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10.お見通し(マエル)

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 十中八九、スティーブさんは騙されている。

 友人から、株券すら見せられていない話を聞いた私は、内心そう思っていた。

「まだ確証はないから調べる必要はあるにしろ、の疑いがあるのは、確かだと思うんだ」

 彼が真剣な眼差しで、フンフンと数回頷く。

 本来、株を購入したら“株式証券”もしくは“株券”を証明書として発行される。株主は会社が利益の一部を配当金として受け取れたり、他にも株主総会で投票する権利を与えられるはず。
 けど、そんな株主優遇についての事すらも、スティーブさんの話からは一切出てこなかった。彼が騙され易そうなのも相まって、その友人が“どう考えても怪しい”と感じていた。

「そういうことか……」

 長い間、スティーブさんは下を向いて思い悩むように立ち尽くした。無理もない。まさか信頼していた人から『騙されてたのかも』と思えば、ショックを隠せないんだろう。
 ふと顔を上げた彼が、真面目な面持ちを私に向ける。

「つまり、エンゴロに詐欺の疑いがあるのは確か……てことだよな?」

 ……あれ?

「えっと、うん。そうなんだけど……それ、さっき私が言ったことだよね?」
「へ?」

 まだちゃんと理解できていなかったスティーブさんに、順を追って丁寧に説明する。すると、やっと自分の置かれている状況を察してくれたのか、彼は愕然としたように目を見開いた。

「マジかよ……! ヤバくないそれ!?」
「確証はないけどね。でも、私はエンゴロさんって人のこと、よく観察した方がいいと思うんだ」
「う~ん……」

 どこか納得いってない様子のスティーブさん。彼曰く、エンゴロさんとは昔からの馴染みで、物知りな彼からは色々と世話になっていたという。

「信じられないって気持ちはわかるよ? だからこそ、エンゴロさんの疑いを晴らすためにも、探るべきなんじゃないかな」
「そ、そうだな……」

 しんみりとした表情を浮かべ、彼が頷く。

 すでに夕刻が迫っていたこともあり、ひとまずエンゴロさんの詮索は明日から、ということになった。
 そしてテレさんに対しては、余計な心配をかけないよう、空き巣の件も含めて内密にすることにした――。

 スティーブさんと一緒に家へ戻ると、どこからかトントントンという軽快なリズムで、何かを切るような音が聞こえてきた。

「あれ? ばあちゃん、もうメシの支度始めたのかな」
「え、うそ!? はわわ……スティーブさん、エプロン貸して!」
「ど、どした!?」
「いいから早く!」

 受け取ったエプロンを大急ぎで被り、戸惑うスティーブさんを残して、そそくさとキッチンへ向かう。

 暖色の灯りに照らされる、少し狭いキッチン。あちこち壁に吊るされた鍋や調理器具の数々は、ちょっと手を伸ばせばすぐに届きそう。
 そして、包丁で野菜を切るテレさんの後ろ姿が目に入る。私はエプロンの紐を結びながら声をかけた。
 
「テ、テレさん! 私がやりますから、休んでいてくださ――」
「遅いわッ! とっとと鍋を火にかけんかい!」

 ひ、ひーッ!

 ビクッと背筋が伸びて「す、すみません……!」と謝り、慌てて鍋を取る。それを、すでに着火済みの木炭が火を上げる台に乗せた。

「お、俺も何か手伝おうか!?」

 と、後からきたスティーブさんを、テレさんがジロリと睨みつける。

「アンタなんかキッチンに居ても“ガラスの盾”くらい役に立たんわッ! 邪魔だから失せな!」
「ッだよ! んじゃ、車の修理してきまーす」

 戦力外通告を受けた彼が、不貞腐るように口を尖らせ、踵を返して去っていく。

 えぇー、行っちゃうの!?

 私は心細さに苦笑いしつつも、テレさんが何を準備していたのか確認していた。
 彼女が切っていた食材は玉ねぎ、にんにく、人参、ジャガイモ。今は鶏もも肉を処理している最中だった。さらに寸胴鍋の中には、ブイヨンらしきスープもあった。

「あの、ポトフかラタトゥーユですか?」

 食材から作る料理を予測して尋ねてみる。テレさんが、一口大に切り終えたもも肉をトレイに移した。

「出来てからのお楽しみってとこかね」
「な、なるほど……」
「じゃ、肉から順番に炒めておくれ」

 テレさんの指示通りにもも肉を鍋に入れて炒め、軽く色をつける。肉の香ばしい風味が引き出されたところで、玉ねぎやにんにくを加え、透明になるまで炒める。

 ん~、やっぱりポトフとかじゃないのかな。

 そう思っていたら、テレさんが紙袋から“粉末の入った小瓶”を取り出した。そして、フタを開けて香りを嗅ぐと「カーッ、やっぱすごい匂いだね」と若干眉を顰めた。

「な、何の粉ですか、それ?」
「“カレースパイス”ってやつだよ。なんだ、アンタ知らんのかい?」
「あ、カレーだったんですね!」

 海外から国内に流入したのは食材だけでなく、それに伴って料理レシピも多く伝来しつつあった。カレーもその1つ。
 伝統的料理を食べることに重きを置く家庭はそうでもないけど、一部の家庭では海外の料理に興味を示して実践している。

