変わってしまって修正が必要だった。原因は不明。そのデジタルバクテリアのせいなのかなあ」
「可能性はあるね。異常な振る舞いが再発するときは、早めにバクテリア専門家に相談した方がいい」
すると、今度は三郎が、一郎と二郎に向かって話し始めた。「一郎さん、それに二郎さん。さっきから私たちがあたかも同じ世界に住んでいるような会話をしてるけど、我々は三つのパラレルワールドに別々に住んでいたんだよね?でも今回この場所で接点ができた。このリンクを使って、これからも連絡を取り合いませんか?何か面白いことが出来るかもしれない」
太郎の分身3名は、それから夫々の世界の物価や景気や社会情勢などについて、延々と話し合いを続けた。太郎は時々彼らの話の内容について質問したり聞き返したりしたが、会話のほとんどは3者間で交わされた。
そして予定していたセッション時間が経過し、太郎は分身たちにお礼と別れの挨拶を言い、分身たちは消えた。会議室は再度モーフィングして自宅の居間に戻った。セッションは、太郎が想像していた展開とは全く違うものだったが、分身たちの会話内容が面白かったのと、人生予測はデータでも見られるので問題はなかった。
翌日、太郎は人生シミュレーション業者が保管している彼のデータにアクセスし、人生予測結果を閲覧した。そして愕然とした。自分の目を疑った。何かの間違えではないかと思った。太郎の3通りの人生予測は、全て65歳で停止していたのだ。シミュレーション業者との契約では、分身たちが活動を終了するまで予測することになっていたので、得心がいかなかった。
動揺した太郎は、シミュレーション業者にコンタクトし、理由を訊いたが、業者の回答は「調査中」とのことだった。ただ、可能性として告げられたのは、二郎が言っていたデジタルバクテリアのことだった。つまり、二郎の世界で発見されたバクテリアと同様のものが、一郎と三郎の世界にも発生した可能性があり、昨日のセッションで生じたリンクを伝って、これらのデジタルバクテリアがパラレルワールド間を行き来し、結合し、増殖し、強大化したかも知れないと言うのだ。その結果、太郎の人生シミュレーションを実行するアルゴリズム全体にバクテリアの影響が及び、既に処理済みだった彼の人生予測がコラプトした可能性がある、とのことだった。太郎は落胆したが、業者に調査継続を依頼し会話を終えた。
数日後人生シミュレーション業者から、コラプトした太郎のデータが復旧したとの連絡を受けて、彼は再度予測データにアクセスした。そして、彼が見たものは、またしても彼の想像を超えていた。
太郎の分身たちは、あのセッション後も連絡を取り続けたのだが、そのリンクを通ってパラレルワールドの他の住人たちも行き来するようになっていた。もはや分身たちの世界は、一つに繋がってしまい、三つのパラレルワールドだったものが、一つのワールド内の三つの地域になってしまっていた。それは一瞬の出来事だった。
そこでは、太郎の分身たちが35歳だった時点で存在していた住人たちは、それぞれの世界に一人ずつ三つ子の兄弟、姉妹を持っていたが、3通りの人生経路に分かれた後にそれぞれの世界に誕生した人たちの場合は、異なる地域にまたがる三つ子は居なかった。太郎の分身たちのような三つ子の多くは、何かの理由で兄弟・姉妹間でテレパシーが使えた。太郎の分身たちもテレパシーで意思を伝達できた。
これは、三つ子たちが3倍の速度で経験値を積むことに等しかった。そして、それは社会全体の飛躍的発展につながった。初期段階では、彼らは経験に加え知識も吸収し、自分自身に対する理解も深めた。本能的な情動のコントロールや社会生活で生じる感情をマネージする方法を覚えた。その結果、社会構造が変化していった。
