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2.運命の気まぐれ(マエル)
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聞き間違いじゃないよね……?
『……いません!』
確かにそう聞こえた。
でも、そんな返事ってある!?
誰もいないはずの我が家で、不審な物音に気付いた私は、両親の寝室を前にし、両手で箒を強く握り締めていた。
よりにもよって、両親は出掛けたばかり。今この屋敷を守れるのは、私しかいない。
怖くて怖くて、ここまで来るのもやっとの想いだった。部屋内から返ってきた声からして、中にいるのは恐らく男性。
そして多分――その男は“馬鹿なんじゃないか”と思う。
なんて、恐怖心が少しだけ和らいだおかげで、扉を開く決心がつく。ドアノブに手をかけてゆっくりと開き、隙間から覗き込む。
すると部屋のど真ん中に、ダウンコートを羽織った男性が、両手で顔を隠しながら立ち尽くしていた。
「だ、誰? こんなところで、何してるの……?」
「こ、これは違うんだ! あ、いや、違うんです! 使用人として新しく雇われて……その……そう! 屋敷の下見に来たんです!」
慌てふためく口調で、何とか誤魔化そうとする男性。私は半開きにしてた扉から、意を決して部屋に入った。
「なら、雇い主に顔を隠すのは不自然じゃない? それに、ウチは使用人を雇うほどの余裕なんてないよ?」
揚げ足取りのように告げる。彼は驚いたのか「え、マジで?」と端的に聞き返してきた。
「マジ。貴方……絶ッ対に空き巣だよね?」
図星を突かれてやっと観念したのか、彼が後頭部に手を添えて頭を下げてくる。
「その通りです。すいません」
ところが、彼の顔が露わになった途端――不意に“ある記憶”が蘇ってきた。
「……あれ、待って! あなた、私と会ったことない!?」
「へ!?」
「ほら、国立公園で私がハンカチ落としたの、拾ってくれたでしょ? 結構前のことなんだけど、覚えてないかな!?」
あれは忘れもしない、晴天が空に広がっていた日。
気持ちのいい風が吹く国立公園で、私は彼と出会っている。ダークブラウンの短髪で屈託のない笑顔をする、爽やかな人だった。確かその時、彼はお婆様を連れていた気がする。
すると彼は、顎に手を添えながら「んー?」と、私の顔をじっと見つめてきた。
「……あーッ、あの時のお嬢さんか! 覚えてる覚えてる! そこの写真見て何となく会ったことある気がしてたけど、たった今思い出したよ!」
「やっぱり! それ、農家さんとこ手伝いに行った時に撮ってもらったやつなの! 写りだけはいいでしょ!?」
「いやいや実物の方が全ッ然可愛いよ! しっかし、こんな偶然ってあるもんなんだね! 何か嬉しいなぁ。あ、俺スティーブっていうんだ!」
と、スティーブさんが満面の笑みで手を差し出してくる。
唐突に『可愛い』と褒められて顔が熱くなっていた私は、「マエルだよ!」と言って握手を交わそうとした――が、我に帰って即座に腕を引っ込める。
「えーとごめん、ちょっと待って。はしゃいでる場合じゃなかった。あなた、空き巣に入ってきたんだよね?」
彼は塞ぎ込むように「……まぁ、はい」と、目を逸らしてきた。
「何であなたみたいな人が、空き巣なんて?」
ハンカチを拾ってくれたスティーブさんの印象は、お婆様想いに見えて、とても優しそうに感じられた。そんな彼が悪事を働くとは、にわかに信じ難い。
首を傾げる私をチラリと見たスティーブさんが、大きな溜息を吐く。
「はぁ……悪いことしてるって、分かってはいるんだ。でも、株で失敗して財産を一気に失くしちまってさ」
「え、株に手を出したの!?」
彼の口からでた意外な言葉に、驚いて瞬きする私。
株取引は、先見の知恵と詳しい企業情報を入手する伝手がなければ、そう上手くいかない。貴族の間ですら『どの銘柄が儲かるか』と、庶民は参加できない社交界で躍起になって情報交換している。
それでも、好調だった企業がいきなり倒産してたりして、株券が紙屑同然になってしまうこともあり、株取引は成功すれば儲かるけど、リスクの高い資産運用でもある。
「俺が直接やってたわけじゃないんだ。株をかじってる友人がいて、そいつに任せてたんだよ。でも、今朝『預けてた金を返してくれ』って頼みに行ったら『暴落して失くなった』って言われちまってさ」
