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35.サイファー
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ソルンツェは国教として広められている宗教を信仰しており、私とラケタも信者の一人。
そして、教えの中に『神を信じる者だけに救いの手は差し伸べられる。そして、人が悪事を働くのは魂に悪魔が棲みついているからだ』とある。
彼女は『本当に悪い人なんていない。人が過ちを犯すのは、悪魔に魂を操られているからなのです』と、宗教の教えを無垢な心で信じ続けていた。
そんなソルンツェが自らの手で、短い生涯に終止符を打った。
何故彼女は、死ななければならなかったのか。
ソルンツェの侍女の話では、彼女は私と父上の書斎で繰り広げていた会話に聞き耳を立てていたらしく、思い詰めた表情をするソルンツェに侍女が「ユヴェル様に思いの胸をご相談なさっては?」と進言したという。
「悪いのは私です。お兄様に、これ以上余計なご心労を負担させる訳にはいきません」
思えばこの時すでに、彼女は命を断つことを決断していたのかも知れない――。
しかし、悲劇はまだ止まらなかった。
ソルンツェの自害から数日も経たない内に――ラケタが後を追うように自宅で首を吊った。
足元に転がる椅子の付近に置かれた遺書には、
[ソルンツェを追い込んでしまったのは僕です。これから、彼女の元へ謝りにいきます]
と綴られていた。
遺書を片手に、やるせないという言葉では収まりきらないほど無念極まる心中に見舞われながら、彼の机の上でグシャグシャにされていた腕時計の設計図を広げた。
何故だ。
何が悪い。
どうしてこんなに歯車が狂ってしまったのだ。
時計の針が止まったかのような感覚に襲われた瞬間、他国に存在した“ある哲学者の言葉”が脳裏に蘇った――。
現在は地図上から消滅してしまっている、小さな村があった。当時そこに住んでいた真理を探求する哲学者が、ある言葉を唱えた。
『この世に神などいない。だが、人は自由意志で神にも悪魔にもなれる――』
この言葉は、同じ村に住んでいた他の宗教信者達から大批判を浴びた。そして、彼の噂が隣村に住む過激派信者達の耳に入り、彼は“悪魔の手先”と揶揄され、捕まって間もなく火炙りの刑となってしまう。
だが、磔にされた彼は、過激派信者の教父から、
「あの言葉を撤回すると言うのなら、助けてやる」
と迫られても、頑なに最後まで抵抗した。しかし、彼の言葉は封印されるように、提唱者ごと業火によって闇に葬り去られた――。
心の底から神を信じていたソルンツェとラケタに、神は救いの手を差し伸べてはくれなかった。
いや……それは違うな。
私が悪魔の手から、無垢な2人を守れなかっただけだ。
自室に閉じこもっていた私は、本棚から1つの書物を手に取った。夜にベッドでソルンツェと肩を並べ、幾度となく共に読み返していた聖書だ。
公務に追われる日々を過ごす中でも、心安らぐ、かけがえのない時間だった。
『ここに“幸運の女神”と記してあるが、どんな存在なのだろうか。加護を授ける者か?』
『どうなんでしょう……でも、私にとって幸運の女神様は、まさにお兄様のようなお方でしょうね。こんなに素敵な時を、共に過ごして下さるのですから――』
涙が溢れ出した私は聖書を粉々に切り刻み、燃え盛る煖炉へ投げ入れた。
炎から轟轟と立ち登る火花。
それを見つめながら、決意した。
私自身が“悪魔を喰らう者”になると。
もう私には、神の加護など必要ない。
この時すでに、極度の精神的負荷に晒され続けた私の髪は、狼のような“灰色”に変貌していた――。
その後は公務に携わる傍らで、あの手この手を尽くして関係者から証言を集めつつ、状況整理などに時間を費やした。
結果、やはりソルンツェは不貞を犯したのではなく、十中八九フィレリア外交団体の何者かに襲われたのだろうと結論付けた。
「貴方が行くのであれば、私も連れて行って」
犯人を探し求めにフィレリアへ渡る決意を固めた私に同行を願い出たのは、妻のジュディだった。