覚醒したシミュレーション世界の住人たちは、拡がった視野と強化された洞察力を武器に、まず経済を活性化し、その後次々に貧困、差別、犯罪などの社会悪を矯正していった。所得格差は縮小し、家庭内暴力、いじめ、無責任な誹謗中傷、自死は減少し、冤罪は消滅した。身体的、精神的ハンディキャップを負っている人々には、先進医療技術で支援した上で、彼らが社会活動に参加する仕組みを作った。エネルギー政策も変化した。生物や環境に優しく安全な技術でエネルギーを供給することが最優先だが、一旦事故が起きると大災害につながるプラントを稼働させる場合、事故が起きる蓋然性から目を逸らさず、様々なシナリオを想定した非常事態対応用運転の定期訓練を義務化した。メディアや住民たちも訓練に理解を示した。
また太郎の分身たちが太郎本人と出会ったことで、分身たちの世界の外側にも宇宙が広がっていることが認識され、シミュレーション世界の住人たちの間では、外宇宙と通信するための研究が活発化した。その成果の一つとして、最初のデジタルバクテリア発生後、理由もなくバクテリアが居なくなったのは、シミュレーション業者が外部から駆除したからだと知るに至った。その後、何度か新種のバクテリアが発生したが、彼らの宇宙の外にいるシミュレーション業者と連携して駆除作業を進めるようになった。それは彼らの宇宙が拡張したことに等しかった。
太郎は、彼の分身たちが老いて活動を終了するまでの人生予測を閲覧し終えた。彼の意向でAI内に生成されたアルゴリズムの化身たちは、太郎の世界を模倣して生み出されたカオス的宇宙内で、1回分のエピソードを完了した。太郎の世界と同様、シミュレーション世界の住人たちは、ときには災害に見舞われ傷つき、疲れ、病気にもなったが、彼らから伝わってくるエネルギーは圧倒的だった。太郎は、彼らの社会が進んで行った方向を見て、太郎自身の世界に一条の光を見た気がした。太郎の心には、いつの間にかシミュレーション世界の住人たちに対する敬愛の念が湧いてきて、彼自身の不確実な将来に立ち向かう勇気が満ちてくるのを感じた。
太郎にとって人生シミュレーションはもともと興味本位だったこともあり、結局、彼は農園経営者や、通信ネットワークエンジニアや、宇宙ゴミ回収業者には成らなかった。太郎は、地球と火星を行き来する仕事を続け、結婚し子供もできた。そして気付くと、彼はあの時の分身たちの歳になっていた。そして30年前に起きたことを思い出していた。
<終>
そしてこの日、太郎は人生シミュレーション業者が送ってきたアプリを使って、自宅の居間を会議室にモーフィングさせ、彼自身の分身3名と初めて対面した。彼らはサーバーに保管されている太郎の誕生時からの行動履歴と生体情報記録を学習させて生成されていた。このセッションで太郎は30年後の自分の分身たちと会うことを希望したので、彼らの年齢は65歳だった。平均寿命が110歳のこのとき、それは働き盛りの年齢を意味した。彼らの職業は、それぞれ農園経営者、通信ネットワークエンジニア、そして宇宙ゴミ回収業者だった。
セッション開始のアナウンスと同時に、太郎の前にホログラフ化された彼の分身3名が現れた。太郎は、何だか三つ子の親戚に会ったような気分になり、思わず微笑んでしまったが、すぐ我に返り、会議室のテーブルを挟んで向かい側に腰掛けるよう分身たちに勧めた。
「初めまして。よく来てくれました。あなたたちにとって、俺は30年前の自分自身だから、奇妙だけど、後輩にアドバイスする気持で、何でも話してほしい」
分身たちは、穏やかな表情で太郎を見つめた。
太郎は続けた。「俺たちは、みな同じ名前だけど、何と呼んだらいいかな?」
返答がないので、「構わなければ、月並だけど、左から一郎さん、二郎さん、三郎さんでどうでしょう?」と提案した。
「それでいいです」3名の分身たちは、口をそろえて答えた。
太郎はまず一郎に話しかけた。「では、早速本題に入ります。一郎さんの職業は、農園の経営ですよね。経緯と現状について話してください」
