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38.ユヴェル※挿絵あり

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 ラウンジで溜息を漏らした私が彼等に近づこうとした、その時――先ほどすれ違った巻き髪の女性が物凄い勢いで私を追い抜き、そのままホーキンに話しかけた。多分、あれがアイシャ様のご友人なのだろう。

「あの~、すみませ~ん! もし宜しければお隣に座っても宜しいでしょうか~?」

 ホーキンが手に持っていたワイングラスをカウンターに置き、格好付け気味に前髪を掻き上げる。

「ええ、凄まじく大丈夫ですよ……って君めっちゃ可愛いねぇ~! もしかして趣味は“レンガを手刀でカチ割ること”って感じかな!?」
「そんな……! 『超絶美人でお淑やかで才色兼備すぎて結婚したら絶対にいい嫁さんになるよ』なんて褒めすぎですよ~ヤダ~!」

 ニコリと笑った彼女は照れるように片手で口を隠しながら、ホーキンの肩を平手で叩いた。

「おっと~、全然そこまで言ってないな……いやちょと待て。何だろう、君からオレと同じエンターテイナー的な匂いがするのはなぜだ? 鼻がぶっ壊れてしまったのかしら」
「私も同じことを考えておりました~! もはや運命としか思えませんわ~!」

 黙ってその様子を聞いていたジュディが、真顔でホーキンの背後からカツラを奪い取る。
 光るスキンヘッドが露わになった瞬間、巻き髪の女性が青ざめて、

「ギャァァァァァ! 滅茶苦茶ハゲ散らかしてる!」

 と悲鳴を上げ、すかさずホーキンの頬が瞬く間に引き攣った。

「おいおいおい『超絶イケメン』とは言ってくれるね~! 大体なんだそのジャラついた装飾品は!? ラウンジの風景としてガチでウザってぇんだよッ!」
「何よこのハゲ詐欺師! 私イケメンなんて一言も申し上げてございませんことよ!? そもそも――」

 聞き苦しい口論が勃発し始め、私は大きな溜息を吐いた。その場にいる他の乗客達も何事かと2人に注目している。あれだけ念押しで忠告したのにこの有様。
 閑静なラウンジで騒ぎ立てる2人の間に、見兼ねた私が仲裁へ入ろうとしたその時。

「ちょっとオリヴィアさん、いけません。初対面の殿方にそんな横暴な態度を取っては、失礼ですわ……」
「アイシャ様!? だってだって、このハゲ野郎が!」

 突如、憤怒するオリヴィアを宥めだしたのはアイシャ様だった。彼女を横目に私もホーキンへ声をかける。

「お前もだ。いい加減にしろ」
「いや親分! それ俺じゃなくてあの女に言ってくれませんかね!? 最初に喧嘩売ってきたのはあのボケアマだから!」
「はぁ!? 私が誰だか分かってて言ってんの!? 一番最初にこの船で死にたいようねこのハゲチャビン!」

 駄目だ。この調子では収拾がつかない。ホーキンも大概だが、オリヴィアも相当厄介な気質を持っていそうだ。
 そう思った私がふとアイシャ様を見遣ると、彼女は私に向かって苦笑いするように小さく微笑み返してきた。

「あ、貴方……あのご婦人……!」

 やはりジュディもそんなアイシャ様を見て、即座にソルンツェの面影を感じたのだろう。目を見開いて驚愕していた。

「彼女はアイシャ様だ。私も最初は勘違いしそうになった」

 アイシャ様を紹介すると、ジュディは瞳を潤ませながら彼女と握手を交わしていた――。

 その後ホーキンとオリヴィアの争いは、ジュディの提案により、屋内プールを借りた“水泳対決”で決着をつけることとなる。

「ウッソぉおおおッ!?」
「楽勝楽勝~! ザマァ見ろ、この口だけハゲがッ!」

 世界代表選手並みの泳ぎっぷりを披露したオリヴィアから圧倒的敗北を期したホーキンは、彼女から『華奢な私をボケアマと侮辱した罪で明日からの3日間、私の要望を何でも聞く奴隷の刑』に処されるハメになった。

