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14.留守番(マエル)

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 スティーブさんを送り出したあとは、極力テレさんに負担をかけないよう、掃除洗濯などの家事は全て私が片付けた。
 お昼はテレさんの希望により、パイ生地でマッシュポテトと牛肉を包んで作るシェパーズパイにした。
 慣れない環境に四苦八苦しながらも、何とか気合いで切り抜ける。

 テレさんは週一で通院していて、普段は食後の飲み薬で病気の進行を遅らせる治療をしていた。普通に考えたら、入院した方がいいと思うところだけれど、彼女は『病院なんかで死んでたまるかいッ!』と、拒否していたみたい。

 午後の3時を回ってホッと一息ついた私は、ダイニングでテレさんとお茶の時間を過ごしていた。内心、彼が無茶をしてないか、心配で仕方がない。

 スティーブさん、大丈夫かな……。

「仕事に行ってるだけで、アイツのことがそんなに気になるのかい?」

 胸の内を読み取られてしまったのか、テレさんがティーカップ越しに、訝しんだ目を向けてくる。

「え!? い、いえ、腰痛はもう大丈夫なのかなぁ~なんて! あははは」

 そうはぐらかしてみたけど“誤魔化しても無駄”と言わんばかりに、テレさんが溜息をつく。

「はぁ、アイツは馬鹿のクセして、やたらと女にモテちまうから困ったもんだね」
「やっぱりそうだったんですか。すごく優しいですもんね……彼」

 モテるんだ。
 まぁそうだよね。
 かっこいいし、素直だし。

 でも、あの優しさは“特定の誰かにだけ”ってワケじゃなかったのかな。もしそうなら……けっこう寂しいかも。

「そこはワタシに似たんだよ。それに、最近まで“真剣に結婚まで考えてた彼女”もいたんだ」
「へ、へぇ~……それは初耳でした」

 恋人がいないとは知ってたけど、最近別れてたんだ。
 う~ん、嫉妬しちゃいそうで、先を聞くのはあまり気が進まないけど、『その話やめましょう』とも言えない。

「でも、が原因でオジャンになっちまったのさ」
「ある理由……?」
「分かるだろ? ワタシだよ」

 思わず返す言葉を詰まらせる。
 当時、スティーブさんは彼女にプロポーズを控えていた。そんな矢先にテレさんの病気が発覚し、結婚するなら“テレさんと同居しなければいけない状況”になってしまう。
 ところが、彼女はテレさんと反りが合わなかったらしく、スティーブさんのプロポーズを断り、彼の元を去ってしまったらしい。
 それを耳にした私は、俯き気味に紅茶を見つめた。

「元カノさん、ちょっと冷たいですよね。お2人も、さぞ辛かったでしょうに……」

 スティーブさんが、私とテレさんの2人きりで留守番するのを心配していたのは、トラウマを感じていたからなのかも。
 そこへテレさんが、微笑みながら「なんてことないさ」と囁く。

「ワタシの言葉にイチイチ渋った顔をしてくる、気に入らない女だったね! むしろ、スティーブがあんなのと結婚しなくて良かったわい。ストレスで余計寿命縮むってんだ」

 わ、私も顔に出やすいんですけど……。
 
 とはいえ、1日中刺激的なテレさんと過ごす日常には不満どころか、楽しくすら思えてきていた。それこそ、婚約破棄を悲しんでる暇もないくらい。
 ここへきた当初の“3日間もやっていけるか”なんて恐れは、どこへやら。

 その後、テレさんはスティーブさんの出生についても語ってくれた。

「親より先に逝っちまうとは……一番の親不孝モンだよ」

 テレさんは、娘であるスティーブさんのお母様が他界されて、あえなく赤子の彼を引き取った。
 当時から既に寡婦人だったこともあり、婦人服の裁縫で生計を立てていたらしい。

「ここだけの話、スティーブの誕生日が近くてね。車イジりばっかりでお洒落に無頓着なアイツに、今服を作ってやってるのさ」
「あ、そうだったんですかー!? え~素敵、絶対喜んでくれますよ~!」

 だから扉を開けるのを拒んだり、今日も寝不足気味な顔色をしていたんだ。

「アンタにもまだ見せられないけどね」
「ヤダ~、テレさんの意地悪ー!」

 スティーブさんを罵りまくってるけど、“やっぱり孫が可愛いんだろうな”と感じてジンとくる。そして、照れくさそうに微笑むテレさんがめっちゃ可愛い!