一郎は、軽く頷き話し始めた。「私は、火星に居たときに食べていた培養細胞を立体プリンターで成型した肉や水耕栽培の野菜に飽き飽きして、無性に地球が恋しくなった。たまらなく昔のように地球の大地で野菜を栽培したくなって、夢にまで見るようになった。そこで地球へ帰り、昔里山だった場所で耕作放棄地を手に入れ、遺伝子操作をしていない作物を無農薬で栽培し始めた。このやり方では、収穫は天候など自然に左右されるけど、正確な気象予報と土壌、微生物、小動物、作物の詳細なモニター、それに革新的マーケットモデルの採用など考えつくことは何でも実行して、事業を継続可能にした。南米アマゾンで見つかった新種の野菜を栽培したこともある」
太郎は、いつも見ている火星の荒涼とした風景を脳裏に浮かべながら言った。「地球の自然はリッチだよね。俺たちが知っているのは、そのほんの一部でしかない」
そして今度は二郎に向かって尋ねた。「二郎さん。あなたは職業が通信ネットワークエンジニアだけど、具体的にどういう事をするのですか?」
二郎が話し始めた。「私は、一種のハンターのような事をしている」
「ハンター?」
「そう。通信データは、量子暗号で守られているけど、広大な通信ネットワークには、ウィルスやその断片が残っていて、それらがまるで意思を持つかのように組み合わさり、成長し、増殖し、悪さをするようになった。私は、通信会社と契約して、このようなデジタルバクテリアを発見し退治している。この業界に入ったきっかけは、地球・火星間飛行中に強力なソーラーストームに遭遇して地球基地と連絡できなくなった経験から、通信の脆弱性に気付いたからだ」
「デジタルバクテリアが将来発生するなら、今のうちに対策をとっておいた方がよさそうだ」太郎は、まるで未来を予知出来たような気分で言った。
二郎は、ちょっと眉を上げて言った。「実は、30年以上前、つまりあなたの現時点以前の学術誌に、既にこの件に関する論文が掲載されていた。一般には知られていなかったけど…」
太郎は(そうなのか。誰か対策を始めているのか?)と思いつつ、話題を変えて質問した。
「ところで、あなた自身デジタルの存在だよね。そのようなデジタルバクテリアに遭遇して大丈夫なのか?」
二郎は静かに答えた。「もちろん何重にもプロテクトした上でバクテリア駆除に臨む。ただ新種の場合は、プロテクトの有効性が不明な場合もある」
「もし、バクテリアに感染したら、本人は何か感じるの?」
二郎は首を横に振って答えた。「いや、残念ながらどのような症状が出るのか、今のところ不明だ。十分な症例が集まっていないので」
太郎はこの話題を続けるべきか一瞬迷ったが、本題から逸れていたので、二郎に礼を言って打ち切り、今度は三郎に向かって話し始めた。
「三郎さんの仕事は宇宙ゴミ回収だけど、これまでのいきさつを聞かせてください」
三郎は、上体を少し前に傾けて話し始めた。「私は宇宙エレベーターで繋がっている静止軌道ステーションと火星との間を何度か往復しているうちに、宇宙ゴミを回収している業者と知り合いになって、興味を持ったので転職したんだ。宇宙ゴミは宇宙エレベーターが走るケーブルに接近してくるデブリを捕捉して回収する」
「具体的に、それはどのような作業ですか?」
「ケーブル保護も兼ねた宇宙ゴミ回収ネットに捕らえられた大小のデブリをロボットアームが自動でつかみ取り、放射線量など物性を確認し、カプセルに入れて静止軌道ステーションへ運ぶ。私は、これらの工程を遠隔監視し、デブリの形状や大きさが自動運転で対応出来ない場合、システムに相談しながら最適な手順を決め作業指示を出す。回収した宇宙ゴミは、ある程度溜まった時点で太陽に落ちる軌道で宇宙へ放出する」
太郎は、三郎に礼を言い、一旦会話を中断し次に何を聞こうか黙考した。楽しかった思い出について語ってもらおうか、それとも辛かった経験を先に聞こうか、または、彼らには先輩として太郎に伝えたいことが有るのか尋ねようか、と少し迷った。