美容関連企業をいくつも抱えて結婚後も多忙だった彼女とは顔を合わせる日も少なく、まだ子供すら授かっていない。
しかし、それでもジュディは私へ永遠の愛を誓いつつ、ソルンツェに対しても実の妹のように可愛がってくれていた。
「過酷な旅になる。覚悟は出来ているのか?」
「一生貴方について行くと決めてるの。足手纏いにはならないわ」
そしてもう一人。私は現地で捜査するために必要不可欠となる人物の元へ訪れた。
ホーキンである。
度重なる詐欺罪によって刑務所で服役していたホーキンだったが、彼は1ヶ月前に出所した後に、手先の器用さを活かして鍵屋を始めていた。
「せいせいせい。オレは詐欺から足を洗ったんでい。仲間が欲しいってんなら、他を当たっておくんなまし」
彼は私が皇太子だと知らなかったのか、やんわりと事情を説明しても軽快な口調で拒んできた。が、私は食い下がった。
「成果に見合う報酬は支払うつもりだ。ここで鍵屋を続けていたら、一生拝むことの出来ない金額になる。それに、私の同行者には“絶世の美女”もいる」
何とも不埒な誘い文句だが、耳をピクリとさせたホーキンは口をへの字に曲げて顎に手を添えた。
「う~ん、悪くない話だねぇ……んで、アンタのいう標的を成敗した際のオレへの報酬ってのは、いくらにするつもりなんだい?」
「決めていない。小切手を渡すから好きな額を書けばいい」
「わぁお、現地で宝石店を開業するだけのことはあるねぇ~! ちなみに、ベッピンさんは何カップあんだ?」
何て下らない質問をする男なんだこいつは。私がジュディにバストサイズなど訊けるはず無いだろう。どちらにしろ女好きなホーキンの気を引くには、私とジュディが婚姻関係にあることも伏せておいた方が得策か。
「Hだ。それ以上彼女のことを訊かれても答えきれん。好きな男の特徴云々は自分で聞け」
当てずっぽうで適当に返すと、彼は目を輝かせて飛び跳ねた。
「え、え、え、え、Hッ!? ABCDEFG……って、それ“ヒャッハー”のHじゃねぇか! パートナーのバストサイズ把握してるなんてアンタも隅に置けねぇな、このこの!」
こうして私は身分を隠したまま、鬱陶しいほど暑苦しいホーキンを仲間に加えた。
「あの~好きな男性のタイプは?」
「素っ気ないのに笑うと超可愛い人。嫌いなタイプはホーキン」
「ちょちょちょ何で嫌いなタイプだけ固有名詞なんッ!? それタイプちゃうよ!?」
ジュディが私の前で他の男に愛想を振り撒かないよう気遣っているのか、初対面のホーキンに嫌悪感を抱いたのかは不明だが、何とか私が間を取り持って上手くやるしかあるまい――。
皇居に戻った私が、ジュディと共にフィレリアへ極秘で潜入する段取りをしていたところに、両親が私の部屋をノックして入ってきた。
「本当に行くのだな、ユヴェル」
「今更決定を覆すつもりはございません。ご迷惑をお掛けして……申し訳ございません」
両親を説得する頃には、すでに子を宿したソルンツェと婚約者ラケタの自害報道が世間に広まっていた。これはソルンツェが自害か他殺かを断定するために、司法解剖した病院関係者が口を滑らせてしまったせいだ。
そこへ来て父上の生前退位も迫っており、国内には騒然とした国民の悲鳴が湧き上がっていた。
「アリスターにすら、何も告げずに去るつもりなの……?」
母上は離れに住む私の弟、アリスターへの配慮について言及した。私はジュディと共に無理心中にも似た失踪を装うため、次期皇帝の座はアリスターが継ぐことになる。
「ええ……私と性格が真反対のアリスターなら、この国を明るい方向へ導いてくれるでしょう」
そして、国民集会を開いて行われた新皇帝着任式の日。
「ゾルディア連邦に巣食う暗闇は、私が光となって振り払うッ!」
皇族の中でも生粋の正義感を持つアリスターは、国民から大喝采と大きな支持を得た。
変装した私は民衆に紛れて、アリスターが拳を上げる猛々しい姿を静かに見届けていた。
最後、ソルンツェとラケタの墓にゼラニウムを供え、私はフィレリアへの渡航を遂げた――。
『私はお兄様を……心から愛しております――』
絶対に犯人を見つけ出し、復讐を遂げなければならない。
アルベルティ村で無念に散った異端哲学者『サイファー』の名の下に。
私が故郷に帰ることは許されない。