「お、お、お、親分助けて……! 法律的な何かで今の勝負無効に出来るだろ!? あの女が鉄人だったなんて聞いてねぇよぉ~!」

 必死に膝下にしがみついて救いを懇願してきたホーキンだったが、私は「自業自得だ」と冷徹に突き放した――。

 半月を中心に、溢れんばかりの星々が舞う夜空。

 時刻が日を跨いでも眠気が来なかった私は、ローブ姿でそれを眺めながら、自分の人生を思い返していた。

 次期皇帝としての役目を放棄してまで復讐に生きてきた道は、果たして本当に正しかったのだろうか――と。

 ソルンツェやラケタは、私が復讐することを……望んでいたのだろうか。

『いいえ……そんなことしません。アレンとチェルソさんには、法律に則った然るべき罰を受けてもらいます。だからこんなものも、必要ありません! ――』

 ビアンカの心すら掴んだルナ様ならば、私が手を下さずとも、アレンを罰することが出来たのではないか。

 私は……。

 私は一体何をしていたのだろうか。

 窓際で振り返ると、大分酒を飲んでしまっていたジュディが、ベッドで下着も付けずにグッスリと眠っている。

「ジュディ、風邪引くぞ」

 そっとブランケットを被せると、薄く目を開けた彼女が上体を起こしつつ両腕で私の首に巻きついて、唇に吸い付いてきた。

「む~、あいちてる~……」

 こんな愛くるしい妻に、身体を汚させるような無理までさせてしまった。
 猫のように甘えた声を漏らしたジュディの身体を、思わず強く抱きしめる。そのまま彼女が寝付くまで、私は添い寝し続けた――。

 服に着替えた私は寝付くことが出来ず、部屋を出て船首甲板へ向かうと、そこにはアイシャ様が甲板の先端にただずんでいた。

「アイシャ様、いらしたのですね」
「……まぁ、サイファー様」
「夜風に当たりに来ました。そんな薄着ではお身体を冷やしてしまわれますよ?」
「ご心配して頂き、ありがとうございます。お酒のおかげで熱ってますし、このくらいなら平気ですわ」
「あれだけ飲まれていたのに、アイシャ様の肝臓は鋼で出来ておられるようだ。妻は酔い潰れて、先に寝てしまいましたが」

 ホーキンがオリヴィアに連れ去られたあと、残された私達3人はラウンジで酒の席を共にしていた。
 私はさほど口を開かなかったが、ジュディとアイシャ様は意気投合したのか、会話を弾ませてかなり酒が進んでいた。

「失礼なことをお尋ね致しますが、アイシャ様はご婚約されておられるのですか?」
「あ、はい……」
「アイシャ様のお相手ならば、さぞかし素晴らしいお方なのでしょうね」
「ふふ。おっちょこちょいで、いつも突っ走ってしまう世話の焼ける人なんですよ。でも、とても優しい心を持ったお方です」
「そうですか。それは明るい家庭を築いてくれそうなお方ですね」
「ありがとうございます」

 風に靡く髪を抑える彼女が微笑む。私はそれを横目に話題を変えた。

「アイシャ様に、一つお伺いしても宜しいでしょうか?」
「はい」
「貴女様にとって、愛とは何でしょう?」
「愛、ですか?」

 突表紙もない質問に戸惑いを見せた彼女は、少しの間を置いてから綺麗な瞳で私を見つめてきた。

「これは、私が尊敬するお方から聞いたお言葉なのですが、『愛とは“見返りを求めない自己犠牲”だ』と、仰っておられておりました。何となくですが、私もそんな気がするのです」
「見返りを求めない、自己犠牲……ですか」
「私自身は、自ら愛について真理を求めることは致しません。人によって愛の形は様々だからです。もしその形が他人から見て歪んだものだとしても、“愛そのもの”という意味では、みな変わりないのです」