すると、二郎が遠慮がちに言葉を発した。「失礼。問題なければ一郎さんや三郎さんと会話したいんだけど、いいかな?」
太郎は一瞬戸惑ったが、彼らがどのような話をするのか興味があったので、話すよう促した。
二郎は、まず三郎に向かって尋ねた。「三郎さん。宇宙エレベーターや静止軌道ステーションでの作業で、最近何か変わったこと起きなかった?例えばロボットアームやエレベーターの動きとかで…」
三郎は二郎の方を向き、話し始めた。「私のスコープではないけど、観光客用宇宙エレベーターの同時通訳システムで変なことが起きた。地球上の全ての言語に対応しているこのシステムで、通訳後に奇妙な音声が入り込むようになった。直ぐ冗長システムに切り替えて対応したけど、原因は調査中らしい。言語学者が興味を持っていると聞いた」
二郎は憂慮するかのような表情をつくり、話を続けた。「そうか。デジタルバクテリアの仕業でなければいいけど…。こいつらは、ネットワーク内のどこへでも瞬時に移動するから、厄介なんだ」
二郎は、今度は一郎に向かって話し始めた。「一郎さんは、自然相手の仕事ですが、作物の収穫にはロボットを使うよね?」
「もちろん。野菜や果物の収穫にはロボットは欠かせない」
二郎は、三郎への質問と同じようなことを一郎にも訊いた。「最近収穫ロボットに何か異常はなかった?私のところではドローンが勝手に飛び回って困ってるんだけど」
一郎は、少し間を置いてから話し始めた。「収穫ロボットは異常がないと思うけど、作物モニター用ドローン数機が少しおかしくなった。いつの間にか飛行高度が変わってしまって修正が必要だった。原因は不明。そのデジタルバクテリアのせいなのかなあ」
「可能性はあるね。異常な振る舞いが再発するときは、早めにバクテリア専門家に相談した方がいい」
すると、今度は三郎が、一郎と二郎に向かって話し始めた。「一郎さん、それに二郎さん。さっきから私たちがあたかも同じ世界に住んでいるような会話をしてるけど、我々は三つのパラレルワールドに別々に住んでいたんだよね?でも今回この場所で接点ができた。このリンクを使って、これからも連絡を取り合いませんか?何か面白いことが出来るかもしれない」
太郎の分身3名は、それから夫々の世界の物価や景気や社会情勢などについて、延々と話し合いを続けた。太郎は時々彼らの話の内容について質問したり聞き返したりしたが、会話のほとんどは3者間で交わされた。
そして予定していたセッション時間が経過し、太郎は分身たちにお礼と別れの挨拶を言い、分身たちは消えた。会議室は再度モーフィングして自宅の居間に戻った。セッションは、太郎が想像していた展開とは全く違うものだったが、分身たちの会話内容が面白かったのと、人生予測はデータでも見られるので問題はなかった。
翌日、太郎は人生シミュレーション業者が保管している彼のデータにアクセスし、人生予測結果を閲覧した。そして愕然とした。自分の目を疑った。何かの間違えではないかと思った。太郎の3通りの人生予測は、全て65歳で停止していたのだ。シミュレーション業者との契約では、分身たちが活動を終了するまで予測することになっていたので、得心がいかなかった。
動揺した太郎は、シミュレーション業者にコンタクトし、理由を訊いたが、業者の回答は「調査中」とのことだった。ただ、可能性として告げられたのは、二郎が言っていたデジタルバクテリアのことだった。つまり、二郎の世界で発見されたバクテリアと同様のものが、一郎と三郎の世界にも発生した可能性があり、昨日のセッションで生じたリンクを伝って、これらのデジタルバクテリアがパラレルワールド間を行き来し、結合し、増殖し、強大化したかも知れないと言うのだ。その結果、太郎の人生シミュレーションを実行するアルゴリズム全体にバクテリアの影響が及び、既に処理済みだった彼の人生予測がコラプトした可能性がある、とのことだった。太郎は落胆したが、業者に調査継続を依頼し会話を終えた。
