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「では、ここからはルナ様を正式なクライアントとしてご対応させて頂きます」
「あ、はい。宜しくお願い致します」
「まずは面談をさせて頂きたいのですが、少々お待ち下さい」

 サイファーさんがテーブル上の隅に置かれていた呼び鈴を鳴らす。すると少しして、コンコンと扉をノックする音が聞こえ、ジュディさんが事務室に戻ってきた。

「お呼びでしょうか?」

 そこへ突然、今まで空気のように黙り込んで壁に寄りかかっていたホーキンさんが、満面の笑みで喚き始める。

「お、ジュディちゃ~ん! 今日も見目麗しいねッ!」
「ん、ありがと。お礼にセクハラで訴えとくわ」
「わぁおッ! 神対応ッ!」

 2人の会話を聞いて唖然とする私。
 
 待って、今のなに……?
 ホーキンさんは何で喜んでるの?
 というか、彼女のホーキンさんを睨む目付きが怖すぎる。

「店長、ご用件は何でしょうか?」
「店の客入り状況はどうだ?」

 サイファーさんは2人の間柄に慣れているのか、全く動じていない模様。

「ちょうど今、私が担当する最後の予約客が退店したところです。残り2名いらっしゃいますが、別のスタッフが対応してます」
「そうか。ならばクライアントとなるルナ様とこれから面談を行うから、書記を頼む」
「かしこまりました」

 コクリと頷いたジュディさんが壁際の棚から、背表紙に[議事録]と書かれたファイルを取り出す。そして「お隣に失礼致します」と、私の横の椅子を引いてそっと腰を下ろした。
 面談の準備が整ったらしく、サイファーさんが私に視線を向けてきた。
 
「それではルナ様。これから色々とご質問をさせて頂きますが、この面談の内容を踏まえた上で“復讐計画”を立てますので、全て正直にお答え願います」

 急転した雰囲気に緊張し始めた私が「わ、わかりました」と返したら、彼はそれを解すかのようにフッと口元を緩めた。

「構える必要はございませんよ。もし返答し難いものがあれば無理にお答え頂かなくても結構ですので、肩の力を抜いて下さい」
「あ……はい」

 そう言われても、余計力んじゃうな……。
 
 と、胸の高鳴りが治らない内に、サイファーさん達との面談が開始された――。

 話の内容はアレンと過ごしてきた日々から始まり、彼の性格、好きな食べ物や趣味、ファッション、好みの女性のタイプ、口癖や嫌いな物などの他に、フェネッカについても出来る限り知っていることを包み隠さず全て伝えた。

 隣にいたジュディさんは、私の一言一句全てを恐ろしいほどの速記で議事録にまとめつつも「この部分についてなのですが――」と再び質問してきた。
 面談の途中、色々思い出して涙ぐんでしまった私に、彼女は「お辛いですよね……無理しなくていいですからね」と、背中を優しくさすりながら励ましてくれていた。

 もしジュディさんがこの場にいなかったら、私の心はポッキリ折れていたと思う――。

 一通り話し終えたあと、しばらくサイファーさんは口元を手で隠して議事録を眺めていた。そして、何か合点がいったように「なるほど……」と呟いてから顔を上げた。

「面談は以上となります。辛い質問ばかりしてしまい、大変申し訳ごさいませんでした。よく耐えられましたね」

 ジュディさんに淹れてもらった紅茶を啜っていた私が、慌ててティーカップをテーブルに置く。

「い、いえ……! 絶えず慰めてくれたジュディさんのおかげです。むしろあんな大雑把な感じで大丈夫なのかなと、心配になったのですけど」
「充分過ぎるくらいの情報量ですよ。ルナ様はアレン様のことをよく観察していらっしゃる。とても気遣いの出来るお優しい方なんだろうなと、私は感服致しました」
「そ、そんなことないですよ……」

 と、照れ臭そうに視線を逸らす。
 サイファーさんからの質問の中に“心理テスト”みたいな突飛なものが織り交ぜられていたこともあり、内心を探られてる感覚はあったけれど、彼は私自身の人間性まで把握しようとしていたのか。