なるほど。イメージと結び付かなかったけど、そういうことか。
「そうだったんだ……どうして、預金を返してもらおうとしたの?」
「育ての親のばあちゃんが具合悪くてさ。つい最近医者から『検査の結果、癌の可能性が高い』って言われちまったんだ。それで、ばあちゃんに“少しでも贅沢させてやりたい”って思ったんだけど……」
やっぱり、あの時に杖をついていたお婆様は、スティーブさんの身内だったのね……。
口を手で覆いながら、目頭に熱いものを感じてしまう。
ヤダ……何泣きそうになってるのよ。
同情を引くための、作り話かも知れないのに――。
話を深掘りしてみると、スティーブさんは生まれて間もなく母親が他界して両親はおらず、お婆様に育てられたらしい。最近までは、首都のリスドンでタクシー運転手をやっていた。
しかし、お婆様が癌を患ったのをキッカケに、1ヶ月前から地元に帰省して看病していたという。私がハンカチを拾ってもらった時期もそのくらい。
そして、その事情を聞いた彼の友人が『よし、ばあさんのために俺が資産運用してやるよ!』と名乗り出た。彼は友人の親切に乗っかっかる形で、財産を託したそう。
「結局、俺の財産は友人の金もろとも、殆ど吹っ飛んじまった。んで、途方に暮れてた時にこの屋敷の人が出掛けるのを見かけてさ。……なんて言うか、つい魔が刺しちまったんだ」
かなり落ち込んでいる様子の彼を、嘆息気味に見つめた。
「あのね、株は貴族でも運用するのが難しい代物で、簡単に儲けられるものじゃないんだよ?」
「やっぱそうか……“楽して儲けよう”なんて考えたのが、そもそも間違いだったんだな。挙げ句の果てに、この有様さ」
スティーブさんは、窓の外を遠い目で眺めてつつ反省したかと思いきや、胡座をかくように床へ座り込んだ。
意気消沈する彼に「これからどうするの?」と尋ねてみる。
「……警察へ自首しに行くよ。怖がらせちゃったよな? ホント、ごめんよ……」
そんな、優しそうな瞳で謝られてもなぁ。
「ちょっと、待っててくれる?」
彼が戸惑うように「え? ……う、うん」と返事をする。あることを思い立った私は、箒を持ったまま寝室を出た――。
自室へ戻り、ドレッサーにしまってあった“ティアラとネックレス”を手に取り、再びスティーブさんの元へと向かう。
もう、逃げちゃってるよね。
廊下を歩きながらそう思いつつも、寝室の扉を開けてみる――すると彼はまだ床に座っていて、キョトンとした顔でこちらを見てきた。
「ちょっと……! 何で逃げなかったの!?」
「いや、何でって、君が『待ってて』って言ったんじゃないか……」
愕然とした私は、思わず返す言葉を失ってしまった。
呆れた。せっかく逃亡の時間を与えてあげたのに。なんていうか、ご飯をお預けにされた犬みたい。
「それで、何しに部屋を出て行ったんだい?」
スティーブさんからの問いかけにハッとした私は、背中に隠していたティアラとネックレスを彼に差し出した。
「そうだった……はい、これなら持って行っていいよ」
スティーブさんが座ったまま、口をポカンと開けている。
「貴方が物色してた調度品類は、確かに値打ち物ではあるけど、みんな先祖から受け継がれてきた大切なものなの。だから、私ので良かったらあげる」
そういうと、彼はティアラとネックレスを手に取り、顔面間近で動かしながら見始めた。
「い、いや、でもこれ、すんごい高そうなんだけど。なんか宝石いっぱい付いてるし」
「そうね。両方とも売れば、多分150ポンドくらいにはなるかな」
仰天した彼が右手を強く振って「おいおいおい! そ、そんな高価なもの貰えないよッ!」と、持っていた2つを突き返そうとしてきた。
空き巣に入ってきたのに、断る意味が分からないんだけど……。
「困ってるんだよね? 遠慮しなくていいから貰ってよ。どうせ、捨てようとしてたものだし」
「へ? す、捨てようとしてたって、何で?」
「結婚式で使う予定だったの。でも1週間前に、相手から“婚約を破棄”されちゃって……もう必要なくなったんだ」
ついそれを口走ってしまった私は、額に手を当てて小さく吐息を漏らした。どうしてこんな身の上話を、空き巣相手に話してしまっているんだろう、と――。
『……いません!』
確かにそう聞こえた。
でも、そんな返事ってある!?