数日後人生シミュレーション業者から、コラプトした太郎のデータが復旧したとの連絡を受けて、彼は再度予測データにアクセスした。そして、彼が見たものは、またしても彼の想像を超えていた。
太郎の分身たちは、あのセッション後も連絡を取り続けたのだが、そのリンクを通ってパラレルワールドの他の住人たちも行き来するようになっていた。もはや分身たちの世界は、一つに繋がってしまい、三つのパラレルワールドだったものが、一つのワールド内の三つの地域になってしまっていた。それは一瞬の出来事だった。
そこでは、太郎の分身たちが35歳だった時点で存在していた住人たちは、それぞれの世界に一人ずつ三つ子の兄弟、姉妹を持っていたが、3通りの人生経路に分かれた後にそれぞれの世界に誕生した人たちの場合は、異なる地域にまたがる三つ子は居なかった。太郎の分身たちのような三つ子の多くは、何かの理由で兄弟・姉妹間でテレパシーが使えた。太郎の分身たちもテレパシーで意思を伝達できた。
これは、三つ子たちが3倍の速度で経験値を積むことに等しかった。そして、それは社会全体の飛躍的発展につながった。初期段階では、彼らは経験に加え知識も吸収し、自分自身に対する理解も深めた。本能的な情動のコントロールや社会生活で生じる感情をマネージする方法を覚えた。その結果、社会構造が変化していった。
覚醒したシミュレーション世界の住人たちは、拡がった視野と強化された洞察力を武器に、まず経済を活性化し、その後次々に貧困、差別、犯罪などの社会悪を矯正していった。所得格差は縮小し、家庭内暴力、いじめ、無責任な誹謗中傷、自死は減少し、冤罪は消滅した。身体的、精神的ハンディキャップを負っている人々には、先進医療技術で支援した上で、彼らが社会活動に参加する仕組みを作った。エネルギー政策も変化した。生物や環境に優しく安全な技術でエネルギーを供給することが最優先だが、一旦事故が起きると大災害につながるプラントを稼働させる場合、事故が起きる蓋然性から目を逸らさず、様々なシナリオを想定した非常事態対応用運転の定期訓練を義務化した。メディアや住民たちも訓練に理解を示した。
また太郎の分身たちが太郎本人と出会ったことで、分身たちの世界の外側にも宇宙が広がっていることが認識され、シミュレーション世界の住人たちの間では、外宇宙と通信するための研究が活発化した。その成果の一つとして、最初のデジタルバクテリア発生後、理由もなくバクテリアが居なくなったのは、シミュレーション業者が外部から駆除したからだと知るに至った。その後、何度か新種のバクテリアが発生したが、彼らの宇宙の外にいるシミュレーション業者と連携して駆除作業を進めるようになった。それは彼らの宇宙が拡張したことに等しかった。
太郎は、彼の分身たちが老いて活動を終了するまでの人生予測を閲覧し終えた。彼の意向でAI内に生成されたアルゴリズムの化身たちは、太郎の世界を模倣して生み出されたカオス的宇宙内で、1回分のエピソードを完了した。太郎の世界と同様、シミュレーション世界の住人たちは、ときには災害に見舞われ傷つき、疲れ、病気にもなったが、彼らから伝わってくるエネルギーは圧倒的だった。太郎は、彼らの社会が進んで行った方向を見て、太郎自身の世界に一条の光を見た気がした。太郎の心には、いつの間にかシミュレーション世界の住人たちに対する敬愛の念が湧いてきて、彼自身の不確実な将来に立ち向かう勇気が満ちてくるのを感じた。
太郎にとって人生シミュレーションはもともと興味本位だったこともあり、結局、彼は農園経営者や、通信ネットワークエンジニアや、宇宙ゴミ回収業者には成らなかった。太郎は、地球と火星を行き来する仕事を続け、結婚し子供もできた。そして気付くと、彼はあの時の分身たちの歳になっていた。そして30年前に起きたことを思い出していた。
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