犯人が無様に悶え苦しむ断末魔を、愛するソルンツェとラケタに鎮魂歌として捧げるまでは――。
そして、教えの中に『神を信じる者だけに救いの手は差し伸べられる。そして、人が悪事を働くのは魂に悪魔が棲みついているからだ』とある。
彼女は『本当に悪い人なんていない。人が過ちを犯すのは、悪魔に魂を操られているからなのです』と、宗教の教えを無垢な心で信じ続けていた。
そんなソルンツェが自らの手で、短い生涯に終止符を打った。
何故彼女は、死ななければならなかったのか。
ソルンツェの侍女の話では、彼女は私と父上の書斎で繰り広げていた会話に聞き耳を立てていたらしく、思い詰めた表情をするソルンツェに侍女が「ユヴェル様に思いの胸をご相談なさっては?」と進言したという。
「悪いのは私です。お兄様に、これ以上余計なご心労を負担させる訳にはいきません」
思えばこの時すでに、彼女は命を断つことを決断していたのかも知れない――。
しかし、悲劇はまだ止まらなかった。
ソルンツェの自害から数日も経たない内に――ラケタが後を追うように自宅で首を吊った。
足元に転がる椅子の付近に置かれた遺書には、
[ソルンツェを追い込んでしまったのは僕です。これから、彼女の元へ謝りにいきます]
と綴られていた。
遺書を片手に、やるせないという言葉では収まりきらないほど無念極まる心中に見舞われながら、彼の机の上でグシャグシャにされていた腕時計の設計図を広げた。
何故だ。
何が悪い。
どうしてこんなに歯車が狂ってしまったのだ。
時計の針が止まったかのような感覚に襲われた瞬間、他国に存在した“ある哲学者の言葉”が脳裏に蘇った――。
現在は地図上から消滅してしまっている、小さな村があった。当時そこに住んでいた真理を探求する哲学者が、ある言葉を唱えた。
『この世に神などいない。だが、人は自由意志で神にも悪魔にもなれる――』
この言葉は、同じ村に住んでいた他の宗教信者達から大批判を浴びた。そして、彼の噂が隣村に住む過激派信者達の耳に入り、彼は“悪魔の手先”と揶揄され、捕まって間もなく火炙りの刑となってしまう。
だが、磔にされた彼は、過激派信者の教父から、
「あの言葉を撤回すると言うのなら、助けてやる」
と迫られても、頑なに最後まで抵抗した。しかし、彼の言葉は封印されるように、提唱者ごと業火によって闇に葬り去られた――。
心の底から神を信じていたソルンツェとラケタに、神は救いの手を差し伸べてはくれなかった。
いや……それは違うな。
私が悪魔の手から、無垢な2人を守れなかっただけだ。
自室に閉じこもっていた私は、本棚から1つの書物を手に取った。夜にベッドでソルンツェと肩を並べ、幾度となく共に読み返していた聖書だ。
公務に追われる日々を過ごす中でも、心安らぐ、かけがえのない時間だった。
『ここに“幸運の女神”と記してあるが、どんな存在なのだろうか。加護を授ける者か?』
『どうなんでしょう……でも、私にとって幸運の女神様は、まさにお兄様のようなお方でしょうね。こんなに素敵な時を、共に過ごして下さるのですから――』
涙が溢れ出した私は聖書を粉々に切り刻み、燃え盛る煖炉へ投げ入れた。
炎から轟轟と立ち登る火花。
それを見つめながら、決意した。
私自身が“悪魔を喰らう者”になると。
もう私には、神の加護など必要ない。
この時すでに、極度の精神的負荷に晒され続けた私の髪は、狼のような“灰色”に変貌していた――。
その後は公務に携わる傍らで、あの手この手を尽くして関係者から証言を集めつつ、状況整理などに時間を費やした。
結果、やはりソルンツェは不貞を犯したのではなく、十中八九フィレリア外交団体の何者かに襲われたのだろうと結論付けた。
「貴方が行くのであれば、私も連れて行って」
犯人を探し求めにフィレリアへ渡る決意を固めた私に同行を願い出たのは、妻のジュディだった。
美容関連企業をいくつも抱えて結婚後も多忙だった彼女とは顔を合わせる日も少なく、まだ子供すら授かっていない。
しかし、それでもジュディは私へ永遠の愛を誓いつつ、ソルンツェに対しても実の妹のように可愛がってくれていた。
「過酷な旅になる。覚悟は出来ているのか?」