 長い間、凍てついた風に晒されて氷続けていた私の心を――ゆっくりと溶かしてくれるような沁み渡る言葉だった。

 沈黙が続く中、私は船の正面を向いたまま目を瞑った。

「……アイシャ様。今貴女様が仰ったことこそが、正に愛の真理なのではないかと思うのは、私だけでしょうか? 貴女様の言葉を聞いて、とても救われた気持ちになれましたよ」
「サイファー様……」
「さて、そろそろ私は部屋へ戻ります。貴女様のおかげで、今日はよく眠れそうだ」
「……はい」
「お休みなさいませ」

 私が振り返って一歩踏み出したら、後ろから「あ、あの!」と声が響いた。
 呼び止めに応じた私がゆっくり振り返ると、月を背景にした彼女は、どこか神妙な面持ちで俯いていた。

「いえ、何でもございません……お、お休みなさい」

 しかし、これが客船で聞いた彼女の最後の言葉だった――。 
 
 それから3日後。

 ゾルディア連邦に到着した私達は客船から降りて、預けていた馬車や荷物を受け取った。

 帰ってきたのだな……やっと。

 周りを見渡し、皇居までの道のりを確認するため、ジュディに声をかけた。

「ジュディ、地図を」
「はい」
「それにしても、ホーキンの姿が見当たらないが」
「さぁ……どこへのでしょうね」

 オリヴィアの奴隷と化したホーキンと、あの日以来会っていなかったが、流石に下船となれば解放されているはず。
 そのうち来るだろうと、ひとまず手渡された地図に注視していたら、どこからともなくアイシャ様の声が聞こえてきた。

「サイファー様!」

 振り向くと、目の前には肩で息をするアイシャ様が立っていた。

「アイシャ様……どうかされましたか? もしや貴女様も下船されるので?」
「いえ、違います……あの――」
「アイシャ様ー! ちょと何されておられるのですか!? まさかの美味しいところを私から掻っ攫おうって魂胆ですの!?」

 重大発表?

 突然、アイシャ様へ抱きつく様にオリヴィアが現れたかと思いきや、意味深な言葉を発した。そして、彼女の背後から目の下にクマをこさえたホーキンが顔を出す。

「親分~」
「何だ、そこにいたのか。荷物は受け取ったのだろう? 早く行くぞ」
「それが、その~、あれだ、なんていうかよ~」

 らしくもなくモジモジとするホーキンに対し、オリヴィアが満面の笑みで両手の拳を腰に当てた。

「彼は貴方様達とは帰りませんわ! なぜなら、私の婿になるんですもの! ねぇ、ホーキン?」
「そういうことなんだ、親分……だから、オレとはここでお別れなんだわ」

 ……?

 肩を寄せ合う2人を前に、呆気に取られた私とジュディは顔を見合わせた。

 待て。
 何がどう転んだらそうなる。
 この数日間の航海中に、一体何が起こったというのだ。
 
 返す言葉もなく黙る私の横で、ジュディも開いた口が塞がらない様子の中、困り顔をしたアイシャ様が話し始める。

「ごめんなさい……サイファーさんとジュディさんには、もっと早くこのことをお知らせしたかったのですが、オリヴィアさんが『どうしても別れ際まで黙ってて!』と、釘を刺してくるものですから……」

 経緯を聞くと、ホーキンはオリヴィアに連れ去られた日の夜、彼女からジュディを遥かに凌ぐサディスティックな要求をこなしていたらしく、元々から真性マゾ気質だったホーキンはそんなオリヴィアの虜になってしまったという。
 オリヴィア自身も自分の要求を120%で受け止めてくれるホーキンを心底気に入ってしまったようで、2人は出会った初日に結婚することを誓った――という、鳥肌が立つほど血迷った話だった。

『いえ、何でもございません……お、お休みなさい――」

 あの夜、自室へ戻ろうとする私を引き留めたのは、その事実を私に告白するか葛藤していた訳か。

 また、オリヴィアは母国で伯爵令嬢という立派な身分にも関わらず、他国の庶民を迎え入れるという非現実的なことすらも、『私の脚を隅々まで舐めれる男はホーキンしかいない』という、全く理解不能な理由で問題ないと語った。

