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4.※挿絵あり

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 翌日に目を覚ますと、もう時刻は昼近くになろうとしていた。

 昨晩は頭の中がグルグルと迷走して、全く寝付けなかった私。こんな時間になるまで眠っても、疲れなんて取れた気がしない。
 気怠さが残るままベッドから起き上がり、頭もボサボサのままダイニングへと向かう。

「あら……今起きたのね、ルナ」
「寝坊しちゃった」
「もう昼食になってしまうけれど、今日は私が作ったから、何か食べなさい」
「お母様が? ……でも、あまり食欲ないんだ」
「沈む気持ちは分かるけど、規則正しい生活を送らなければ体調まで崩してしまうわよ?」

 フラフラしながらも席へ座る。

 お母様が用意してくれた昼食には、私の好きなものばかりがテーブルに並べられていた。その少しでも慰めてくれようとしている気持ちに、胸が熱くなる。

 メイドと調理器具を洗うお母様が、どこか上の空になる私を見てボソっと囁く。

「旦那様、農園の方達へ謝罪しに行かれるそうよ」
「そうなんだ……ちょっと挨拶してくるわ」

 向かった先のリビングでは、お父様がお気に入りの座椅子に腰をかけ、窓から見えるブドウ農園を眺めていた。

「お父様」
「……ルナか」

 こんな時間に起床してきた私を、普段なら“だらしがない”と叱責してくるはずだけど、お父様の哀愁漂う表情から見るに、そんな気力もなさそう。

「昨晩は、眠れましたか?」
「……いや、見ての通り寝不足だ」

 先代から受け継いで、大切にしてきたブドウ農園。
 子供の頃から農園を走り回っていた私にも思入れはある。そこで働く人達は皆、優しいお父様が大好きだった。

 取引が全体の約8割を占めるバストーニ商会との契約が打ち切られたら、マルキ家は致命的な大打撃を受けることになる。そうなれば、たちまち農園経営は立ち行かなくなり、最悪、領地売却を選択せざるを得なくなる。
 お父様がどんな想いで謝罪するのかなんて、考えるだけでも胸が痛む。

 こんなことになったのは、私のせいだ……。
 無自覚に傲慢な態度を取ってきてしまったから、バチが当たったんだ。
 握り拳を作る私の手は、怒りで小刻みに震えていた。

「お母様から聞いたのですが、農夫の方々へ謝罪されるそうですね」
「ああ、みんなを不安にさせてしまっているからな。すぐに新しい取引先は探すつもりだが、当主として頭を下げねばなるまい」
「私のせいなのに、ご迷惑をおかけして申し訳ございません……」 

 しゅんとして視線を落とす私に、お父様が手を挙げて首を振る。

「自分を責めることはないんだぞ? とりあえず、農園のことは私が何とかするから心配しなくていい。それに、ルナにも気分転換が必要だろう。何か好きなことに没頭する時間を作りなさい」
「はい……ありがとうございます」

 心優しい言葉を投げかけてくれたお父様に感謝した私は、ゆっくり振り返ってリビングを後にした。

 廊下を歩いていてふと窓の外を見遣ると、郵便屋の車が農道を去っていくのが見えた。玄関から外に出て郵便受けに向かい、届けられた郵便物を確認すると、2通の封筒が入っていた。
 1つはバストーニ商会からだけれど、内容は見なくても分かる。こんなもの、引きちぎりたいくらい忌々しく見えてくる。
 そして、もう1通には私への宛名だけ書かれており、ひっくり返しても差出人が載っていなかった。

 誰からかしら?

 不審に思った私がその場で封蝋を割って中を覗くと、1枚の手紙が入っていた。するとそこには、

[あの二人の幸せを望みますか?]

 とだけ書かれており、文の右下には住所も添えられていた。

 な……何これ?
 どういうこと?