誰もいないはずの我が家で、不審な物音に気付いた私は、両親の寝室を前にし、両手で箒を強く握り締めていた。
よりにもよって、両親は出掛けたばかり。今この屋敷を守れるのは、私しかいない。
怖くて怖くて、ここまで来るのもやっとの想いだった。部屋内から返ってきた声からして、中にいるのは恐らく男性。
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慌てふためく口調で、何とか誤魔化そうとする男性。私は半開きにしてた扉から、意を決して部屋に入った。
「なら、雇い主に顔を隠すのは不自然じゃない? それに、ウチは使用人を雇うほどの余裕なんてないよ?」
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「その通りです。すいません」
ところが、彼の顔が露わになった途端――不意に“ある記憶”が蘇ってきた。
「……あれ、待って! あなた、私と会ったことない!?」
「へ!?」
「ほら、国立公園で私がハンカチ落としたの、拾ってくれたでしょ? 結構前のことなんだけど、覚えてないかな!?」
あれは忘れもしない、晴天が空に広がっていた日。
気持ちのいい風が吹く国立公園で、私は彼と出会っている。ダークブラウンの短髪で屈託のない笑顔をする、爽やかな人だった。確かその時、彼はお婆様を連れていた気がする。
すると彼は、顎に手を添えながら「んー?」と、私の顔をじっと見つめてきた。
「……あーッ、あの時のお嬢さんか! 覚えてる覚えてる! そこの写真見て何となく会ったことある気がしてたけど、たった今思い出したよ!」
「やっぱり! それ、農家さんとこ手伝いに行った時に撮ってもらったやつなの! 写りだけはいいでしょ!?」
「いやいや実物の方が全ッ然可愛いよ! しっかし、こんな偶然ってあるもんなんだね! 何か嬉しいなぁ。あ、俺スティーブっていうんだ!」
と、スティーブさんが満面の笑みで手を差し出してくる。
唐突に『可愛い』と褒められて顔が熱くなっていた私は、「マエルだよ!」と言って握手を交わそうとした――が、我に帰って即座に腕を引っ込める。
「えーとごめん、ちょっと待って。はしゃいでる場合じゃなかった。あなた、空き巣に入ってきたんだよね?」
彼は塞ぎ込むように「……まぁ、はい」と、目を逸らしてきた。
「何であなたみたいな人が、空き巣なんて?」
ハンカチを拾ってくれたスティーブさんの印象は、お婆様想いに見えて、とても優しそうに感じられた。そんな彼が悪事を働くとは、にわかに信じ難い。
首を傾げる私をチラリと見たスティーブさんが、大きな溜息を吐く。
「はぁ……悪いことしてるって、分かってはいるんだ。でも、株で失敗して財産を一気に失くしちまってさ」
「え、株に手を出したの!?」
彼の口からでた意外な言葉に、驚いて瞬きする私。
株取引は、先見の知恵と詳しい企業情報を入手する伝手がなければ、そう上手くいかない。貴族の間ですら『どの銘柄が儲かるか』と、庶民は参加できない社交界で躍起になって情報交換している。
それでも、好調だった企業がいきなり倒産してたりして、株券が紙屑同然になってしまうこともあり、株取引は成功すれば儲かるけど、リスクの高い資産運用でもある。
「俺が直接やってたわけじゃないんだ。株をかじってる友人がいて、そいつに任せてたんだよ。でも、今朝『預けてた金を返してくれ』って頼みに行ったら『暴落して失くなった』って言われちまってさ」
なるほど。イメージと結び付かなかったけど、そういうことか。
「そうだったんだ……どうして、預金を返してもらおうとしたの?」
「育ての親のばあちゃんが具合悪くてさ。つい最近医者から『検査の結果、癌の可能性が高い』って言われちまったんだ。それで、ばあちゃんに“少しでも贅沢させてやりたい”って思ったんだけど……」