「さて、復讐計画に関してはこちらでもう少しお調べしてから立案し、それから計画を成功させるための準備として“裏工作”に移ります。期間は……約1ヶ月といったところでしょうか」

 復讐計画を実行するための裏工作――なんて恐ろしい響きなんだろうと思いつつ“一体どんなことをするのか”尋ねてみると、サイファーさんは不敵な笑みを向けてきた。

「具体的なイメージはまだ出来ておりません。しかし、復讐を目的としておりますので、アレン様達に“相応の苦痛”を与える計画になることは確かです。また、ルナ様に計画内容をお伝えするのは、実行寸前まで控えておくべきかと考えております。ですので、その間はごく自然体でお過ごし下さい」
「え……ど、どうしてですか?」

 思わぬ提案に、拍子抜けして目を見開く。

 私の復讐計画なのに、まさか何も教えて貰えないということ?

「ルナ様は私が見る限り“嘘が苦手なお方”だと判断したからです。我々の計画は外部に漏れたらお終いですから、例えルナ様がクライアントだとしてもリスクヘッジする必要がございます。無論、貴女様を信用していない訳ではございませんのでご安心下さい」

 すごい見透かされている気がする。
 私ってそんな分かりやすいのかな……。

「そういうことですか……納得しました」
「本日は以上になります。アレン様達のもがき苦しむ姿をご覧入れるまで、楽しみにしてお待ち下さい……クククク」

 終わり間際にやっと笑ったかと思えば、口元に手を当てて特徴的な笑い方をするサイファーさんに、少しだけゾッとした。

「はい……あ、ありがとうございました」
「進捗状況だけは手紙で適宜ご報告致します。念を押すようで申し訳ございませんが、くれぐれも私共のことは内密にお願いしますよ」

 嘘は苦手でも、このことを隠す必要があるわけね。まぁ、こんなこと誰かに突っ込まれることなんて、殆どないとは思うけれど。

「もちろんです。あ……もう一つ、お願いしても宜しいでしょうか?」
「はい、何なりと」

 少し間を置いた私は、申し訳なさそうに小声で訊いてみた。

「厚かましいお願いなのですが、ここで買ったティアラとネックレスを返品しても宜しいでしょうか? 処分しようかと思っていたのですけれど、捨てるのはちょっと勿体無いかなって……」
「そういうことでしたら、遠慮なくいつでもお待ち下さい。金の相場が上がっておりますから、購入時より高くご返金出来ると存じます。所有権は貴女様にありますので、そのお金はご自由に使ってよろしいかと」
「ありがとうございます」」

 サイファーさんは椅子から立ち上がり、手のひらを胸に添えて「では、私はこれで失礼致します」とお辞儀をして事務室を出て行った――。

「……これで請負契約は完了です。お疲れ様でした。またご連絡を差し上げますので、気長にお待ちください」
「はい、ありがとうございました」
 
 事務室に残ったジュディさんと手続きを終えて外に出ると、空はすでに夕陽で赤く染まり始めていた。点灯した街灯が立ち並び、タイルが敷かれた歩道を歩いて駐車場へと向かう。

 ラ・コルネに行くまでは、アレン達に復讐するなんてこと、微塵も頭になかった私。
 もし家に届いたあの手紙を悪戯として放置し、このままアレン達の粗相を見逃していたらと思うと鳥肌が立つ。

 そして、サイファーさんを始め、ジュディさんもすごく優しかった。邪険にされていたホーキンさんでさえも、壁に寄りかかりながら悲しそうな表情を浮かべて私の話を聞いてくれていた。
 これから、どんな復讐が行われるのかは想像もつかない。でも、彼等に気持ちを吐き出しただけで、心にのしかかっていた重荷がずいぶんと軽くなった気がする。

 結局最後まで、一番気になっていたことは訊けなかった。

 どうしてサイファーさんが、別れさせ屋なんていかにも逆恨みされそうな仕事を始めたんだろう、と――。
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