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37.サイファー
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船に乗船した私達は、船内で用意されている個室に私とジュディ、ホーキンの2部屋で別れた。
妻のジュディと部屋に入った私が荷物を下ろすなり、扉の鍵を閉めた彼女は、私に思い切り抱きついてベッドに押し倒してきた。
そして無抵抗な私の腰へ跨ると、己の服のボタンを乱雑に外し始めた。
「……おい、まだ昼間だぞ」
「もう無理……本当に無理なの。私がずっと我慢の限界超えてたの、知ってたでしょ……?」
他者に悟られないためとはいえ、フィレリアに来てから一度も夜を共にしていなかったジュディには、申し訳ない気持ちで溢れていた。
男の目に付かないよう地味な格好を装い、私が一番頭を悩ませていた“アレンに抱かれる犠牲者役”も、ジュディが自ら買って出た。
『アレンに抱かれる役は私がやるわ。こんなこと、他の誰にも任せられないもの――』
どれだけ私が反対しても、彼女の決意は堅固だった。
断腸の思いで計画を実行に移したが、愛する妻が別の男に抱かれる場面など目の当たりにしたら、私の精神は崩壊していたかも知れない――。
今まで溜め込んでいた鬱憤を、全て解放しきったように疲れ果てるジュディを、腕枕をしながら抱き寄せる。
「辛い想いをさせて、すまなかったな」
「いいの……ソルンツェやラケタの気持ちを考えれば、私の辛さなんて比にならないわ。それに、私も貴方に嫌な想いをさせてしまったこと、謝りたいの」
「気に病む必要はない。最終的に決断を下したのは私だ。恨むなら私を恨め」
「もう、貴方を恨むわけないでしょう? 私はただ、貴方に疎まれるのが嫌なだけよ……」
「案ずるな。ジュディのことは、私なりに理解しているつもりだ」
私の胸元へ猫のように甘えて頭を擦り付けたジュディの唇が、首筋に吸いつく。
「ねぇ……頑張った私に、ご褒美をくれる約束だったでしょ?」
「ああ、もちろんだ。何でも好きなものを言ってくれ」
「貴方の子供が死ぬほど欲しいの。だから……壊れるくらい、もっとシて? お願い……」
魅惑の視線を私に向けながら、ジュディの細い指が今日の役目を終えたはずの股間を弄り始める。どうやらジュディが疲れ果てたなどと、最大の誤算をしていたようだ。
“理解しているつもり”は、撤回せざるを得ないな――。
フィレリアを発ってから2日が経ち。
“情熱的な性欲の悪魔”と化したジュディと濃密に過ごす時以外、私は窓から海を眺めることに殆どの時間を費やしていた。というか身体を休めたい。
ジュディが“ホーキンの上に乗る”という件についても彼女に尋ねてみたが、
『ホーキンにブリッジさせた腹の上に、素足で立って踏み潰しただけよ? あのカスったら、ンパンパ叫びながら喜んでたわ――』
と、全く理解不能な答えが返ってきた。なかなか聞き出しづらく、しばらく案じていた私の時間を返して欲しいくらいだ。
気が遠くなるほど見飽きた地平線を前に、あの2人の顔を思い浮かべる。
ルナ様は元気にしているだろうか。
『ダメです。計画の変更が出来ないのなら……私もそこに立ち会います――』
いや、心配するほど彼女は柔ではなかったか。
私などより、よっぽどルナ様の方が肝が据わっていらっしゃる。
そして、レオナルド・ディマルク。
『あんたの正体は……ユヴェルなんだろ? ――』
才能に溢れた優秀な男だった。あそこまで私の計画を遡って推察してくるとは思いもしなかった。彼には真実を教えても良かったが、つい悪い癖で意地を張ってしまったな――。
船が別国の港に到着して、しばらく経った時。
『せっかくだし、3人でお酒でも酌み交わさない? ――』
個室に独りでいた私がふと時計を見遣ると、先ほどジュディからそう誘われていた時刻が近づいていることに気付く。机の上に置いていたネクタイピンを手に取り、扉を開けて廊下に出た。
そこへ、手荷物を持った女性が軽く会釈しながら目の前を通過した瞬間、私の胸に雷が直撃したような衝撃が走る。
その女性は――ソルンツェだった。
正確には“非常に酷似した女性”だ。
動揺した私は咄嗟に部屋へ戻ってしまう。
まさか……そんなことはあり得ない。
彼女が生き返るはずはない。
動揺で高鳴る鼓動が治るまで、腕組みして顎に手を添えながら右往左往を繰り返していると、誰かが扉をノックしてきた。