 悪戯にしては意図が読めない。けど、何やらこの謎めいた手紙から不穏な空気が漂ってくるのは確か。
 いても経っても居られなくなった私は急いで家に戻り、バストーニ商会から届いた封筒だけお母様に手渡す。

「アレン様から正式な通達が届いたけど、見る?」
「はぁ……開けるのも嫌になるわね」

 お母様が嘆息気味に封筒から手紙を取り出すと、やはりそこには、バストーニ商会から当家との契約打ち切りを告げる内容が記載されていた。

「悪夢であって欲しいとは願っていたけれど、無駄だったわ……」
「大丈夫よ、お母様。お父様も新たな取引先を探してくださるそうだし、うちのブドウを評価してくれている人はたくさんいるのだから」

 頬に手を添えたお母様が「そうよね……」と浮かない面持ちで囁く。

「あと、昼食を終えたら気分転換しに、街へ出掛けてきてもいいかしら?」
「え、ええ。構わないけど……早めに帰ってきてね?」
「分かってるわ」

 お母様は私の表情を見て少し不安そうにしていたが、小さく頷いてくれた。そこから入浴と身支度を済ませた私は、車に乗って街へと出掛けた――。

 記載されていた住所は、何度か訪れたことがある、多くの人が行き交う街の中にあった。
 下手に知り合いと遭遇したくなかった私は、顔を伏せながら歩いて目的地を探した。そして、辿り着いた先は記憶に新しいあるお店だった。

「ここって……」

 そこはアレン様と共に、結婚式用の装飾品を買った宝石店『ラ・コルネ』だった――。

 え、間違いないよね?

 と、何度も住所を確認するが、該当する場所はこの宝石店しかない。正直、アレン様との思い出が多過ぎるラ・コルネには全然入りたくないと思った。

 ここで立ち止まっていても、時間の無駄よね……。

 意を決してガラス貼りの扉を開けると、とてもお洒落な空間が出迎えてくれた。煌びやかな宝石の入ったショーケースが並べられ、黒く塗られた壁には間接照明が設置されている。数人いた客には、一人ひとりに店員が付いて対応している様子。

「いらっしゃいませ。ラ・コルネへようこそ」

 立ちすくむ私に笑顔で声をかけてくれたのは、黒いパッツンボブに黒縁眼鏡をかけた、綺麗だけど少し地味目な女性店員だった。
 茶皮のショルダーバッグから、例の手紙を取り出して見せる。

「あの、私の自宅にこんな手紙が届いたのですが……」

 言いながら手紙を店員に渡すと、彼女が眼鏡の縁を指で押さえながら改め始める。すると、ふっと頬を緩めて挨拶してきた。

「私は案内役を勤めさせて頂いている、ジュディと申します。お名前をお伺いしても宜しいですか?」
「えっと、ルナ・マルキと申します」
「ルナ様でございますね。このお手紙については事務室でご説明させていただきますので、こちらへどうぞ」
「は、はい」

 言われるがまま、ジュディさんに導かれて店の奥へと廊下を進む。そして[従業員専用]と書かれた扉を、コンコンとノックして開けたジュディさんが入っていく。

「失礼します、店長。ルナ・マルキ様がご到着されました」
「そうか。申し訳ないが、少々そこの席でお待ち頂くようお願いしてくれ」
「かしこまりました」

 扉越しに廊下まで聞こえてきた会話。どうやら店長は立て込んでいるみたいだ。すると、扉を開けて廊下に顔を出したジュディさんが「どうぞ」と微笑んできた。

 どうしよう、何だか怖くなってきたわ……。

 疑心暗鬼になりながら入室すると、中は書斎に近い雰囲気の事務室になっていた。
 建物の裏側となる部屋でも窓からは光が差し込んでおり、窓際に置かれた鉢植えには、あまり見たことのないピンク色の綺麗な花が咲いている。
 そして、事務室奥の机に座す男性が目に飛び込んできた。



 切長の鋭い眼をした端正な顔付きに、胸辺りまで伸びた絹のように美しい灰色の髪。インテリチックな細縁眼鏡をかけたその男性は、以前アレン様と入店した際に担当してくれたラ・コルネの店長だった。

「こ、こんにちは。その節はお世話になりました」
「お久しぶりですね、ルナ様」

 卓上の書類を前に事務仕事をする店長の顔を見た途端、あの頃と変わらず少し冷たい印象を抱く。

 あーしまった……。
 えっと、店長の名前なんだったっけ?