 それにしても、彼の誕生日が近いというのは、良いことを聞いた。私もお世話になったお礼に、何かプレゼント考えてみようかな。

 でも。

 もしスティーブさんが、元カノに対する気持ちを“引きずっていたら”と思うと、心が押しつぶされるよう。

 どちらにしろ、交際なんて叶うはずもないのに、何故こんなにも……彼を求めるようなことばかり考えちゃうんだろう――。

 時刻は夕方6時。外はすっかりと暗くなり、街灯が点灯している。
 夕飯のビーフシチューを作り終え、何度も窓から敷地の駐車場を確認してしまう私の隣に、杖をつくテレさんが並んできた。

「あの馬鹿、今日はやけに遅いね。いつもは陽が沈む前に帰ってくるんだが。にでも捕まっちまったんかな」

 私が「オ、オバケって何ですか?」と、遠い目で空を眺める彼女に尋ねる。

「長距離の目的地を指定してくる客のことだよ。そういうを、タクシー業界じゃオバケと呼ぶらしいんだ」
「な、なるほど……」

 てことは、私もオバケだったんだ。
 でも、自分から指定してない場合はどうなんだろう――そんなことを疑問に思っていたら、ライトの点いたスティーブさんの車が、敷地に入ってくるのが見えた。

「あッ! スティーブさん、帰ってきましたよ!」
「噂をすればなんとやらだね」

 待ちわびたスティーブさんの帰宅に浮かれていた矢先、スタンドポストに彼の車が頭からガンッとぶつかって、ポッキリ倒れてしまった。

 ちょ、何やってるのッ!?

 謎の衝突に仰天しながら、停止した車を凝視する。暗がりで車内は見えず、スティーブさんも降りてくる気配がない。隣にいたテレさんが、大きな目をパチクリさせた。

「……様子がおかしいね」
「み、見に行ってきます!」

 急いで玄関を開けて、嫌な予感を抱きながら車の運転席側へ駆け寄る。

 すると――スティーブさんが握っていたハンドルに、頭を乗せるように俯いていた。よく見れば、こめかみ辺りから頬にかけて血が滴っている。
 
「スティーブさんッ!」

 すかさず名を叫んだ私がドアを開ける。呼吸はしているものの、彼の意識は朦朧としており「う~ん」と反応も薄い。

「嘘、やだ……何があったの!?」

 下手に動かすことも出来ずに問いかけると、キーを回してエンジンを止めたスティーブさんが、ハンドルから顰めた顔をゆっくりと持ち上げた。

「悪ぃ……エンゴロ達を追ってたら、階段で足スベらせちまってさ……ドジだよな……」

 そう言って、スティーブさんが痣のある口元を緩ませる。顔のあちこちにある傷を目の当たりにした私には、彼が嘘をついているとすぐに分かった。

「と、とりあえず事情は後にして、家の中まで歩ける……?」
「そのくらい全然平気だよ……骨も折れてないから」
「無理はしないで! とにかく、明るいところで傷を確認しないと……!」

 車から降りて足元がフラつく彼に肩を貸し、一緒に家へ入る。そこからダイニングへ向かうと、窓から私達の様子を見ていたテレさんの表情が曇った。

「……何やら不穏な様相しとるやないかい。気性が荒いボクサーでも乗せたんか?」
「テレさん、救急箱ってどこですか!?」

 苦痛に顔を歪めるスティーブさんを椅子に座らせ、棚から救急箱を取り出してテーブルに置く。
 顔面以外に損傷がないか診るために「お腹めくるよ?」と訊き、グッタリとする彼の上着を胸まで捲り上げた。

 思った通り――彼の身体には皮膚が青く変色した、痛々しい打撲創がたくさんあった。階段から転げ落ちた程度で、ここまでの傷が付くことはあり得ない。
 さらにパーカーの袖を捲ってみたら、その両手首には圧迫されたような手の跡が、クッキリ残っていた。手先も氷のように冷たくなっている。

 あまりの悲惨な光景に、言葉を失う。

 こんなの看護師じゃなくたって、何者かに腕を拘束されて、複数回の殴打を受けたと判る。

 看護学校の研修で、外傷患者の治療なんて何人も経験してきた。それなのに、慣れてるはずなのに、傷を負ったスティーブさんを前にした私は、全く動けなくなってしまった。

『ははは、親友のところへ行くんだから大丈夫さ――』

 苦しい。
 息が乱れて、呼吸が全然出来ない。
 どうして、彼がこんな目に……。

 かける言葉もなく唖然としていたら、テレさんが「マエル、一旦落ち着きな」と、私の肩にそっと手を置いてきた。

「怪我してたって生きてりゃ何とかなる。看護学校行ってたんだろ? 早く手当してやんな」
「は……はい」

 動じていないテレさんに諭された私は我に帰って、泣きながら彼の手当を始めた――。

 絆創膏と包帯だらけになったスティーブさんを、寝室のベッドで仰向けにして寝かし付ける。
 冷え切った身体を温めるため、彼の周囲にはあるったけの湯たんぽを配置した。
 
 床に膝をつき、目を瞑って息の浅いスティーブさんの手を、両手で温めるように握りしめる。彼の表情はずいぶん穏やかになったけれど、私の心中はまだ動揺していた。

 私のせいだ。

 私が“騙されてるかも”なんて焚き付けたから、彼がこんな姿になってしまったんだ……。

 キィという扉の軋む音が聞こえると、テレさんが寝室に入ってきた。私の横に立ち、スティーブさんをまじまじと見下ろしている。

「手際の良さはさすがだね。病院に連れてく手間が省けたわ」
「あくまでも応急処置です……頭部への打撃は後々になって悪影響が出てしまうこともあるので、本当なら、お医者さんに診てもらいたいところです」