 テレさんも好奇心からか、初めてカレーに挑戦してみるつもりだったらしい。美味しいという噂は聞いていたけど、私もまだ食べたことがなく、すごくワクワクする。

「これを適量入れてみな。味見を忘れんじゃないよ」
「はい!」

 カレーパウダーの他にも、コリアンダー、クミン、ターメリックなどを加えて炒める。食欲をそそる独特な香りが漂ってきたところで、一口すくって味見してみる。
 スパイスの辛さ、甘さ、苦さが絶妙に調和していて、野菜や肉の旨味がとても良く引き立てられていた。
 
「やだ、美味しい~! テレさんもいかがですか!?」

 衝撃を受けながら振り返ると、彼女はいつの間にか、杖をついて椅子に座っていた。立ち仕事が辛かったみたい。そこへ、小皿に持った具材を手渡す。

「ふむ……案外イケるじゃないか。じゃあ、そこのブイヨンを鍋に入れて煮込んでみな」

 ブイヨンとトマトピューレを加えて、ゆっくりと煮込む。テレさんの「もう少し“とろみ”が欲しいね」という要望に応え、小麦粉とバターを混合させたルーを作り、とろみを追加してみる。そして、仕上げに塩や胡椒で味を調えた。
 最後に味見をしたテレさんの口元が、フッと綻ぶ。

「うん……上出来だね。後は煮込むだけだ。お茶でもしながら待とうじゃないか」
「あ、いいですね!」

 キッチンにある木製のテーブルでお茶をすることになり、テレさんの指示を煽りながら、棚からティーポットを取り出して紅茶の支度をする。
 スティーブさんを誘うか訊いてみたら「いらん。どうせまだ車イジってんだろ」と一蹴された。

 終始私の動きを目で追っていたテレさんの前に、紅茶を注いだティーカップとソーサーをそっと置く。緊急しながら私も席に着くと、彼女はゆっくりと背もたれに身を預けた。

「料理好きなんかい?」
「そうですね! 母に教え込まれた感じですけど、けっこう好きですよ!」

 テレさんが「ふーん」と言って、ティーカップに口を付ける。私もソーサーを持ちながら、香り豊かな紅茶を啜った。

 えっと、なんか話題探さないと……!

 そう悩む私を舐めるように見つめていたテレさんが――目を細めた瞬間だった。

「それよりアンタ、国立公園でハンカチ落としてたカスカリーノ男爵の一人娘だろ? 何で『スティーブと付き合ってる』なんて、見え透いた嘘ついてんだい?」

 お、覚えてらっしゃるーッ!
 しかも嘘バレてるーッ!

 思わず紅茶が気管に入り「ッゴホ、ゴホ!」と、思いっきり咽せる私。

「き、気付かれていらしたんですか!?」
「んなもん、スティーブの反応みりゃ一目瞭然だわ。ワタシを嵌めるなら、アイツの演技もちゃんと仕込んどくんだったね」
「騙すような真似をして、申し訳ございませんでした……。でも、あれは彼に頼まれたとかじゃなくて、私の独断でしたから……」
「さしずめ、病気のワタシに気を遣ったってとこかい?」
「お察しの通りです……」
「カッカッカ、それも建前だね! アンタ、スティーブに惚れてんだろ!?」

 突然笑い出したテレさんから、持っていた杖の先を向けられ、ドキっとして慌てて両手を振る。

「ちょちょ、声が大きいですよ……! それに、惚れてるわけないじゃないですか! きちんと話したの、今日が初めてなんですよ……?」
「隠しても無駄だね。アンタ色白だから、頬の赤みですぐ分かっちまうんだよ」
「うッ……」
「そもそも“男の家に泊まる”ってことは、少なくとも『満更じゃない』と言ってるようなもんじゃないか」
「それは、その~」

 痛いところを突かれ、言葉が淀む。

 だって、一緒にいたかったんだもん……。
 
 カレー鍋の蓋がコトコトと音を奏でている。そんな中、指をモジモジと絡める私に、テレさんが続けた。

「大体、貴族令嬢がウチに来ること自体おかしいやろがい。詳しくは訊かないが、それ相応の事情があると見たね」

 得意げに不敵な笑みを浮かべるテレさん。しかし私は、威圧的な視線に負けまいと、口をムッと結んで黙り込んだ。

「……まぁいい。ひとまず、恋人のフリがバレてることは、スティーブに黙っときな」

 突飛な言葉に、瞬きを繰り返して「え、宜しいんですか?」と聞き返す。

「当たり前だろ? あの馬鹿がどんな演技を続けるのか、見ものだからね! カッカッカ!」
「は、はぁ……」

 “この人には敵わないな”と観念し、溜息にも似た返事が溢れた。
 予想以上に曲者だったテレさん。強がってるなんてとんでもない。恐らく彼女は素でこんな感じの性格なんだ。

 ど、どうしよ、3日間も持つかな……。

 一抹の不安を抱きながら“スティーブさん早く戻ってきて!”と切に願いつつ、テレさんへ愛想よく微笑みかけた矢先。

「な、なんこれ!? すげぇイイ匂いがするーッ!」

 と、玄関の方から、待ち望んでいた彼の叫び声が聞こえてきた――。
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