ジュディが呼びにきたのかと扉を開けてみたら、先ほど会釈してきた女性だった。
「突然すみません。このネクタイピン、落とされませんでしたか? 扉の前に落ちていたので、貴方様の物かと思いまして」
気付けば、私の手にネクタイピンがない。
「あ、私の物で間違いございません。ご親切に感謝致します」
ネクタイピンを受け取ると、彼女は畏った仕草を見せた。
「あの、不躾で大変申し訳ないのですが、船首への行き方を教えて頂けませんか? 乗船したばかりで、よく解らなくて」
「……かしこまりました。ご案内致しますので、私の後についてきて下さい」
単に口頭で伝えれば良いものを、面倒ごとが嫌いな私らしくない行動。目の前にいる女性は、やはりソルンツェと声質も話し方も違う。たった今、同一人物ではないと確信したはずなのに――。
「お忙しいところを、わざわざここまでご案内して頂き、本当にありがとうございました」
彼女は船首に吹く風に髪を靡かせながら、腰の前に両手を揃えてお辞儀した。
「大したことではございません。時間など持て余しておりましたし。ちなみに、この船には貴女様お1人で?」
「いえ、もう1人私の友人が乗船しております。貴方様は?」
「連れが2人おります。1人は私の妻ですが、今は2人とも船内を駆けずり回っているようでして、どこにいるのやら落ち着きのない連中です」
「ふふ、私の友人も同じ様な感じですわ」
そう小さく微笑んだ彼女は、何やらじっと私の顔を見つめてきた。
「どうかされましたか?」
「いえ、貴方様と初めてお会いした気がしないのは……私の思い違いでしょうか?」
「これは奇遇ですね。実は私も同じことを感じておりました。こんな稀なことが起こるとは、思いもよりませんでしたよ」
「そうですね。それと、貴方様からは何か不思議なものを感じます」
「不思議なもの? 一体なんでしょうか?」
「何と申し上げたらいいのか、とても深い哀しみと宿命を背負われておられる様な……そんな気がしてならないのです」
真面目な顔でそう囁いた彼女に対し、私は少し濁し気味に返した。
「言い得て妙ですね。なぜそのようなことを感じられたのですか?」
「いきなり突拍子もないことを申し上げて、大変申し訳ございません。私は仕事柄、色々な方のご相談を受ける機会が多いものですから。何と申しますか……見ただけでもその方の内情が、少しだけ分かる様になってしまったのです」
話をしていて感じた違和感の正体を、たった今理解した。
彼女の落ち着いた雰囲気、話し方、声量、視線の送り方が私の奥深くに潜む心理を読み取られそうだと、謎の胸騒ぎを起こさせていたのだ。
「そうだったのですか。あながち間違ってはおりませんよ。まぁ、今の私が一番危惧しているのは、連れの1人が他の乗客に迷惑をかけてないかですがね」
「あら、これは奇遇ですね! 私も全く同じ悩みを抱えておりましたから……ふふふ」
恐らく彼女は発言から察するに心理学者の類いなのだろう。その左手薬指には、婚約指輪らしき物もはめている。
これ以上彼女と話すのは危険だ。時刻的にも、そろそろジュディとホーキンが待つラウンジへ行かなくてはいけない。
「私は『アイシャ・エルマーレ』と申します。申し遅れてしまい、大変失礼致しました。差し支えなければ、貴方様のお名前もお伺いして宜しいでしょうか」
「ええ、私はサイファー・アルベルティと申す者です。出来ればで構わないのですが、後で私の妻をご紹介させて頂いても宜しいでしょうか?」
世界には似た人間が3人はいるというが、ここまでソルンツェに酷似した人はそうお目にかかることはない。ジュディも見たら驚くだろう。
手袋を外して手を差し出すと、彼女は優しく握り返してきた。
「勿論です。私も是非サイファー様の奥様にお会いしたいですもの。貴方様と出会えたこと、とても光栄に存じますわ」
「こちらこそ。では、私はこれで失礼致します。アイシャ様もこの船旅をごゆっくりお楽しみ下さい」
「はい、ありがとうございます」
振り返った私がアイシャ様から離れると、身体中に宝石を散りばめて、ドレスのスカートを両手で捲り上げながら小走りする“巻き髪の女性”とすれ違った。
「アイシャ様! ラウンジでとんでもない逸材を発見致しましたわ!」
背後から聞こえてきたその言葉を聞いた刹那に、とてつもなく嫌な予感がした――。
ラウンジに辿り着いた私が辺りを見回すと、カウンター席で地味な格好に変装したジュディが座っているのを発見した。が、その隣にはレオナルド様に似た男も座っている。