やっぱり、あの時に杖をついていたお婆様は、スティーブさんの身内だったのね……。
口を手で覆いながら、目頭に熱いものを感じてしまう。
ヤダ……何泣きそうになってるのよ。
同情を引くための、作り話かも知れないのに――。
話を深掘りしてみると、スティーブさんは生まれて間もなく母親が他界して両親はおらず、お婆様に育てられたらしい。最近までは、首都のリスドンでタクシー運転手をやっていた。
しかし、お婆様が癌を患ったのをキッカケに、1ヶ月前から地元に帰省して看病していたという。私がハンカチを拾ってもらった時期もそのくらい。
そして、その事情を聞いた彼の友人が『よし、ばあさんのために俺が資産運用してやるよ!』と名乗り出た。彼は友人の親切に乗っかっかる形で、財産を託したそう。
「結局、俺の財産は友人の金もろとも、殆ど吹っ飛んじまった。んで、途方に暮れてた時にこの屋敷の人が出掛けるのを見かけてさ。……なんて言うか、つい魔が刺しちまったんだ」
かなり落ち込んでいる様子の彼を、嘆息気味に見つめた。
「あのね、株は貴族でも運用するのが難しい代物で、簡単に儲けられるものじゃないんだよ?」
「やっぱそうか……“楽して儲けよう”なんて考えたのが、そもそも間違いだったんだな。挙げ句の果てに、この有様さ」
スティーブさんは、窓の外を遠い目で眺めてつつ反省したかと思いきや、胡座をかくように床へ座り込んだ。
意気消沈する彼に「これからどうするの?」と尋ねてみる。
「……警察へ自首しに行くよ。怖がらせちゃったよな? ホント、ごめんよ……」
そんな、優しそうな瞳で謝られてもなぁ。
「ちょっと、待っててくれる?」
彼が戸惑うように「え? ……う、うん」と返事をする。あることを思い立った私は、箒を持ったまま寝室を出た――。
自室へ戻り、ドレッサーにしまってあった“ティアラとネックレス”を手に取り、再びスティーブさんの元へと向かう。
もう、逃げちゃってるよね。
廊下を歩きながらそう思いつつも、寝室の扉を開けてみる――すると彼はまだ床に座っていて、キョトンとした顔でこちらを見てきた。
「ちょっと……! 何で逃げなかったの!?」
「いや、何でって、君が『待ってて』って言ったんじゃないか……」
愕然とした私は、思わず返す言葉を失ってしまった。
呆れた。せっかく逃亡の時間を与えてあげたのに。なんていうか、ご飯をお預けにされた犬みたい。
「それで、何しに部屋を出て行ったんだい?」
スティーブさんからの問いかけにハッとした私は、背中に隠していたティアラとネックレスを彼に差し出した。
「そうだった……はい、これなら持って行っていいよ」
スティーブさんが座ったまま、口をポカンと開けている。
「貴方が物色してた調度品類は、確かに値打ち物ではあるけど、みんな先祖から受け継がれてきた大切なものなの。だから、私ので良かったらあげる」
そういうと、彼はティアラとネックレスを手に取り、顔面間近で動かしながら見始めた。
「い、いや、でもこれ、すんごい高そうなんだけど。なんか宝石いっぱい付いてるし」
「そうね。両方とも売れば、多分150ポンドくらいにはなるかな」
仰天した彼が右手を強く振って「おいおいおい! そ、そんな高価なもの貰えないよッ!」と、持っていた2つを突き返そうとしてきた。
空き巣に入ってきたのに、断る意味が分からないんだけど……。
「困ってるんだよね? 遠慮しなくていいから貰ってよ。どうせ、捨てようとしてたものだし」
「へ? す、捨てようとしてたって、何で?」
「結婚式で使う予定だったの。でも1週間前に、相手から“婚約を破棄”されちゃって……もう必要なくなったんだ」
ついそれを口走ってしまった私は、額に手を当てて小さく吐息を漏らした。どうしてこんな身の上話を、空き巣相手に話してしまっているんだろう、と――。
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