「で、でもオリヴィアさん、その男は女好きで放っておくと何するか分かりませんよ……?」

 心配そうな顔をしていたジュディがオリヴィアに忠告するが、

「あら、ご心配には及びませんわジュディ様! こいつが浮気なんかしようものなら素手でを根元から引き千切って逆さ吊りにした挙句、口と肛門をホースで直結してやりますから! オーホホホホホホッ」

 と、彼女は想像するのも悍ましいことを告げながら、顎に手を添えて高笑いして見せた。その隣では、ホーキンが嬉しそうにニヤニヤと気持ちの悪い笑みを浮かべている。

 よし、帰ろう――これ以上の問答を続けていたら頭がおかしくなると悟った私は、懐から小切手を取り出し、ホーキンへ手渡した。

「もう私から訊くことは何もない。気が早いかも知れないが、これは祝儀として受け取ってくれ」
「親分……」
「世話になったな、ホーキン。礼を言うぞ」
「お~や~ぶ~ん~……」

 すると、オリヴィアが涙ぐむホーキンから、無慈悲にも小切手をヒョイッと奪い取った。

「何ですのこれは? 金額が記載されておりませんけど? まさか、貴方が貰う金額を決めるってことかしら?」
「おーちょちょちょ、何すんだ返せよッ! それはオレの血と涙の結晶にオリーブオイルまでかけたものなんだよッ!」
「ダ~メ! 貴方のものは私のものでしょ? いいじゃないの、貴方には私という“お金じゃ買えない大切な婚約者フィアンセ”が手に入ったのだから」
「……あ、そっかー! そうだよね! あはははッ、あはははははッ!」
「オホホホホ!」

 見事に言いくるめられられたホーキンがオリヴィアと向き合うように両手を繋ぎ、2人でスキップしながら鼻歌混じりで船に戻って行く。
 こんな別れ方で良かったのだろうか――と思いつつも2人の後ろ姿を眺めていたら、取り残されたアイシャ様が苦笑いしながら振り向いた。

「それでは、私もそろそろ行きますわ。サイファーさん、ジュディさん……お元気で」
「ええ、お気を付けて」
「アイシャ様もご自愛ください。また一緒にお酒が飲める日を、楽しみにしております」

 私と握手を交わしたアイシャ様は、その後ジュディとしばらく抱擁してから去って行った。結局、彼女の素性は最後まで分からなかった。

 もしアイシャ様に私の復讐について話をしていたら、彼女は何と応えてくれただろうか。

 いや。

 “もし”などという、現実から離れたことを考えるのは時間の無駄か――。

「さ……お家に帰ろう、ユヴェル。家族のみんなが、私達の帰りを待っているわ」

 客船を見送ったジュディが優しく微笑みかけ、柔らかな掌で私の手を包み込むように握る。

「ああ……帰ろう」

 荷物から顔を覗かせていたゼラニウムの花弁が、潮風に靡いたかと思いきや、儚げにひらひらと舞散っていく。

『事務室に飾るなら、やっぱりこれがいいわね……』
『……そうだな――』

 絶対に枯らしてはならないと誓い合い、2人で選んだピンク色のゼラニウムが意味する花言葉は――“決意”だった。

『お兄様これを見て! 植えていたゼラニウムが、やっと花を咲かせてくれましたわ! ――』

 そうか……。

 終わったのか。

 ついに終わったのだ。
 
 時計の針が止まったまま、極寒に覆われる暗闇の中を彷徨い続けていた私の旅が。

 母国に帰還したことで再び針が動き始め、永遠に思われた冬は終焉を迎える。

 舞い上がる花弁の行方を追って空を見上げれば、雲一つない晴天の中に、真っ白な太陽が燦々と輝いていた。


 まるでソルンツェとラケタが、春の訪れを喜んでいるかのように――。

※次回、最終話となります。
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