一瞬だけまさかと思った矢先、私と目が合ったジュディが呆れ顔を横に振ったことで、それがホーキンの変装だと察知した――。
妻のジュディと部屋に入った私が荷物を下ろすなり、扉の鍵を閉めた彼女は、私に思い切り抱きついてベッドに押し倒してきた。
そして無抵抗な私の腰へ跨ると、己の服のボタンを乱雑に外し始めた。
「……おい、まだ昼間だぞ」
「もう無理……本当に無理なの。私がずっと我慢の限界超えてたの、知ってたでしょ……?」
他者に悟られないためとはいえ、フィレリアに来てから一度も夜を共にしていなかったジュディには、申し訳ない気持ちで溢れていた。
男の目に付かないよう地味な格好を装い、私が一番頭を悩ませていた“アレンに抱かれる犠牲者役”も、ジュディが自ら買って出た。
『アレンに抱かれる役は私がやるわ。こんなこと、他の誰にも任せられないもの――』
どれだけ私が反対しても、彼女の決意は堅固だった。
断腸の思いで計画を実行に移したが、愛する妻が別の男に抱かれる場面など目の当たりにしたら、私の精神は崩壊していたかも知れない――。
今まで溜め込んでいた鬱憤を、全て解放しきったように疲れ果てるジュディを、腕枕をしながら抱き寄せる。
「辛い想いをさせて、すまなかったな」
「いいの……ソルンツェやラケタの気持ちを考えれば、私の辛さなんて比にならないわ。それに、私も貴方に嫌な想いをさせてしまったこと、謝りたいの」
「気に病む必要はない。最終的に決断を下したのは私だ。恨むなら私を恨め」
「もう、貴方を恨むわけないでしょう? 私はただ、貴方に疎まれるのが嫌なだけよ……」
「案ずるな。ジュディのことは、私なりに理解しているつもりだ」
私の胸元へ猫のように甘えて頭を擦り付けたジュディの唇が、首筋に吸いつく。
「ねぇ……頑張った私に、ご褒美をくれる約束だったでしょ?」
「ああ、もちろんだ。何でも好きなものを言ってくれ」
「貴方の子供が死ぬほど欲しいの。だから……壊れるくらい、もっとシて? お願い……」
魅惑の視線を私に向けながら、ジュディの細い指が今日の役目を終えたはずの股間を弄り始める。どうやらジュディが疲れ果てたなどと、最大の誤算をしていたようだ。
“理解しているつもり”は、撤回せざるを得ないな――。
フィレリアを発ってから2日が経ち。
“情熱的な性欲の悪魔”と化したジュディと濃密に過ごす時以外、私は窓から海を眺めることに殆どの時間を費やしていた。というか身体を休めたい。
ジュディが“ホーキンの上に乗る”という件についても彼女に尋ねてみたが、
『ホーキンにブリッジさせた腹の上に、素足で立って踏み潰しただけよ? あのカスったら、ンパンパ叫びながら喜んでたわ――』
と、全く理解不能な答えが返ってきた。なかなか聞き出しづらく、しばらく案じていた私の時間を返して欲しいくらいだ。
気が遠くなるほど見飽きた地平線を前に、あの2人の顔を思い浮かべる。
ルナ様は元気にしているだろうか。
『ダメです。計画の変更が出来ないのなら……私もそこに立ち会います――』
いや、心配するほど彼女は柔ではなかったか。
私などより、よっぽどルナ様の方が肝が据わっていらっしゃる。
そして、レオナルド・ディマルク。
『あんたの正体は……ユヴェルなんだろ? ――』
才能に溢れた優秀な男だった。あそこまで私の計画を遡って推察してくるとは思いもしなかった。彼には真実を教えても良かったが、つい悪い癖で意地を張ってしまったな――。
船が別国の港に到着して、しばらく経った時。
『せっかくだし、3人でお酒でも酌み交わさない? ――』
個室に独りでいた私がふと時計を見遣ると、先ほどジュディからそう誘われていた時刻が近づいていることに気付く。机の上に置いていたネクタイピンを手に取り、扉を開けて廊下に出た。
そこへ、手荷物を持った女性が軽く会釈しながら目の前を通過した瞬間、私の胸に雷が直撃したような衝撃が走る。
その女性は――ソルンツェだった。
正確には“非常に酷似した女性”だ。
動揺した私は咄嗟に部屋へ戻ってしまう。
まさか……そんなことはあり得ない。
彼女が生き返るはずはない。
動揺で高鳴る鼓動が治るまで、腕組みして顎に手を添えながら右往左往を繰り返していると、誰かが扉をノックしてきた。
ジュディが呼びにきたのかと扉を開けてみたら、先ほど会釈してきた女性だった。
「突然すみません。このネクタイピン、落とされませんでしたか? 扉の前に落ちていたので、貴方様の物かと思いまして」
気付けば、私の手にネクタイピンがない。
