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最終話

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 この日をどれだけ待ち望んだろうか。

 ジュディさんから教わったお化粧をして鏡に写る自分の姿は、ブドウと同じ紫色のウェディングドレスを着ていた。

 リビングにいるお父様とお母様が微笑み、私の両脇について腕を組む。

 取手に手をかけた途端、あの時の光景がフラッシュバックしてきて、扉を開けるのを躊躇った。そんな私の手に、両親の手が重なる。

「大丈夫だ、ルナ……行こう」
なら、心配要らないわ」
「……うん」

 そう、前回の結婚式とは違う。

 お父様のおかげで私を嘲笑った来賓者達の誤解も解けて、何度も謝罪してくれたし、式の場所も一番落ち着ける自宅にした。

 そして何より……私を待ってくれている人が違うから。

 勇気を振り絞り、取手を握る手に力を込める。
 3人で自宅の玄関を開けると、眩しい太陽の光が差し込むと同時に、開けた野原でたくさんの来賓客が拍手で迎えてくれた。

 そして、その先にある壇上に立っていたのは、真っ白なタキシードを着た後ろ姿の男性、ただ一人――。

 約半年前の夜。

 ホテルの送迎用バスに乗り込んでレオと別れると、車内にはみんなが安心した顔をして座っていた。
 私はジュディさんの隣に腰を下ろして、すぐに声をかけた。

「ジュディさん、本当にごめんなさい。私のために……」
「私は大丈夫です。貴女様のお力になりたくて、自ら望んだ役目ですから」

 大丈夫な訳ないわ……。
 あの時に浮かべていた苦しそうな表情は、心の底から嫌そうに見えたもの。

 微笑む彼女に、私は涙を浮かべながら力強くぎゅっと抱きついた傍らでは、ホーキンさんがラグナさんに問いかけていた。

「えーと、ラグナさんだっけ?」
「何だ?」
「あんた、あのビアンカと何があったんだ? 借金してるとか?」

 と、ビアンカさんが口にしてたについて尋ねている。多分みんな気になってたことだけれど、そんなの、無礼なホーキンさんしか聞けない。

 ラグナさんは腕を組んで長い間沈黙すると、小さな声でボソッと囁いた。

「ビアンカは、私の妻だ」
 
 車内の全員から「えぇぇぇ!?」と驚愕の声が上がる。

「私に今の立場があるのは、当時政界に席を置いていたビアンカの力があったからだ。だが、腐敗していた国政の裏側を目の当たりにし過ぎたビアンカは、私の反対を押し切ってマフィアだった父の跡を継いで政界を去った。闇に堕ちていく彼女を、私は止めることが出来なかったのさ……それだけだ」
「ちょちょちょ、こんな所でそんな話して良かったんかい?」
「構わん。ビアンカに立ち向かうマルキ嬢の姿を見て、元妻に恐れていた自分が情けなくなってしまったよ。アレンの裁判が終わり次第、私は裁判長の座を辞するつもりだ」

 複雑な表情で俯く彼に、私が「……ラグナさん」と呟くと、彼は私に視線を向けてきた。

「話は変わるが、マルキ嬢は国政に興味はないのか? 君が国政に携われば、この国はもっと良くなるかもしれない」
「え!?」

 唐突な質問に戸惑う私。

 正直言えば、不貞に寛容過ぎるフィレリアの法律を何とかしたいと、内心で思っていた。
 サイファーさんが面談の時に話していたように、もっと浮気や不貞に対して厳罰化しないと、被害者はいつまで経っても減ることはないと思う。
 私のような思いをする人なんて、これ以上増やしてはならない。何か自分に出来ることがあればいいのに――心の中では、ずっとそう感じていたけれど。

「興味がないわけではないのですが、私が国の政治家になるなんて、簡単に出来るとは思えません……」
「何もいきなり国会議員になる必要はない。初めは市議会議員からでも良いのだ。丁度近々、市議会選挙を控えているではないか。君が立候補するというのなら、私は喜んで投票するよ」

 市議会議員?