「一生貴方について行くと決めてるの。足手纏いにはならないわ」
そしてもう一人。私は現地で捜査するために必要不可欠となる人物の元へ訪れた。
ホーキンである。
度重なる詐欺罪によって刑務所で服役していたホーキンだったが、彼は1ヶ月前に出所した後に、手先の器用さを活かして鍵屋を始めていた。
「せいせいせい。オレは詐欺から足を洗ったんでい。仲間が欲しいってんなら、他を当たっておくんなまし」
彼は私が皇太子だと知らなかったのか、やんわりと事情を説明しても軽快な口調で拒んできた。が、私は食い下がった。
「成果に見合う報酬は支払うつもりだ。ここで鍵屋を続けていたら、一生拝むことの出来ない金額になる。それに、私の同行者には“絶世の美女”もいる」
何とも不埒な誘い文句だが、耳をピクリとさせたホーキンは口をへの字に曲げて顎に手を添えた。
「う~ん、悪くない話だねぇ……んで、アンタのいう標的を成敗した際のオレへの報酬ってのは、いくらにするつもりなんだい?」
「決めていない。小切手を渡すから好きな額を書けばいい」
「わぁお、現地で宝石店を開業するだけのことはあるねぇ~! ちなみに、ベッピンさんは何カップあんだ?」
何て下らない質問をする男なんだこいつは。私がジュディにバストサイズなど訊けるはず無いだろう。どちらにしろ女好きなホーキンの気を引くには、私とジュディが婚姻関係にあることも伏せておいた方が得策か。
「Hだ。それ以上彼女のことを訊かれても答えきれん。好きな男の特徴云々は自分で聞け」
当てずっぽうで適当に返すと、彼は目を輝かせて飛び跳ねた。
「え、え、え、え、Hッ!? ABCDEFG……って、それ“ヒャッハー”のHじゃねぇか! パートナーのバストサイズ把握してるなんてアンタも隅に置けねぇな、このこの!」
こうして私は身分を隠したまま、鬱陶しいほど暑苦しいホーキンを仲間に加えた。
「あの~好きな男性のタイプは?」
「素っ気ないのに笑うと超可愛い人。嫌いなタイプはホーキン」
「ちょちょちょ何で嫌いなタイプだけ固有名詞なんッ!? それタイプちゃうよ!?」
ジュディが私の前で他の男に愛想を振り撒かないよう気遣っているのか、初対面のホーキンに嫌悪感を抱いたのかは不明だが、何とか私が間を取り持って上手くやるしかあるまい――。
皇居に戻った私が、ジュディと共にフィレリアへ極秘で潜入する段取りをしていたところに、両親が私の部屋をノックして入ってきた。
「本当に行くのだな、ユヴェル」
「今更決定を覆すつもりはございません。ご迷惑をお掛けして……申し訳ございません」
両親を説得する頃には、すでに子を宿したソルンツェと婚約者ラケタの自害報道が世間に広まっていた。これはソルンツェが自害か他殺かを断定するために、司法解剖した病院関係者が口を滑らせてしまったせいだ。
そこへ来て父上の生前退位も迫っており、国内には騒然とした国民の悲鳴が湧き上がっていた。
「アリスターにすら、何も告げずに去るつもりなの……?」
母上は離れに住む私の弟、アリスターへの配慮について言及した。私はジュディと共に無理心中にも似た失踪を装うため、次期皇帝の座はアリスターが継ぐことになる。
「ええ……私と性格が真反対のアリスターなら、この国を明るい方向へ導いてくれるでしょう」
そして、国民集会を開いて行われた新皇帝着任式の日。
「ゾルディア連邦に巣食う暗闇は、私が光となって振り払うッ!」
皇族の中でも生粋の正義感を持つアリスターは、国民から大喝采と大きな支持を得た。
変装した私は民衆に紛れて、アリスターが拳を上げる猛々しい姿を静かに見届けていた。
最後、ソルンツェとラケタの墓にゼラニウムを供え、私はフィレリアへの渡航を遂げた――。
『私はお兄様を……心から愛しております――』
絶対に犯人を見つけ出し、復讐を遂げなければならない。
アルベルティ村で無念に散った異端哲学者『サイファー』の名の下に。
私が故郷に帰ることは許されない。
犯人が無様に悶え苦しむ断末魔を、愛するソルンツェとラケタに鎮魂歌として捧げるまでは――。
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