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番外編・うさぎのきもち
57.二人と一匹
しおりを挟む「伊都さん、誘っておいてゴメンね。戸次さん、今日は有難うございました。またヨツバと遊ばせて下さい」
「ええ、今度は亀田部長と一緒にいらしてください」
「はい! あ、あともし良かったらウチにもいらしてください! 出来たら伊都さんも一緒に! ね、伊都さん?」
「え? あ……その」
伊都さんは少し返事に躊躇したが「ウチでうータンと伸び伸び触れ合って下さい」と卯月さんが言うと「あ、はい。ぜひ」と真顔で、反射的に大きく頷いたのだった。
「では、お邪魔しました~!」
卯月さんがニコニコしながら手を振って出て行った。
俺達は卯月さんを見送って、閉まった玄関扉の前に立っている。
卯月さんを見送ったまま振り向かない伊都さんの小さな背中を見下ろして―――一瞬『あれ?』と違和感に気付く。
三人でいた時に漂っていたほのぼのとした空気。その『ほのぼの』成分はほぼ卯月さんに起因していたらしい。扉が閉まった途端、気まずい空気が流れ始めたのだ。
そう言えば今、密室で女性と二人きり……だよな?
今更そんな事を改めて思ったのは、伊都さんが女性だと言う事を認識していなかったからじゃない。ただ何というか……花井さんのような『女子!』ってアピールが全く無いから、俺の中でまず彼女を『うさぎ好きのうさぎ屋の店員』と言うカテゴリーに分類してしまっていたのだ。そして何となく伊都さんをそのカテゴリーに当て嵌めたまま、彼女に対する認識の置き場所を組み替えるのを放置していたと言うか……。
化粧っ気も色気も無いがよくよく見ると顔も可愛いらしいし、挙動不審で怪しかったり挙動不審じゃ無い時はほぼうさぎ講座の講師みたいな立ち位置だけど―――実際は社会人の女の人ってワケで。つまり今、俺は俺の部屋で女性と二人きり、と言う訳で。
……いやいやいや!
ヨツバ! そう、ここにはヨツバがいるし! 男女二人きりとはその、意味合いが違う。二人と一匹! だから!……いやでもそれってほぼ二人きりと変わんないんじゃ……。
いや待て。落ち着け! この部屋で伊都さんと二人きりになったのは初めてじゃない筈だ。伊都さんがヨツバの運動場を作ってくれた時、亀田部長が卯月さんを下まで送って行く間短い時間だが一対一になった時があった。と言っても勿論ヨツバはベッド下にいた訳で……ってそれは今はどうでも良いか。
ものの二、三秒だが、俺の中で嵐のように言い訳とツッコミが入り乱れた。
卯月さんは当り前のように『もう少しヨツバの為にいてやって下さい。伊都さんヨツバとまだ触れ合って無いじゃないですか!』なんて言っていたから『ああそっか、確かにな』って咄嗟に納得しちゃったけど……。卯月さん、うさぎ中心に考えているからか気付いていないのかもしれないけれど、一般的にこの状況を傍から見たら『伊都さんとヨツバが一緒にいる』じゃなくて『伊都さんと男が一緒にいる』って受け取る人間が多い筈だよな?卯月さん、慌てていた所為かもしらんが、その状況を全く意識していないようだった。しかも以前と違って、卯月さんは亀田部長のように戻って来るわけじゃないのだ。
果たして当の伊都さんは―――この状況を分かっているのか?
いや、違う。そうじゃなくて―――まず『俺』は伊都さんに何かしようとか、そう言う邪な気持ちは全く持っていないんだ。だからむしろ堂々と普通にしているべき、だよな。そう、確か伊都さんはヨツバの健康チェックをしたいって言っていたんだ!だから要するに伊都さんはこの場合、うさぎの往診に来た先生みたいな存在と言う訳だ。なら、俺が特別に気を回す必要は無い。むしろ少しでも俺が変な意味で気にする素振りを見せたら―――伊都さんの性格だと気にして更にギクシャクしてしまう筈だ。
以前はどうだったっけ?ええと俺が声を掛けたら何故か泣き出して……うわ、そーだそんな事あったよな?訳が分からなくて戸惑った覚えがある。だけどヨツバの事に集中すると、伊都さんは普通に戻ったんだった。……よし。
「伊都さん」
「は、はいぃっ……!」
玄関扉の前で卯月さんを見送ったまま固まっていた伊都さんに声を掛けると、さっきまでの落ち着きが嘘のように裏返った声で応答する。グルンと勢いよく振り返って返事をする直前、ビクン! と小さな肩が大仰に跳ねるを目にして、俺の推論がそれ程大きく外れていなかったと言う事を知った。
うん、こりゃあ確実に何ごとか考え過ぎているだろう……最初の人見知り全開の雰囲気にやや戻っているような気がする。男女二人きりってトコを意識しているのか、それともそもそも男だとか女だとか関係なく他人といる事に緊張してしまっているのか分からないが。
俺は敢えて伊都さんの動揺に気付かなかった振りを装って、落ち着いて聞こえるような安定した発声を心掛けた。
「ヨツバの健康チェック、していただけますか」
「あっ……」
その途端、伊都さんのキョロキョロと彷徨い始めた視線がピタリと俺に吸い付いた。
「抱っこって、俺がやった方が良いんですか?」
「あ、あのっ……いいえ! あの、その……私が!」
予想通りヨツバの話題を出すと、伊都さんは落ち着きを取り戻せたようだ。正気に返ったようにスッと瞳孔が定まった。彼女の体を取り巻いていたオドオドした空気が、さっきまでそこにあった落ち着いた『うさぎ講師』のものに変化する。
深呼吸のように深く息をすって、伊都さんはゆっくりそれを吐き出すようにこう言った。
「私が抱っこしてヨツバの体調を確認しますので……その、戸次さんも見ていてください。本来は毎日様子を見ている飼い主さんがするような簡単な手順ですので、覚えていただいてヨツバの健康維持に生かしていただけたら……有難いです」
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