 確かに地方自治は、国と一線を引いた独自の条例を設けることは可能だけれど、地方自治単位で不貞厳罰化なんて出来るのだろうか。

 すると、メルティナが瞼をパチパチさせながら手を挙げた。

「わ、私も……ルナ様が出馬したら、絶対ルナ様に投票します。周りのみんなにも声をかけて、応援しますよ」

 メルティナ……。

「おーおーおー! こうなったら、みんなでルナ嬢様を国会議員まで担ぎ上げてやろーぜー!」

 彼女の言葉を皮切りに、ふざけ半分でホーキンさんが騒ぎ立てると、ラグナさんは静かに微笑んだ。

「どうやら、君を応援してくれる者はたくさんいるようだな」
「そ、そのようですね……」
 
 え、どうしよ。
 市議会議員選挙、本当に出てみようかしら――。

 自宅に帰宅した頃には、もう日を跨ぐほどの深夜となっていた。音を立てないよう、そっと玄関を閉めて振り返ると――目の前には両親が心配そうな表情で並んでいた。

「ルナ……良かった、無事だったのね」

 そう呟いたお母様が私を抱き寄せる。

「ごめんなさい、また遅くなっちゃった」

 と返したら、今度はお父様が大きく溜息を吐いた。

「いい加減、ルナには門限を設けないとダメかな? 心配で寿命が縮んでしまうよ」
「あはは……」

 苦笑いで誤魔化しても、お父様は真面目な顔で首を横に振ってきた。
 その日は夜も遅く「話は明日聞くから」というお父様の計らいで、私は自室のベッドへ倒れ込み、そのまま化粧も落とさず泥のように眠りに落ちてしまう――。

 翌日、思いっきり大寝坊して目を覚ましたら、外には黒塗りの高級車が停まっていた。
 ボンネットの先端にディマルク家の家紋が入った刻印が目に入った途端、ベッドから飛び起きる。

 レ、レオが来てるーッ!

 急いで身支度をしてリビングへ行ってみたら、ソファテーブルでお父様の反対側にはレオが座っていて、その隣にはディマルク家当主のフェルナンドさんもいた。

 私に気付いたレオが笑顔で挨拶してくる。

「お、ルナ。
「お、おそようございます……」

 ふとテーブルの上を見遣ると、何やら書面でやり取りをしていたようだ。みんなの手元には、お母様が淹れたであろう紅茶のティーカップを握られている。
 すると、フェルナンドさんが私に声をかけてきた。

「ルナ、久しぶりだな」

 長い顎髭を手で撫でるフェルナンドさんの放つ威厳は、昔から変わらない。でも、私は幼い頃から優しかった彼が大好きだった。

「はい、お久しぶりです! お元気そうでとっても嬉しいですわ!」
「ははは、ルナは相変わらず笑顔が似合うな。たった今、マルキ家とブドウとワインの両方で取引契約を結んだところなんだ。今後、ウチからマルキ産ワインを世界へ輸出することになるから、ここの農園はより一層忙しくなるぞ」