 そう懸念する私に対して、テレさんは急に「カッカッカッ」と笑い始めた。

「コイツは馬鹿だけど、その分身体は頑丈なのさ。このくらいの怪我は、ガキの頃から何度もしてるよ」

 私がキョトンとすると、フッと微笑んだ彼女は後ろのソファに「よっこらせ」と腰を据えた。

「スティーブは、誰かがイジメられているのを見たら、絶対に助けようとしちまうだよ。相手がね」

 またしても胸がギュウッと締め付けられそうになり、テレさんからスティーブさんに視線を戻す。

「とても……とても、勇気がいることだと思います」
「後先考えずに突っ込んじまうのは、ただの“怖いもの知らず”ってだけだ。馬鹿は死ぬまで治らないのさ。みたいに」

 少しトーンの落ちた声で話すテレさん。“誰かさん”について訊くかどうか一瞬迷っていたら、彼女が続けた。

「それで、スティーブにこんな仕打ちをしたのが、誰の仕業かくらい見当はついてるんだろう?」

 テレさんから質問を受けた途端、ハッとして振り返る。彼女は真剣な面持ちで、ソファの肘掛けに頬杖をついていた。

「スティーブが仕事に行ってないことなんて、とっくに気付いてたさ。嘘が下手なスティーブと、日中にそわそわと落ち着きのないアンタを見てればね」

 また見破られてしまった……。

 彼が怪我をしてしまった以上、この状況を誤魔化しきるのは不可能。私は諦めて、スティーブさんとエンゴロさんの間に起きた事情を打ち明けた。
 さらに、これ以上テレさんに隠し事をするのが申し訳なくなり、キリアンから婚約破棄されたことや、スティーブさんが空き巣に入ってきた経緯まで、包み隠さずに全て暴露した――。

 スティーブさん……ごめんね。

 心の中で彼に謝罪しつつ、一通り説明し終える。テレさんは呆れたように大きく嘆息して、額に手を添えた。

「ふぅ~。まさかスティーブが、空き巣を狙うほど馬鹿だったとはねぇ」
「お願いですから、叱らないであげてください……」

 小さめな声でそう懇願したら、テレさんは目を見開いて「呆れ過ぎてそんな気力あるかいな!」とツッコんできた。

「どうせコイツのことだ。突発的な衝動に駆られたってのは事実だろうよ。無計画過ぎて、逃げようのない2階で発見されてんのがいい証拠さね」

 床に座り込んでいた私が、何も返せずに塞ぎ込む。

「それに昨日も言ったが、婚約破棄されたアンタに同情はしないよ。どんな事情があろうとも、ワタシゃ“湿っぽいこと”が大ッ嫌いだからね」

 私はテレさんの方を向きつつ、スティーブさんを横目でチラッと見遣った。

「……承知しております。でも大丈夫です。彼から、たくさん元気付けて貰いましたから」

 例えそれが、“空き巣に入った罪悪感を拭うため”だったとしても、彼に救われたことには変わりない。

『自分を苦しめてくる想いなんて、ここで断ち切るんだ――』

 テレさんの高圧的な視線から目を逸らさずに、正座しながらきゅっと口を結ぶ。しばらく見つめ合っていたら、彼女は唐突に顔を綻ばせた。

「瞳で訴えてくるとは、粋なことをするじゃないか。ちょびっとだけ、ほんのちょびっとだけッ、ワタシより可愛いんじゃないかと思っちまったわい」
「いえいえ、テレさんには敵いませんよ。すごくキュートなのに、育ちの良さそうな品性も感じられますし……」
 
 実際、テレさんと一緒に過ごしていて、素直にそう思っていた。
 アッシュグレーの髪をエレガントなシニヨンで結っており、杖を付きながらも凛とした姿勢だったり、お茶の時のちょっとした仕草など、貴婦人の風格を纏う雰囲気がテレさんにはある。
 肌もツヤツヤで、とても70歳には見えない。

「カッカッカッ! それじゃあシルクのドレスでも拵えて、どっかの社交会にでも潜入してみようかね」
「いいじゃないですか、テレさんならみんな大歓迎でしょうから!」

 スティーブさん、大丈夫かな……。

 テレさんに愛想を振りまいている最中も、背後で寝ている彼のことが気になって仕方ない。
 
 すると上機嫌に見えたテレさんから、忽然と笑みが消える。

「ひとまずエンゴロの件はさておき。ワタシが気に入らないのは、カスカリーノ家が“ポグバ家の言いなりになっちまってる”ってとこだね。そこだけは無性に腹が立つ」

 予期せぬ発言に戸惑った私が「え?」と首を傾げた途端、スティーブさんがムクッと起き上がった――。
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