「あ、私の物で間違いございません。ご親切に感謝致します」
ネクタイピンを受け取ると、彼女は畏った仕草を見せた。
「あの、不躾で大変申し訳ないのですが、船首への行き方を教えて頂けませんか? 乗船したばかりで、よく解らなくて」
「……かしこまりました。ご案内致しますので、私の後についてきて下さい」
単に口頭で伝えれば良いものを、面倒ごとが嫌いな私らしくない行動。目の前にいる女性は、やはりソルンツェと声質も話し方も違う。たった今、同一人物ではないと確信したはずなのに――。
「お忙しいところを、わざわざここまでご案内して頂き、本当にありがとうございました」
彼女は船首に吹く風に髪を靡かせながら、腰の前に両手を揃えてお辞儀した。
「大したことではございません。時間など持て余しておりましたし。ちなみに、この船には貴女様お1人で?」
「いえ、もう1人私の友人が乗船しております。貴方様は?」
「連れが2人おります。1人は私の妻ですが、今は2人とも船内を駆けずり回っているようでして、どこにいるのやら落ち着きのない連中です」
「ふふ、私の友人も同じ様な感じですわ」
そう小さく微笑んだ彼女は、何やらじっと私の顔を見つめてきた。
「どうかされましたか?」
「いえ、貴方様と初めてお会いした気がしないのは……私の思い違いでしょうか?」
「これは奇遇ですね。実は私も同じことを感じておりました。こんな稀なことが起こるとは、思いもよりませんでしたよ」
「そうですね。それと、貴方様からは何か不思議なものを感じます」
「不思議なもの? 一体なんでしょうか?」
「何と申し上げたらいいのか、とても深い哀しみと宿命を背負われておられる様な……そんな気がしてならないのです」
真面目な顔でそう囁いた彼女に対し、私は少し濁し気味に返した。
「言い得て妙ですね。なぜそのようなことを感じられたのですか?」
「いきなり突拍子もないことを申し上げて、大変申し訳ございません。私は仕事柄、色々な方のご相談を受ける機会が多いものですから。何と申しますか……見ただけでもその方の内情が、少しだけ分かる様になってしまったのです」
話をしていて感じた違和感の正体を、たった今理解した。
彼女の落ち着いた雰囲気、話し方、声量、視線の送り方が私の奥深くに潜む心理を読み取られそうだと、謎の胸騒ぎを起こさせていたのだ。
「そうだったのですか。あながち間違ってはおりませんよ。まぁ、今の私が一番危惧しているのは、連れの1人が他の乗客に迷惑をかけてないかですがね」
「あら、これは奇遇ですね! 私も全く同じ悩みを抱えておりましたから……ふふふ」
恐らく彼女は発言から察するに心理学者の類いなのだろう。その左手薬指には、婚約指輪らしき物もはめている。
これ以上彼女と話すのは危険だ。時刻的にも、そろそろジュディとホーキンが待つラウンジへ行かなくてはいけない。
「私は『アイシャ・エルマーレ』と申します。申し遅れてしまい、大変失礼致しました。差し支えなければ、貴方様のお名前もお伺いして宜しいでしょうか」
「ええ、私はサイファー・アルベルティと申す者です。出来ればで構わないのですが、後で私の妻をご紹介させて頂いても宜しいでしょうか?」
世界には似た人間が3人はいるというが、ここまでソルンツェに酷似した人はそうお目にかかることはない。ジュディも見たら驚くだろう。
手袋を外して手を差し出すと、彼女は優しく握り返してきた。
「勿論です。私も是非サイファー様の奥様にお会いしたいですもの。貴方様と出会えたこと、とても光栄に存じますわ」
「こちらこそ。では、私はこれで失礼致します。アイシャ様もこの船旅をごゆっくりお楽しみ下さい」
「はい、ありがとうございます」
振り返った私がアイシャ様から離れると、身体中に宝石を散りばめて、ドレスのスカートを両手で捲り上げながら小走りする“巻き髪の女性”とすれ違った。
「アイシャ様! ラウンジでとんでもない逸材を発見致しましたわ!」
背後から聞こえてきたその言葉を聞いた刹那に、とてつもなく嫌な予感がした――。
ラウンジに辿り着いた私が辺りを見回すと、カウンター席で地味な格好に変装したジュディが座っているのを発見した。が、その隣にはレオナルド様に似た男も座っている。
一瞬だけまさかと思った矢先、私と目が合ったジュディが呆れ顔を横に振ったことで、それがホーキンの変装だと察知した――。
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