 フェルナンドさんの向かいにいるお父様が、満面の笑みを浮かべている。昔から仲の良かった2人の姿を見てたら、あまりの微笑ましさに嬉しくて涙が出そうになる。

「はい……本当に、本当にありがとうございます」

 深く頭を下げて礼をすると、フェルナンドさんはレオを呼んだ。

「レオナルド」
「はい」
「あとは私達に任せて、ルナと2人で話してきたらどうだ?」
「はい、ありがとうございます」

 ソファから立ち上がったレオが、

「じゃあ、俺らは外に出ようか」

 と手を握ってきた。私は涙を拭いながら「うん」と返し、2人で玄関から外の野原に出た――。

 自宅から少し離れたところまで歩いて農園が見渡せる丘まで来ると、そこで私達は立ち止まった。少しだけ雲が浮かぶ晴天。気持ちのいい暖かな風がゆるく吹いている。

 レオは背伸びをすると、大きく息を吐いた。

「はぁ~、昨日の夜が夢みたいだな」
「そうだね……でも、レオが来てくれてホント嬉しかった。あのまま私だけでいたら、精神的に持たなかったと思う」
「ルナ、よく頑張ったな……本当にすごいよ、お前の肝の座り様は」
「そんなことないよ。そうだ、あの後サイファーさんと何話したの?」
「ん? ああ……『ルナを助けてくれありがとう』って俺から改めて礼をしといたんだ」
「そうだったの? そっか。今度私も、ラ・コルネにちゃんとお礼しに行かなくちゃ……」

 微妙な空気が流れ、沈黙しながらしばらく農園を眺めていたら、レオから口を開いてきた。

「ルナ……やっぱり、昨日みたいなのを目の当たりにして、男が怖くなっちまったか? 相当衝撃的だったはずだ」
「……うん。アレンとジュディさんの姿が、目に焼きついちゃったのはあるかな」
「そうだよな。そんなの見てしまったら、トラウマになってもおかしくない」

 レオが俯いて苦笑いするのを見て、私は彼の肩に手を添えた。

「けど、同じ男でもレオとアレンは全く違う人だから、私はレオに対して偏見なんて持たないよ?」
「……本当か?」
「レオのことは、誰よりも一番信じてるからね。でも、どうして医師免許持ってたこと黙ってたの? 孤児院の件だって良いことなのに、私に隠す必要なんてあった?」
「まぁ、俺がそういうことに頑張れたのは……“ルナを忘れるため”だったからさ。何ていうか、そんな理由で医師免許取ったなんて、格好付かないだろ……?」
「待って……それって――」

「俺、ルナのこと好きだったんだ。アレンと婚約を告げられる前から……ずっとな。ここだけの話、計画が始まる直前までサイファーのことを恋敵と勘違いしてた俺は、思いっきり返り討ちにされてたんだよ」

「えぇ!?」

「実際、ルナはサイファーのこと……どう思ってたんだ?」

「……サ、サイファーさんは、すごく良い人だと思うよ。でも昨日のアレンと対峙してたのを見たら、ちょっと怖いなって感じちゃったんだ。すごく影がある気もするし、普通じゃないっていうか……」

 レオが「そうか」と軽めに頷く。私は右手を絡ませるように彼の人差し指を握った。

「サイファーさんのことは信頼してるけど、それは好きって訳じゃないから、安心していいんだよ?」

 そういうと、真剣な表情をしたレオが私の正面を向き、両手で私の手を包み込む。彼の瞳が澄んだエメラルドのように輝いていて、胸が張り裂けそうなくらいドキドキする。

「ルナ」

「……うん」

「もう余計なことなんて考えない。俺の全身全霊をかけてルナのことを幸せにしてやりたいんだ。お前の中に眠る裏切られた悲しみも、全部受け止めてやる」

 手を握る力が痛いくらい強くなっている。でも、それでも涙が溢れ出るくらい嬉しい。

 黙ってレオの身体に腕を回して抱き寄せると、彼も私を強く抱きしめてきた。
 力強くて大きな体と、大好きな匂い。
 金色の綺麗な髪。
 肌同士が触れ合う温もりや息遣い。

 全部好き。

 大好き。

「ルナ、愛してる」

「私も……私も愛してるよ、レオ」

 ふっ――とレオの頬が離れる。そして私が目を瞑ると、彼はその柔らかな唇で、優しく触れるキスをしてくれた――。

「そんなことがあったなんて、信じられないな……」
「黙っていて、本当にごめんなさい……」

 アレンに復讐をしていたことを素直に両親へ告げた私。
 またロカテッリ・ファミリーとのいざこざの件についても、あの場を凌ぐためとはいえ私の勝手な判断で家に損失を招いてしまうことを、申し訳なさげに説明すると。