「では、こちらにお掛けになってお待ち下さい」

 挨拶も早々に紅茶を淹れてくれたジュディさんから、4人掛けのテーブル席へ促される。背もたれのある高級そうな椅子に腰掛けると、黒皮の座面はふわふわで、座り心地は抜群に良かった。
 ジュディさんはニコリと笑顔を浮かべ、仕事へ戻るのか、そのまま事務室を出て行った。

 え、気まず……。

 急に店長と2人きりにされ、これから何が始まるのかと、得体の知れない不安に駆られながら数分待っていた。
 すると、事務仕事を終えた店長が立ち上がった。

「お待たせしてしまい、大変申し訳ございませんでした」
「い、いえいえ、大丈夫です」
「改めまして、ラ・コルネの店長を務めるサイファーと申します」

 丁寧に差し出された名刺を受け取ると、そこには[別れさせ屋代表 サイファー・アルベルティ]と記されていた。

 わ……別れさせ屋代表って何?
 ラ・コルネの店長じゃないの?

「実を言うと店長は表の顔でして。裏では“別れさせ屋”という名で仕事を請け負っているのです」
「すみません、別れさせ屋というのは一体……?」

 困惑して尋ねる。サイファーさんは対面に座って、おもむろに両手をテーブルの上で組んだ。

「そのままですよ。私共はクライアント様の希望する恋人同士を、色々な手法を用いて“破局させる”ことが出来るんです。例えそれが、夫婦であっても」

 感情の起伏もなく、淡々とした口調で恐ろしいことを口にするサイファーさん。そんな仕事が存在するのかと、耳を疑いつつ問い返す。
 
「な、なるほど……でも、どうして私にお手紙を?」
「ルナ様が婚約破棄されたことは存じております。噂を耳にした私は、何かルナ様のお力になれればと思い立ち、早急にお手紙を送らせて頂いた、ということです」

 途端、吹雪に晒されたかのように背筋が凍りつく。

 昨日の婚約破棄騒動は、多くの来賓者達の前で繰り広げられた。その分、噂が急速に広まったのは解るけれど、いくらなんでも行動が早すぎる。
 
「お力って、“アレン様とフェネッカを別れさせる”ということですよね? そんなこと、本当に出来るのですか?」
「はい。私共の力を持ってすれば充分可能です。これまで何組ものカップルを破滅させた実績もございますから。個人情報保護義務があるので、どなたかまでは申し上げられませんが」

 と、サイファーさんが僅かに口角を上げて微笑む。
 どこか不気味さすら感じる彼の表情を見た私は、考え込むように俯いて黙り込んだ。

 なんて恐ろしい人なの……。

 どんな手段を使うのか分からないけれど、もし本当に2人を破局させることが出来たとしても、果たしてそれは“私の望み“なのだろうか。
 本音を言えば、アレン様の傍若無人な振る舞いや、フェネッカの嫌見たらしい態度を目の当たりにしてから、“もう二度と関わりたくない”と感じていた。
 そんな心境で、またあの2人に干渉するかどうかを問われても、複雑な気持ちになってしまう。

「……どうやらお悩みのようですね、ルナ様」

 中々返事をしない私を見兼ねたのか、サイファーさんが嘆息気味に囁く。

「ではここで一つ、あの2人がこれまでに犯していたを、貴女様にお伝えすると致しましょう」
「……つ、罪ですか?」

 サイファーさんが唐突に「おい、ホーキン」と呼び声を上げる。すると事務所内に、スキンヘッドでピンク色の派手なシャツを着た男性が入室してきた――。
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