「そのくらい、なんてことないさ! ルナが無事でいてくれたことの方が、何よりも嬉しいよ。ワイン飲み放題の件は、私に任せなさい」

 ディマルク家との契約によって販路が世界市場にまで広がることで、飲み放題による損失など大したことはないと豪語するお父様に、私は瞳を潤ませながらぎゅっと抱きついた。

 しかしその後、銀行から「直接お渡ししたい書類がございますので、当行まで来て頂きたい」と突然呼び出された私が向かうと、銀行員から、

「ルナ様のご口座に多額のご入金がございましたので、ご確認願います」

 と、いきなり記帳された通帳を渡され、全く心当たりがなかった私は目が飛び上がるほど驚愕した。

 ラ・コルネにティアラとネックレスを買い取って貰った際に教えた私の口座に、なんとサイファーさんから装飾品の買取代とは別に、9000万リラもの大金が振り込まれていたのだ。

「ちょ、何ですかこれ……?」
「入金者のサイファー様からお預かりしていた封筒をお渡し致します。そこに理由が記されているかと思われますが……」
「あ……は、はい」

 受け取った封筒を開けて中を確認すると、一通の手紙と請負契約書の写しが入っていた。

[ルナ様へ]

 添付した請負契約書の記載通り、計画不履行による違約金をお支払い致しますので、お受け取り下さい。

 サイファー・アルベルティ

 手紙の内容を確認した私が、すかさず請負契約書にも目を通すと。

[何らかの事由によって計画が達成されなかった場合、クライアントに対して違約金9000万リラを支払うものとする]

 と、契約を交わした当初は記載されていなかった項目が付け足されていた。

 嘘?
 もしかして、このお金をロカテッリ・ファミリーへの損害賠償の補填に使ってくれと……?

「すいません! ちょっと電話をお貸りしても宜しいでしょうか!?」
「え、ええ……構いませんよ?」

 ラ・コルネとレオに電話を掛けた私は、急いで銀行を飛び出した――。

「あれ、店がないッ! どうして!?」

 ラ・コルネに電話しても繋がらないのを不思議に思って訪れてみたら、店がも抜けの殻になっていたことに驚愕していたら、現地で合流したレオも、目を丸くしてキョトンとしている。

「まぁ……別れさせ屋なんてやってたら、貶めた連中から報復されかねないからな。定期的に移転してしまうのかも知れない」

 確かにそうかも知れないけれど、 一言くらい「引っ越すから」って教えてくれたっていいのに。

 その後はレオと一緒にどれだけ探しても、サイファーさん達を見つけることができなかった。

「やっぱりダメ……?」
「ああ、完全に追跡するための痕跡が消されているみたいだ。もう彼等の行方を追うのは不可能に近い」
「そんな……」

 あれだけお世話になったのだから、お礼くらいさせて欲しかった。呆気なさすぎるお別れにガックリと肩を落としつつ、サイファーさんから初めて貰った手紙を読み返す。

[あの二人の幸せを望みますか?]

 サイファーさん。
 ジュディさん。
 ホーキンさん。

 いつかまた、絶対会えるよね? ――。

 1ヶ月が経つ頃には、ついにアレンの殺人未遂罪の初公判が執り行われた。

 サイファーさんは雲隠れする前に、アレンに関する訴訟手続をラグナさんへ引き継いでおり、数々の罪を犯したアレンの被害者が続々と起訴していく中、不貞被害を受けた私も原告の一人として裁判の傍聴に参加した。

 ヴェロン様に対するアレンの殺人未遂罪を担当する検察官は、刑事裁判を公開して起訴する公判請求を裁判所に提出しており、バストーニ家次期当主となるはずだったアレンの初公判は、世間に衝撃を走らせて大きな注目を浴びていた。

「以上を持ちまして、被告人には刑法第35条殺人未遂罪により、無期懲役を求刑致します」

 起訴状を朗読し終えた検察官が裁判官であるラグナさんに求刑を言い渡すと、深刻な面持ちで頷いたラグナさんは、証言台に手錠を掛けられて佇むアレンに視線を向けた。

「これから検察官が読み上げた起訴状に関して貴方に質問をするが、その前に貴方の権利について述べておく。被告人には黙秘権があり、終始沈黙していても良いし、個々の質問に対して陳述を拒んでも構わん。だが、任意に陳述する場合には、その内容が有利にも不利にも働く証拠になることを理解してもらいたい」

 静寂な雰囲気に包まれる法廷で、しばらく俯いていたアレンが「はい」と短く返す。

「では質疑応答を始める。まず、被告人は起訴状の内容について異議はあるか?」

 ラグナさんが粛々とアレンに問う。
 
 サイファーさん達を除くブレネスキの306号室にいた皆が、傍聴席で手に汗を握る。他の傍聴人達も“アレンがどう反論するのか”と息を呑む厳粛な空気が漂う中、彼はゆっくりと顔を上げて小さく口を開いた。

「……ありません。私は実の父ヴェロンの殺害を目論み、彼に水銀を盛りました。今回の裁判だけでなく、他に起訴されている内容についても、この場を借りて全ての罪を認めます。死刑でも何でも受け入れましょう」

 法廷全体に――静かなどよめきが起こった瞬間だった。

 そう。

 アレンはサイファーさんによって暴かれた罪を、公的な裁判の場で全部認めてしまったのだ。

「嘘偽りはないな……アレン」
「はい」

 これにはラグナさんも驚きを隠せない様子で眉を顰めていたけれど、審理を終えた後にアレンへ告げられた判決は、やはり無期懲役だった――。

 初公判を終えて裁判所を出た私達。

「始まってみると、意外とあっさり終わっちまったな。まさかあのアレンが一切反論しないとは、何か拍子抜けしてしまったよ……」

 レオが浮かない顔で肩をすくめる。

「……これで、良かったんじゃない? ロッソネロでしっかり反省して欲しいわ」

 こうしてその後の裁判は略式起訴で処理され、私には不貞による慰謝料及び、結婚式当日に起きたマルキ家への名誉毀損による損害賠償金が、アレン本人から支払われる形に収まった――。

 後日、自宅に届いていた新聞に目を通していた私は、アレンが無期懲役でロッソネロ監獄へ収監される記事が一面を飾る裏面で、気になる記事を発見した。

 そこには“失踪していたゾルディア連邦の皇太子ユヴェルが、皇太子妃を連れて帰ってきた”と書かれていた。
 読み進めると、ユヴェルはそのまま現皇帝のアリスターから皇帝の座を引き継いだらしいのだ。
 そして、新聞にはそのユヴェルが皇帝に即位した時の白黒写真も小さく載っていたのだけれど。

「……あれ? この写真、誰かに似てる気がする」

 写真のユヴェルは眼鏡を掛けておらず、髪も黒いミディアムだった。しかし、どことなくユヴェルの印象がサイファーさんに見えた。
 このことをレオに話してみよかと、電話の受話器に手をかけた途端に私は、

 やっぱり、気のせいかな?
 サイファーさんとジュディさんが、そんな人騒がせなことする訳ないよね……。

 と、自分に思い違いだと言い聞かせ、持ち上げかけた受話器から手を離した――。

 それから約3ヶ月が経った頃。

 ヴェロン様の容態が急変したという知らせを受けた私とお父様は、急遽バストーニ家の屋敷を訪ねていた。
 出迎えてくれたカストロさんが、血相を変えてかなり慌てている。

「あああ、お2人ともお急ぎ下さい!」

 急いで部屋に駆け込むと、そこにはレオとフェルナンドさん、メルティナ、そしてフェネッカがいた。

 ベッドで横になっていたヴェロン様は、以前とは見る影もなく痩せてしまっていた。そんな彼が虚な目をして、お父様に向かって小さく囁いた。

「ア……レンは……どうし……た?」
「心配するな! お前が育てたアレンは商会の後を継いで、飛ぶ鳥を落とす勢いで立派にやっているよ! なぁ、フェルナンド」

 お父様の隣りについたフェルナンドさんが、ヴェロン様の手を強く握って微笑みかける。

「ああ、彼はうちの倅に負けず劣らず優秀だ。だからヴェロン、安心して眠ってくれ。私達もすぐに君のところへ逝くからな」

「そう……か……良か――」

 ヴェロン様は安心した様に笑顔を浮かべて、ゆっくりと眼を閉じる。彼の胸に聴診器を当てていたレオが、おもむろに耳から聴診器を外して首を横に振った。

 ヴェロン様が――ついに逝かれてしまった。

 部屋の隅にいたフェネッカとメルティナが口元に手を添えて号泣している。

 2人の手を握っていた私も――。

 壇上で待つレオの後ろ姿が近づくと、彼は振り返って手を差し伸べてきた。

「綺麗だな……ルナ。本当に綺麗だよ」
「ふふふ」

 彼の手を取って壇上へ登り、お互い向き合って指輪を交換する。

「いよッ! 幸せそうだな、

 祝福の歓声と拍手が上がり、フラワーシャワーが宙を舞う。

 地元の市議会選に立候補していた私は、みんなの応援のおかげで女性議員としては史上最年少で当選を果たした。まだまだ未熟者で分からないことだらけだし、不貞厳罰化なんてかなり先の話になりそうだけれど。

「妻が議員ってのは心配事が絶えなさそうだな……変に恨みを買って、闇討ちされないかとかさ」
「またそんな弱気なこと言って~。守ってくれるんでしょ?」
「あ、当たり前だろ? 任せとけ」
 
 と、頼りなさそうに苦笑いするレオと夫婦になって共に歩みながら、世の中の女性が笑って過ごせる未来を作っていきたいと思う。

 壇上から見渡すみんなの顔は、笑顔で溢れていた。

 来賓の中には、親戚やたくさんの同級生達、農夫さん達みんなが顔を連ねている。もちろんカルラおばさんも。

 でも――本当に一番来て欲しかったサイファーさん達がこの場にいないのが……とても残念。

「ん~、チューしてよ、ラグナた~ん」
「や、やめんか!」

 完全に酔っ払ったビアンカさんが、離れた席でラグナさんに口付けをせがんでいるのが目に入る。

 あ……ヤバいな、あれ――見てはいけないものを見てしまった私は即座に視線を逸らす。

 そんな時、歓声の中から「早くキスしろー!」と茶化すような言葉が飛んだ途端、みんなが息を合わせて手拍子を始めた。
 レオと顔を見合わせて微笑むと、彼は嬉しそうに口を近づけてきた。

「あ、ちょ、ちょっと待ってレオ!」

「……ど、どうした?」

「こっち来て!」

 彼の手を引っ張って農園を見渡せる丘まで来ると、レオが不思議そうな表情を浮かべる。

「何だよ、こんな危なっかしいところまで来て!」

「いいの! ここじゃなきゃダメなの!」

「どういうこと!?」

 黙ってレオの首に両腕を回し、とびきりの笑顔で囁いた。

「はい、キスして」

「あ……うんッ!」

 そしてみんなが見守る前で、私達は熱いキスを交わした――。

 結婚式の前日、自宅に送り主の記載がない手紙が届いていた。

 しかし、達筆な字でそこに書かれていた文字を読むことが出来ず、さすがに今度は“何かの悪戯だろう”と机の上に放置した――その手紙の内容は。




[Счастья вам(お幸せに)]




 fin――。
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